第六話 読めぬ者の仕業、灰色の追跡者
机の上に翻訳し終えた稿を五冊分並べると、ロレンツォは一枚一枚を丁寧に確かめた。
「……見事なものですね。これほど読みやすい訳文は、学者に依頼しても中々出来るものではありません」
視線を上げ、ラミフィオーレを見る。
「全五冊、約束通り金貨十五枚です」
革袋が机の上に置かれた。
「預かっておけ」
「……はい」
リネットが受け取る。ずしりとした重みがある。金貨十五枚。昨晩まで低ランク依頼を地道にこなす覚悟をしていた自分が遠く感じた。
「ロレンツォさん、実はこの件に絡んでお話ししておきたい事があります。それは……」
ロレンツォはリネットから封印の地図のあるページが切り取られてると言う話を聞き終えるとしばらく沈黙した。
指を組み、机の上に視線を落として何かを考えている。応接室の静けさの中で、廊下の向こうから遠くギルドの喧騒が届いていた。
「……確かに、そのページだけが」
「新しく切り取られていました。最近のことです」
リネットが頷く。ラミフィオーレは椅子の背もたれに軽く寄りかかり、腕を組んだまま口を挟まない。
「街を三つ灰にした力が封じられていて、その場所を記したページだけが持ち去られた。しかも最近」
ロレンツォは静かに繰り返した。それが事実の重さを確かめるような口調だった。
「分かりました。協力します」
引き出しを開け、台帳を取り出す。
「あの書物を持ち込んだ者の記録ならこちらにあります。ギルドは取引の記録を必ず残していますので」
ページを繰る手が止まった。
「一ヶ月前です。ゴールドランクが二名、シルバーが三名。五人のチームです。古代遺跡の調査依頼を達成し、その際に回収した品として書物を持ち込みました」
リネットは台帳の記載に目を走らせた。
「このチームに話を聞けますか」
「メルカディアを拠点にしているチームです。今日もギルドに顔を出すはずです」
◇
チームのリーダーは四十がらみの大柄な男だった。傷だらけの腕に使い込まれた剣帯。ゴールドランクの風格がある。
リネットが事情を話した。書物に封じられた厄災のこと、切り取られたページのこと。チームの五人が受付フロアの隅のテーブルに集まって話を聞いた。
反応は様々だった。
リーダーの眉がゆっくりと寄る。隣の女剣士が小さく息を呑む。後ろの三人のうち一人が椅子の上で姿勢を正し、もう一人は腕を組んで視線を逸らした。最後の一人はただ黙って聞いていた。
「……あの本にそんなことが書かれていたのか」
リーダーが絞り出すように言った。
「あの遺跡の奥にあったのは全部書物だった。読めないが値が付くかもしれないと思って持ち帰った。まさかそんなものが書かれていたとは」
「ページが切り取られていたことはご存じでしたか」
「知らん。書物を持ってきた時は全部ロレンツォさんに渡した。中身まで確かめていない」
リネットは五人の顔を見回した。誰かが嘘をついているかもしれない。しかしどこかで何かを隠している様子は——
「何か嘘を見破る魔法とかないんですか」
隣のラミフィオーレに小声で聞いた。
「そんな便利なものは……いや」
ラミフィオーレは少し間を置いた。
「似たものはある」
「あるんですか」
「心を操り恐怖で口を割らせる術ならな。だがそれで出てくるのは恐怖であって真実ではない。脅されて吐いた言葉が事実とは限らぬ。古の魔導士もそれを承知ゆえ頼らなんだ」
リネットは口を閉じた。
「ではどうするんですか」
「話している間に人の機微というものが見えてくる」
ラミフィオーレは静かに五人のほうへ視線を向けた。
◇
ラミフィオーレは五人を見ていた。
長く人を見てきた目がある。記憶はなくともその目だけは残っていた。瞳孔の揺れ。声の上ずり。心拍の乱れ——直接聞こえるわけではないが首筋の脈動は見える。指先の力の入り方も。
リネットが話す間、五人の反応を順に追った。
リーダーは驚いている。本物の驚きだ。腹の底から来る準備されていない反応。
女剣士の息を呑んだのは恐怖だった。「街を三つ灰に」という言葉に冒険者として本能的に反応した。
後ろの三人。一人が姿勢を正したのは「自分はちゃんと聞いています」という癖のある動作に見えた。視線を逸らした者は考えている。混乱しているというほうが正確か。黙っていた一人は——単に寡黙な性格だろう。表情の揺れは小さいが、それは何かを隠しているのではなく感情の出方が少ない人間のそれだった。
五人とも本気で何も知らぬ顔をしている。
ただし——ラミフィオーレは内心でそこに線を引いた——これは心証に過ぎぬ。冷静な犯人を見抜けるとは限らぬし、動揺しやすい無実を疑ってしまうこともある。観察は所詮心証だ。
だが。
◇
「一つ確認させてください」
リネットが言った。
「書物を持ち込んだのは一ヶ月前ですよね」
「そうだ」
「それ以来書物に触れましたか。ギルドの保管庫に入ったり書物を引き出したりとかは?」
リーダーが首を振った。他の四人も同じ動作をした。
「納品してから一度もない。別の依頼で街を出ていたこともある」
リネットは振り返ってラミフィオーレを見た。
「ページの切り口は新しかったですよね」
「そうだ」
「書物が持ち込まれたのは一ヶ月前。それ以来保管庫に入っていない。ということは——切り取ったのは書物が保管庫に入った後、ここ最近のことでこのチームは関係ない」
ラミフィオーレは小さく頷いた。
観察が心証なら論理が確証だ。アクセスのなかった者にはできない。
「申し訳ありませんでした。お時間を取らせてしまって」
リネットが頭を下げるとリーダーは複雑な顔をした。
「いや、むしろ——あの書物がそういうものだったとは。俺たちも知らずに関わっていたのかと思うと」
その声には後ろめたさとも安堵ともつかない複雑な色があった。
◇
フロアの隅でロレンツォが待っていた。
「チームはシロでした」
リネットが言うとロレンツォは頷いた。表情が何かを覚悟したように見えた。
「では——ここ最近保管庫に触れられた者というとギルドの中になりますね」
「そうなります」
重い沈黙があった。
「最近ギルドで何か変わったことはありましたか。職員が辞めたとか何か不審な動きとか」
ロレンツォは答える前に一度目を閉じた。
「……半月ほど前に一人の職員が死にました」
リネットの背筋がすっと冷えた。
「ヴィランといいます。保管庫の管理を担当していた者でそこの鍵を持っていました。路地で倒れているのを近隣の者が見つけた。原因は不明のままです」
「不明というのは」
「外傷は見当たらなかった。毒かあるいは魔法か。ただ——」
ロレンツォは言葉を探すように少し間を置いた。
「ヴィランは真面目な人間でした。ただ少し気が弱くて断れないところがあった。それが取り柄でもあり弱みでもあった」
「ならば遺体をアンデッドにして聞き出すか……」
リネットは思わず振り返った。
「それはさすがに——」
「あの、遺体は火葬済です……」
若干引き気味のロレンツォが答えた瞬間、ラミフィオーレが低く呟いた。
「ふむ、そうなるとアンデッド化は無理だな……」
あっさりと言った。ロレンツォは目が微妙に泳いだ。
「……もう直接聞くことはできませんね」
◇
ロレンツォの執務室を借り二人は向かい合った。
「行き詰まりました」
リネットが率直に言った。
「ヴィランが切り取ったとして——なぜ殺されたんでしょうか。財宝の地図と思ってページを抜いたとしてそれだけで口を塞がれますか」
「普通はそこまではせぬな。だが……」
ラミフィオーレは窓の外に目を向けたまま答えた。
「ヴィランは手駒だ。誰かが奴を動かしてページを手に入れた。仕事が終われば不要になる。口封じをされたという事だな」
「つまり——背後に誰かいると」
「封印の場所を欲しヴィランを道具として使い、用が済んで処分した。封印の地の情報はその誰かの手にある。今まさにその場所へ向かっているかもしれぬ」
リネットは机の上で指を組んだ。
「黒幕が誰でどこへ向かったか——それを知る手がかりがもうない」
「ヴィランに繋がった者を探すことはできる。だが時間がかかる。その間に封印が解かれれば」
部屋が静かになった。
どこかで鐘の音が鳴った。昼を過ぎた頃だった。
◇
ギルドを出たところで声をかけられた。
「少しよろしいでしょうか」
リネットが振り返る。
女だった。亜麻色の短髪が耳の後ろで切り揃えられている。装いは地味で旅人と言われれば信じられる格好だ。中背で華奢に見える。しかし——一歩引いて立つその姿勢にどこか計算された隙のなさがあった。
灰色の瞳がリネットを見た。次にラミフィオーレを見た。
そこで一瞬だけ止まった。
「あなた方もあの地図を追っているのですね」
声は静かで丁寧だった。断定の形をとっているのに問いかけのように聞こえた。
「……誰ですか?」
リネットは右手を自然な位置に動かした。剣の柄までの距離を無意識に測っていた。
「同じものを追っている者です」
女は微笑んだ。作られた笑みだったが崩してはいない。
「フィオナ・アシュレイと申します。しばらくあの地図がらみの動きを追ってきました。ここ数日あなた方の動きも見ていました」
「見ていた?」
「ええ。翻訳を依頼されたこと、チームに話を聞いたこと。そして職員の死に辿り着いたことも」
リネットは腹の底が冷えるのを感じた。この女は自分たちを監視していた。いつから。どこまで知っている。
「何が目的だ?」
横からラミフィオーレが言った。
フィオナがラミフィオーレを見た。その灰色の瞳にかすかに何かが走った——驚きとも困惑ともつかないごく小さな揺らぎ。しかしすぐに消えた。
「封印が解かれることを阻止したい。それだけです」
「理由は」
「この封印が解かれれば多くの人が死にます。それを避けたい」
「ありきたりな理由だな」
ラミフィオーレは視線を外さなかった。
「それだけか」
「……それだけとは言い切れませんが、今はそれだけです」
フィオナは少し間を置いてからそう答えた。
正直な答えだとリネットは思った。全部を言ってはいないが嘘はついていない。
◇
ラミフィオーレはフィオナを見ていた。
鍛えられている。動きに無駄がない。この距離で接触を試みるということは単独で行動できる自信がある。何かしらの組織に属しているだろう——その組織が何かはまだ分からない。
何かを隠している。それは明白だ。だがラミフィオーレ自身も全部を話しているわけではないのでそれをもって信用できないとは言えない。
問題は一点だけだ。
この女は我を値踏みしようとした。そして——戸惑った。
ラミフィオーレにとって人が自分を「測れない」と悟る瞬間は珍しくない。ただこの女はそれを表情に出さなかった。感じた上で平静を保った。それはそれなりに訓練された者のすることだ。
害をなす気配は——今のところない。
だが今のところは、だ。
◇
「あなた方が辿り着けなかった手がかりを私は持っています」
フィオナが続けた。
「黒幕の見当がついています。あの書物に関心を持ちそうな者の動きを私はずっと追ってきました。ヴィランが接触した人物の痕跡もいくつか掴んでいます」
「その手がかりをなぜ渡す」
「一人では追いきれないからです」
フィオナは率直に言った。
「私の持っている情報とあなた方の動ける力。それを合わせれば封印が解かれる前に動ける可能性がある。取引としては悪くないと思いますが」
リネットはラミフィオーレを見た。ラミフィオーレは腕を組んだまま少し考える素振りを見せた。
「我は封印が解かれようとどうなろうとさほど関係のない話だが」
フィオナがわずかに目を細めた。
「関係ないとは?」
「人が死のうと街が灰になろうとそれは人の選択の結果だ。我が止めに走る理由がどこにある」
リネットは慌てて口を開いた。
「ラミさん、でも考えてみてください。街が灰になるような大事が起きれば物流が止まります。交易の道が断たれる。メルカディアに食材が入ってこなくなる。料理店も屋台も満足な食材が手に入らなくなりますよ」
ラミフィオーレがわずかに眉を動かした。
「……続けよ」
「封印の地がどこにあるか分かりませんが、もしそこが交易路の近くだったら一帯の往来が止まります。各地から食材が集まるメルカディアもただでは済まない。せっかくこれから美味いものを食べ歩こうというのに質が下がったら——」
「……なるほどな」
ラミフィオーレは短く言った。腕を組み直しフィオナを見る。
「その手掛かりとやらを聞いてやろう。ついてこい」
ラミフィオーレは歩き出した。
フィオナは一瞬リネットに視線を向け、リネットは小さく肩をすくめた。
「あの方は……いつもああなのですか?」
「だいたいそうです」
リネットは苦笑した。
「慣れます、たぶん」
フィオナは何かを飲み込むような間を置き、それからラミフィオーレの背中を追った。
三人はメルカディアの昼の喧騒の中へ歩き出した。




