08 鏡について
ビアンカ様の邸宅は我がヴァーノン家より大きな建物でした。
王都にある別宅でコレですから、きっと領地にある本宅はさぞや豪華なのでしょうね。
前世の私達は陰でこそこそ会っているだけでしたので、別宅に足を踏み入れる機会はありませんでした。
それがこんな形で足を踏み入れるとは思わなかったのだけれど……。
「おかえりなさいませ、お嬢様。そちらの方は――」
「この方は私の友人です。……そうですね、ルナとお呼びして」
初老の執事と思われる人の声を遮るようにビアンカ様は言うと、
「では、ルナ、こちらのへ」
と、言って私を屋敷へと誘ってくれた。
そして案内されるまま、とある部屋へと通されます。
「こ、この部屋は――」
「勿論、私の部屋ですよ、さぁ入ってください」
そこはカーテンや敷物、家具などがアイボリー色で統一された、美しい部屋でした。
家具の中には本棚もあり、そこには革表紙の本が整然と並べられていて、所々ある隙間には一目で高価な物だとわかる時計や小物などが置かれている。
そんなセンスの良い部屋に私がついそわそわと視線を漂わせていると、
「例の鏡はコッチですよ」
と、鏡を探しているのと勘違いされたのか、目的の鏡の場所に案内してくれました。
その鏡はベッドのそばにある小さな引き出しの上に置いてありました。
そして、その鏡を一目みた瞬間、私は不思議な気持ちになったのです。
鏡は一見よくある楕円形の古風なデザインに見えましたが、よくよく見ると周囲の枠には非常に精巧な薔薇の金細工が施されており、要所要所には小さな赤い宝石が埋め込まれています。
素人目に見てもとてもとても高価な物にみえますね。
「これが例の鏡です。確か叔母様から頂いた時に、これは古いデザインに見えますがアンティーク風に仕上げた鏡だって言っていた気がします。なのでそんなに古いものではなさそうです」
鏡の縁を白い指で撫でながらビアンカ様は言いました。
「私の目から見てもそれは正しいと思います。本物のアンティークはこんな綺麗じゃありませんから」
なんでもバートン家の本宅にはアンティークが沢山あるとか、それを見慣れているお陰でものの良し悪しは兎も角として、本当に古い物かどうかは感覚で分かるらしい。
「そうなんですか」
わたしは凄いなと頷きながらも一緒に鏡を覗き込みました。
……うん、映っているのはいつもの見慣れた自分です。
違うところと言えば隣にビアンカ様が一緒に映っている事ぐらいでしょうか。
それを意識すると恥ずかしさがこみ上げてくる。
なので私はぱっと鏡から映らない位置へと移動しました。
「そ、その鏡が夜になると別の――その、私の姿を映すのですか?」
ビアンカ様は頷きます。
「えぇ、その通りです。無論毎晩というわけではありませんが……」
「そうなんですか。だから今は普通の鏡に見えるのですね……。私が触っても宜しいでしょうか?」
ビアンカ様は頷くと私に鏡を手渡してきました。
映り込むのは私の姿、そこにはなにもおかしなところはありません。
どこもおかしなところが無いのを確認した後、私はついでとばかりにちょいちょいと前髪を整えます。
「……やっぱり、この鏡を贈られた方に話を聞いた方が良いと思います。謂れとか、どこで購入したとか分かるかもしれませんし」
「そうですね、私もそう思っていました」
私が鏡をビアンカ様にお返しすると、
「では、行きましょうか」
と言って部屋から出て行こうとする。
「丁度都合の良い事に数日前から叔母様が我が家に滞在しています。一緒についてきてくださいますか?」
「わ、分かりました」
そう言って先導するビアンカ様の後を、私は黙って付いて行きます。
同じ家にいる人物に会いに行くだけだというのに、数分間も歩き続けある部屋の前でビアンカ様が足を止めた。
この部屋が鏡を贈られたという叔母がいる部屋のようです。
ビアンカ様は軽く咳払いすると、ノックをして声を掛けました。
「叔母様、私です、ビアンカ様です。いらっしゃいますか?」
それに反応して、ドアの向こうから声が聴こえました。
「ビアンカですか?」
そんな少し驚いたような声が返ってきて、扉が開く。
「どうしましたか?貴女が部屋まで来るとは珍しいですね」
「ちょっとご相談したいことがありまして、中に入っても宜しいでしょうか?」
ビアンカ様はそう言って私の方を振り返りました。
それで彼女もビアンカ様だけでなく、私がいる事に気が付いたようです。
「あら、一人ではないのね?……良いでしょう、お入りなさい」
そう言って何かを察したような表情を浮かべ扉を大きく開けると、私達を中へと招き入れてくれました。
私達はその声に導かれるように彼女の部屋へと足を踏み入れました。
そして勧められるまま、ソファーへ着席する。
「おや?」
対面のソファーに腰を下ろした彼女は、私の顔を暫くみつめるとそう声をあげました。
「貴女は見覚えがあるわね。どなただったかしら」
私はしまった、と思い、慌てて顔を俯きました。
「叔母様、彼女は私の知り合いでルナと言います。彼女の詳しい素性については今はご勘弁ください」
「ふーん。まぁいいわ。所で二人揃って私にどんな用件があるのですか?」
その言葉に、私はホッと胸を撫でおろしました。
当然ですが、ここは私の……いえ、ヴァーノン家の者にとっては敵地も同然、今の状況にかなりの不安を覚えていましたから。
「以前叔母様から贈られた、この鏡について知りたいのです」
「鏡?」
ビアンカ様は取り出した鏡を彼女に手渡しました。
「覚えていらっしゃいませんか?」
「……あぁ、この鏡ですか。覚えていますよ」
そう言って彼女は鏡をビアンカ様に返しました。
「これはたしか――そうですね、王都にあるアンリアルという店で買ったものだったかしら」
「『アンリアル』ですか」
「えぇ、中々雰囲気の良いお店でしてね、その鏡もビアンカの贈り物にピッタリだと思って買ったのよ。――思いだして来たわ、そう言えば不思議な逸話があるとか言っていたわね」
そう言って彼女が語ってくれた事によるとなんでもこの鏡はとある宗教施設にある実在する鏡をモチーフにして作られたものだとか。
そしてその元となった鏡には死者の霊が写り込み、鏡を通じて語り掛けて来る、といういう逸話があったらしいです。
それを何処かで聞いたこの鏡の制作者は亡くなった妻に再び出会いたい一心でその鏡のレプリカを沢山作ったものの、一つとして亡き妻の霊を映し出す事は無かったとか。
そしてその事に絶望した制作者は大半の鏡をたたき割ってしまったそうです。
そののちその制作者は心の病に掛かってしまい、ついには自ら死を選んでしまった、そんな話だそうです。
で、今手元にある鏡は壊されずに残った数少ない鏡のうちの一つ、などという話を店主がしてくれたらしい。
「――勿論私もそんな話を真に受けたわけではありませんよ?きっと店主が適当に考えた作り話か、もしかしたら店主も仕入れ先からそう聞かされただけかもしれません。どちらにしても普通の鏡とは違う、いわくありげに思わせて値段を少しでも高く売りたい、その為の作り話でしょう。それは兎も角として、デザイン的にもアンティークな感じでしたし、惹かれたのも事実です。だからビアンカへの贈り物として購入しましたの」
「……なるほど、この鏡にはそのような逸話があったのですか」
話を聞き終えた私は、ビアンカ様の持つ鏡をじっとみつめていましたが、ふと気が付くと正面の彼女が同じようにじっとみつめているのに気が付いて慌てて顔を伏せました。
何かを探っているような、そんな感じの目でした。
「その鏡の話を聞くためだけにここに来たのですか?」
「えぇ、まぁ……」
ビアンカ様はそうやって言葉を濁しつつ、
「叔母様、お話頂きありがとうございました」
と二人そろってお礼をして足早に彼女の部屋から退出をします。
バタンとドアの閉まる音を聞いて、漸く私は一息吐く事が出来ました。
退出の直前まで彼女の目が私をじっとみつめているような、そんな気がしていたのです。
部屋から出た私達はそのまま無言でビアンカ様の部屋へと戻りました。
「ビアンカ様、あのお話は本当なのでしょうか?」
呟くように私が言うと、
「どうでしょうね?」
そう言って肩をすくめました。
「心を病んで自ら死を選んだ制作者の怨念のようなモノが、この鏡に宿っていて不可思議な現象を引き起こしている。そんな事があり得るのでしょうか?」
そんな事はありえない、とばかりに私は自らの発言に対して首を振ります。
「そうですね。でも私はあり得ない話じゃないと思っています。古来より鏡にはそんな不思議な力があるって告解室でもルナが仰っていたじゃないですか」
何かを確かめるように鏡の表面に触れながら、ビアンカ様が仰りました。
「そ、それは……」
あの時は話を誤魔化すために、どこかで聞いたような事を捲し立てたのでそんな事も言ったかもしれません。
「実際に私はその不思議な現象を目のあたりにしてますし、何らかの力が働いているのは確かだと思います」
「でも――」
「そう、ではなぜこの鏡に貴女の姿が写り込むのか?という疑問がありますよね」
「そうですよね」
そう、それです。
死者の霊を写し出す鏡を模倣しようとして残念ながら失敗してしまった鏡が、なぜ今、私の姿を写したのでしょうか?
この時の私は首を捻るしかなく、その後はさまざまな軽い雑談をしてから、自らの屋敷へと戻ったのでした。
★★★★★
あれから秘密裏に何度かの手紙のやり取りを行い、本日は再びビアンカ様と会う日がやってきました。
場所は以前お会いした喫茶店の個室です。
どうやらこのお店のオーナーはビアンカ様とお知り合いらしく、頼めば個室の提供などの利便性を測ってくれるそうです。
実のところ私はこの手紙のやり取りだけで一喜一憂をしておりました。
そしてそのたびに猫のルナがなんのかんのとちゃちゃを入れてきます。
そのたびに軽く言い争いになっていました。
まぁ、ルナにとっては私をからかう事も娯楽の一部だったようです。
それが分かっていながらついつい相手にしてしまう私も悪いのですが。
そんなこんながありつつも今日はその約束の日。
私は半ばドキドキしながらも外出の準備を整える。
家の者には具体的な名前を出さずに女友達に会う、としか伝えてはいません。
そして侍女のレニーにも私が喫茶店の個室に入ったら適当に時間を潰してほしい、とあらかじめ伝える事を忘れなかった。
「あらアルマ様、私は何処について行っても宜しいですのに」
「もぅ、レニーも分かっているでしょ?いじわる言わないでください」
「そういえばナイショの人物と秘密裏に会うのでしたね、失礼いたしました」
そう言ってレニーは不敵な笑みを浮かべると言葉を続ける。
「淑女としての立場を崩さないようにお気をつけくださいませ」
「そ、そういう意味でレニーに外してもらうのではありません!変な誤解をしないでください!」
「それは申し訳ありませんでした」
そんなやり取りをしながら外出の準備が終了し、約束の時間が近づいてきました。
「では行きましょうか」
レニーを伴って出発する事十数分後、目的の喫茶店にたどり着くと私はレニーの手を取るとお金を握らせます。
「このお金で暫く時間を潰していてください」
「少し多い気もしますが口止め料も兼ねているのですね、了解しました」
「そ、そんなわけでは無いのだけれど……足りなくなったら困るでしょう?」
実はその通りだったのですが、口に出されると余計に罪悪感が増してしまう。
そんなのモノを渡さなくてもレニーなら口外をしないと思っているのですが……。
私は一人で喫茶店に入り、ウェイトレスに声を掛けると個室へと案内されました。
部屋の前でウェイトレスと別れた私は、はやる心を抑えながら静かにドアをノックしました。
すると扉が静かに開かれるとビアンカ様が顔を覗かせる。
「早く中に入ってください」
「は、はい!」
私は慌てて部屋の中に入ると静かに扉が閉められた。
「ごきげんよう、アルマ様」
「ご、ごきげんよう、ビアンカ様」
挨拶もソコソコに勧められるまま着席する。
「まずは注文しましょうか、お話はそれからしましょう」
「そ、そうですね」
ビアンカ様が呼び鈴でウェイトレスと呼びます。
「私はミルクティーとエルダーフラワー風味のレモンケーキを」
「わ、私は紅茶とルバーブ風味のアップサイドダウンケーキでお願いします」
「承りました」
そう言ってウェイトレスがお辞儀をして退出していくのを見届けたビアンカ様は私に視線を向けると微笑み掛けたのです。




