第百二十三話 魔法の成り立ち
石台の光が消えたあとも、私は動けずにいた。
目の前で起こったことに、理解が追い付かない。
そんな私の顔を、ユノアが微笑みながら覗き込んでいた。
私が気付いたのを確かめると、意地悪そうに目を細め、さらに距離を詰めてくる。
その顔は、あっという間に体温と吐息が伝わるほど近付いた。
頬を掠める白い天使の髪が、くすぐったい。
ちょ、ちょっと近い……。
距離が縮まったことに、少しだけ胸が跳ねた。
それでも、私は冷静だ。
冷静……だと思うことにした。
目のやり場に困っていると、一陣の冷たい風が吹き抜けた。
陽の光を受けたユノアの髪が、まばゆく輝きながら私の瞳のなかで揺れていた。
その姿は神々しく、ますます目を離せなくなった。
「ねぇ、教えてあげる。ここはね――」
『閉じた空が広がる境目。
それが、瞑空の境域の名の由来――』
悪戯めいた表情の少女は、私の動揺など気にすることなく、耳元で囁いた。
吐息に混じる声のせいか、頬を掠めた髪のせいか。
くすぐったさともどかしさが入り混じり、身じろぎひとつできなくなった。
「ねぇ、ラクラス」
空に手を押し当てるようにして、ユノアが言葉を零す。
「何? ユノア」
「どうして、ここが『原初の理がそっと眠る場所』なんて言われていると思う?」
私に問うユノアの姿は、ひどく落ち着いていた。
「…………」
どうして……?
考えたこともない問いだった。
すぐには答えが浮かばない。
「じゃぁ……、魔法ってどうやって成り立っていると思う?」
私の沈黙を確認したあと、ユノアは質問を変えた。
「魔力と属性?」
少し考えてから、私が答える。
身近にあって、自然に使えているもの……。
だから、難しい質問に思えた。
たった二つの問いなのに、今の私たちが見落としているものを突かれたような気がした。
「それも、ひとつの答え。魔法ってね、もっと深いものなんだよ」
「深い?」
「魔法は、どうやって使ってる?」
どうやって……。
詠唱がなくても、魔法は使える。
でも、詠唱しないと使えない人もいる。
特別な魔法じゃない限り魔法陣も必要ない。
大がかりな魔法でもなければ、魔力や属性に干渉する石などを使うこともない。
私たちは、ごく当たり前のように魔法を使っている。
だからこそ、その成り立ちを深く考えることもなかった。
「イメージ……かな? どうして?」
「体感してもらう方が早いかも。わたしが今から放つ魔法を、ラクラスが魔法で相殺してみて」
「分かった」
「それと……」
ユノアは言いかけて、口を閉ざした。
そして、遠くの空を寂しそうに見つめてから、続きを話し始めた。
「この場所はもう……わたしの領域。全力で魔法を使っても、何かを壊しても現実の世界には影響しない。だから安心して」
ユノアの声は冷たく、低い。
一瞬で緊張が高まる。
この感覚――覚えがある。
そうだ。
アリヴィアと戦ったときに張られた結界。
それと……よく似た気配。
「もしかして、戦闘不能にならないと出られないとかあったりする?」
「お……、おい。ララ、それって……」
ニアも勘づいたらしい……。
嫌な予感しかない。
「安心して。これは結界の類とは違う。現実から切り離された、わたしの支配が及ぶ空間だから」
「つまり、私が魔法の成り立ちを理解したら、今の状況が終わるってこと?」
「そういうことになるね。あ、メルトとニアは、わたしの傍で見ててね。離れると危険……」
「危険って……。メルちゃん、ララちゃんだいじょぶだよね?」
空気が変わる。
お姉ちゃんは、ユノアの左手を両手で取り、祈るように胸の前で包み込んだ。
「大丈夫」
ユノアはそう言って、軽く頷いただけ。
本当に、大丈夫?
一抹の不安を覚えながらも、私は身構えた。
ユノアたちとは、十分に距離を取っている。
でも、どうして私に迫る魔法を打ち消さなければならないのか。
考えても仕方ない。
なのに、考えずにはいられなかった。
そして――。
(準備はいい?)
ユノアからの念話。
距離があるから、直接言葉を交わせない。
(始めて)
私が答える。
(いくよ――陽閃)
ユノアの方から、小さな光がゆっくりとこちらへ向かってくるのを、私は捉えた。
弱々しく、かすかな光にしか見えない。
(ユノア、それ本気か?)
ニアが怪訝な声を漏らす。
(本気だよ。ラクラス、見た目で判断しては駄目……)
どうする?
陽の反属性は月。
そう考えれば、対極の魔法で打ち消せるはず。
それに、危険って、どういうこと?
試してみないと分からないか……。
見た目だけで判断してはいけない。
そう自分に言い聞かせ、目に映る光だけではなく、そこから感じ取れるものにも意識を向けた。
速度。
光の濃さ。
魔力の量。
読み取れる限りの情報を確かめ、それに対抗できるよう、魔法を組み立てる。
これならきっと――。
(分かった。それじゃぁ……これでどう? 月閃)
そして、光と光がぶつかった瞬間――。
「え……?」
思わず言葉が漏れた。
私の月閃は、ユノアの陽閃に呑み込まれてしまった。
光は勢いを失うことなく向きを変え、こちらへ向かってくる。
(白に青と赤……それに黄色。これは月の光の色……?)
太陽の白に月の色味が混じっていく――。
(違う。ララちゃん。それはそんなに単純なものじゃない――)
お姉ちゃんの声は、感情を失った機械のように平坦だった。
まるで、世界の終わりを前にして零される言葉のように、私に届いた。
(ねぇ……ラクラス。――どうしてさっき、瞑空の境域の名の由来を教えたと思う?)
ユノアから聞いたこの地の由来――『閉じた空が広がる境目』。
その言葉の意味を考えた。
分からない……。
(瞑は閉じる。空は広がる……。そのままの意味にしか思えない)
(そうだね……。でも、目を閉じた世界も、空も――その言葉の奥には、目に見えるものや、知識として知っていることだけでは捉えきれないものがいっぱいあると思わない?)
瞑……。
暗い、閉じている。
孤独、寒さ、闇――。
空……。
光、開かれた世界。
雲の濃淡、形の違い。
ただ、目の前にある景色を思い浮かべるだけじゃない。
その言葉から、何を思い描くのか。
転送魔法について書かれた本に触れたとき、私の中に生まれた感覚――。
!?
(ユノア、ごめん。一度、光を避けるね――)
我に返ったとき、光はもう目の前まで迫っていた。
相殺するには遅すぎる。
避けるしかない……。
私は身を翻して光をかわした。
光はそのまま、背後へと抜けていった。
(…………)
ユノアから言葉は返って来なかった。
魔法の成り立ちを掴めないまま、最初の機会を逃してしまった。
陽の属性を持つアリヴィアの力とも違う。
ユノアから感じる力は、どこか近いのに、私の知っているものとは違っていた。
そうだ。
ユノアと初めて出会ったとき、彼女は何て言っていた?
――同族の気配。
――魔力のかたち。
――わたしにも、『月の力』があるから。
同じなのに違う。
確かに、ユノアの魔法には、私の月の力に通じるものがあった。
でも、それだけで、同じ力だと考えていいのだろうか。
ユノアは光精霊だ。陽精霊でも月精霊でもない。
それなのに、私の月の力の一部を自分の魔法に取り込み、別の形へと変えている。
似ているものを感じ取っても、その違いが何を意味するのか、まだ分からない。
あと少し、もう少しなのに……。
(……ララ。おいララ!!)
あれ? ニアの声。
(ニ……ア?)
(なに、ボーっとしてんだよ! それより……ユノアの魔法の跡を見てみろよ)
私はようやく、周囲で起きている異変に目を向けた。
振り返った先で見たもの――。
空間の支配が及ぶ境目だろうか。
高台と地上の境にある古木の辺りが、白く溶けていた。
割れた空間の周辺は、燻りながらゆっくりと浸食を続けている。
異常な冷気に凍り、砕けた草花が、赤い輝きとなって風に舞っていた。
一瞬、綺麗な花びらが降っているように見えた。
けれど、それは植物の終わりを告げる、最後の輝きだった――。
あの小さな光が、これほど広範囲に破壊をもたらすなんて想像もつかなかった。
(お姉ちゃんは……? さっきの一瞬でこのことを感じ取ったっていうの?)
(なんとなくだけど、これはヤバイ奴って……。 でも、正直ここまでとは思わなかった)
(わたし、最初に伝えたよ。『危険』って)
平然としたユノアの言葉が届く。
危険という言葉から想像していたものと、目の前に広がる光景。その隔たりが大きすぎた。
(でも……何かを掴めそう。少しだけ触れられた気がする。だから、もう一度――)
(それなら……今度は、古木を空間から消し去る魔法を使う)
(分かった。ありがとう)
(ララ、無理だけはすんなよ)
いつも傍で私を見てきたニアの言葉が嬉しかった。
でも、立ち止まる理由はない。
さあ――先に進もう。
(――ありがとうニア。ユノア、いつでもいいよ)
少しだけ間が空いて、ユノアの声が再び届いた。
(月冷の樹葬――)
周囲に、ひんやりとした優しい光彩が明滅する。
それは、音のない世界を静かに壊していくような恐怖だった。
例えるなら、静寂に抱かれて眠る魂の核を、じわじわと刈り取っていくようなもの。
その光は、空間を歪め、粉々に砕きながらこちらへゆっくりと迫ってくる。
私の月の力――。
それは、運命や浄化に近く、物事に『線』を引くような力。
でも、ユノアは?
最初の陽閃が、もう一度脳裏をよぎる。
彼女は、陽と月の『光』を映す力を使っていた……。
太陽の白に混じった、月の色。
私の月の力に似たものを感じたのに、月閃は呑み込まれた。
そうだ。
月の力が含まれていることと、その魔法の本質が月であることは、同じとは限らない。
異なるものが重なり、別の形になる。
そのことに、ようやく気付きかけた。
陽の反対は月――。
そう考えていたから、月閃を選んだ。
でも、私が見ていたのは、陽と月という対比だけだった。
ユノアが放っていた魔法の本質は、光。
なら、その反対は――闇。
(ユノア――。やっと分かったよ)
(ほんとうに? ああ……嬉しいなラクラス。ううんララ。わたし、しあわせ)
(そうやって言ってくれるんだ。嬉しいな。ありがとうユノア。これで終わらせるね……闇閃――)
闇の一閃が、迫り来る光を捉えた。
今度は、光が闇を呑み込むことはなかった。
二つの力が重なった場所で、白い輝きが揺らぐ。
やがて、その輪郭が崩れ、こちらへ迫っていた光は静かに消えていった。
最初のユノアの陽閃。
そこには、彼女の優しさが隠れていた。
こうしたら、謎は解けるよって――。
魔法は、魔力と属性だけで成り立つものじゃない。
何を思い描くのか。
その言葉が何を意味し、その奥に何があるのか。
目に映る形だけを追うのではなく、そこから広がるものを捉えること。
当たり前すぎることだから、深く考えもしなかった。
だから、その先に道が続いていたなんて、気付けなかった――。
「ところでユノア。私のことをララって呼んでいたよね?」
ユノアの課題を無事に乗り越えたあとの私は、重要な真実を確かめていた。
「うん。ララ。だってもうわたしたち親友だよね?」
親友――。
言われたら嬉しいんだけど、私のことをララって呼ぶ人って……。
そこが、どうしても引っ掛かっていた。
「そういうことにしておくね!」
散々、私を振り回してくれたお返しに、そう返した。
その言葉を聞いたユノアは、私の体を引き寄せて、そっと抱きしめてくれた。
「これからもよろしくね、ララ」
すぐ近くで私とユノアのやり取りを見ていたお姉ちゃんは、ニヤニヤしていて嬉しそう。
ニアも、緊張が緩んだことにホッとした様子だった。
私はというと――。
ほのかに感じたユノアの体温に、心を掴まれたまま、再び動けなくなってしまった。
本当にずるいんだから――。
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