第百十七話 空を映す瞳
「博士。この本ありがとう」
「今のお主に適した最善の選択だったと思うが」
「空への道も、研究者としての未知も……。視界がひらけた気がした。でも、どうしてそう思ったの?」
常に先のことを考えている博士。
私がこの本を手にした先に何を見据えていたのだろう。
「人に問う前に、まずは、自身で考えてみることだ。その思考が、発想の芽を育てるからな。で、ラクラス。どうなんだ?」
「えと……」
頭の中ではなんとなく分かっていても、言葉にするのは難しい。すぐには言葉が出てこなかった。
私の様子を見た博士が言葉を継いだ。
「まぁ、いい。表情を見ていたら掴めたものがあったことくらい分かる」
「うん……。博士はいつも言葉に詰まらない。積み重ねてきた途轍もない経験。研究者だから、その姿勢が大切なんだと思った」
「まぁな。ラクラスにはラクラスの個性がある。焦らずに今まで通りでいることだ」
そう言って、ストロー博士は、優しく微笑んだ。
今の私には、その笑みの意味は掴めない。
それでも、未来を映す博士の瞳にはきっと……。
「ところで、空に向かうには、転送魔法なくして行けないことを理解したか?」
「うん。目を輝かせたララちゃんの話をずっと聞いてたから!」
私が得た知識を自信満々に答えるお姉ちゃん。
心強い……?
「さすが、メルトさんですッ!」
ベリーまで、お姉ちゃんを甘やかしている。
姉との距離感が近付きすぎたベリー。
なのに、ベリーだから許せてしまう自分もいた。
でも、やっぱり私も……。
そこに混ざりたい!
「うぅぅ……。ララさん、くすぐったいですって」
研究室のソファーにちょこんと座るベリー。
お姉ちゃんと私がベリーにくっついて、彼女をギュッと挟むように座る。
「なぁ……ララ」
そんな遣り取りを横目に、向かいで佇むニアが、唐突に口を挟む。
「ん?」
急に、どうしたんだろう。
「空の上ってどうなってんだろうな」
子供みたいな目をして、ニアが私を見つめていた。
「その時に目にするから、いいんじゃないかな? 博士に答えを聞いたら想像はできるかもしれない。でも、それだけではきっと、得られないものもあると思う」
「そっか。だな! なぁ、ストロー。また、天青の間までいって、空までいくのか?」
窓辺でティラミスの街並みを見下ろす博士が答える。
「焦るでない。その話の前に、行くべき場所があるだろう」
「そうだな。ミストヘイズに行くんだったな。今回はミスティアを頼りにできねぇしな」
以前ミストヘイズを訪れたときには分からなかったこと。
リュミエールの心が世界に還っていったあの時の『この地方には……』という言葉。
その意味が今なら見えるかもしれない。
「うん。それに、アリヴィアがあの転送陣を使っているということは……」
「だね! 中央が干渉していて、さらには、エンシェント・ジュエルにも配慮が必要。魔力の隠蔽や、転送魔法を使った痕跡を隠すことなんて、そうそうお願いできないし」
空へ向かう道は、思っていた以上に遠い。
「ミストヘイズの奥地へ行って、自分たちの目でいろいろと確かめてくるといい」
今の私たちに足りないもの。
自らの目で、深層に秘められた真実に辿り着くこと。
博士は、それを自ら体現してきた第一人者。
ルナリア族であり、セレスティアル出身。
空に続く道を、博士が知らないはずはない。
それでも、敢えてすぐに全てを教えようとはしない。
お姉ちゃんが席を立ち、私の隣で手を引いた。
そして、立ち上がった私を見ながら話しかけた。
「だね! 行こうよララちゃん」
そう――。
きっと、知っているんだ。
私たちにとって、今必要なことが何かということを。
それだけじゃない。
セレスとティアの想いも、ルシアの願いも未来に届ける。
そのためにも、彼女たちが辿るはずだった足跡を知る必要がある。
「迷うなんてとっくに消えている。ねぇ、お姉ちゃん……?」
「どうしたの? ララちゃん」
「一緒に……、一緒に、行こうね!」
それだけ言って、姉の胸に身を委ねた。
ああ……、温かい。
――幸せだな。
「そんなの――。本当に仕方ない子だ」
お姉ちゃんが私をそっと抱きしめ、頭を撫でてくれる。
その隣で、ベリーも私にそっと身を寄せてくれた。
「なぁ、ララ」
私の至福の時間を壊すようなニアの声。
「な・に?」
思わず冷たい言葉が漏れてしまった。
「あ、あぁ……。前に行ったときとは、違う景色が見えるかな?」
「それ今、必要……な・の・か・な?」
「ミストヘイズに辿り着く前に、何か違うものが見えてきそうだ」
ニアの言葉に現実に戻った私は、お姉ちゃんとベリーから静かに離れた。
「私には、ニアがララちゃんに怒られる未来が見える」
すでに少しだけ怒ってはいるけれど……、ニアだから仕方ない。
「きっと、前とは違うものが見えると思う」
「だよな!」
ニアが嬉しそうに頷いた。
「ララさん、楽しそうですね」
ベリーが微笑みながら声をかけてくる。
「新しいことにふれるときはワクワクする。でもね、悲しいことだったら、きっと痛みを感じてしまう」
以前訪れたときには、何も分からなかった。
ただ、リュミエールが世界へ還っていく姿を見届けただけ。
あのとき聞いた言葉の意味も、まだ明かされていない。
でも――。
私たち自身が歩いた先で、その答えを見付けたい。
「ラクラス」
博士の声に顔を上げる。
「なに?」
「いつ、なんどき、どこで、何が待っているか分からん。だからこそ、見たものをそのまま受け取ることだ」
「そうだね。知っているつもりで、理解していないことも多い。そのことを、何度も経験してきた。だから――」
博士が頷く。
「ああ、それでいい。分からないものをそのまま持ち帰る。それも研究者の心得だ」
その言葉を聞いて、少しだけ笑った。
博士らしい。
分からないことを、無理に分かったことにしない。
きっと、それも自分の目で確かめるということなのだと思う。
「博士は、ここに残るんだよね?」
「ああ。私は忙しい。やることが山積みだ」
机の上には、いくつもの資料が並んでいる。
私たちが今までに持ち帰ったもの。
これまでの研究。
そして、まだ答えの出ていないもの。
ストロー博士は、それらを一つずつ見つめていた。
「何か分かったら、通話機で知らせる」
通話機を持たない博士に、お姉ちゃんが自分の通話機を渡した。
「分かった。受け取っておく。いつでも構わんから連絡をするといい。こちらから連絡することもある」
「うん」
離れていても、繋がっていられる。
そう思うと、不思議と心強かった。
「今日も泊まっていくといい。ベリー、お願いできるか?」
「喜んで♪」
「ベリーが張り切ってる……」
お姉ちゃんが、くすっと笑った。
「だって……。私、みんなが大好きですから!」
美少女の大好き。
いつ聞いても心が溶かされてしまう……。
私は窓辺に立ち、広がる景色を瞳に映していた。
ティラミスの街並み。
人々の営み。
その向こうに広がる空。
時を越え、大地を越え、海を越え、世界を巡る空。
その先に続く道には、今はまだ届いていない。
だからこそ――。
まずは、目の前にある道を歩こう。
自分たちの目で見て。
自分たちの足で進んで。
いつか、セレスとティアの想いも、ルシアの願いも。
その先に待つ未来へ、届けるために。
私は、空の向こうに広がる景色を思い描いていた。
今回で、第一章は終了です。
次回より、第二章「虚構に連なる真理」が開始となります。
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