第百十五話 白と黒の交わり
夜空に浮かぶ大きな丸い月。
研究棟に吹く風は、穏やかで清らかな想いを運んでいる。
大樹の麓に流れる水のように無色透明で、懐かしい匂いを帯びていた。
私は、なびく髪を留めるセレスの羽にそっとふれていた。
隣では、ティアの想いを秘めたペンダントを両手に優しく抱く、もうひとつの風。
お姉ちゃんが、静かに微笑んでいた。
「ララちゃん、なんだか心が落ち着くね」
不思議だった。
少し冷たい夜のティラミスで、ここだけが特別な温かさに満ちているようだった。
「そうだね……。セレスとティアの羽のおかげかな? ニア、大丈夫かな?」
再び訪れた満月の夜。
太古の想いを受け継ぎ、未来で導かれる想い。
ルナリアの末裔により、いよいよニアの穢れを浄化する。
それでも――。
「この羽……確かに不思議だね。この気持ち――。ううん、ニアならきっと大丈夫じゃない? 浄化の魔石に触れたときの反応が、道を示していると思う」
「確かに……。あれほどまでに高い純度と揺らぎのない魔力反応は見たことがない。だから、かえって気になってしまって」
「もう、心配性だね~、ララちゃんは。あいつがいなくなったら静かでいいんじゃない?」
いつもどおりのお姉ちゃんの様子に、少し安心した。
「おい! 誰が、『静かでいいんじゃない?』だ」
心地好さそうに夜空を見上げていたニアが口を挟む。
緊張すらしていない様子。
近しい二人には感じられるものがあって、私には見えていない?
お姉ちゃんが言うように、私は心配性なんだろうか?
「ささ、ララちゃん、こっちにおいで」
ニアの声など全く拾わないお姉ちゃん。
私を呼ぶと、そっと、一瞬だけハグをしてくれた。
温かくて優しい、いつもの匂い……。
私が抱くニアへの心配が、風にほどけたような気がした。
「こら、無視すんなよ」
相変わらずのニアの声がする。
この、いつもの音に心が落ち着いた。
「あれ? まだ息があったんだ? せっかくの静かな時間を邪魔しないでくださるかしら?」
「悪いな。心配かけて。メルトがいつも通りだから、これから起こることなんて気にもしなくて済んだ。感謝するのは、今だけだからな!」
「…………」
お姉ちゃんは、ニアの言葉に何も答えず、ただ穏やかな笑みを浮かべただけだった。
暗闇の肌を月明りの白が照らし、薄い赤を映したように見えた夜。
いよいよ、その時がやってきた。
研究棟の深奥――属性干渉室。
再び訪れた、リアンの記憶に踏み込んだあの場所。
天井のドームを通して柔らかく降り注ぐ月光は、あの時と同じだった。
銀糸のような彩が空中に溶け込むなか、空気も当時と変わらず澄んでいた。
たったひとつ違ったのは、その場に満ちる、強い浄化の光だった。
光そのものが、そこに在るような――この世のものとは思えない白い輝き。
ベリーの合図で、博士が魔導盤に手をかざす。
すると、白い輝きがみるみるうちにニアの宿した黒い魔力に溶けていき、一瞬の出来事のように過ぎ去った。
やがて、属性干渉室には魔族が最後を迎えたときに残す光彩の華が咲いていた。
「……還っていったな」
最初に声を零したのは、ニアだった。
「そうか……。穢れが浄化の理と触れたときに起こる現象。まさか目の前でそれがみられるとはな。ふむ……」
「それにしても、不思議。今の一瞬、何だかルシアの想いにふれた気がした」
「なんでだろうな……。ここにもあるはずのない、ひとひらの白い花びら……」
ニアが感じたものは、分からない。
でも、あの白の彩花がこの部屋に舞い降りた。
その奇跡に、誰もがニアの穢れの浄化が無事に終わったことを実感した。
浄化の魔石がニアの精霊核に収まったのは、ほんのわずかな時間のことだった。
私の心配を他所に、お姉ちゃんの楽観的な考えのとおり事は運んだので、よしとしよう。
「私の遠い祖先に当たる者たちか……」
「スーちゃん。何か思うことでも?」
「そうだな。ないとは言えんな」
博士がベリーへ視線を送った。
「私にも見えました。とても温かい気持ちになりました」
ストロー博士の視線に気付いたベリーが、博士に伝える。
ベリーの様子を確認した博士は、満足そうに一度だけ小さく頷いた。
「ラクラスよ。ルシアの涙をこちらに」
「どうするの?」
「こう見えても、私は錬金術にもちょっとだけ長けていてな。実験がてらな……」
博士が見たこともない金属のようなものに魔力を込めていく――。
やがて、優しさと温かさを宿した結晶は、指輪へと収まった。
「おー。スーちゃん凄い! 大切な想いを永遠に続く時間のなかに魔力で閉じ込めたみたい……。月と太陽、白い花の飾り……。これってまるで――」
「分かるか。メルトはさすがだな」
一息切り、博士は続ける。
「まぁ、祖先たちの想いを届けてくれた礼にな。これからお主らが向き合っていく新たな未来に対する餞別とでも思って欲しい」
研究者としてだけではなく、人としても想うことがある。
それを知れただけで、博士の底知れぬ心にほんの少しふれた気がした。
「ニアが持っていて。私とお姉ちゃんは、セレスとティアの想いを受け取った。それと……なんでもない」
長い時を生きるニア。
だから、アルマたち、セレスたちと共にいつまでも在り続けて欲しい。
未来に私とお姉ちゃんの想いを届けて欲しい。
そんなことは、今はまだ言えない。
「ララ! 『なんでもない』ってなんだよ」
「ニア、まだ言う?」
「ああ~……、なんていうか。なんでもない……」
「それでいい」
本当にそれでいい。
まだ、それを言うには早すぎるから。
「ところで、ニアよ」
「なんだよストロー……って、いてッ」
「返事が引っかかったから、ついな。すまん。そんなことより、お主についてた穢れは相当強い呪いのようなものだったな。誰かに恨みでも買ったか?」
「んなわけねーだろ」
ちょっと不機嫌そうに答えるニア。
「気の遠くなるほど長い時間の中で重なってきた力同士がぶつかって、お主の身体にあるべき姿で巡り始めた力は強大なものだ。焦らずに慣れていくといい」
「ふ~ん。そんなもんなんか? なんかとても自然だぞ。それでも、温かいな……」
「なぁ、メルト。主なら私の言っていることが分かるだろ?」
「私に聞くなんて、さすがだね、スーちゃん。もちろん既に感じてるよ。ニアの魔力がこれまでにはないくらいに安定してるから」
私やアリヴィアに指摘されていた魔力のムラ。
その流れが、確かに変わっている。
でも――。
ニアはきっと、ニアのまま。
それは、たぶんみんな既に気付いていて。
知らないのは、ニアだけ。
そんな気がしていた。
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