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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第三部 リエージュ編 - 第七章 白の彩架

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第百三話 反転する空間

 ――空が、近すぎた。


 私は、ゆっくりと顔を上げる。


 色付く景色。

 風のそよぐ音。

 水の流れる気配。


「空……」


 玲瓏(レイロウ)とした空気。

 頭上には、どこまでも澄み渡る青が広がっていた。

 大樹の葉の隙間から、白銀の陽射しが静かに降り注いでいる。


 その、あまりにも穏やかすぎる光景だけが、妙に現実感を失わせていた。


 この空……。

 知っている気がする。


 エンシェント・ジュエルで見た、あの人工の空。

 封空天環。でも……ここには塔も魔導石も存在しない。

 あるのは、大樹と、記録と――古い祈りだけ。



 静けさは、音の消失ではなかった。

 むしろ――世界が『上』を思い出し始めたような、奇妙な沈黙。


 足元の感覚は残っている。

 けれど、『地面』としての意味を持たず、ただ、そこにあるだけだった。


 ニアがわずかに目を細めた。


「……空気が変わった」


 断定でも、確認でもないもっと曖昧な……。

 ――感覚そのものを言葉にした声だった。


 ソラノアも、無言で空を見上げていた。


 ただの快晴。

 雲ひとつない青空。


 なのに――なぜか目を逸らせない。


「上が……近い」


 誰に向けた言葉でもなかった。

 ただ、そう感じてしまっただけーー。


 少し乱暴な風が吹いて、髪を揺らし、肩を抜け、足元を撫でて通り過ぎていった。


 これまでの横風とは違っていた。

 どこか『上から降りてくる』ような感覚。


「なぁ……ララ。これ上じゃなくて、下じゃないか?」


 冷たいニアの声色。


 すぐには意味を理解できなかった。

 それなのに、理解より先に感覚が追い付いてしまう。


 ここはもう、私たちが沈む場所じゃない。

 別の何かが――上から降りてくるための場所。


 視界の奥で、ほどけていく境界。


 空と地の区別とは違う。

 もっと根本的なもの。


 方向そのものが揺らいでいる。


 ソラノアが静かに呟く。


「……さっきまでと違う階層にいる気がする」


 その言葉を、誰も否定できなかった。


 けれどそれは、構造の話じゃない。

 むしろ逆。構造ではなくて――呼吸。


 世界そのものが、ゆっくりと別の在り方へ移ろい始めている。


 大樹の上層。

 そこに在るまだ見えないままの気配。

 それだけが、はっきりと伝わってくる。


 ニアが短く息を吐いた。


「来るな」


 それは誰に向けた警告でもないように思えた。

 空に対する、無意識の拒絶のようなもの。


 応えてはくれない。

 天はただ沈黙したまま。

 空はただそこに在り続けている。



 肌にふれる空気が湿気を帯びて絡み付く。

 変化したのは、空間のわずかな密度。

 呼吸がひとつ遅れるような、かすかな違和感。


 大樹の高いところ。

 その奥から、何かがゆっくりと滲み出してくる。

 視界の端ではなく、認識の内側へ。


 最初は、それをただの風だと思った。

 でも、風にしては重さがない。

 表層を撫でるのではなく、大樹の存在そのものから零れ落ちてくるような感覚……。


 そして、それは形を持たずに現れた。


 雪でもなく、光でもない。

 羽根のようにも見えるのに、風に流されもしない。


「……なんだ、これ」


 ニアの声がわずかに掠れる。


 それは “ 落ちている ” というより、()()()()()()

 上から下へという方向すら曖昧で、ただ空間の隙間から静かに溢れていた。


 美しい……というよりも、綺麗。

 世界に広がる大樹の噂。

 ーーその本質にふれたような気がした。


 私たちの周囲へ静かに降り積もっていく白い粒子。

 けれどその粒は、地面へ触れる寸前で淡くほどけて消えてしまう。


 その光景はまるで、存在の定まっていないものが空白の中で溶けてしまうかのように儚くてーー。


 呼吸が重たい。

 見てはいけないものに触れているような耐え難い気持ちにさせられる。

 その感覚のせいで、かえって視線を逸らせない。


 粒子は、ただ降っているようには見えない。

 まるで、そこにいる誰かを見分けているみたいだ。


「……反応してる」


 ニアが小さく舌打ちする。


「反応?」


 ソラノアの声は硬い。


「これ……、ただの現象じゃないね」


 お姉ちゃんが、短く言う。


「何だか……、懐かしい」


 フィリエルの感覚だけが違っていた。

 その言葉の意味が、まだ掴めない。


 なのに、次の瞬間。

 粒子のひとつが、私の指先に触れた。


 冷たくない。

 重くもない。


 残ったのは、ただ、――触れたという事実。


 そして。

 その瞬間、周囲がわずかに沈黙した。


 何も消えてはいないのに――。

 ただ、すべての基準が一度だけ揺らいだ。


 私は、反射的に手を引いた。


 そこにあったはずの粒子はもう失われていた。

 代わりに残っていたのは――『見え方の違和』だけ。


「今の……」


 ソラノアが呟く。


 ニアは、答えない。

 ただ、空間の一点を見ている。


 その視線の行方。

 天を貫く大樹の深層が、ほんのわずかに揺れていた。


 揺れたのは、枝でも葉でもなくて――。

 空間そのものの重なり。


 視界の中で、わずかに揺れていた……。

 それなのに、何かが違っていた。


 これは、現象じゃない。

 侵入でも……ない。


 ――世界が、こちらを見ている。


 白い粒子は、なおも降り続けている。

 もうそれは、降り注ぐものではなくなっていた。

 ただ、整然とした秩序そのものの姿を顕現しているかのようで――。


 そして、その奥。

 何かが、ゆっくりと輪郭を持ち始める。


 天から舞い落ちる一厘の羽。

 浄化の魔石にふれた、あのひとひらの花弁。


 幻想が眼下に揺れていた――。

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作品にふれていただき、ありがとうございます。

第一話の世界観を映像で切り取ったPVを公開しました。

小雪舞う静かな夜や揺れた儚さなど、文字だけでは伝わりにくい幻想的な空気を感じていただけましたら嬉しいです。

動きと音楽を通して、ラクラスの世界を少しでも追体験していただけます。

Xの夢幻の少女ラクラスPVのポストからご覧ください。

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