35 繋がる記憶
キュリオ公爵の証拠を見つけた日も花畑の前を通った。しかし、その時はまだ蕾で花は全く咲いていなかった。
この蕾が咲き満開になったら、どれだけ素敵な景色なんだろうなと思い、春が待ち遠しかった。
私は馬車から見える景色を見ながら逸る心を抑えていた。
(もうすぐ母との思い出の場所に行けるんだ〜……)
その時ロイ様に名前を呼ばれた。
振り返るとロイ様は穏やかに微笑みながら私を見ていた。
「楽しみ……?」
「はい、とても楽しみですっ」
満面の笑みで答えると、ロイ様はフッと笑みを零した。
するとロイ様が不意に窓の外を見ながら口を開いた。
「ラン……目を瞑って……」
「えっ?」
「いいから目を瞑って。ちゃんと手を引くから……ねっ?」
(目を開けたら一面花畑とか……?それも素敵かも……)
「分かりました」
ロイ様に手を握られ、私は目を閉じた。
瞼の裏に写真で見た花畑を思い描きながら馬車に揺られた。
すると思ったよりも早く馬車は止まった。
「ラン、まだ開けたらダメだよ」
ロイ様に手を引かれて馬車の足場を慎重に降りた。瞼は閉じたままだったが、瞼の裏が明るくなり、陽の光が瞼に当たっているのが分かった。その瞬間、風に乗ってふわりと花の香りが鼻を掠めた。
「開けてもいいですか?」
「まだダメ……」
ロイ様に右手を引かれ、ロイ様のもう片方の手は私の腰に添えられた。促されるままに私は一歩ずつゆっくりと足を進めた。
時折足に草花が触れる感触があった。
少し歩いた後、ロイ様の手が腰から離れ右手をぎゅっと握られた。
「いいよ、開けてごらん……」
優しいロイ様の声が耳元でした後、私は大きく深呼吸を1つして、ゆっくりと瞼を開けた。
目の前の黄色が眩しくて私は瞬きを繰り返した。視界がはっきりとした瞬間、一面に広がる花畑に目を見張った。
ーーーーっ!!!
優しい春風に揺られた黄色い花が太陽の光を浴びてキラキラと輝き、どこまでも続いていた。
私を囲む様に直ぐ足元にも黄色い花は咲き誇り、私は花畑の中にいた。
あまりの光景に息をするのを忘れるくらいに見入っていた。
(夢……の中みたい……)
「どう……?」
ロイ様の言葉にハッとして声のする方を見ると、ロイ様は私の顔を伺う様に覗き込んでいた。
「っ……あ、あの……っ」
感動して言葉に詰まる私にロイ様が優しく微笑みながら、頭を撫でてくれた。
「大丈夫……ゆっくり感じて……」
私はこくりと頷いて、視線を花畑へ移そうとした時、1本の木がロイ様の背中越しに見えた。
(あの木は……)
その瞬間、母と木の下で鬼ごっこをした事を思い出した。
瞼を閉じると記憶が鮮明に蘇る。
瞼を開けて花畑へ視線を移すと、母との思い出が次々と蘇った。
(温かい記憶が……溢れて……)
「っ…………」
頭の中が温かい記憶で溢れ、それに呼応する様に涙が溢れた。
握られた手に力が込められ、私はロイ様を見た。
「涙が出なくなるまで、こうしててあげる……」
(え……?)
その言葉に弾かれた様に私は目を見開いた。
ロイ様の視線は花畑を見ていた。
柔らかい風がロイ様の綺麗な髪を揺らしている。
(この光景を……どこかで……)
見つめている私にロイ様の視線が重なった。
その時フッと笑ったロイ様の表情に、記憶の波が私を飲み込んだ。
ーーーー!!!
「ラン……?」
目を見開いたまま止まっている私を不思議そうにロイ様は見ていた。
「ロ……イさ……ま……、私……」
ーーー泣いて肩を揺らしている男の子を見つけた。
「私は……」
ーーー泣いている男の子の手を握った。
私はロイ様の手を強く握りしめた。
ロイ様は眉を寄せた。
ーーー泣き止んだ男の子が私の目に気付いた。
「この目を……好きって……」
その瞬間、ロイ様が目を見張った。
「き……綺麗な……目だねって……」
私の目から涙が溢れ落ちた。
ロイ様が私の頬に手を当てた。
「それから……?」
ロイ様はそう言って泣きそうな顔をした。
私はゆっくりと瞼を閉じた。
止まらない涙は次々と頬を伝う。
「宝石……みたい……だって……」
目を開けるとロイ様の目に涙が溜まっていた。
「ごめ……ごめ……ん……なさい……」
思い出した。
あの時この場所で会った男の子。
私は色の違うこの目が好きじゃなかった。周りから気味悪がれて、この目のせいでいじめられた。でもあの時、この場所で会った男の子にこの目が好き、綺麗な目だと言ってもらえた。
私の目を宝石みたいだと言ってくれた男の子の笑顔はキラキラと輝いていて、繋がれた手はとても温かかった。
私は初めてこの目を好きになろう……そう思った。
「私っ……ずっと……忘れて……っ」
ロイ様は私の手を引き、ぎゅっと抱き締めてくれた。
「……俺……ランの事をずっと待ってた……」
(っ!!!)
「あの日から何度もここに通った……もう一度あの子に会いたくて……」
(そんなっ……私……っ)
ロイ様が体を離して私を見た。
「ランをカフェで初めて見た時、まさかと思った……」
ロイ様の指が私の目元を優しくなぞった。
「覚えて……くれていたんですね……」
私がそう言うとロイ様は目を細めた。
「忘れないよ……俺の初恋だったから……」
「っ!!!」
目を見張った私の頬を、ロイ様は愛しそうに優しく両手で包んだ。
私は胸がぎゅっと締め付けられた。
ロイ様の初恋が……私…?
「そ……んな……っ私……」
(嬉しい……嬉しくて……)
私の目からは涙が止めどなく溢れてきた。
溢れる涙をロイ様は愛しそうに拭ってくれる。
「ランが俺を愛してくれているから、ランが俺との事を思い出さなくても良いと思ってた……でも……」
ロイ様が私の目元に優しく唇を当てた。
「でも……ランが思い出してくれて……俺……っ」
ロイ様の目から一筋の涙が頬を伝った。私はその涙を指で優しく拭い、頬に手を当てた。
ロイ様の手がその私の手に重なった。
「ラン……ありがとう……」
涙を堪えるロイ様が愛しくて仕方がなかった。私が両手でロイ様の頬を包むと、2人の額が合わさった。
言葉にしなくても伝わってくる。
触れている所から、ロイ様の涙から、ロイ様の気持ちが私の心に響いてくる。
ロイ様が大きく深呼吸をした。
額を離すと穏やかな笑みを浮かべるロイ様と目が合った。
「ラン……ロイって言って……」
私は一瞬目を見張った後、静かに口を開いた。
「…………ロイ……」
「もう一度……」
「ロイ……」
「もっと……」
私はロイ様の首に手を回し、頭を引き寄せた。額が合わさり目を閉じた。
「ロイ……ロイ…………」
「ラン……」
息のかかる距離で何度も名前を呼ぶ。名前を言えば言うほどロイ様への想いが溢れて止まらない。
「ロイ……愛してる……ずっと」
私が言い終わると同時に唇は塞がれた。
愛してる……大好き……
何回言っても足りない……
春の暖かい風が花を揺らした。
キラキラと輝く黄色い花畑の中で、春の花の香りに包まれる。
私達はお互いの存在を、愛を、確認する様にキスを交わした。
涙の味がするこのキスを……私は決して忘れない。
あの時この場所でロイ様に会っていなかったら……私達はこうして愛し合う事はなかったかもしれない。
私のすべての記憶が蘇り繋がった今、私とロイ様の記憶が繋がった。
繋がる記憶……
それは私達を繋ぐ……大切な記憶。
end……
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!




