幕間 『赤い少女』
13年前、メレッケ王国最東端のアジャヅという貧困層が多く住む町で、齢13にして悪事で名を馳せた少女がいた。
町のゴロツキ達だろうが、町に迷い込んだ人食いの獣だろうが、自分に危害を加えようとするものと恐れずに戦い、勝利を収める。
盗みは犯すし、気に入らない奴がいれば容赦なく半殺しにする。
そんな少女のことを町の人間は皆、その少女の事を『赤い悪魔』だの『赤い化け物』だのと罵った。
少女の両親は、彼女が9歳の時に姿を消した。
それは、彼女の誕生日の翌日だった。
少女の家は町のはずれの森にあり、朝はいつも小鳥たちの囀りが聞こえていた。
しかし、その朝は少女にとって聞こえて当然の音が足りなかった。
薄い壁の向こうから、いつも聞こえた母が朝食を作る音。
家の外から聞こえていた、父が外で薪を割る音。
その音が一切なかったのである。
ベッドから下り、家じゅうを回るが両親はどこにもいない。
家の外も見て回ったが、両親の姿はどこにもなかった。
少女は恐怖と不安に襲われながらも、いつか帰ってくるだろうと思い、家で待つことにした。
しかし、両親は帰って来なかった。
空腹に耐えかねた少女は、家の食料を食べようとキッチンの戸棚を漁った。
しかし、中はまるで最初から何もなかったかのように空っぽだった。
ふと、少女は昨日の誕生日パーティーを思い出した。
その誕生日パーティーは例年より豪勢なものだった。
食事、飾りつけ、プレゼントの小さなテディベアなど、これまでの誕生日パーティーとはかけ離れた豪華さだった。
少女はその事を不思議に思い、両親に「何で今年のお誕生日はこんなにもすごいの?」と聞いた。
そのことを聞かれた両親の、どこか泣きそうな顔を少女は26歳になった今でも覚えているという。
「…明日、お金が沢山もらえるからな、今年は少し奮発してみたんだ」
そう父親は答えながら、少女から目を一瞬だけ逸らした。
少女は幼いながらも両親がどこかぎこちなかったことをその晩、ベッドの上で考えながら眠りについた。
昼も過ぎ、日が傾き始めた頃、空腹を満たすために無一文で少女は町の市場へと飛び出した。
もちろん、無一文の少女が何も買えるわけもなく、知り合いもいないため時間だけが過ぎていった。
気を落としながら帰ろうとした矢先、あるテントが目に留まった。
それは果物を取り扱っているテントであり、そこには極彩色の果物がずらりと並んでいた。
その中の一つ。
赤い、自分の髪の色と同じの果物。
それは、母と買い物に行った際に毎回買ってくれた果物であった。
せめてあの果物でも、と少女は店主に譲ってくれるように頼んだが相手にもされなかった。
当然、ここは貧民層が多く住む町であるが故に、無一文の少女の相手などする余裕もない。
それは少女も理解していた。
しかし、少女はどうしてもその果物を諦めきれなかった。
そこで初めて、少女の無垢で真白な心に黒く歪んだものが生まれた。
そこから少女の体は無意識的に動いていた。
自分が店主の視界から消えたと感じた刹那。
その果物を手に取り、家の方角へと走り始めた。
後ろから店主の怒鳴り声が聞こえた気がしたが無視した。
周囲の大人たちが彼女の元へと駆けてきた気がしたが無視した。
後ろから多数の足音が聞こえた気がしたが無視した。
とにかく少女は走った。
だれの声も、音も聞こえなくなるまで走り続けた。
町はずれの森の中に逃げ込んだ時には、もうだれも彼女を追いかけていた者はいなかった。
少女は安堵し、近くにあった木に腰かけた。
息を吐き、先ほどまでの出来事を反芻する。
それにより、彼女に罪の意識が襲う。
このまま私はどうなるのだろう、お父さんとお母さんになんて言おう、もう町には近寄れない。
そんな思いが彼女の頭の中を駆け巡った。
居ても立っても居られなくなった少女は疲れ切った体に鞭を打ち、早足で家へと向かった。
町に近づかないように森を経由したからか、彼女が家に着いた頃には辺りが暗闇に包まれていた。
少女はやっと思いで着いた家を見て、少女は目を見張った。
家の明かりがついていたのである。
両親が帰ってきた、と確信した彼女は大急ぎで走り、ドアを開けた。
「お、やぁっと帰ってきたか」
そこにいたのは見知らぬ男だった。
父親のように体格は良いが、どこか野蛮な雰囲気を纏った金髪の男は家の奥にいる仲間を呼んだ。
「おぅい、ガキんちょが返ったぜぇ」
「…やっとか」
奥から眼鏡をかけた細身で黒い長髪の男が顔を出した。
もちろん、少女はその男のことも知らない。
「だ…誰…?」
少女は今にも消えそうな声を震わせて質問した。
「んん~?オレたちかい?オレたちはなぁ~…えーっとぉ」
言い淀む男に何か危険なものを感じ、少女は後ずさった。
しかし背後の何かにぶつかり、振り返ろうとした瞬間だった。
「きゃっ」
少女を何者かが腋に抱え、身動きを封じた。
少女が確認のために見上げると、眼帯をしたスキンヘッドの男が少女の事を見ていた。
「お前は売られたんだよ、親にな」
「…え?」
その言葉に少女は戸惑いの声をこぼす。
「おいおい、はっきり言うなよアルキン。オレその子に配慮しようと思って言葉選んでたのにさぁ」
「どうせこの後、散々な目に合うんだ。今ハッキリ言った方が後で楽だろカライ」
「いーやオレはそうは思わないね。おぅい、ファルはどっち派だぁ?」
「…どっちでもいい」
家の奥にいたファルと呼ばれた男は書類を見ながらため息交じりに答えた。
「…ファルに聞いても無駄だろ、とりあえずこのガキは荷馬車に乗せるか?」
「いやぁ、ファルがまだ書類書ききってねえから家の中で縛っとこうぜえ」
少女はその会話の全てを聞いても未だに理解が出来ていなかった。
(なんで。どうして。)
そんな言葉が脳を埋め尽くしていた。
(私が果物を盗んできたから?私が良い子じゃなかったから?)
少女は家の柱に縛り付けられても気にせず混乱していた。
「やけに静かだなぁ」
「それでいいじゃないか、仕事がやりやすいってもんさ」
アルキンとカライは深く俯いた少女を尻目に雑談を始めた。
(おなかが空いたな…お父さんとお母さんは本当に私を売ってしまったの?)
少女は絶望し、眼前の楽しそうに雑談する二人を虚ろな目で見る。
(…笑ってる、私の家で。いいな。私はもう笑えないのかな)
少女は羨望する。
(何でこうなっちゃったのかな、私が果物を盗んできたから天罰が下ったのかな?)
少女は今日を振り返る。
(いや、私も生きたかったから…お父さんとお母さんがいなかったから)
少女は否定する。
(何で?何で私を捨てたの?私を苦しめたかったの?)
「何で…」
涙と共に、ポツリと少女は呟いた。
それにアルキンとカライは気づく。
「そりゃあ、お前の親は金が欲しかったんだろ。この辺が貧乏人しかすんでないからな」
「ガキなんて高値で売れるもんなぁ。ファル、こいついくらぐらいで売れると思う?」
「…9歳だと、50万ルドぐらいだ」
「いい値じゃないか、良かったな。いや良くはないか…」
その話を聞いた少女の心は、既に限界だった。
(じゃあ、最初から私は売り飛ばす用の子供だったってこと?ひどい…)
「…あぁ…」
「んん~?何か言ったかぁ?こいつ」
そう言いながらカライは少女の傍に寄った。
「…あああ、あああああああああああああ」
「お…おい、どうし…」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
少女の心が捻れ、ひび割れ、溶け墜ちる。
(憎い憎い憎い憎い憎いッッ!すべてが憎いッ!全員殺す、殺してやる!)
少女の全身に力が籠る。
「おいおい、どうしたんだよぉ…突然さけぇっ」
カライのその後の言葉が紡がれることはなかった。
なぜなら、その顔に少女の拳がめり込んでいたからである。
「なぁッ…」
その光景を目の当たりにしたアルキンは驚きの声を漏らし、ファルは戦慄する。
それと同時に、カライの体が凄まじい速さで後方へと吹き飛ばされる。
「お前…今魔法が使えるようになったのか…?」
ファルの問いに少女は荒い息をするだけで答えない。
「おい、とりあえずこいつを抑えッ」
アルキンの言葉も、最後まで紡がれることはなかった。
なぜなら、少女の拳が彼の腹に穴を開けていたからである。
「こいつ…!」
そうファルが呟いた刹那、彼の目の前には少女の拳があった。
「くッ…」
ファルはそれをすんでのところで避け、魔法を行使する。
「『鎮』…!」
ファルがそう唱えたと同時に、ファルから発せられた魔力が少女を取り囲む。
その様子を見て、ファルは安堵の表情を浮かべる。
しかし、その表情は一瞬にして消え去った。
「…は?」
拘束のために放ったその魔法は、少女には効かなかったのである。
そして少女はそのまま拳をファルの顔に叩き込む。
「ぶッ」
声を漏らしながら、顔を陥没させられたファルはカライと同じく後方へと吹き飛ばされる。
そのあまりの強さに、ファルの体は家の壁をぶち抜く。
静寂。
その中で聞こえるのは、少女の荒い息のみ。
少女の腕は血によって赤く染まっていた。
「はあ…はあ…っう”おええええええ」
今までの反動からか、少女は腹残っていたものを全て吐き出した。
「おなかが…空いたな」
そう呟いた少女は、弱々しく歩き始めた。
◇ ◇ ◇
聖暦2012年5月22日、メレッケ王国のアジャヅにある民家で3人の遺体が見つかった。
遺体の身元は身分証から、アルキン・ジョコール、カライ・ルヴァンク、ファル・カンザのものと判明した。
3人とも遺体の損傷が激しく、第一発見者曰く見るも無残な状態であったという。
王国騎士団は、この家の家族がが殺害に関与しているものとして調査を始めた。
幸いにも両親とは連絡を取ることが出来、無実が証明された。
取り調べの際、母親はひどく乱心し、「ごめんね」としか言わなかったという。
父親からの証言によると、その日は娘を奴隷商に売り渡す日であったが、罪悪感に耐え切れずに前日の晩に娘だけを置いて逃げた、とのことであった。
これを聞いた王国騎士団は、その娘を事件の最重要人物として指名手配した。
しかし、現在に至るまでその娘の行方は分からないままである。
読んでくださりありがとうございます。第8話(番外編)です。投稿日をド忘れしていた私を誰か殺してください。次回は今月中に投稿予定です。




