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012

 皇宮の私室で、エマは窓の外を眺めていた。

 刺客の一件を受けて新たに用意された部屋で、皇帝や皇妃の部屋と近い。

 すなわち警戒レベルが引き上げられたということだ。


 それでも、彼女の心にはいくらかの恐怖が残っていた。

 喉元に当てられた短剣のひやりとした感触が脳裏によぎる。


(どうしてクライス公爵は、私のことを放っておいてくれないの……)


 エマは青空に向かってため息をつく。

 刺客の目的が誘拐で、王国貴族が裏にいるとの報告は受けていた。

 犯人の特定はできていないが、エマには心当たりがある。


 クライスだ。

 もちろんレイヴンも同じ認識を持っている。

 いや、ヴァルタリオ皇帝や他の帝国貴族の考えも同様だ。


 しかし、証拠がないため、現時点では憶測に過ぎない。

 そのため、現在、帝国は王国に対して圧力をかけていた。

 進捗状況の確認をするための使者を頻繁に派遣するという形で。


 トントン。


 部屋の扉がノックされ、エマが振り返る。

 ナディーネは扉の傍で待機しており、いつでも開けられる状態だ。


「エマ、私だ」


 レイヴンの声がした。

 エマはナディーネに目配せして扉を開けさせる。


「レイヴン殿下、どうされたのですか?」


 エマは慌てて駆け寄った。


「今日は最高の天気だ。帝都巡りでもしないか?」


「帝都巡りですか……」


 エマの顔が曇る。

 外に出て刺客に襲われたらどうしよう、と不安になったのだ。


「信じてくれ、エマ。二度と君をあんな目に遭わせないから」


「は、はい、それじゃあ……お願いします」


 エマは、レイヴンの真剣な眼差しに押し切られた。


「ありがとう。すぐに馬を用意するよ」


 優しく微笑みながら、レイヴンは安堵する。


(ここで断られたらどうしようかと思った……!)


 レイヴンがエマを誘ったのには理由があった。

 それは、彼女が刺客の一件以降、外出に消極的だったからだ。

 皇宮はおろか部屋からも出ようとしなかった。


 その状況を変えたいと思ったのだ。

 以前のように、素敵な笑顔を見せてほしい、と。


 ◇


 身支度を終えて皇宮を出たエマは、「えっ」と驚いた。

 そこに待っていたのは、馬車ではなく一頭の白い馬だったのだ。

 雪をも凌駕する純白の馬で、帝国では誰もが知っている名馬である。


「さぁ、行こう、エマ」


 レイヴンが白馬に手を向ける。


「あ、あの、馬車は……?」


「帝都に吹く風に当たったほうが気が晴れていいと思ってな。それに、今日を逃すとあの馬に乗る機会は二度と訪れないぞ」


「といいますと……?」


 王国の人間であるエマは、目の前の白馬について知らなかった。


「あの馬は我が父・ヴァルタリオ皇帝の専用馬だ」


「えええええ!?」


「今回は特別に貸してもらった。君を乗せてあげたくてね」


「殿下……!」


 嬉しさから頬を赤らめるエマ。


「もっとも、私も乗ってみたかったわけだが」


 そう言ってレイヴンは笑み浮かべる。


「それではエマ、皇帝しか乗れない名馬に乗ろうではないか」


「はい!」


 レイヴンがエスコートする形で、二人は馬に乗る。

 っして、二人して思った。


(うっ、近い……!)


 エマはともかく、レイヴンも恥ずかしさを感じていた。

 彼は「エマに喜んでもらおう」としか考えていなかったのだ。

 故に、二人乗りによって密着することを想定していなかった。


「ま、まま、まず、まずは、大通り、大通りを抜けよう!」


 レイヴンの声が上ずる。


「ひゃい! そ、そうですね!」


 エマも真っ赤な顔で頷く。


 そして、二人を乗せた純白の馬が皇宮を出て行く。


「私、あそこまで恥ずかしがる殿下を見たのは初めてですよ」


 去りゆく二人の姿を、ナディーネが笑顔で見送る。

 その隣に立っているアルフォンスも「同感だ」と笑っていた。


 ◇


 皇宮を出てすぐに、エマは後悔した。

 今まで引き籠もっていたことを。


「あ! エマ様だ!」


「エマ様、いつもありがとうございます!」


「見てママ、海の巫女様だよー!」


「ほんとうね! 今日は素敵な一日になるわ!」


「エマ様ー! ありがとー!」


 石畳を行き交う人々は、二人を見かけては声を弾ませた。

 割れんばかりの感謝の声がエマに降り注ぐ。


「皆さんの温かい声を聞いていると、本当に幸せな気持ちになります」


「いくらか気が晴れたようで何よりだ」


 二人を乗せた白馬が帝都を進んでいく。

 やがて都市部を抜けて、海が見渡せる岬の手前に到着する。

 そこがレイヴンの目的地だった。


「この岬は私のお気に入りでな。しばしば来ているんだ」


「そうなんですか」


 馬を下りて二人で歩く。

 風の香りが変わり、潮の匂いが濃く感じられる。

 岬の先には古びた木のベンチがあり、二人はそこに並んで腰を下ろした。


「すごい……! こんなに美しい景色、見たことがありません!」


 エマは感嘆の声を上げながら海を見つめる。

 深い青色の海原が広がり、水平線の向こうに淡い雲の帯が揺らいでいた。

 波打ち際には白い飛沫が煌めき、どこか神聖な光景を思わせる。


「この景色を作ったのは君だよ、エマ」


「私?」


「君が来る前、ここから見える海は酷いものだった。荒れ狂う波が不快な音を立て、文字通り暗雲が立ちこめていたんだ」


 レイヴンは遠くを見つめながら、穏やかな表情を浮かべる。

 銀色の装飾があしらわれたマントがよく映えていた。


「ありがとうございます、殿下」


「礼を言うべきは私のほうさ。本当にありがとう、エマ。そして、刺客の一件は本当に申し訳なかった。再三になるが、二度と怖い思いをさせない――そう誓うよ」


 レイヴンは力強い瞳でエマを見つめる。


「はい……! 私、もう恐れません。レイヴン殿下を信じます!」


 エマは大きく頷いた。


 レイヴンは微笑むと、静かに彼女の手を握った。


 お互いに何も言わずに海を眺める。

 遠くから聞こえる小鳥のさえずりと、さざ波の音が心地よかった。


 ◇


 その頃、バルガニア王国では――。


「クライス、調査のほうはどうなっている?」


「げぇ! 陛下!?」


 公爵領のクライス邸に、突如、エドヴァール王がやってきたのだ。

 一切の事前通告を出さないで行われた抜き打ちの来訪である。


 エドヴァールが来た時、クライスはリリアンと交わる寸前だった。

 なんと、真っ昼間から執務室で“お楽しみ”に耽ろうとしていたわけだ。

 そのため、二人の服はふしだらに乱れていた。


「クライス、お前、国が大変な事態に……!」


「ち、ちち、違います! 陛下!」


 慌てて衣服を整えるクライス。

 リリアンは逃げるようにして部屋を出ていった。


「まぁ結果さえ出ていればいい。こんな時間から執務室に女を連れ込むのだから、エマに刺客を送った馬鹿な貴族の正体について、何か分かったのだろう?」


 エドヴァールが立ったまま尋ねると、クライスは目を泳がせた。


「それがぁ……そのぉ……」


 クライスは答えることができなかった。

「自分がやりました」とは口が裂けても言うことができない。


 かといって、適当な嘘をつくことも許されない。

 どう転んで災いと化すか分からないからだ。


「馬鹿者が! それなのに遊んでおったのか!」


 エドヴァールはクライスにゲンコツを食らわした。


「いいか、クライス。お前が公爵でいられるのは、お前の父が優秀だったからだ。その地位は決してお前が築いたものではない。今後も公爵でいたいなら、それを肝に銘じて行動しろ!」


「申し訳ございません、陛下……」


 エドヴァールは「ふん!」と背を向け、不機嫌な様子で去っていった。

 クライスは頭を下げたまま、悔しそうに顔を歪めることしかできない。


「どうするの? クライス様。このままじゃまずいわよ?」


 リリアンが執務室に入ってきた。


「たしかに、何か手を打たないとな。偽装工作をして、他の奴がしたことにするか」


「それで大丈夫? 帝国を信じさせるのは大変じゃない?」


「しかし、自白するわけにもいかん。他に手はないだろう」


「それもそうね……」


 リリアンは顎をつまみながら考える。

 そして、またしても愚かな案を閃いてしまった。


「なら、帝国がさらりと流す状況を作るのはどうかしら?」


「さらりと流す状況って?」


「今のまま報告したら、帝国はじっくりと報告内容を検討できるでしょ? これだと偽装がバレかねない。だから、帝国を混乱させて、その時に報告するの」


「なるほど! それは名案だ! ……で、具体的にどうやったら混乱する?」


「決まっているでしょ」


 リリアンは右手の人差し指を立てた。


「クラーケンを帝都に誘引するのよ」


「なんだって!?」


 目玉が飛び出そうなほど驚くクライス。


「前に被害に関する報告書を読んだ時、港町〈オルトマール〉では近海に現れたクラーケンを漁師が誘引したことで、一時的に被害を抑えられたと書いてあったわ」


 リリアンが言う。

 公爵はクライスだが、執務は全て彼女が担っていた。


「でも、帝都まではかなりの距離があるぞ。軍を動かすわけにはいかないし、漁師だってダメだ」


「海賊を使えばいいじゃない」


 しれっと言ってのけるリリアン。


「海賊!?」


「お抱えの闇商人に頼めば、海賊を動かすことだってできるでしょ?」


「それはそうだが、海賊を動かすにはかなりのお金が必要だ。エマの一件もあるし、これ以上、不正に資金を動かすのはまずい」


「堂々と国費でまかなえばいいじゃない。海洋魔獣の対策って名目なら、誰も何も言えないわよ。クライス様は王国の資金を管理する立場なんだし」


「おー! そういうことか! それなら問題ない! なるほど、災害対策という名目か……! リリアン、やっぱりお前は切れ者だな!」


 クライスは手を叩いて喜んだ。

 リリアンの浅はかで愚かな策が名案に思えてならないのだ。


「じゃあ、さっそく闇商人を手配するわね。クライス様が動くと目立つから、あたしが交渉しておくわ」


「おう! 俺は国費の準備をする! 堂々とな! これで帝国の追及を免れ、刺客の件の後始末ができる!」


 リリアンが浅く笑い、クライスも神経質に唇を歪める。

 彼らの危険な策謀が、帝国とエマを再び巻き込もうとしていた。

お読みいただきありがとうございます。


本作をお楽しみいただけている方は、

下の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』にして

応援してもらえないでしょうか。


多くの方に作品を読んでいただけることが

執筆活動のモチベーションに繋がっていますので、

協力してもらえると大変助かります。


長々と恐縮ですが、

引き続き何卒よろしくお願いいたします。

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