013
荒れ狂う王国の海。
そこを一隻の海賊船が突き進んでいた。
命知らずの荒くれ者たち――闇商人に雇われた海賊だ。
リリアンの手先である。
「ほら、かかってこいよ! 大きなタコちゃん!」
海賊の一人が離れたところからクラーケンを挑発する。
それに続いて、多くの海賊が楽器をかき鳴らした。
耳障りな音が響き、クラーケンが反応する。
「よし! こっちに来るぞ!」
「あとは帝都まで逃げるだけだ!」
「大金をもらっても死んだら意味がないからな!」
海賊船が帝都に向かって突き進む。
クラーケンに追われながら。
◇
数時間後――。
日が暮れた頃、帝都の港は閑散としていた。
軍港を警備している見張りの兵士もあくびをして油断している。
「なんだ?」
そこに、海賊船が迫ってきていた。
見張りが望遠鏡で確認したが、船には誰も乗っていない。
海賊たちは小舟で離脱したあとだった。
ただし――。
「クラーケンだぁああああああああ!!!!!!」
怒れる魔獣は、何も知らずに無人の船を追い続けていた。
◇
クラーケンが迫ってきたとの知らせは、すぐさまレイヴンに届いた。
「急いで迎撃しろ! 海賊船さえ壊せばクラーケンは離れていく! 今ならまだ間に合うはずだ! 何が何でもクラーケンを帝都に近づけるな!」
レイヴンが指示を出し、大慌てで帝国軍が動く。
「アルフォンス、馬を用意しろ! 私も前線に出て指揮を執る!」
「かしこまりました!」
アルフォンスが駆け足で皇宮を出て行く。
入れ替わりで、レイヴンのもとにエマがやってきた。
その後ろにはナディーネの姿もある。
「どうされたのですか? レイヴン殿下」
「海賊船がクラーケンを誘引して帝都に向かってきているんだ」
「えええ!?」
「エマ様がお祈りをされて以降、クラーケンは帝都から離れていたはず。なのにどうして……」
ナディーネが呟くと、レイヴンはため息をついた。
「バルガニア王国の仕業だろうな」
「王国の!?」と、辛そうな顔をするエマ。
「ここしばらく王国で来ている海洋魔獣の問題だが、あれはクラーケンの仕業だ。そのクラーケンが帝都に来ているのだから、王国がこちらへ押しつけたと考えるのが妥当だろう」
「でも、そんなことをすると帝国との関係が悪化するのでは? 私を誘拐しようとした時と違って明確な証拠になりますよね?」
「いや……誘拐の時と同じだ。“王国の誰か”までは分かっても、そこで止まってしまう。極端な話、『漁師が勝手にやりました』と言われたら、それ以上の追及はできない」
「そんな……」
「とはいえ、それで済ませるつもりはない。何かしらの手を打つよ。それよりも、まずはクラーケンをどうにかしないとな」
ほどなくして、アルフォンスが戻ってきた。
「殿下、馬の準備が整いました!」
「分かった。すぐに出る」
「レイヴン殿下、私も同行します! 私が祈れば……!」
エマが申し出るが、レイヴンは「いや」と首を振った。
「今回は我が軍だけで対処する。海賊船を破壊すれば済む問題だからな。大砲の試し撃ちにもちょうどいい」
「でも……」
「いつも君に頼ってばかりだが、これでも帝国軍は世界最強だ。安心してくれ」
そう言って出ていくレイヴン。
しかし、この決断は大きな誤りだった。
◇
戦艦を出港させてすぐ、レイヴンは後悔した。
強がらずエマに頼るべきだった、と。
「まずいな……! まさかここまで荒れるとは……!」
突然、天気が荒れ始めたのだ。
大雨と暴風によるひどい嵐が帝都や戦艦を襲う。
「殿下! これでは大砲を撃てません!」
「くっ……!」
目を開けることすら辛く感じる嵐の中、レイヴンは苦悶の表情を浮かべた。
「仕方ない! 矢を使え! バリスタで海賊船に穴を開けて沈めろ!」
レイヴンの指示で複数の戦艦が大型弩砲のバリスタを用意。
直ちに攻撃を行うが、強烈な嵐によって上手くいかない。
その間にも、海賊船は真っ直ぐ帝都に向かって行く。
そして――。
「殿下、安全区域を突破されました! このままだと我が軍にも甚大な被害が及びます!」
レイヴンの作戦は失敗。
帝都から肉眼で見える範囲まで、クラーケンが迫っていた。
◇
その頃、エマは――。
「ダメです! エマ様! 危険です!」
「行かせてください! このままでは帝都に被害が及んでしまう!」
皇宮内でナディーネと揉めていた。
海に出て祈りを捧げると言ったところ、全力で止められたのだ。
「エマ、危ないのでおやめなさい」
メリエンヌ皇妃がやってきて、エマを止めようとする。
それでも、エマは折れなかった。
「すみません皇妃様。たとえ皇妃様に止められても、私は行きたいです。私がお祈りを捧げることで平和になるのかもしれない……そう思ったら、ここでじっとしていることはできないのです」
メリエンヌ皇妃は一瞬の間を置いてから言った。
「そうですか。分かりました。ならばお行きなさい。ナディーネ、あなたも同行してあげてくださいね」
「よろしいのですか!?」
目を見開くナディーネ。
「そもそも、わたくしたちにエマを止める権限はありません。ですから、彼女がどうしても行きたいと言うのであれば、その意思を尊重するべきなのです」
「わ、分かりました……!」
「ありがとうございます、皇妃様!」
深々と頭を下げるエマ。
「ただし、待機している全ての近衛兵を同行させます。もし誰か風邪を引いた場合は、エマ、あなたが責任を取って看病してあげてくださいね」
メリエンヌ皇妃が笑いながら言う。
エマは笑みを浮かべて「はい!」と頷いた。
◇
嵐の中、エマは海辺にやってきた。
今にも高波が襲ってきそうな状況で、彼女は濡れた砂浜に両膝をつく。
「どうか……どうか帝国に被害を与えないで」
目を閉じて呟くエマ。
『なんだ……お前……。我と意思の疎通ができるのか……』
クラーケンの声がエマの意識の奥底に響いてくる。
『あなたを怒らせたのは、この国の人間ではありません。この国に被害をもたらさないでください』
エマが強く念じると、クラーケンから言葉が返ってきた。
『我には……人の区別などつかぬ……。だが……お前に免じて……今日は許そう……』
クラーケンは動きを止めた。
そのまま海底の深い闇へ潜り、すっと消えていく。
すると嵐もピタリと止んだ。
「殿下! クラーケンが退いていきます!」
海上にいるレイヴンたちは、最初、事情が分からなかった。
「どういうことだ……」
と、呟いてすぐ、レイヴンはハッとした。
「エマか!」
近くの兵士に双眼鏡を借りると、レイヴンは帝都に目を向けた。
そして、砂浜で祈りを捧げるエマの姿を発見する。
「またしても彼女に救われたな……」
濡れた黒髪をかき上げながら、レイヴンはホッと安堵する。
かくして帝国はクラーケンの問題を無傷で乗り切ることに成功した。
今度は王国が窮地に陥る番だ。
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