コインの裏表
天井と床に降り注ぐ雨の音と同時に聞こえてくる、強く窓を叩く風の音。
目覚めたテイルが最初に感じたものがそれだった。
どうやら、今日の天気は雨らしい。
次に感じたのは、部屋中に広がる病室特有の薬臭さ。
不快というほどではないが、好ましいわけではない。
そんな臭い。
最後に、ぽたぽたと落ちる点滴の液を視界で確認し、テイルは何となくだが自分がどういう状況なのか理解した。
テイルはまず体を起こそうとして……失敗した。
体を動かした瞬間に猛烈な嘔吐感に襲われ、同時に全身に痛みが走ったからだ。
ついでに言えば痛みや苦しみとは関係なく、単純に体が硬直しており動きが恐ろしく鈍い。
ギギギと音を立てて動く壊れかけたブリキの玩具になった錯覚をテイルは覚えた。
「あーあー。……口は動くな。……めっちゃ吐きそうだが」
口を動かすだけで嘔吐間に襲われるという恐ろしく不快な気分を味わいながらテイルはそう呟いた。
その直後に慌ただしく走る足音が聞こえ、その直後にバタンとこの病室のドアが開かれた。
「ハカセ! 目を覚ましましたか!?」
ファントムの慌てた声を聞き、テイルは優しく微笑んだ。
「ああ。おはよう。この通り無事とは言い難いがな。んで走って来たとこ悪いが……何があったか教えてくれ?」
吐き気を堪えながらそう呟くとファントムは自分の知っている情報を簡潔に説明し始めた。
赤羽とクアンを送る為に運転していると、テイルの携帯からSOSが届き『ユキを守れ』と命令が来た。
だからファントムは慌てて車を赤羽に預け、テイルの元に走った。
そこでファントムは倒れているテイルだけを見た。
倒れたテイルの体調を確認してみるとファントムは心音が恐ろしく小さくなっていた事に気づき、ARバレットと付き合いの深い『紅総合病院』にテイルを運んだ。
調べた結果、二発の弾痕が残っていたがそのダメージは微量。
ただし、どちらの弾丸にも即効性の強力かつ特殊な睡眠薬が仕込まれており、オーバードーズ状態となっていた。
その時はっきりと、生存率は丁度五割であると説明された。
それほどに、テイルの様子はギリギリであった。
その五割をこちら側に持って来たのは担当医の腕が良かった事と、クアンの能力によるものだった。
車で寝ていたはずのクアンが突然病院に訪れ、水を使った負担の少ない胃洗浄を行い同時に自分の能力外であるはずの血液操作を行ってテイルの体調を維持した。
その間に医者が睡眠薬の中和剤を生成し、テイルの肉体に投与した。
そしてそれから三日経ち、今日初めて、テイルは目を覚ました。
「ただ、元から疲労状態であったクアンは限界を超えて本格的にダウンしそのまま入院となりました。無理が祟ったらしくしばらく出て来る事が出来ないそうです。クアンの世話は申し訳ないですが、病院の方と彼に全部押し付けました」
そんなファントムの説明を聞き、テイルは自分に何があったのかはっきりと思い出した。
テイルのスマホには以前ユキの作った防犯装置の、更に改良型が組み込まれている。
危険を察知した瞬間に脳波受信モードへと代わり、登録済であればだれにでも即座に連絡を取る事が出来る。
更に、それが停止した瞬間に通報に至るというシステムだ。
今回の場合はスマホが危機察知したとほぼ同時に銃弾を撃ち込まれていた為、あまり意味はなかったが……。
腹部に焼け付くような痛みが走り、同時に体が地面に倒れ動けなくなる。
今思えばあれは強烈な眠気だったのだが、テイルはその時急激な体調変化で『自分は死ぬ』と思っていた。
――俺はもう無理だ。だからせめてユキだけは何とか……。
そう思って、ファントムにユキを助けるよう脳波コントロールでスマホを操作し、その直後に二発目の銃弾を食らって意識を失った。
覚えているのは、意識があったここまでで……ユキの事は何も覚えていなかった。
「……ユキはどうなっている?」
その言葉に、ファントムは首を横に振った。
寝転がっている為テイルにはファントムの様子は見えないが、それでもその雰囲気だけで言いたい事を察することが出来てしまった。
「桐山さんに依頼するなど警察や政府等国家に頼らない範囲で出来る限り限界まで調査を続けていますが……三日経過した今でも発見出来ていません」
「最後に見たのは……俺か」
「はい……」
「フレンジィと連絡は取れたか?」
テイルは未来予知能力を持つ息子、第二怪人の事を尋ねた。
「はい。直接姿は見えませんが連絡は取りました。生命的、尊厳的な意味で危機はないという結果は出ましたが、それ以上は情報がなさ過ぎて予知できないそうです。代わりに常時能力起動してユキさんに何かあった場合と所在がわかった時、僕の元にすぐ連絡が来るようにしてくれています」
「……そうか。本来ならそんな無茶してほしくないが……そうも言ってられないな」
言いたくない事だが、初期作品である第一怪人のフューリーと第二怪人のフレンジィはその初期ロット故の欠点を抱えていた。
しかもそれは致命的かつ処置不能である。
第二怪人の欠点は、能力の連続使用をする事による負荷……簡単に言えば、能力を使いすぎると脳に物理的なダメージが生じるというものだ。
それは疲労が蓄積するとか使いすぎて倒れるとかそういう次元の話ではなく、絶対に治療出来ず起きてしまえば最悪命にかかわるというものだった。
だからこそ息子のそんな無茶を止めたいという気持ちもあるが……おそらく無理である。
たとえテイルがどんな命令したとしても、フレンジィは能力の使用は止めないだろう。
そんな心優しき自慢の息子であると、テイルは良く知っていた。
だからこそ、今テイルのすべきことは予知能力の使用を厳禁する事ではなく、少しでも早くユキを見つけ出す事である。
「警察に連絡していないのは、誘拐である事を考慮してか?」
「はい。市民と比べてはるかに優先順位の低い悪の組織だからという理由もありますが……一番の理由はそれです」
誘拐の理由は様々で本来ならわからないだろうが、今回の場合絞るのはさほど難しくない。
絶対に当たるわけではないが高確率フレンジィの予知にて、生命活動に問題なしと出ただけでなく、尊厳的に問題なしと出た。
それはあらゆる意味で暴力を受けていないという事を意味していた。
その上でテイルは殺されかけた事を考えるなら、今回誘拐された理由はユキの頭脳目当てと思って間違いないだろう。
それなら本人は無事な可能性が高い為、下手に操作を手広くしてしまい犯人を刺激する可能性を減らす為に警察に連絡しないというのは悪くない選択肢だった。
これが普通の市民であるなら問題なく即座に通報すべきなのだが……自衛手段を持ち地区を征服できる権力を持った悪の組織では通報しても無意味となる可能性が高かった。
「わかった。調査の方は俺が引き継ぐ。人員とか今までの資料を――」
そこまで言って体を起こした直後、テイルは急激な吐き気に堪えきれず――嘔吐した。
喉に焼けるような痛みが走り、空っぽになっていた胃は悲鳴を上げ胃液を逆流させわずかしか残っていない体力を吸いつくす。
突然の事に服とベッドを汚すかと思っていたテイルだが、そうはなっていなかった。
ファントムがプラスチックのタライを持ち吐瀉物を受け止めたからだ。
テイルの背中を優しく撫でながらファントムは悲しそうに呟いた。
「未だ見つかっていない不甲斐ない僕ですが、もうしばらく任せてください。外見ではあまりわかりませんが、ハカセは文字通り丸一日ほど死にかけてました。その危険性はもうないですが……それでも今尚その内蔵はボロボロになっています。クアンがいなければ生きていても内蔵が幾つか駄目になっていた可能性もあったんですから」
「そうか……。だが……俺にはユキを預かった責任が……」
「だからこそ……治療に専念してください。……少しでも早く復帰できるよう医者に頼んでおきますから」
その言葉にテイルは何かを言おうとしたが……その言葉を飲み込み頷いた。
「――わかった。確かに今の俺が……でしゃばっても……ただの役立たずでしかないな」
そう言った後テイルはゆっくりベッドに寝直した。
「……最善を尽くします。だから今はゆっくりと……」
「うむ。……頼んだよ。だけど……どうせお前の事だから無理して寝てないだろ? 全力を尽くすのも良いが……少しは休みは取れよ……」
話し疲れたらしく寝そうになっているテイルに、ファントムは愛想笑いだけ返しそっとその部屋を後にした。
「……眠れるわけ、ないじゃないですか……」
部屋を出た瞬間、ファントムは鬼のような形相となった。
怒りで腸が煮えくり返る。
その怒りは他の誰でもなく……自分自身に対してだった。
どうしてもう少し早くたどり着かなかったのか。
自分が間に合えばこうはならなかったはずだ。
そんな自責の念にファントムは苛まれていた。
「……もしかして……テイル相当やばい感じだった?」
そんなテイルの部屋から出て来たファントムの様子を見て、サバンナ太郎がそう言葉にした。
その横にはユキヒとエイレーンを連れていた。
ファントムはマントを被るという初歩的な事も忘れていた自分を責めつつマントで自分の顔を隠し、サバンナ太郎の方に顔を向けた。
「いえ。命の心配はないですし治療もそんな長くはかからないでしょう。まあリハビリが必要になるでしょうが……それでも問題というほどではないはずです」
「そか。それは良かったかな」
サバンナ太郎はそう言葉にする。
横の女性二人もテイルの様子に安堵したのか穏やかな微笑を浮かべていた。
「ユキヒさんは僕もですがハカセを責めても良いんですよ。貴女にはその資格があります」
ファントムの言葉にユキヒは真剣な表情のまま首を横に振った。
「いえ。貴方もですがお兄さんにも行動に問題があったわけではないですし……。ただ、お兄さんは私がお見舞いに行くと相当自分を責めそうなので行きませんが」
「ええ。相当自分を責めるでしょうね。ハカセはそういう人ですから」
「……貴方もあんまり自分を責めないでよ?」
「――善処します」
ユキヒの言葉にファントムは少しだけ答えを躊躇い、そして曖昧な答えを返した。
そこから毎日ファントムは今日までと同じように、一睡もせず一切の休みを取らずにユキの行方を調べた。
だがその成果が表れる事はなく――それから三十四日ほど経過しテイルが退院する日となってもユキの行方は手掛かり一つ見つからなかった。
ありがとうございました。




