覚悟の重さ
正義と悪の組織両方の元締めであり、運営していると言っても過言ではない組織『活動KOHO部隊』。
その両陣営の強大な戦闘力を管理し、なおかつ膨大な予算を国家運営の補助に使っている彼らの権力は、時に国家権力そのものを上回る。
その最たるものが『最優先殲滅対象』の指定。
国家を介していないにもかかわらずの、合法的な死刑である。
しかも、ただの死刑ではなく、現代ではあり得ない極めて冷酷な、見せしめの為の処刑でもあった。
最優先殲滅対象に指定された瞬間、該当者の半径二十キロ以内でテレビやラジオを含むあらゆる連絡手段を用いて実名を含む個人情報が報道され、同時にインターネットで全世界に発信される。
その騒ぎはちょっとした祭りに近い。
そして最優先殲滅対象に指定された場合該当者は、最初に人権が剥奪される。
生死を含むあらゆる権利が消滅し、最優先殲滅対象という字面の通り正義の味方、悪の組織双方から命を狙われる事となる。
複数の組織で行動しても旨味が薄く、テレビ映えしないという理由の為あまり大多数の組織で行動しない彼らだが、この時だけはあらゆる陣営が異なる陣営、スタンスである事を無視し、全組織で協力し行動する。
KOHOという存在は彼らにとって絶対であった。
そして国家を介さない処刑という、国という立場を脅かす危険行為だが、ある一点が守られている限り国は文句を付けない。
KOHOという存在が国家予算に食い込んでいる為無下に出来ないという理由もあるのだが、一番の理由はもっと単純で、KOHOの最優先殲滅対象にされた者で、今まで冤罪だった者が一人もいないからだ。
未来予知を含むあらゆる能力者を用いて真偽を確認した上で行われる為、今まで間違って殺した者は一人もおらず、そしてこれからもいない。
だからこそ、国家もそれを黙認していた。
そんな、該当範囲にいる国民達にとってはちょっとした慌ただしい一日となり、またちょっとした祭りのような最優先殲滅対象の指定だが、今日はいつもと様子が異なり、前代未聞の事態となっていた。
突然発表された総合家電メーカージェネシスの広報担当部署所長の仁志木天外の最優先殲滅対象。
それ自体は、いつもの事である。
有名な人物、特に会社の重役以上の存在がただの悪時ではなく正義、悪を利用しようとしてKOHOから指定されるというのは良くある事だった。
ただ、今回はそれだけでない。
仁志木を筆頭に、ジェネシス関係者とそれ以外も合わせ、計四百八十三人の最優先殲滅対象指定。
今までは多くても三人程度だったのに、突然の三桁後半。
ネット上ではKOHOのジェネシス乗っ取りや、ジェネシス真の悪の組織説などが流れ、悪い意味で祭りのような惨状となっていた。
ただし、KOHOが叩かれていたのは数十分だけの話で、その対象は即座にジェネシスへと移行した。
ジェネシスが人体実験をしていたという証拠がネット上に上がったからである。
「あーはいはい。そいつは白白。ただの優しいお父さんよ。あ? 黒がどこにいるのか? 知らないわよそんなの! 処刑人過多になってんだから巡り合えない事もあるわよ。いいから素直に救助に回っておきなさい」
ユキはヘッドフォンのスピーカーに怒鳴り声を上げながら、延々とキーボードを高速で叩き続ける。
ユキは現在、ある意味で最も重要となる仕事をしていた。
それは殲滅対象指定者かどうかの最終確認である。
テイルがKOHOに集めた証拠を投げ込み、KOHOは予想通り最優先殲滅対象の指定をした。
そしてその数四百八十三人という膨大な数で、周辺地区だけでなく全国からあらゆる理由で正義の味方、悪の組織が最優先殲滅対象者殺害の為訪れるという混乱待ったなしの現状。
どうしても、誤認で無関係の人を殺してしまう可能性が残っていた。
当然テイルは混乱する可能性をあらかじめ考慮しておあり、その為の、最終確認ラインが、ユキである。
全ジェネシス社員のIDを含めて記録されている個人情報を頭に叩き込んでいるユキは、数百人の正義、悪陣営からの相談を、たった一人でこなしていた。
絶対に間違ってはいけないからこそ、テイルがユキに託した仕事である。
信頼に応えたいという気持ちも強いのだが、それ以上にユキの中にあるのは、死んでも失敗しないという脅迫概念にも近い意思だった。
ユキが失敗すれば、テイルはその責任の為にエイレーンを殺し自殺すると宣言している。
だからこそ、ユキは己の全てを賭してその責務を果たそうとしていた。
そんな処理能力が高いという天才の特性を、確認作業に全て費やしている本気のユキが失敗する可能性は、零である。
「はいはい……クアン? え? 怪我人? 誰が誰を怪我させたの!? ああ、殲滅対象が逃げる時ぶん殴った。命に別状はない? うん……わかった。病院の座標送るからそっち送ってあげて。……ごめん他から連絡来たから切るわ」
そしてユキはクアンの連絡を切り、次の対応を繰り返す。
緊急性の高そうな場合は電話、そうでない場合はチャット、メール、SNSとあらゆる情報媒体で連絡のやり取りを行い続けるユキ。
一人で何十人分もの仕事をこなしていると言っても過言ではなく、天才であってもそれは決して楽な作業ではなかった。
だからこそ、テイルの予想通りユキは他の事まで頭が回らなくなっていた。
本来のユキなら一部の性質の悪い頑固な染みのような悪党が逃げ回る事を理解するし、その逃げ回っている相手をテイルが殺そうとするだろうという事も理解する。
だが、今は救助と社内に残った対象者の問題でユキはそこまで考えるキャパが残っていなかった。
ユキとクアンにはあまり残酷な事には触れないで欲しい。
そう考えるテイルの目論見は、見事に成功していた。
殲滅対象者のうち半数以上はジェネシス本社ビルに在籍し、そこが騒動の中心となっていた。
それ以外に、ジェネシスと繋がりのあったマフィアと人体実験をしていた研究者を加算して過半数
それ以外の残り少数が、全国のジェネシス支部に滞在している。
そんな殲滅対象者のうち、九割以上は三十分以内に処理が終えられていた。
それはARバレットが何かをしたからではなく、単純に最優先殲滅対象とはそういうものだからだ。
真っ先に処理されたのは、ジェネシスに在籍し殲滅対象と認定された正義の味方達である。
正義の味方がKOHOに殲滅指定を受けるという事は、決して許されざる事をしたという証左である。
だからこそ、正しい意味での正義、悪の組織は、そんな存在を制度という意味でなく、気持ちの問題と自分達の信用という問題で許しておけるわけがなかった。
そしてそのまま飛び込むように様々な組織が突っ込み、処理していく。
絶対正義の名の元に悪が許せないような組織や、悪の組織としてハクをつける為に人を殺したい人達。
やりたくないけどやらないと犠牲者が増えるという考えの人もいれば、身内が殺された復讐の為に動く人。
理由は一緒ではないが目的が一緒な人達は、手を取り合って少しでも早く彼らを処理しようとする。
だからこそ、三十分もあれば粗方片が付くのだ。
だがそれでも、今回はそれで終わりではなかった。
その後更に皆が暴れまわったにもかかわらず、生き残った者が十人以上残っていた。
KOHOから指定され、正義、悪から命を狙われていても逃げられる彼らは、本当の意味で巨悪と呼ばれる者達だった。
マフィアを利用して金儲けをしていた者や、人体実験で利益を出そうと考えていた者。
要するに、黒幕と呼んでも問題ない奴らである。
彼らは皆、KOHOに目を付けられる事を想定し、その為の脱出路を各自で作り何時でも逃げられる準備をしていた。
そして当然、そこに仁志木天外の姿もあった。
人体実験を率先して行っていた仁志木に仲間と呼べる存在はいない。
その為、自らが設計した逃走経路を仁志木は一人で移動する。
もっと正しく言えば、仁志木は自ら仲間を作る事を放棄していた。
自分と繋がりのあるマフィア達を金に意地汚いゴミムシのように思い、自らの命令で人体実験をする部下達を人の気持ちがわからない精神異常者と考え見下す。
もうこの段階で自分を棚に上げるとかそんな次元でないほど論理的に破綻しているのに、それすら仁志木は気が付かない。
仁志木の中で自分は『世界の宝とも言える天才的頭脳を持った存在』という位置づけとなっており、その為かあらゆる罪の意識を持っていない。
しかも、それだけで済まず仁志木は己を至宝と捉えている為一切反省をしない。
故に同じ失敗を繰り返すのだが、彼はそれを自分が原因だと思った事は一度もなかった。
仁志木が回りを見下している事を皆知っていたが、同時に皆仁志木を幼稚だと見下してい。
そんな関係なのにこれまで破綻せずにいられたのは、仁志木がそれなり以上に優秀だったからに他ならない。
そんな無駄に優流な仁志木だからこそ、今回のようにKOHOに目を付けられる事も想定しており、常にKOHOの目が届かない外国に逃げる準備も終えていた。
自分の研究所の地下にある脱出通路。
ここを知っている者は誰もいない。
工事に携わった者は既に誰一人生きていないからだ。
忘れないように脱出路の図面と操作方法はパソコンに入れているが、閲覧には仁志木自体が面倒だと思うほどややこしい複合パスワードの承認と仁志木の指紋と網膜、音声の生体データが必要となっていた。
しかも、一度閲覧したらどのような手段であってもその記録が残るようになっている。
そして当然だが、仁志木本人以外には閲覧した記録は残されていなかった。
だからこそ、仁志木はこの道を自分しか知らないと信じ切っていた。
かっかっかっと足音を立て、若干の早足で移動する仁志木。
走る必要はない。
油断しているわけではなく、たとえ逃走路がが発見されて誰かが追ってきても、迷路となっているこの脱出路で今から自分に追いつくのは不可能である。
しかも、正解のルートは仁志木が通った後リモコンと使い封鎖して迷彩もほどこしわからなくしていあり、仁志木を追う後続は答えのない迷路を延々と回り続ける事となる。
ついでに言えば、外国に頼んでおいた逃走用の船の準備に、後三十分はかかると連絡を受けている。
つまり、それより早いペースで走っても無駄という事だ。
だからこそ現在のペース、丁度三十分後にゴールに到着するこのペースこそ最も効率が良い。
自らの頭脳を宝と呼ぶからこそ、仁志木は効率という物に強い拘りを持っていた。
もし、仁志木の間違いを上げるとすれば、たった一つである。
自己愛が強い事でも、罪悪感が壊れている事でもなければ、他者を理解しようとせず見下している事でもない。
仁志木の間違い、失敗はたった一つ、自分の事を信じすぎていた事。
『自分なら絶対に失敗しない』
そう考えているからこそ、明らかに誰かが通った跡が残り、道に何等かの細工がされていたにもかかわらず、その違和感に一切気づかず、気づいても危機感を持てない。
自分は絶対に間違えない。
そう思っていたからこそ、仁志木は行き止まりについた時非常に不可解な気持ちとなった。
「ふむ……。道が塞がれている。…sな点何故防壁が閉じているのか。……機械の故障か?」
そう思い、防壁を操作するリモコンを取り出す仁志木。
だがその先が開く事はなかった。
「故障ではないぞ。ただ、ここがお前の終着点なだけだ」
そんな声が聞こえ、仁志木は面倒な表情をしたまま後ろを振り向いた。
そこにいたのは、見知らぬスーツ姿の男とどこかで見たような気がする少女。
仁志木はその男に見覚えはないが、今の男と同じ気配を纏った人間を良く知っていた。
それは仁志木が嫌々金の為に付き合っていたマフィア達である。
「あー。マフィアで君みたいな人いたかな……それと……そっちの……ああ、思い出した。逃げ出した実験体か。わざわざ連れ戻して来たのか。下らん仕事熱心具合だな。そっちでとっとと処理してくれれば良いものを……」
そう言って仁志木はわざとらしく溜息を吐いた。
「……そうか。この程度の男だったのか」
スーツ姿の男は憐憫にも近い目を仁志木に向ける。
だが、そんな事に仁志木は気にしない。
慣れていたからだ。
「凡人から見たら私の頭脳は理解出来る物ではないだろうな」
そう言って仁志木は男を嘲笑った。
「……より一層哀れに思える」
本物の天才とその苦悩を知っているその男は物悲しい気持ちとなって理解度の低い仁志木の方を見つめた。
「……それで、私に何の用だ? 忙しいから後にして欲しいんだが」
そう言ってうんざりした顔を向ける仁志木。
それに対して、テイルは溜息を吐いた。
「はぁ……。エイレーン」
そう名前を呼ばれた少女は、今までずっと無表情だった少女は、怒りの形相を浮かべ、拳銃を取り出して仁志木に向けた。
大股開きで、両手でしっかりとグリップを握ったその姿はとても恰好良いと呼べるものではない。
ただし、その恰好は最も効率良く動く的を当てる為の構えでもあった。
狙いは胴体。
心臓や頭部など狙う必要がない。
胴体に当たれば多少ずれでも十中八九死ぬし、死ななくとも次で確実に殺せる。
だから胴体を撃てと、少女は本物の天才から指導を受けていた。
仁志木はこの二人が復讐の為に来たのだと、ようやくながら理解した。
銃で狙われた男からは今までの侮蔑的な表情ではなく、本気かという疑いの表情が送られて来る。
エイレーンは悲しい事に男の考えている事が良く理解出来た。
『天才である俺を撃つなんて、本気か?』
である。
「天才である私を撃とうとするなんて、正気かね?」
想像していた内容とほぼ同じ事を呟いた男に対し、エイレーンは苦笑いを浮かべた。
天才天才と言ってるが、凡人どころか学なしの自分にさえ予想出来る程度の男。
つまり、恐ろしく底が浅いのだ。
己を凡人と呼ぶが色々な事がそつなくこなせて、他人の痛みに敏感であるが故に優しく、それでいて底の見えないテイル。
己を天才であると知っているからこそ自分の理解出来ない凡人達を理解しようと歩調を合わせ、誰でも理解出来るような指導を心掛けるユキ。
この二人を見ていたエイレーンは、目の前の男が天才でも凡人でもなく、ただの劣等者であると理解した。
「それで、天才様はどう命乞いをするんだ?」
テイルが極めて落ち着いた口調で男にそう尋ねる。
その口調には嘲笑や侮蔑に、それどころか怒りすら見えない。
何を考えているのか、底が深すぎてエイレーンにはテイルの感情が全く見えなかった。
「なぜ命乞いなどしなければならない。……天才である私を生かす事のメリット説明しなければならないのは業腹だが、まあ仕方ない事か」
――ユキさんなら私に説明する事を何一つ面倒がらなかったなー。
むしろユキは説明に必要以上に手間をかける。
その方がうまく伝えられると知っているからだ。
そう思うと、エイレーンは目の前の男がいかに哀れな存在かわかり少しだけ、ほんの少しだけ腹の虫がおさまるような気がした。
「いやいや。そんな事言わなくとも良いさ。それよりも、たった一つ。エイレーンの願いを聞いてやってくれ。それが叶うのならば、彼女も復讐などと言わずこのまま帰るだろう。俺もその方が良い」
「ふむ。俺の能力を知ってるようだ。そこの男は俺の事が一割ほどは理解出来ているらしい。ま、凡人にしては優れた方か。んで、願いを言ってみろ。……もう五分も無駄にしてしまった。早くしてくれたまえ」
そんな男の言葉に、エイレーンは何とも言えない気持ちとなる。
目の前の男は、この期に及んでまだ自分が死ぬなんて思っていない。
偉い自分が何か言えば、納得して改心し自らの部下になるなんて、本気で信じているのだろうか。
エイレーンは、これ以上目の前の存在を理解したくなくて、とっとと自分の心からの願いを叩きつけた。
「お姉ちゃんを生き返らせて」
たった一つ。
他に何もなくても良い。
幸せなARバレットに二度と行けなくても良い。
自分が明日死ぬ命でも構わない。
だから、愛する姉ともう一度会って話して、笑いあいたい。
あんな最後ではなくて、ちゃんとした笑顔のお別れをしたい。
エイレーンの願いはそれだけだった。
「……自然の摂理で死んだ者を生き返らせるなんて出来るだけがないだろう。凡人はそんな事も知らないのか?」
男は呆れ顔でそう言葉にした。
自分が殺したという発想すら出てきていない。
そんな男に対して、エイレーンは突如として生まれた暴虐的な怒りに飲まれ、そして身を任せた。
パン。
乾いた発砲音の跡、男の醜い悲鳴が響き倒れ込む。
そしてそ男は左足のつま先を両手で抑えた。
その足先からは血がにじみ出ていた。
「狙って撃ったのか?」
「うん」
「そうか。俺より腕が良いじゃないか」
そう言って微笑むテイルの顔は酷く悲し気で、エイレーンの中にある怒りが少しだけ薄れた。
「動けなくする為に一発目は見逃す。次はきっちり当てろ。なぶり殺しなんて残酷な真似、お前にさせたくない」
テイルの言葉にエイレーンは頷き、それを聞いた男は震えながらじりじりと後退していった……壁の方に。
「……今頃理解したってのが本当凄いね。私はいつも死と隣合わせだった。あんたに連れていかれる前も後も……って、聞いてもいないか?」
赤く染まった足先と、湿った股間でナメクジのような跡を作りながら下がっていく男。
そんな情けなくて醜い姿を見ても、エイレーンの覚悟は変わらない。
この程度で覚悟がなまるようなら、テイルの説得でとうに復讐を止めている。
もうここに来て言葉はいらない。
エイレーンは後ろに下がっていく男に、しっかり標準を合わせた。
何発も撃って来たからこそわかるこの距離と角度なら絶対に当たるという確信。
これを引けば自分の復讐は終わり、明日に歩き出せる。
姉の悲しそうな顔と、化け物に変わったあげく処理された最後。
その元凶である目の前の男。
エイレーンは己の過去と決別する為に、その引き金を――。
「…………」
動かなくなり倒れ込んだ男と、全身震えあがり銃をかちゃかちゃと鳴らすエイレーンをテイルは見た。
その銃の先からは、煙は出ておらず、男から流れる血は足先のみだった。
「……撃てなかったか」
エイレーンは震えながら涙を流し、小さく頷いた。
「何度も引こうって思ったのに……指が、全く動かないの……」
強い怒りは消えていない。
復讐を遂げたいと思う覚悟もある。
目の前の男が屑で、いるだけで人が不幸になる事もわかっている。
それでも、たとえそうであっても、エイレーンは引き金を引く事が出来なかった。
「……わたし、わがままだよね? こんなに準備してもらったのに、撃てない理由が人を殺すのが怖いからなんて……」
姉が悲しむとか、テイルが悲しむとか、そんな理由ではなく、単純に殺すが怖い。
それがエイレーンの引き金の引けない理由だった。
覚悟をしたつもりだった。
頭の中では毎日何度も殺したし、ARバレットに入る前はその為だけに生きていた。
だが、実際の場に直面すると、わけがわからない恐怖に飲まれ指が全く動かせなかった。
そんな自分が、エイレーンは情けなかった。
「……良いんだ。むしろその方が俺は嬉しい。もしかしたら……お姉さんが指を動かないように引っ張っていたのかもしれんぞ? こんなくだらない男の為に止めてって」
「はは。お姉ちゃんならやりそう。心配だから私から離れられないって愚痴りながら。……止めて、良いかな?」
「もちろんだ」
そう言ってテイルは手を差し出し、エイレーンはその手に拳銃を乗せた。
さっきまで指さえ動かなかったのに、拳銃を渡すのは簡単で、渡した後は体が軽くなるくらいだった。
「……あはは。でも震えは止まらないや」
「そんなもんだ。お前が撃たなくてもどうせこいつに未来はない。最優先殲滅対象ってのはそういうもんだからな。……後は忘れて、ゆっくり休め。数日したらまたユキてんてーの地獄の勉強合宿だぞ」
「……テイルさんも付き合ってよ。ユキさんのお勉強楽しいけどしんどいよ?」
「……しんどいけど楽しいじゃなくて、楽しいけどしんどいなのか」
「具体的に言えば二、八くらいの割合」
「地獄じゃないか……。ま、気が向いたらな。ヴァルセト。エイレーンを頼む」
そうテイルが声をかけると、暗闇から突如として男が現れた。
「テイルさん。この人は?」
エイレーンはいかにもな仮装をした男を見ながらそう尋ねた。
男の容姿は、一言で言えば吸血鬼である。
裏地が赤い黒マントを被った、貴族風の服装をした黒髪の男。
更にその男は現実味がないほどの美形で、本物の吸血鬼と言われても信じてしまいそうだった。
「第七怪人ヴァルセト。ま、もしもの為の切り札だな。他の子と同じように良い子ではあるんだが……恐ろしいほどに女癖が悪くてクアンの教育に悪いと思って今まで連れて来ていなかった。出したくない切り札だ」
そう言ってテイルは苦笑した。
「酷いなハカセ。俺は女性を愛してるだけだし誰一人不幸にしていないぞ」
「そう思うならとっとと結婚してくれ。そうしたらお前をもっと気軽に呼べる」
「それは無理だ。何故ならば結婚してしまえば出会った乙女の涙を拭えなくなってしまう」
気障なポーズを取りながらそう言葉にするヴァルセトを見て、エイレーンは苦笑いを浮かべた。
「んで、エイレーンを見てどう思う?」
「二割ってとこですね。俺の毒牙にかけたくないならハカセが気をつけてやってくれ」
その言葉てテイルは微笑み頷いた。
「それではエイレーン。君の家にお送りしましょう。安心してくれ。今日は狼にならないから」
そんな冗談を言ってウィンクをするヴァルセトにエイレーンは微笑んだ。
「ふふ。血を吸うくらいは良いよ? 人体実験された血で良ければ」
「俺達と同じ血。つまり同士じゃないか。気にする必要はないさ。それじゃハカセ。後は――」
それだけ言い残し、ヴァルセトはエイレーンを抱え闇の中に消え去っていった。
残されたのはテイルと、撃たれる恐怖に耐えきれず気絶した男。
テイルはその男の傍により、そっと拳銃を握りしめ――。
パン。
この場残されたのはテイルただ一人となった。
ありがとうございました。