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臆病者の慟哭


 難しく考え過ぎていたかもしれない。

 エイレーンはここ一月の生活を振り返りそう考えた。

 ここの代表であるテイルに取り入る事が最重要なのは間違いないのだが……正直好ましい手とは思えなくなってきた。

 体を使う事にも媚を売る事にも正直抵抗はない。

 目的の為に手段を選ぶつもりはなく、確実に成せるのではあれば己の命さえ差し出すつもりである。

 だが……そもそもエイレーンはそういう経験もなければ男性のご機嫌取りなどしたしたこともない。

 そして何より、利用する事への罪悪感が酷かった。


 この数日で良く理解した。

 テイルという存在だけでなく、ここにいる皆は恐ろしいほどの善人であると。

 だからこそ、エイレーンは悪さが出来ずにいた。

 代わりに、ゆっくりとだがお互いの事を理解出来ている気はしていた。

 こうしてゆっくりと関係性を深めて利用するのではなく頼み込むのは悪くない手かもしれない。

 お代として体で……などと言ったらまた怒られそうだなとエイレーンは考え微笑んだ。


 皆が優しい組織の中で、一番優しくない存在と言えばユキになるだろう。

 だが、それはあくまで他と比べたらであって、ユキ自体もエイレーンにダダ甘と言って良いほどに優しくよく世話を焼いてくれた。

 皿洗いや掃除のやり方を丁寧に教えてくれて上手く出来るようになるまで見てくれたのもそのユキである。

 そんな事があり、色々な意味でエイレーンはユキに頭があがらなくなっていた。

 エイレーンはユキの事を世話焼きの姉のように思っていた。

 時々、主にテイル絡みでキッと睨みつけて来る時は少しだけ怖いが……。

 

 部屋の動画環境設備を整えてくれたのは十和子だった。

 エイレーンの希望である『見ていて地獄を感じる作品以外』という無茶ぶりに答えてくれ、有名どころを色々取り揃え何時でも見れるように環境を揃えてくれた。

 邦画洋画問わず、ジャンルもアクションからミステリー、ホラーにアニメと言われた名作が好きに見られるようになったエイレーンは内心ワクワクが抑えきれなかった。

『夜眠れなくなっちゃうかもしれない……』

 そう言って嬉しそうに微笑むエイレーン。

『その時は何か飲み物をお持ちしますね』

 十和子は叱る事なくそう言って微笑んだ。

 エイレーンは十和子の事を優しい母親のように感じていた。


 用意された大きなテレビの前でどれを見ようかと思っていた矢先、クアンは部屋に来訪してきた。

『私もご一緒して良いでしょうか?』

 むしろ誰かと一緒の方が……訂正、イナゴの如くあらゆる映像作品を選ばずに見ているテイルとユキの二人を除いてなら一緒の方が楽しいので大歓迎だった。

 あの二人が嫌いという事はなく、偶になら良いが毎回あの二人の動画鑑賞に付き合っていると体が保たない。

 エイレーンはそう理解していた。


 何故かわからないのだが……エイレーンはクアンに親近感を持っていた。

 ――きっと私のこの酷い体の所為ね。

 エイレーンは変質しきった己が肉体を考え苦笑いを浮かべる。

 ARバレットの誰にも言っていない、いえない秘密の一つ。

 それは人体実験により怪人にされたという事である。

 言った方が同情され、きっと事が上手く運べるだろうが……それでも言うべきではないとエイレーンは思っていた。

 エイレーンの本音は単純で、ここの人達に同情の目で見られたくなかった。

 それだけ、エイレーンはここでの生活を楽しんでいた。


 クアンと共に子供も大人も楽しめると評判のコメディ映画を見た後、クアンは眠そうな顔を見せた。

『ごめんなさい。そろそろ私は失礼しますね』

 ぽやんとした様子でクアンはそれだけ言って部屋から出て行き、一人に戻ったエイレーンはベッドの上にぼふんとダイブした。


 一人は慣れていたはずなのに、何故か少しだけ寂しい。

 なのにあんまり嫌な気分じゃない。

  そんな不思議な気持ちのまま、エイレーンはベッドの上を転がった。

「……明日は何を見ようかな」

 きっと何も言わなくともクアンや十和子は来るだろう。

 またはユキとテイルが襲撃してきてまた酷い映画を見せに来るか別のとんでもない事に巻き込んでくるかもしれない。

「ま……それも楽しいかも」

 他にも、まだあんまり話していない顔がやけに綺麗だった怪人の男と接点が出来るかもしれない。

 何が起きるのかわからないけど、明日もきっと楽しい一日になるだろう。


 エイレーンは今、間違いなく日常を謳歌していた。



 だからだろう。

 エイレーンはその日、久方ぶりに夢を見た。

 日常を謳歌していから――いや、日常に溺れ己の軸を見失っいても、過去は決して消す事は出来なかった。


 私がそんな生活送って良いわけがない。

 私に幸せを味わう時間など、始めからあってはならないのだ。

 ああ……だから……これはきっと罰なのだろう。

 大切なものを忘れてしまった自分への……。


『止めて! もう止めて!』

 何度泣き叫んでも、何度怒鳴ってもそれが動きを止める事はない。

 検体の叫び声程度に反応を示すような人間性そいつは持っていないし、何よりこれは実際にあった事を追体験しているだけである。

 だから叫んでも意味がなく、どうなるかその先を私は知っている。

 それでも、叫ばずにはいられなかった。


 自分の体がどんなに醜くなっても良い。

 どれだけ体にメスを付きたてられても、わけがわからない液体の入った注射を打ち込まれても我慢出来る。

 たとえ性奴隷のような扱いになっても構わない。

 どれだけ屈辱的な事であっても、笑顔で受け入れ実行しても良い。


 だから……だからどうか……それだけは……。

『私の大切な――を取らないで!』

 過去と同じように手を伸ばし、私は必死に懇願する。

 だが、私は知っている。

 これはもう終わった事で、何度叫んで泣きわめいても、大切なものは壊れ、二度と戻ってこないと……。


 だからこれは罰なのだ。

 過去を忘れて目的を見失った愚かな私に対する……。


 こんな過去を持つ私が幸せになんてなってはならない。

 私は過去という戒めを忘れてはならない。

 私は……目的の為以外に生きてはいけなかった――。




 夜中目を覚ましたエイレーンは淡々とした様子で洗面台に移動し己が姿を確認し、嘲笑する。

 醜い泣き顔と絶望と怒りが交じり合った気持ち悪い表情。

 それに反して綺麗な肌と可愛らしい寝間着。

 基礎化粧品やら衣服やらで幾ら使わせたのかもわからない。

「綺麗な服……。ああ、なんて……なんて似合わないのだろう」


 醜い。


 ただただ醜い。


 己が姿を見たエイレーンの感想はただそれ以外になかった。


「幸せという麻薬に溺れ余計な物を抱え込んで本筋を忘れるなんて……あの時の気持ちだけは、忘れてはいけないのに」

 自分に幸せなんて分不相応だとエイレーンは知っていたはずだった……。

 そのはずなのに、目の前にそれが来るとつい溺れてしまう。

 だからこそ、エイレーンにとってここは甘美な麻薬であった。


「目的を……成すべき事……生きる意味……」

 エイレーンは目的の為にさっきまでの幸せに浮かれた存在としてではなく、絶望に浸り死を覚悟した愚者としてすべき事を考えてみる。

 そして選べる手段の中で確実性の高い手段は、やはり最初から考えていたテイルの篭絡だろう。

 長い事共に生活し、予想状に成功率が高い事も私は理解出来ていた。


 私より多くの戦力を保有していて私の手を振り払う事も出来ないほどの善人で、ついでに怪人にも詳しい。

 しかも話を聞くと童貞らしいからその辺りの手段も効きやすいだろう。

 最悪失敗しても、同情さえさせれば有利な事態に持っていける。

 善人である事を利用するのだから、失敗する方が難しいくらいだ。


 そう思い、エイレーンは己の部屋から出るドアに手を掛けて、テイルの部屋に向かおうとして……出来なかった。

 それ以前に、部屋から出る事すら出来ていなかった。


 目的の為にテイルを利用するのが一番良いとわかっている。

 わかっているのだが……それでも手が動かない。

 体が動くのを拒絶するのだ。


 嫌われたくない、同情されたくない。

 そんな思いと、あんな良い人を利用したくないという罪悪感。

 それらが私の足を縛り付けていた


「ああ本当醜い。こんな余計な物を抱え込むなんて」

 エイレーンはドアの前にへたり込み、静かに涙を流す。

「あはは……。なるほどなぁ……絆されたのは、私の方だったかぁ……」

 それを理解した時には既に手遅れで、使命と罪悪感の板挟みとなりエイレーンは動けなくなっていた。





 朝、ARバレットにしては珍しい無言の朝食タイムとなっていた。

 普段は話し声とテレビの音が絶えない時間なのに、今は皆無言で、食器を鳴らし続けていた。

 理由は簡単で、エイレーンの様子が今までと違ったからである。

 挨拶すれば返してくれるのだが……一切目も合わせてこない。

 更に、今まで恒例で行っていた配膳の手伝いすらしてこなかった。


 その怒ってるようにも悲しんでるようにも見える様子に気にはなっても誰も話しかけられなかった。

 静かな中、カチャカチャと食器の音が鳴り続けるだけの時間は苦痛な時間でしかなかった。


「……ちょっと良い?」

 さっさと食事を終えたエイレーンがそう声をかけると、それに合わせて全員が皿、ナイフ、フォーク等食器をテーブルに戻してエイレーンに視線を集中させた。

「あ、ああ。何だ。何か入り用か?」

「ううん。もう良いわ。何にもいらない。……そろそろ出て行こうと思ってね」

 その一言で、ぴしっと、何かに罅の入ったような空気が流れる。

 張り詰めていて、それでいてすぐ壊れそうな……そんな不安な空気の中、テイルはおろおろとした態度でエイレーンに優しく尋ねた。

「……どうした? 何か不満があるなら改めよう。言ってくれ」

 その言葉にエイレーンは露骨なまでに不機嫌そうな表情を浮かべる。

 ただ……その表情からは何故か困惑と悲しみのようなものを見た者は感じた。


「何もないわ。で、悪いんだけど私見ての通り何も支払う物持ってないの。手っ取り早く済むなら何でも払うから言って。払う物なんて体しかないけど、物理的な意味でも性欲的な意味でも」

「い、いや……何も要求するつもりはないが……」

「そ。なら私はとっとと出て――」

「駄目です!」

 突然、二人の会話にクアンが割り込み声を荒げた。


「絶対駄目です! 今のエイレーンさんは冷静じゃないんです! 昨日まであんな楽しそうに――」

「あんたに何がわかるのよ!?」

 まるで雄たけびのような絶叫を上げながらテーブルを叩くエイレーン。

 それを間近で聞いたクアンはビクンと体を竦ませ、驚き怯えた瞳をエイレーンに向ける。

 エイレーンは苦しそうな表情の後そっとクアンから目を反らし、立ち上がった。

「私はやらないといけない事があるの……。というかさ、もともと私はあんた達と一緒に居られるような人間じゃないの。私、貴方達全員を利用しようとしていたのよ。でも……うん、貴方達だと役に立ちそうにないから去っていくわ。そんな人間なのよ私、わかる?」

 せき止めていた物を吐き出すように言葉を続けるエイレーン。

 きっと本音の部分もあるんだろうが、一つだけ明確な嘘が見えていた。

『役に立ちそうにない』

 これだけは明確に嘘だと、全員が理解出来た。

 そもそも、エイレーンが何かを企んでいた事など知っていた。

 その上でエイレーンを救おうと考えていた。

 エイレーンの予想よりも更にお人なしな集団がこのARバレットという愚か者の集まりである。


 そして役に立たないと言うが、役に立たなくともギリギリまで利用すれば良いだけの話だし、それ以前に住む場所もなく泥棒に入るような立場のエイレーンがここから離れて事態が好転するわけがない。

 外部の人間であるテイル達が理解出来るのに、本人のエイレーンがそれを理解していない事などあるわけないはずだ。


 きっと、去っていく理由は別にあるのだろう。


「……エイレーンさんのしたい事、手伝います……。だから……まだここに居てください」

 クアンがぽつりぽつりと下を向きながらそう言葉にするが、エイレーンは首を横に振った。

「そんなお使いのような気軽な事じゃないの。それにね、非常に面倒な事よ? 貴方が手伝ったらこの基地がなくなるかもしれないし、最悪ここにいる人皆殺しになるかもしれない。それくらいにね」

「なら尚の事一人にさせられないです!」

「じゃあ……あなたは基地の人皆を危険に晒してでも私を助けられる?」

 エイレーンの問いに、クアンは周囲をきょろきょろと見るが答える事は出来なかった。


「……ね? だからあなた達では役に立てないのよ。だから私は――」

「それでも! それでも強がって無理しているエイレーンさんを行かせたくないです!」

「つ、強がってなんかないわよ!」

 クアンの言葉に、エイレーンは怒り顔で怒鳴り返した。

 それに対しクアンは泣きながら、エイレーンにしがみつく。

「強がってるじゃないですか! 助けてって素直に言ってください! でないと助けられないんですよ! ずっと待ってるんですよ!?」

「煩い! 強がってなんか……強がって……、そうよただの強がりよ! 強がって何が悪いのよ!? だって知っちゃったんだもん! 皆良い人だって知ったから……迷惑かけたくないもん!」

 エイレーンも泣いてるクアンに釣られてか、涙を流しながらそう叫びクアンを引きはがそうとする。

 だが、クアンは剥がれなかった。

「勝手にいなくなるのも迷惑なのわかってます!? 絶対どこにも行かせません! お別れは笑顔でって決めてるんですから!」

 無理やり引っ付くクアンをぐいっと押しのけようとするが、それより強い力で引っ付き蟲となるクアン。

 そんなクアンに負けてか、エイレーンはぺたりと地面に座り込み、わんわんと子供のように泣き出した。


「だって私時間ないんだもん! もうすぐ死んじゃうから……だから……だから最後に迷惑かけずに……」

 エイレーンの様子はまるで一桁後半くらいの子供のようで、その年からずっと溜めて来た何かを吐き出すように、ただただ涙をこぼし続け泣きわめき続ける。

 それを、クアンはぎゅっと強く抱きしめ、一緒にわんわんと泣き続けた。




「……あのさテイル。ちょっと良い?」

 ひそひそ声でユキが尋ね、テイルはちらっと目線をユキに向けた。

「エイレーンの言ってる死ぬって、体の問題でしょ?」

「だろうな」

「それ、テイルもう治したって言ってたよね?」

「怪人化を戻す事は出来ないが、治療という意味ではほぼ終わってるぞ」

「じゃあ、エイレーンがすぐに死ぬって事はないよね?」

「うむ。俺が保証しよう」

「それ、教えてあげてる?」

「いや、エイレーンは怪人化した事自体俺達に知られたくないみたいだから言えてない」

「……じゃあ今泣いてるの……無駄骨的な?」

 その言葉にテイルは軽く首を横に振る。

「いいやまさか。あの様子を見れば無意味でない事くらいわかろう?」

「――そね。野暮な問いだったわ」

 二人は小さな子供のように泣きわめき、お互いぎゅっと強く抱き合っているクアンとエイレーンの様子を見て優しく微笑んだ。



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