粗悪品
目を覚ました彼女は襲い来る情報量に圧倒され、混乱の境地に至っていた。
まず、今いる場所がどこかもわからない。
しいてわかる事と言えば、今身を預けているベッドがやたらとふかふかで心地よく、ついつい深く眠ってしまっていた事くらいだ。
こんなにゆっくりと眠れたのは本当に久しぶりだった。
次に、服がやたら良い物に変わっていた事に彼女は気が付いた。
肌触りから既に並の物ではないとわかるほど上等な服で、自分がお嬢様にでもなったと錯覚してしまいそうになるほどだ。
元の格安な上にボロボロとなっていた服とは比べるのも失礼である。
というか、これが服なら今まで着ていた者は服ではなくただの布である。
そんなボロ布の代わりに上質な服を手に入れた彼女は、わらしべ長者にでもなったような気分となっていた。
最後に、体中に丁寧な治療の跡があった。
今までの生活とその前の生活でついた、その全ての傷にだ。
最初は男にでも触られたのかと思い一瞬だけ怯えたが、それは杞憂であると理解した。
包帯や服から複数の、それも女性特有の香水や化粧品の香りが残っていたからだ。
そんな理解不能な至れり尽くせりの状況であるだけでなく、彼女は昨晩の記憶をほとんど覚えていなかった。
何時ものように正義か悪の組織に侵入して食料の盗みに来て、そこで何か大切な物を見つけたがそれの奪取に失敗したような。
何となくそれだけは覚えていた。
その上で、彼女は現状を推測する。
捕まえた人物を閉じ込める部屋にしては豪勢すぎる部屋と服。
そして自分の治療にあたった人物は複数の女性。
これらの事を加味し、彼女は一つの結論に達した。
「そうか……。これから悪い男に口では言えないような酷い事をされてしまうのね……」
そんな斜め上の結論を導き出していた。
彼女は、混乱の極地に至っていたがその事に自分では気が付いていなかった。
「そうとわかったならば……じっとしているわけにはいかないわね」
何があってもやらねばならぬ……死んででも果たさなければならぬ使命を彼女は帯びていた
そんな彼女はまず、部屋のドアを確認する。
予想通りというか、鍵がかかっていてその鍵は部屋の外から掛けるようになっていた。
そしてそのドアは予想以上に硬そうで、突破は困難に見えた。
続いて彼女は窓を探した。
窓っぽい物はあったがただの絵だった。
最後に、彼女は部屋の壁を軽く叩いた。
壁自体は非常に薄い木製だったが、その壁一枚向こうは完全に硬い何かに密閉されている。
彼女は反響した音でそう理解した。
「……脱出対策に壁の裏側を全て金属で埋めたのね。そこまでするって事は……私はよほど気に入られたのかしら」
ここが地下である事を忘れて彼女はそう言葉にし、自分で言っておきながらもじもじと恥じらう様子を見せた。
何故かわからないが、微妙に嬉しそうでもあった。
「そうと決まれば……作戦変更ね」
脱出して使命を果たす事は不可能に近い。
というかぶっちゃけ困難そうだしベッドが気持ち良いから諦めた。
それならば……この身をそこまで評価してくれた強欲な男に捧げて、その男縋りついて使命を果たそう。
そう彼女は考えた。
自分の言う事を聞いてくれる可能性は限りなく低いが、それでも零でないのなら体を捧げる価値はあるだろう。
そんな短絡的かつ意味のない考えだが、それでも彼女には他に選択肢がなかった。
本来彼女くらいの見た目なら持っていて当然の物が彼女には欠けている。
その為、彼女は今を精一杯生き急いでいた。
そう、彼女の時間は、絶望的なまでに残されていなかった。
「あと何か月……いえ、何週間残っているかしら……。それでも……いえ、そうだからこそ……私は……」
彼女は一人覚悟を決め、握りこぶしをきつく、痛いほど握りしめた。
それは、ユキが初めて見るテイルの姿だった。
テイルにとって怪人は子供であり、その子供を作る為の道具でもあるPC機器類をテイルは心から大切にしていた。
だが、今テイルは意味のない八つ当たりのような怒りに身を任せ、大切なPCのモニターを全力で殴りつけ、破壊した。
モニターは大きな穴を開けて画面がブラックアウトし、それと同時にテイルの拳は赤く染まる。
それでもまだ怒り足りず、テイルは咆哮するように叫んだ。
とても人の言葉とは思えない、怒りによりただ怒声を出しただけのような声を吐き出し壁を殴りつける。
びちゃっと血が壁に付き、ぽたっぽたっと赤い液体が地面に滴り落ちた。
拳は真っ赤なだけでなく、明らかに骨がいかれているとわかるほどに形状が変わっている。
それほどまでに、テイルは怒りに我を忘れていた。
本来なら叱るべきクアンも、怪我の心配をするファントムも、何の言葉も出す事が出来なかった。
悪鬼のような表情を浮かべ、拳の痛みなど一切感じずただただ怒りに震えるテイルに、彼らは言葉を投げかける事が出来なかった。
そんな、皆が何も出来ない中――ユキはテイルを抱きしめた。
怯えもせず、窘めもせず、ただただ無心で無言のまま、ぎゅーっときつく抱き着いてくるユキの鼓動をテイルは感じ……ようやく、テイルは怒りに縛られなくなる事が出来た。
「すまん。取り乱した」
そう言いながらテイルは申し訳なさそうに後頭部を掻き、猛烈な痛みと同時に後頭部にぬめりとした何かが流れ首筋に流れるのを感じる。
そして、自分の手を見た後ぎゃっと悲鳴を上げた。
「まったく……。ちょっと治療してくるわね」
ようやくいつものテイルに戻った事を確認し、ユキは苦笑いを浮かべながらテイルの怪我していない方の手を引っ張りどこかにつれて行った。
そして十五分ほどした後、テイルは綺麗に包帯を巻かれた上に添え木までされ再登場してきた。
「ちょっと開いて骨ごと治したから三日四日程度で治るわ。それでも、しばらくは絶対安静だからクアンもファントムも協力してあげて?」
有無を言わさぬといった迫力を持ちそう言葉にするユキに、二人は無言のまま頷いた。
「……それでテイル。何があったの?」
ユキの言葉にテイルは頷き、ぽつぽつと自分の知った事実を語り始めた。
「ああ……昨日の夜襲来してきたあの女性、少女か? まあわからんが彼女の生体情報を確認した。……確かに、俺の作った怪人と形式が恐ろしい程に類似していた。偶然ではありえないほどにな」
そうテイルが語ると、クアンは首を傾げる。
「えっと。ハカセが作ったのではないんですか?」
その言葉を聞き、テイルはまたさきほどのように険しい表情となり怒声を発した。
「俺があんな事するわけがないだろ!」
そう言いながら怪我した方の手で壁を叩こうとするテイルの腕をユキは優しく掴み抱きしめた。
「安静って……言ったよね?」
険しい表情を浮かべていたテイルは即座に怯えた子犬のような表情に変わり、こくこくと何度も頷く。
「よろしい。次にそんな事しようとしたら間接外すか神経いじって腕固定するから。あと怒鳴ったクアンに謝罪」
「はい。キヲツケマス。ソシテクアンサン。ゴメンナサイ」
さっきとは別の理由で震えながら、テイルは背筋を伸ばしカタコトにそう言葉にした。
「さ……さて続けるぞ。偶然ではありえないほど俺の製造する怪人に類似しているが、俺は彼女を知らない。そして、彼女のような存在を作る事を――俺は決して行わないし許さない」
テイルははっきりと、そう言葉にした。
「テイル。後学の為に一体どういう部分が類似しているのか教えてもらって良いかしら?」
ユキがそう尋ねると、テイルは頷いた。
「今回語る部分は肉体についてだ。知っての通り怪人とは製造するものである。故に製作者の個性がどうしても現れるな。例えば、怪人製造の先輩でかつ同士である剛力山という科学者の怪人については……こんな感じだ」
走言いながらテイルはタブレットに五枚の写真を連続で表示させ皆に見せた。
全身が筋肉隆々でボディビルのような半裸の男性。
続いて、剛腕を持った腕が二本、追加で背中から生えているマッチョメン。
更に、シオマネキのように片腕だけが大きな外国人男性俳優のようなさわやかマッチョナイスガイ。
続いて返却的に、外見は幼い少年だが、その両肩辺りの空間がねじ曲がりそこから異様なほどムッキムキな腕が出ていた。
最後に、プロレスラーのような腕を生やした、不定形生物、俗に言うスライム。
実に個性的で、そして控えめな表現で男らしかった。
「な? わかりやく個性が出ているだろう?」
テイルの言葉にユキは冷や汗を浮かべた。
「……筋肉ね」
「そう。筋肉だ。剛力山博士は筋肉に対する愛が、特に腕に対する愛が凄まじくてな。こんな感じになっている。彼ほどわかりやすい人は少ないが、このように怪人製造というのは一種の個性が出て来るものだ」
「なるほどね。んで、テイルの個性って?」
「不必要なまでに人型にとどめる事にあるって他の博士に言われた事がある。言われてみると納得できるな」
テイルの作る怪人は、その全てが必ず基本形である人型が主体となる。
それは無意識の内に家族を求めている事と、ファーフのような悲劇を二度と産まない為という強い意思の元にそのようになっていた。
「さて話を戻そう。そんな俺特有の怪人製造法を真似たのが、彼女だ」
「――スパイって事?」
ユキの質問にテイルは首を横に振った。
「いや。剛力山を含めて多くの製造者は技術を交流会で発表し記録して誰でも見れるようにしている。俺も他の技術は秘匿しているが肉体製造関連は完全にオープンにしてる。だからそこだけ真似されているという事を考えるとスパイの可能性は限りなく低い」
「ふむ――。公開した技術ならパクリって事もないし……。じゃあ……何が問題で、何がテイルの逆鱗に触れたの?」
ユキがそう言葉にすると、テイルは落ち着くために一息吐いて説明を再開した。
「まず、彼女の場合は俺の怪人製造とは大きく違い。戦闘員とファーフの二つを合わせたような感じが近いだろう」
「と言うと?」
「普通の人だったはずの彼女を無理やり変異させて怪人化させているんだ。俺がファーフにしてしまった事に近いな。精神は人だった頃をそのまま引き継いでいるから俺ほど罪深くはない。だが、それでも相当無茶をしているな」
「戦闘員の人に行った処置とは違うの?」
「あれは軽く肉体調整を中心に最低限の改良しか施していない。戦闘員を十倍希釈した液体を飲ませた状態と例えるなら、彼女はそれの原液どころか十倍濃縮の液体を無理やり飲ませた状態になっている」
「……やたらと強かったですね。弱ってましたから何とか捕縛出来ましたけど」
クアンは付け足すようにそう口にした。
「おそらく、戦闘力はクアンより若干低いくらいだろう。さて、俺が何に怒っているのか結論言おう。俺の技術を人体実験に使いやがった馬鹿がいる事だ」
それは、ファーフという経験で怪人製造のノウハウを得たテイルにとって自己嫌悪を刺激しつつ極限まで怒り狂わせる、文字通りの逆鱗であった。
しかも――残念ながらこれで終わりではなかった。
「更にもう一つだ。杜撰な上に低技術で無理やり改造された彼女は内外共に実験の後遺症でボロボロ。データを見るに……最長でも二か月程度の命だ」
そんなテイルの言葉に、三人は別々の表情を浮かべた。
クアンは純粋に知り合いでもない彼女の事を心配し、泣きそうな顔でテイルを見ていた。
ファントムは、己の親愛なる父にどう尽くせば良いか、その事を考えていた。
そしてユキは――笑っていた。
顔は笑っているのに……何故かそれを怒っていると全員が理解出来た。
「テイル。この後どう動こうって考えている?」
ユキの言葉にテイルは指を二本立てた。
「ああ。一つは、強引に彼女から事情を聴きだし制裁対象を探る。多少彼女が苦しみ、悲しむ事になるだろうが……まあコラテラルダメージみたいなもんだ」
「もう一つは?」
「何も聞かず彼女をここで匿い助け続け、彼女から信頼を得てから事情を尋ねる。時間は相当かかるし、彼女にそこまで良くする理由はない」
「なんだ。答えは一つじゃない」
ユキはテイルの立てていた中指を曲げ、立てる指を一本だけにした。
「そうだな。それが俺達らしいわな」
テイルは最初からそのつもりだったように、ユキに微笑んだ。
「んじゃ皆行きましょうか。新しい同居人に挨拶しないと」
ユキの言葉の意味に気づいたクアンはぱーっとひまわりのような笑顔を浮かべ、ファントムはユキを尊敬するような視線で見ながら頷いた。
「ところでテイル。彼女の肉体の事――どうにかならないの?」
テイルはそんな言葉を放つユキに苦笑いを浮かべる。
「――何を言っているんだ?。俺を誰だと思ってる。――もうどうにかしたに決まっているだろう」
自信に溢れる背中を見せながらそう言葉にするテイルは、珍しく真っ当に男らしかった。
ただし……片手が固定されていて少しだけかっこ悪かった。
ありがとうございました。