悪の組織トップ二人の会談(一応)
とすっ。
そんな小気味よい音を響かせながらダーツがダーツボートに突き刺さった。
的中央よりも上の部位、得点で言えば二十のトリプル……を狙ったのだろうが若干上向きにズレて二十点となっていた。
それを投げた男、サバンナ太郎などというおかしな名前を名乗った男は無念そうな表情を浮かべる。
「あー惜しい。この時点で私の勝ちはなくなってしまいましたね」
その言葉に、テイルは首を横に振った。
「いえいえ。私がミスをする可能性がありますよ」
「ははは……ミスするのですか?」
「そりゃしますよ。まあ……滅多にはしませんがね」
そう言いながら、テイルはそっと構えを取り――ダーツを綺麗なフォームでボードに投げ入れた。
その矢はまるで吸い疲れるようにダーツは中央に向かい、そのまま中心点傍に突き刺さる。
ダーツは中心点である五十点のインナーブルから僅かに外れ、その外周、二十五点であるアウターブルに当たった。
「お見事」
「はは。今日は大分調子が良かったようですね」
男の言葉にテイルは頷きながら、二人は握手をした。
何となくでダーツバーに向かいお互い酒も飲まずにダーツだけ楽しんだ後、二人は店を後にした。
次はどこに行こうか。
そう相談を始めてすぐに二人はとある重大な事実を思い出した。
ファミレスで飯を食べ損ねていたと……。
二人は顔を合わせ、同時に頷いた。
「……サバンナ太郎さんは何食べたいです?」
「何にしましょうかねぇ。テイルさん何か希望は?」
そう話し合うがお互い特に何も思いつかず、二人は適当にゆっくりと夜の街を歩いた。
暦上は春なのだが、夜は相当肌寒い。
そんな少々不快な冷たい風を感じながら歩いている二人の目に留まったのは……鍋の店だった。
寄せ鍋からもつ鍋にちゃんこ、鍋焼きうどんにすき焼きまである鍋専門店らしく、見る限り少々値は張りそうだが、値段相応に期待は出来そうだとテイルは思った。
「……テイルさん。鍋の締めって何が好きです?」
「そうだな。寄せ鍋なら雑炊、ちゃんこならラーメンかな。まあ拘りはないが」
「いっその事すき焼きにして日本酒を飲みながら肉を味わうってのも良いですね」
「そうですねぇ」
そう言いながら、二人はそっと店の中に入っていった。
二人の口は完全に鍋を迎える気分となっていた。
二人はうんぬんと悩んだ末、醤油ベースのちゃんこ鍋を頼む事にした。
「悪いですねテイルさん。俺だけこんなもの頼んでしまって」
そう言いながら男はちゃんこ鍋と一緒に持ってこられた徳利を見た。
「いえいえ。付き合っても良いんですがあんま強くなくて……申し訳ない。ま、気にせず楽しんでください」
そう言いながらテイルは徳利を持ってお猪口に酒を注いで男の前に差し出し、そっと水のグラスを持ち上げた。
男は意図に気づきお猪口を持ち上げる。
「んで、何に乾杯しますかね?」
テイルの言葉に、男は微笑みながら呟いた。
「では――姉妹の再開に」
「なるほど。姉妹の再開に」
そう呟いた後、二人はお猪口とグラスを軽く重ねた。
「俺がユキヒちゃんと出会ったのは今から二年ほど前の事でした――」
鍋を締めまで含めて食べ終わった後、男はそれを語り口に思い出を話すような優しい口調で言葉を紡いでいった。
その頃のユキヒは十四歳で、今とは比べ物にならないほどに荒れていた。
両親はとにかくだだ甘で、どんなわがままを言っても聞いてくれて、何をしても一切叱らない。
どんな小さな事でも必ず褒めてくれて、そして一日一度は必ず姉の悪口を付け足していく。
普通ではない。
それは何となく理解出来ても普通を知らないで育ったユキヒにはどうする事も出来ずにいた。
そんな何かおかしいという気分を抱えながら、本当に愛しているか悩むほど全く叱らない両親と共にいたユキヒは当たり前のようにぐれた。
どんな暴言を吐こうと、何を壊そうと叱らないのだからそれは当然の結果としか言えなかった。
ユキヒは中学をさぼってゲーセンに入り浸った。
そんな両親だった為金だけは無制限と言えるほど手元にあり、好き放題遊ぶ事が出来ていた。
だけど……何をしても面白くは感じなかった。
ゲーセンに入り浸ったのは、独りでいても違和感がなく何時間でもいられて、そして賑やかだったからだ。
そんなろくでもない毎日をユキヒは一人で過ごしていた。
とは言え、未成年であるのは間違いない為自由で気儘にとはいかなかあった。
警察や教師が探しに来たらそっと隠れ、ゲーセンに行けない時はビルの屋上やカラオケなどで時間を潰していった。
この生活がまともはユキヒも思っておらず、何とかしなければと思ってはいたのだが……ただの子供であるユキヒにはどうする事も出来ず理不尽と不条理を感じイライラを溜めながら生活していた。
当然の事だが学校側もユキヒを好んで放置しているわけではない。
彼女の将来の為に、必死で何とかしようと知恵を絞っていた。
学校にはセラピストを置き、集団生活が苦手でも少人数で、最悪一人だけでも勉強出来る環境を整え、最悪の場合中学卒業しても人生設計が出来るよう就職口の手配まで整えた。
彼女一人の為に過剰とも言うべきほどの考慮を中学側もしたのだが、それは全て無駄な事に終わった。
『うちのユキヒを縛り付けないでください。うちの子は今羽ばたいているんですから』
そんなユキヒ両親の頭の中お花畑としか言えないような湧いた発言により、学校側が取れる手段は全て消滅した。
本人が学校を嫌がり、両親が拒否した以上学校として出来る事は何もなかった。
だからこそ、学校は最後の手段として外部に協力を依頼した。
符李蛇鵡という最後の逃げ場に。
『やっほ。君がユキヒちゃん?』
路上で座り込んでいたユキヒは突然そう話しかけられ、不審者を見るような目で……というよりもどう見ても不審者でしかない異物を睨みつけるように見つめた。
『あんた……何?』
誰というよりは何という方が近いだろう。
ユキヒは防犯ブザーの紐を持ちながら、逃げる準備をしつつ威嚇するような瞳でそう呟いた。
『俺は……見ての通りさ!』
そう言いながら、男は上半身裸のまま両手を広げた。
下半身はレスラーが着るみたいなぴちっとしたタイトなロングパンツにウェスタンブーツ。
上半身は裸、ただし両手には茶色の毛で覆われた猫の手をモチーフにした肉球付きグローブを装着している。
そして顔の部分には、鬣が立派なライオンのマスクをしていた。
ユキヒは男の見ての通りという言葉を聞き、頷いた後そっと防犯ブザーの紐を引っ張った。
けたたましく鳴り響くブザーと見事なタイミングで訪れるパトロール中の警官。
そしてそのわずか二分後……。
ふぁんふぁんふぁんふぁん……。
変質者を乗せたパトカーはサイレンを響かせながらどこかに去っていった。
『……何だったんだろうかあれ?』
ユキヒは茫然とした様子で、小さくそう呟いた。
それがユキヒとサバンナ太郎の出会いだった。
翌朝、ユキヒは三十くらいの男が何やら菓子折りを持ったまま正座をしている姿を発見した。
『昨日はすいませんでした。いや笑っていただけると思ったんです……。本当、失礼しました。ですのでどうか……どうかお話だけでも聞いて下さい何卒お願いします』
そう言いながら、男は静かに土下座をした。
それはそれは見事な土下座だった。
『うん。おっさんが昨日の変質者なのはわかったよ。んでどうでも良いんだけど……良く一日で出てくれたわね』
そんなユキヒの言葉に、男は自慢げに答えた。
『ええ。慣れてますから』
ユキヒは不審者を持つような目をして防犯ブザーに手をかけ――。
「違うよ! 不審じゃないよ!? 何もしてないから! 何もしてないから出られたの! お願い話を聞いて!」
そんなおっさんの必死な様子が少しだけ面白くて、ユキヒは自分でも気づかない内に久方ぶりの笑顔となっていた。
『それで、話って何?』
ユキヒはどんなびっくり話が出るのか少しだけ楽しみにして男にそう尋ねた。
それに対し男はそっと書類をユキヒに手渡した。
男は今までのは何だったのかと言わんばかりに真面目に、そして理性的に説明を始めた。
居場所のない人達の為に作った組織符李蛇鵡。
自分はそこの代表であり、そこにユキヒを招待したいと。
男はユキヒを子供として扱わず、対等な存在として扱い組織に入る事のメリットについて説明した。
まず、衣食住が全て満たせる事。
確かにユキヒは財力のごり押しで全て何とかなっているが、それも何時まで続くかわからない。
ついでに言えば、両親の世話になり続けているのも正直どうかと思っているところではある。
続いて、警察や教師から狙いを付けられ追いかけられなくなる事。
一人で出歩く子供ではなく、符李蛇鵡に所属し保護される存在に変わり追い掛けられる理由がなくなるからである。
最後に、親からの干渉を避けられる事。
常に国と連携し情報を公開している為、悪の組織という箱ではあるが符李蛇鵡は養護施設と同等の権限を持っており、特定の条件が重なった子供の保護が可能となっている。
それは親の虐待から子供を護る事も含めている為親から引き離す事も権限のうちである。
一切叱らないというのはそれだけで十分な虐待と判断出来る為、ユキヒを親元から放す事は十分に可能となっていた。
ただし、ユキヒが符李蛇鵡に所属するには二つの条件が必要である。
一つは、ユキヒ本人の同意。
もう一つは、ユキヒが義務教育の放棄を止める事、つまり……中学への復帰である。
この二つが揃わない限り、法律の問題で符李蛇鵡はユキヒを受け入れる事が出来なかった。
ユキヒは非常に真剣に、紳士的に語る男に「最初からその態度にしろよ」という突っ込みをいれつつ悩み、そして自分自身でしっかり考えた上で所属する事を選択した。
中学に行くことも、集団生活になる事も、それこそボランティアに参加する事も我慢出来る。
だけど、あの親と一緒に居る事だけはもう我慢出来ない。
そんな自分の希望を理解したユキヒの答えは最初から一つしかなかった。
ユキヒが契約書を書いた時、男は満面の笑みをしてみせた。
『ようこそ、今日から君は符李蛇鵡の一員だ。俺達皆を家族であり同胞であり友人だと思って欲しい。それは君が符李蛇鵡を卒業してここを離れても変わらない』
その言葉に、ユキヒは素直な気持ちが出せずぶっきらぼうな態度でそっぽを向いた。
「とまあ、ユキヒちゃんとの出会いはこんな感じだったかなぁ。最初から最後まで失敗続きで嫌な思いをさせてしまい、あまり良い出会いにしてやれなかったけど……俺にしてはマシな方だったかな」
男はそう言いながらうんうんと頷いていた。
「警察呼ばれたのにマシな部類なんです?」
苦笑いを浮かべるテイルに男はにやりと笑った。
「ええ。二度呼ばれなかっただけ俺の中ではマシな方ですよ。俺にとって警察は馴染みの説教部屋みたいなものなんでね」
「何とも。褒めれば良いのか笑えば良いのかわかりませんね」
テイルの言葉に男は決め顔を作った。
「笑えば良いと思うよ」
男がやけに通る声でそう言うと、二人は顔を合わせたままゲラゲラと笑い合った。
「そろそろ敬語も止めにしません? 普段そんなキャラじゃないでしょ?」
男の言葉にテイルは頷いた。
「ああ。そうだな。んで……一つ聞いて良いか?」
「おう。何でも聞いてくれ」
フランクな態度の男に頷き、テイルはさきほどの話で気になった部分を尋ねた。
「いや、どうしてそんな変態にしか見えない恰好で話しかけたんだ? 女の子に半裸はあかんだろ? しかも顔を隠して」
テイルの言葉に、男は下を向き小さく呟いた。
「……受けると……思ったんです……。緊張しているから笑わせようと思っただけで……ぽりさんからもめっちゃ叱られた……」
その言葉にテイルは何も言う事が出来なかった。
困ってる人の為に符李蛇鵡を作った男、サバンナ太郎。
悪の組織を箱にして年齢性別関係なく誰でも受け入れられる養護施設を作るという独創的な発想力と組織運営能力を持つ多才な男ではあるのだが……。
私生活がズボラで笑いのセンスがないという人として致命的な欠点が存在していた。
男がずーんとした暗い雰囲気を醸し出しているタイミングで、テイルのスマホにメールが届いた。
内容はユキからで、妹と一緒のホテルに泊まるから明日迎えに来て欲しいというものだった。
同じように男も携帯を見ていた。
おそらく、あちらにも同じ連絡がいったのだろう。
「……明日になったかー。んーテイルはどうする? 一旦帰るか?」
「いや、もう夜も遅いしめんどいな。どっかホテルに泊まるわ。良い場所知らないか?」
「そうだな……とりあえず駅前のホテルは止めとけ」
「――評判悪いのか?」
「いや、評判は良い。だけど、正義の味方の基地兼用してる。問題はないんだが……なんか気まずいぞ」
ルール的に問題はないが、お互い変に気を使いすぎてギクシャクする未来が見えたテイルは素直に頷いた。
「わかった。それ以外のホテル探してみるわ」
「おう。んじゃ俺はどっかで飲み直してくるわ。テイル、また明日」
その言葉にテイルは頷き、二人は自分の食べた分の伝票を取ってその場を後にした。
ありがとうございました。