水にご注意? 2
新幹線を降りたアーブ御一行を襲ったのは想定の範囲外と言えるほどの激しい雨で、それは雨の勢いにより傘が壊れるほどだった。
「うーむ。念のため準備していたがまさか使う事になるとは」
テイルはそう呟きながら、社員一同に用意した雨合羽を私服の人達に配った。
ヴィーの全身タイツは防水機構の為必要なく、クアンは自分の上空で水を止めながらテイルの傍に寄りそってテイルを雨から保護していた。
「クアン。場合によっては途中中断の恐れもあるからその辺りは注意しておいてくれ」
「了解です。……ところで、私達みたいな人はともかく、こっそり撮影している人達は大丈夫なんです?」
「ああ……KOHOなら問題ない。奴らはプロだ。彼らよりも自分の心配をしてくれ」
一体その人達は何のプロなのだろうか……。
その言葉を飲み込みながらクアンは頷いた。
叫び声のような雨音の中で、クアンは一人の男と対峙した――。
目の部分以外を覆う黒頭巾に黒ずくめ。
まるで忍者のような恰好をしたその男は腰に太刀をぶら下げたまま、道の真ん中でずぶぬれになっている。
男の姿は事前に知ったライゾーその人である。
叩きつけられ痛いほどの雨にもかかわらず、ライゾーは身じろぎ一つせずこちらを見据えていた。
正面二十メートルほど先にはずぶぬれの男、真後ろには十人ほどのずぶぬれとなったヴィー。
そして話し声が一切聞こえない、音を殺し尽くしている雨。
クアンは心底嫌そうな顔で溜息を吐いた後、空に手を伸ばす――。
その瞬間、急に雨は止み雨音もなくなった。
同時にライゾーとヴィー全員の濡れた服も乾燥しきっていた。
「面妖な……だが助かったぞ。あのままでは会話すら成り立たぬ状況であった」
「礼とか良いわめんどくさい。あとコレちょーめんどいからそんな長くしないから」
クアンはだるそうにそう呟いた。
本来能力が発動出来る以上に無理やり拡張して能力を使っている為実際に負荷が大きい。
表情には出さないがその辛さはだるいという程度のものではなかった。
「今だけで構わん。礼を言わねば無礼であろう? よく果し合いを受けてくれた」
「どうでも良いわ。果し合いも受けたくて受けたわけでもないし貴方にも興味がないし。……でもしょうがないから聞いてあげる。名乗るのとか大好きだもんね正義の味方さんって。貴方の名前は何?」
クアンが挑発じみた笑みを浮かべながらそう尋ねるが、ライゾーは無表情のまま、淡々としていた。
「安心せよ。ワシは悪党に名乗る名は持たぬ主義だ」
「そ。聞かなくていいなら楽で良いわ。……めんどいけど果し合いだもんね。ヴィー。下がって――」
クアンはそう呟いた瞬間、さっきまで全く表情を変えなかったライゾーが一瞬だけ表情を曇らせた。
今時の若い者らしくない太眉がクアンには少しだけしょんぼりしているように映っていた。
クアンはライゾーがどんな憧れを持っているか知らない為何を求めているのかわからない。
少し考えてみて、時代劇風ならば勧善懲悪がテーマであろうと予測を立て、こっちが卑怯であればあるほど都合が良いという結論をクアンは出した。
「――と思ったけどやっぱ戦うのめんどい。ヴィー。めんどいから囲んで倒して」
そうクアンが呟いた瞬間、ライゾーは侮蔑するような瞳をクアンに向けた。
だがクアンは見逃さなかった。
直後に少しだけ微笑み、こくんと同意するように頷いたその瞬間を……。
「卑怯な――とは言うまい。それが貴様らの道理よ。で、あるなら……こちらはこちらの道理でお相手いたす。かかってまいれ」
ライゾーは朗々と言い放ち、腰にぶら下げた太刀に肘をかけた。
ヴィー達十人はその言葉に合わせて全員で走りライゾーを囲う。
そして、今回の為にわざわざ用意された直刃の剣(模造刀)を鞘から抜いた。
剣持ち十人に囲われ、ヴィー達がじりじりと迫ってきているのにもかかわらずライゾーは一歩も動かない。
太刀を肘置きにしたまま悠々とした態度を取り、それどころか目さえ閉じていた。
それを見てヴィー達は油断と受け取り、アイコンタクトを取って背後のヴィーが剣を振り上げる。
そしてヴィーは垂直に剣を振り下ろしながらライゾーに突進した――が、その剣は虚空を斬りつけるだけに終わっていた。
斬りかかったヴィーは予定と違う感触に驚いた後、ライゾーを見失った事に気づき二度驚いた。
ヴィーは慌ててきょろきょろと周囲を見渡した。
そして、背後にさきほどど全く同じ恰好をしたライゾーがいる事を発見し三度驚く。
だが、突然背後にいる事以上にヴィーは驚いた事があった。
ヴィーが最後に驚いた最大の衝撃……。
それは、自分以外九人のヴィーは既に全員地に伏していた事だった。
おろおろとした様子のまま後ずさるヴィーに一歩ずつ近寄るライゾー。
そして……そのままライゾーは大きな動作で抜刀し、ヴィーを袈裟斬りした。
ズバッ。
そんな斬撃音と共にヴィーは両手を広げて剣を落とし、はらはらとした緩やかな動作で回りながら地面に倒れ込んだ。
ライゾーは血に濡れていない太刀を十字に斬って血払いのような動作をした後、シャキンと綺麗な金属音を鳴らしながら納刀した。
クアンは内心で、拍手をしたい気持ちを必死に堪えていた。
その立ち回り、戦い方には非常に見ごたえがあり、まるで舞台や歌舞伎を見ているようなそんな気さえしてくるような綺麗な殺陣だった。
確かに恐ろしいほど動きが早く、遠方からなのに見逃しそうになるほどで、それでいて誰でもしっかり見れば動きが掴めるよう研究された動き。
そんなふざけているとも言える戦い方だがその実力は確かで、普段の自分なら絶対に勝てないだろうとクアンは考えた。
そう……普段の自分なら……。
「……ちょっとだけ驚いたわ。貴方、何者?」
クアンがそう尋ねると、ライゾーはクアンの方に向き直った。
「先程も言ったであろう。ワシは悪党に名乗る名を持ち合わせておらん」
「……めんど。もういいわ。潰してあげる」
そう言った瞬間、クアンは止めていた雨を元に戻した。
雨音が再び世界を襲う。
更に、その轟音と同時に巨大な水の球が空からライゾーに襲い掛かった。
「指一つ動かす前に潰れちゃえ」
そう呟くクアンに、ライゾーは全く反応を示さなかった。
ライゾーはその水球を避けず、むしろジャンプして迎え撃ちに向かう。
まるで天狗のような軽やかな垂直跳びを行った後、ライゾーは太刀を抜きそのまま空中で水球を一閃する。
水は斬れない。
そもそも斬れたとしてもまた戻ればいいだけである。
そんな当たり前の事のはずが……何故か水は元に戻らず水球は真っ二つになった後ぱちゃっと音を立て割れた。
内心では驚きつつも、クアンは顔に出さずそのまま次の攻撃に移る。
クアンは背中付近の腰に隠していた黒光りする塊を取り出し握りしめる。
それはハンドガンの形をしていた。
クアンはそのままライゾーに狙いを定め、即座に引き金を引いた。
パシュ。
とても小さな音と同時にビー玉ほどの水が高速で射出されライゾーに襲い掛かった。
見た目はハンドガンだが、実際は少量の水を射出する機構を備えたクアンの補助装置である。
ちなみにクアンはこれに『てっぽーうおくん』という名前を付けた。
キィン。
ライゾーは視界が塞がるほどの雨の中で、しかも音すら消されている極限状態の中――水の弾丸を太刀で弾き飛ばした。
パシュ、パシュ、パシュ。
キィン。キィン。キィン。
弾数無限の水の弾丸を撃ち続けるクアンに対し、切り払い続けながら一歩ずつ前進してくるライゾー。
そして十メートルほどの距離になった瞬間、ライゾーはクアンの視界から突如として姿を消した。
ヴィー達の戦闘中、一度ソレを見ていたクアンはどこに消えたのか理解していた。
目にもとまらぬ高速移動……どこに移動したのか、それは――空だった。
抜き身のまま太刀を構えつつ、宙から襲い来るライゾー。
その方向にクアンは顔を向け、水のシールドを展開する。
文字通り全ての雨がクアンの味方であり、あらゆる動作を一瞬でこなす事が可能になっていた。
大きなコンタクトレンズのようなシールドを見てもライゾーは何も気にせず、そのままシールドに狙いを定め、太刀を横薙ぎに払う。
見た目とは違い戦車の砲弾すら耐える頑丈なシールドはすぱっとバターのように切れ、その隙にライゾーはクアンに一閃入れようとした瞬間――ライゾーは横からの衝撃を受け十メートルほど吹き飛ばされ地面に転がった。
クアンが水を思った通りにコントロールできるのは半径二、三メートルが精々だった。
つまり、その範囲ならばかなり細かくコントロールできるという事でもある。
シールドを作ってる裏でもう一枚シールドを作り、雨にステルスするように迷彩をかけライゾーに叩きつけるという複雑かつ高度な細かい動作すら可能になっていた。
クアンは大量の雨を操作し続けるという普段使わないレベルでの能力制御のおかげで、何時も邪魔をしていた『機械音痴』という名のリミッターが外れ本来のスペックをフルに発揮する事が出来ていた。
――まだです。直撃した感触がしませんでした!
叩きつけた盾を蹴り飛ばし自分で飛んでいったライゾーの方を見据える。
既にライゾーは立ち上がっており、こちらに向けて太刀を構えていた。
ありがとうございました。