三者三様
状況に変化はなく、依然閉じ込められたままのユキは一人黙々とデスクに座りモニターを睨みながらタイピングを続けていた。
して欲しい実験は画面のメモ帳に貼るだけで行われ、その結果もこの画面からアクセスし閲覧出来る場所に用意される。
実験結果を即座に閲覧出来るのは本当にありがたいのだが……如何せん雑である。
内容や結果、実験方法の話ではなく、実験で出たデータのまとめ方がとにかく雑で……控えめに言っても見づらかった
最初の頃は何度も訂正を頼んでいたユキだが、その酷さと雑さからもう自分がまとめ直した方が早い事に気づき、自分で全部打ち直すようにしていた。
手間ではあるが、ぶっちゃけ頼んで待つよりも何倍も速い。
その為、最近の主な仕事はデータまとめの為のタイピングである。
付き人の一望は現在ここにおらずユキは一人っきりとなっている。
現在彼女は、医療室とやらで治療を受けている。
どうして治療を受けているのか、彼女の容態はどうなのか……。
それをユキが知る事は出来ないが、決して良好なものではないという事くらいは理解出来る。
あまり時間がない。
それはわかっているのだが……脱出にしろ戦うにしろ、何の情報もなく雁字搦めとなっている現状ではどうしようもなかった。
そんな事を考えている時、丁寧なノックの音が部屋に響いた。
不気味なほど丁寧なのに敬意を一切感じないノック。
そのノックの鳴り方から最初にあったスーツ姿の男のノックだとユキは気づいた。
「どうぞ」
その声に反応し、壁からドアが生まれドアが開いた。
そこにいたのは予想通りいつも同じスーツ姿の男。
ただ今回は彼だけなく、後ろに男と同じくらいの身長をした、背の高い高いスーツ姿の女性がいた。
高い身長でお洒落に髪をまとめ上げた、やけに高級そうな香水の香りのする美女。
一目でわかるほどの仕事の出来るオーラを発しているその女性と目があった時――ユキは恐怖を感じ呼吸が出来なくなった。
それは恐ろしいほどに冷たい瞳で、今までユキが自分を利用しようとしてきた目が可愛らしく見えるほどだった。
スーツ姿の男も似たような『道具を見るような目』でユキを見るが、これはそんな可愛らしいものではない。
自分が支配者であると知っているからこその値踏み。
それはその道具が自主的に役立ってくれるかどうかを調べているようだった。
そこに一切の情は映されておらず、死ぬまで働ける奴隷かどうかを尋ねているようだった。
ただそれだけ……たったそれだけの事なのに、何故かユキはその女性に逆らえる気がしなかった。
「……まあこんなものね。使えそうなら好きにしなさい。報告だけはこまめに」
女性は男にそう言葉を残し、その場を後にした。
女性がいなくなった時、呼吸を思い出したユキが最初に覚えた感情は安堵だった。
蛇に睨まれたカエルのような、そんな最悪な気分から抜けたユキは息を大きく吐き、それと同時に極度の緊張が一気に解けたからか気持ち悪さを覚える。
「怖いでしょうちの社長。ただそこにいるだけで人が倒れるまで怯えるんですから。本当……ああ怖い怖い」
男は両手を横に広げ微笑みながらそう言葉にした。
「……あんたは怖くなさそうね」
「――慣れてしまいました」
「そ。あの空気に慣れるなんてあんたも化け物になったって事ね」
「……私は素直に怯えられる貴女の方がよほど化け物に見えますけどね。まあそれは良いでしょう。貴女の上っ面が剥がれた今が良いチャンスですので。ちょっとお話をしたいのですがよろしいでしょうかね?」
敬語すらする余裕のないユキは心底嫌そうな顔をした。
「どうせ断ってもするんでしょ。好きに話なさいよ」
「ははは。まあその通りですけどね。実は……今この部屋は監視されていません」
「……はぁ。それで?」
「盗聴の類もないので今から三十分。何を言っても誰にも聞かれません。わかります? この部屋は何があっても、誰も助けに来ないのですよ?」
その言葉に、ユキはその男をジト目で見た。
「はぁ。それで? その気もないのにそんな怪しい言葉を使って何が言いたいの?」
「あら? 怯えてくれません?」
「別に。あんたの武器はその背後の強さでしょ。それを使わない力任せなら全く怖くないわ。むしろ今までのような悪意あるやり取りの方がよほど恐ろしかったわよ」
その言葉に男は両手を横に広げた。
「やれやれ。私も気づかぬうちに社長に相当影響を受けていたのでしょうかね。まあおっしゃる通り、私は別に貴女に何かしようとしているわけではなく、むしろ逆に提案をしに来ました」
「提案ねぇ。監視の目をかいくぐっての提案って事は……」
「そう。私は……社長から……いえ、社長を出し抜きたいのですよ。ご協力頂ければ……そうですね。貴女の求めている情報と、それと今後の無事を約束しましょう」
「私の求めている情報?」
「ええ。女中……いえ、一望さんの身体データとか。これがなければ治療の見通しも立たないのではないでしょうか?」
そう言いながら紙束を男はユキにみせつけた。
「――あんた」
「貴女の思考を多少ですが理解しました。天才であるにもかかわらず恐ろしいほどに善良なようで……。ですので、弱った彼女にずいぶんご執心なようですね。ええ。ですので取引が出来るのです。当然、事が終われば彼女も自由にしましょう」
男の今までと同じような微笑み。
ユキにはその顔が悪魔のように見えた。
何の手伝いをしろとは言っていないが、まず間違いなく社長を蹴落とし会社を乗っ取る事への協力要請だろう。
あの社長をどうにかしようという勇気だけは、正直ユキも拍手をしたいほど尊敬出来る。
そして、その報酬は安全と一望のこれまでの蓄積した身体データとカルテ。
それがあれば、テイルの行う怪人化もスムーズに出来るだろう。
確かに魅力的な提案ではある。
だからユキは少し悩んだ。
ほんの少しだけ悩み――首を横に振った。
「悪いけど断るわ」
「――理由は?」
「あんたが信用出来ない」
さっきの会話内であれば、嘘を言っていないような気配はある。
それでも、この男は只者ではなく嘘の気配を隠せる可能性が非常に高い。
何が信用出来て何が信用出来ないかわからない以上、信用は人柄に依存し、敵組織に身を置いて動くこの男は全く信用出来ない。
そうユキは判断し取引を拒絶した。
「……残念です。まあ信頼されなかった私の落ち度ですがね」
「あんたに問題はないわよ。ただ……この状況下で信頼しろってのは無理よ。一望くらいじゃないと」
「ああ、全くもって残念です。数少ないチャンスだったのですが……」
「どうしてチャンスって思ったの?」
「社長を見て、怯えながらも自分を見失わなかった。そんな人滅多にいないんですよ。……まあ良いでしょう。お話を聞いていただいたお礼と口止め料として、これくらいはさしあげます。読み終わったらトイレにでも流して下さい。水に溶けるタイプですので」
そう言って男はテーブルに紙の束を置き、部屋から出て行こうとした。
「ちょっと! それはまさか……?」
「ええ。約束した一望さんの身体データと医療データですよ。多くの医者が匙を投げたので救うのは難しいと思いますが……まあ頑張って下さい」
そう言って男は微笑み、部屋を去っていった。
男が去ってから、ユキは何とも言えない罪悪感を覚えた。
最初から、ユキがどう答えようと一望のデータを渡すつもりでいたのだろう。
どうしてかわからず考え込むユキだが……男の事で一つだけ気づいた事があった。
男の笑顔やうさん臭さの理由。
それは男の笑顔が嘘っぽいからである。
もっと言うなら、男は雰囲気は常に空虚なものであった。
まるで空っぽで、目の前にいるのにいないような気配。
そんな中でわずかだが人らしい気配が現れたのが、さっきの取引の瞬間だった。
「拉致して私を利用してる奴があの男なんだから……」
そう呟き、ユキはその罪悪感と同情を忘れるようにして渡された資料を見つめた。
「ただいまー! 何かお仕事ある?」
元気よく部屋に戻ってきた一望に対し、ユキは優しく微笑んだ。
「お帰り。なーんもないわよ」
「うぃ。じゃあテレビ見てるね!」
そう言ってユキはわざわざ面倒な設置をしてまで取り付けたテレビを見だした。
壁に内蔵されたリモコンもないそのテレビは一望が最初の方にユキに頼んだわがままで、そして組織人員を盛大に困らせた要因その一である。
少しでもユキに機械を触れさせないよう気をつけていたのに、まさか内部の人間が『テレビくーださい』なんて言うとは想像すらしていなかっただろう。
組織側が混乱している様子がわかり、その様子はユキも非常に楽しく見つめる事が出来た。
そしてそのアンサーとして、壁の向こう側で工事をし画面だけこちらに向けるという強引な壁内蔵テレビが誕生した。
治療のおかげか一望の顔色はかなり良くなっていた。
何もなければまだ大丈夫だろうと思うのだが……今のユキは医療データを見ている。
その医療データの結果は最悪で、控えめに言っても今の一望の状態は末期手前である。
もうテイルに頼んでも無理なのではないだろうか。
そう思うほどギリギリの状況で、そしてテイルに怪人化を頼むとしても一刻の猶予に許さない状況である。
そんな中、表情を隠しながら焦っているユキに対して一望は――。
「はい」
そう言いながら、一望はユキにゲーム機のコントローラーを手渡した。
機械を触れさせないようにしていた組織に対して行った一望二度目のわがまま。
組織人員を盛大に困らせた要因その二『ゲーム機くーださい』という無理難題の結果、普通にゲーム機がこの部屋に置かれた。
ネジ穴を溶接している辺り相当対処に困った跡が残されており、そしてその対応から組織という弱点が見え隠れしている。
おそらくだが、監視の人員はユキのご機嫌を極力取れと命じられているのだろう。
監視している人達は女性で、そして相当な人数がいる事を考えると、あまり高い地位の人ではないはずだ。
そんな地位の人が、ユキに機械を与えるなという命令と、ユキからのゲーム機要求の板挟みにあい、折衷案としてネジ穴を封印したゲーム機を用意するなんて選択をしたのだろう。
微妙に情報伝達が食い違っているからユキはそう考えた。
「……ユキさん? もしかして忙しかった?」
考え事をしているユキを不安そうに見る一望に気づき、ユキは首を横に振った。
「えっ、ううん。大丈夫。一緒にやろっか」
「はーい! 一人も良いけどやっぱり誰かと何かをするのが楽しいですよね」
「――ええ。その気持ちは良くわかるわ」
そう言ってユキはテイルの事を思い出しながら、優しく微笑んだ。
一望は自分の事が馬鹿であると知っている。
他人から見たらどうかわからないが、少なくとも自分自身では自分が馬鹿だと思っていた。
嘘が付けず、失敗が多くて、そして面倒くさがり。
だがそれでも、いやそんな自分に正直な一望だからこそ他人の嘘には敏感で、そして人の感情に目ざとい。
例えば、このユキという可愛らしいご主人様は非常にわがままな性格である事を一望は知っている。
身内に甘く他者に厳しい典型で、他人を石ころ程度にしか思っていないだろう。
その反面、身内に対しての情は深い。
おそらく孤独を長く味わったのであろう誰かにべったりする事もされる事にも抵抗がない。
よほど寂しい思いをしたのだろう。
その証拠でもないが、一望はたった一つだけ……ユキに秘密にしている事がある。
大した事のない情報だが、これを聞けばきっとユキが辛い思いをすると思い、必死に隠している情報。
ユキの情報をこの組織に売ったのは、ユキの両親である事だ。
『可愛い妹を探っていたら醜い姉がいた。だから売った』
一望には全く理解出来ない内容だが、実の両親がユキを売った事は間違いない事である。
きっと、ユキが寂しがりなのはこんな両親だからだろうと一望は思っていた。
そして最後に、最も重要で最も大切な事。
この情報異常に大切な事は、この世に存在していないだろう。
それは――ユキが恋をしている事だ。
恋人なのか夫婦なのか、はたまたただの片思いなのか。
それはわからないが、ユキは間違いなく恋をしている。
コイバナが好きな人ならば、ユキと少し話せばすぐにわかるだろう。
それくらいユキはわかりやすく、可愛らしい。
全く関係ない時にその人の事を考えているユキを見て、一望は微笑ましい気持ちとなれた。
だからこそ、一望は思った。
――ああ、この人はなんて普通な人なんだろう。
歴史が生み出した天才の一人で、時代によっては偉人にもなりえる人。
そう言われて出会ってみたが実際にこの人は間違いなく普通の、ただの人である。
普通に恋をして、普通にお話して、普通に友達になってくれて。
だからこそ、一望は心に決めた事があった。
自分の最後は、この人の為に使おうと――。
ありがとうございました。