月の人たち 1
週末、喫茶店のドアを開ければ、変わらない笑顔で店長は迎えてくれた。
「いらっしゃい。今日はべっぴんさんと一緒なんだね」
「はい、かわいいっしょ」
「ちょっと宮野くん」
ふてくされる彼女に軽く謝ってから、店内を見渡す。いつもと同じ席につこうとして、先客がいることに気が付いた。遠目から見てもわかる美人が、奥のテーブルを使っている。
真っすぐに伸びた艶やかな髪に、体は小さいのに可憐と思わせない雰囲気を漂わせる女性だった。見てすぐに、以前この近くで見かけた女性だと思い出す。藤色のニットを着たその女性と目が合って微笑まれたので、俺も笑い返した。
近くのテーブルについた俺は、日永に一言断ってから女性に体を向ける。この前の礼をすると、小首をかしげて不思議そうな声で返された。
「まあ、どこかでお会いしたかしら?」
「一週間くらい前に、ここの近くの道で見ましたよ。俺、トキさんに書いてもらった電話番号のメモ落としちゃってさ、このお姉さんが拾ってくれたんだ」
「そうだったんだね。こんなに綺麗な人と知り合いだったから、びっくりしちゃった。……良かった」
最後のほうなんて言ったんだろ。聞き返そうか迷ったけど、この話題に深く突っ込みたくないのでやめておく。あんまり話して、あの女性に気があるように思われるのも嫌だしな。
「おすすめはブレンドコーヒーです。サービスでクッキーも二枚つけますよ」
「ありがとうございます。俺それで」
「私も、それでお願いします」
注文して、編みかごからお手拭きを二つ取り出した。一つを日永に手渡して、自分の分のビニールをやぶる。引っ張り出したやつで両手を軽く吹いて、くるくる丸めてビニールと一緒にテーブルの端へ寄せた。店の奥からカカオ豆の濃い香りがただよってくるのに、自然と顔が緩んでいくのがわかる。
「今日は、トキさんいないんだね」
「ん、ああ。そういやそうだな。今日休みなのかな」
過去二回とも持っていかれたことを思い出して、苦笑する。あの人がいるとクッキー取られるから、いなくてラッキーかもしれない。そういやあの人、ここでバイトしてるらしいけど一回も働いてるとこ見たことないんだよな。
「ねえ、トキって大きくてノラ犬みたいな男のことかしら?」
テーブルの横に移動した女性が、にこやかに話しかけてきた。立って見るとやっぱり小さくて、身長は一六〇センチに満たないくらいだ。胸のサイズはBはあると見た。
「宮野くん?」
「えっなに?」
横から冷気を感じた俺は、視線を女性の胸から逸らす。にこやかな日永の目が、なんとなく冷たいのは気のせいだろうか。いやいや、目が笑ってませんよね。
咳払いで誤魔化し、俺は女性に向き直った。胸は見てない。
「えーと、トキさんっすよね」
「ええそうよ。よく笑ってるいやなやつ」
眉を寄せた女性は、低くなった声で言う。ずいぶんな評価なんだけど、完全に違うと言い切れないのが悲しい。あの人、俺の話聞いて楽しんでるからなあ。本当に聞いてるだけで、真面目に考えてくれてるのかも怪しいし。俺はオオカミ人間みたいだと思ってるけど、ノラ犬ってのも間違ってない気がする。
「どうっすかね。俺が知ってるのはここでバイトしてるお兄さんですけど」
「あら、ならここに来るのね」
「なんだ、ひのかさんもトキと待ち合わせですか」
あいつ今日はまだ来てないんですよ。コーヒーとクッキーを運んできた店長が、眉尻を下げて教えてくれた。どうやら、寝坊して着くのが遅れるらしい。
店長の話を適当に聞いていた俺は、ハッと息を飲んだ。あれ、いま店長この女性のこと、ひのかさんって呼ばなかったか。尋ねようと口を開きかけて、来客の音に開けた口を閉じた。
頭をかきながら入店してきたのは、今まさに話題になっていた人物。
「悪いイチカワ、寝坊した。あと携帯の充電途中で切れた、電源貸して」
「お前なあ、夜更かしもたいがいにしろよ?」
「いやー悪いな店長。どうしても調べておきたいことが」
彼の調べものがかぐや関連だったのか全然関係ないものだったのか、聞くことはできなかった。彼が、俺たちのほうを見て明らかに緊張した様子になったからだ。
こっちを見たトキの目は大きく見開かれ、掠れた声で三文字の音が吐き出される。
「ひのか」
呼びかけともとれない声に答えたのは、妙に色っぽい女性の声。
「あら、覚えててくれたのね。嬉しいわ」
俺が彼女を振り返ると同時、店内は異常な量の霧に飲み込まれる。
「おい! トギリお前なにやってんだ!」
「後で片付ける!」
店長とトキの謎のやりとりの後、からんと鈴の音が耳に届いてドアが開くのがわかった。灰色の視界でも誰がいなくなったのかを察する。いったいどうして、ひのかを見てトキは逃げたんだ。だいたい、この霧ってまた超能力なんじゃないのか。
頭に浮かんでくる疑問に答えが返ってきたのは、霧がすっかり晴れたころだ。
「トギリは、妹のかぐやを誘拐した悪いやつなの」
この場にいない男を指したひのかは、自分たちが月の人間であることを告白したのだった。
たとえば最初から月の連中の目的もなにも知っていて知らないふりをしてたら、そいつはトラブルに深くかかわりたくなかったのかもしれない。竹藪に続く小道で、あくびするオオカミ人間とわずかに漂う霧を見つけて、俺は舌打ちをこぼした。
彼は最初からぜんぶ知っていたのだ。日の花や月の連中が捜していたかぐやは、彼が月から連れ出したのだから。
月のひとたちは二つの名前を持っていて、全員超能力が使える。トキなんて苗字とも名前ともわからない名前を名乗った彼は、霧を操作できるらしい。日の花たちの話によれば本名は十霧。元々店長の知り合いで、数年前にこっちに降りてきたのだとか。
「あんた、月の人間だったんですね」
俺が話しかければ、トキもとい十霧は呆れた声を出した。
「あのな、俺は一度もこっちの人間だとは言ってない。あの女狐に何を吹き込まれたか知らねえが、俺はお前らの敵じゃない」
「うわー、信用できないんすけど」
女狐というのは日の花のことだろうか。敵じゃないなら、どうして何も教えてくれなかったんだよ。あんた、俺の話をネタ話だと笑ってたじゃないか。連中の探してるカグヤ姫が誰か知ってたくせに、日永かぐやを囮に使った。本当は自分が、カグヤ姫を月から誘拐してきたくせに。
「信用しろよ。お前の荒唐無稽なかぐや姫の話を聞いてやっただろ」
「それはあんたが月の住民だからだろ」
「じゃああれだ。毎回ぶっ倒れたミヤノくんと日永かぐやちゃんを家まで届けてやっただろ」
「それだって俺たちに事の真相を知られたくなかったからだろ」
正直、今や彼が何を言っても信用できない。もしかしたら十霧が日の花の妹を誘拐したのには、なにか理由があるのかもしれない。それでも、全部知ってるのに日永を利用した十霧は許せない。それに、地上まで妹を捜しにきた日の花がかわいそうだ。
ガリガリと頭を掻いた十霧は、わざとらしくため息を吐いた。十霧の行動ってどうも癪に障るんだよな。俺は姫刀を投げつけたくなるのを、深呼吸することでなんとかこらえた。
「女狐にやられたなこりゃあ。日の花は何を言った? 俺がわる―い誘拐犯とでも言われたか?」
「そうだよ。違うのか十霧さん」
「嘘ではねえな。かぐやを月から連れ出したのは俺だからな」
カラカラと笑う十霧は、少しも焦っているように見えない。少しは言い訳とかしろよ犯人、それとも本当に、日の花への嫌がらせでカグヤ姫を誘拐したのだろうか。それだったら俺、この人の人間性疑うんだけど。ああでもやりそうなんだよなこのお兄さん。
「それで、俺が誘拐犯だとしてどうするんだ? 今までのやつらみたいにそれで成敗するか?」
「俺は、十霧さんが誘拐犯だとかそういうのは正直、どうでもいいんです。いやどうでもいいわけじゃないんだけど二の次、みたいな」
「へえ、意外だな。ヒーロー気取りで楽しんでたと思ったんだが」
指摘されて、俺は言葉を詰まらせた。うわ、そう思われてたんだ俺。たしかに途中まではそうだったんだけど、今となっては恥ずかしい。結果的に日永を守ってたとはいえ、心持ちがひどいとこんなに最低な気分になるんだなと実感したばかりなんですけど。やめてくれませんかねそういうの言っちゃうの。
「途中まではそうでしたけど! 今は違います。俺は心を入れ替えたんです愛の戦士になったんです」
「ぶふっ、なんだそりゃあ。たいして変わってねぇよ」
「変わりますって。俺は、日永の不安を見て見ぬ振りしたあんたが許せない」
「つまり、ただのクレームか」
カグヤ刀を横に凪げば、わずかに残っていた霧が掻き消えた。クレームでもなんでも好きに言えばいいんだ。この怒りは、どんな言葉を並べられたって収まらないんだから。
「十霧さん、あんたはどうしてカグヤ姫を誘拐したんだ?」
「あいつが俺を頼ってきたから」
「言い訳できるんなら最初からしろよ月のお兄さん」
瞬き一つして、俺は刀をその場に捨てた。十霧が目を丸くするのが見えて、口角がつりあがるのがわかった。両の拳を握る。
「特大のクレームです。変な能力抜きで応えろよ」
「……それで気が済むなら応えてやるよミヤノ」
破顔した十霧が拳をつくるのを見て、俺は彼の顔めがけて拳を繰り出した。
という青くさい経緯を日永に説明するのも恥ずかしく、俺はそれを簡潔に伝えた。ケンカの三文字で解決である。日永は苦笑いだったけど。
「うーん、宮野くんが言いたくないなら聞かないけど」
「サンキュー日永、いてて」
消毒液が傷口に染みる。くそう、十霧のやつ容赦なくボコるんだもんな。あいつ絶対ケンカ慣れしてやがるよ、どんな生き方してたらああなるんだ。
手当も終わったので、向いの席で右の頬に保冷剤をあてる十霧を見やった。俺が一発入れてやったというか、勢いで一発入れさせてもらったような負傷だ。それ以外はほとんどかすり傷みたいなもんなので、経験値の差をひしひしと感じさせられた。次があったなら絶対負けねえ。
十霧は俺の視線に気づいて口角をつりあげる。直後、傷に響いたらしくおもいきり苦い顔になった。日頃のクセが仇になったか、ちょっとうける。
「くそ、若者の青春劇場なんざに付き合ってやるんじゃなかった。いてえ」
「俺より全然軽症のくせして文句言わないでくださいよ」
「それよりあの女狐はどうした?」
こっちなんかほっぺたダブルパンチだからなおい。文句をたれる十霧への主張は、見事に無視されたのだが。
「女狐って、日の花さんのことですよね。そういやいないっすね」
十霧曰くの女狐こと日の花の姿は店内から消えていた。俺は日の花の話を詳しく聞かずに飛び出してきてしまったので、彼女がその後どうしたのかはわからない。十霧を探しているようだったからてっきり、店で待っているのかと思ったんだけど。俺たちの疑問に答えてくれたのは、救急セットを片付けていた日永だ。
「あの、日の花さんなら行きましたよ」
「えぇ、帰ったの? この性悪男ほっといて?」
「あの女狐のがよっぽど性悪だろうが」
聞いていた十霧が吐き捨てるように言う。
「いやーなに言ってんすか?」
「日の花さんの妹さんをさらっていった十霧さんのほうが、悪いと思います」
あんたのがよっぽどタチ悪いでしょう。続けようとした言葉は、日永の強い否定にかき消された。なんか、変だな。救急セットを持つ日永の手はかすかにふるえていた。大きな目は、たしかな怒りを宿して十霧を見ている。
それを受ける十霧は、ひるむでもなく真っすぐに日永を見つめ返している。
「どうしてそう言い切れる?」
「家族が一緒にいるのは当然じゃないですか。日の花さんがかわいそうです」
部屋から出てこなくなった姉を心配する妹を思い出した。日永、自分たちと日の花たちを重ねてるのかもなあ。
……でも本当に、それだけか?
「親子も姉妹もいずれはバラバラになる。それが少し早まっただけだろ?」
「日の花さんがかわいそうです」
「ちょいちょーい日永、落ちついて」
「日の花さんが、かわいそうじゃないですか」
やっぱりなんか、変だ。たしかに俺も日の花はかわいそうだと思ったけど、会ったばかりの相手のためにここまで怒ったりしないよな。なんか、日の花さんがぶつぶつ言ってるし、ちょっと異常だ。
「日永さん?」
「ちっ、だめだなこりゃ。女狐に引っかかってやがる」
「は? 十霧さんどういうことっすか」
なにか知ってるらしい月の住人に、俺はすがりつく思いだった。だって、俺の好きな女の子の様子がおかしい。まるで人が変わったみたいだ。
十霧は心底だるいですみたいな表情になって、それから真剣な表情をつくって俺に言ったのだ。
「日の花のとりこになってる。お前の刀で切れ」
今なんて言った。思わず尋ね返してしまったのは、当然の反応だったと思う。いったい俺に誰を切らせようとしてるんだこのお兄さん。変わらず日の花の名前をつぶやく日永を顎で指し示し、十霧はなおも続けた。
「刀でそいつを切れ」
「いやいや意味わかんねーんすけど。嫌に決まってんじゃないですか!」
「まあまあ、試しに切ってみてくださいよ。スパっと一振りで」
「通販番組みたいに言わないでください。切らねえよ」
本当、人のこと煽るの得意だよなこの人。胸の前で拳をぷるぷるさせていると、目の前にいるトキは半分まぶたをおろした。いやいやなんで俺がわがまま言ってるみたいな反応されるんだ。
俺がやっぱり殴ってやろうかと考えたのを見透かしたかのタイミングで、十霧が口を開く。
「じゃあ切らなくていい。その代わり、俺についてこいミヤノくん」
「はい?」
切らせたいのかそうじゃないのか、どっちなんだろう。問い詰めようとした俺の口はすぐに閉じられた。十霧の目が怪しく光ったかと思えば、またしても店内が濃い霧に包まれたからだ。
灰色に染まった視界で、乱暴に腕を掴まれて椅子から立ち上がる。そのまま、出入り口までずりずり引きずられていった。
「いたいいたいいたい! 何すんだよ!」
「あー騒ぐなうるせえ。歩きながら話すから聞いとけ」
「はあ? どこに」
鈴が鳴ってドアが開いた。俺は十霧が開いたものかと思ったんだけど。そうじゃなかった。
「あら、私を置いてどこに行くのかしら?」
「くそ女っ」
女性の声と十霧の罵倒から、入ってきたのが日の花だと知れた。
「ひどいわ。これじゃああなたの顔もよく見えない。あら、ありがとう十霧」
急速に晴れていく霧に、瞬きを数回繰り返す。そうして現れたのは、細腕にホールドされる十霧の背中だ。
「気色わりいはなれろ」
「まあ」
後ずさる十霧に日の花もついていく。そうして壁際に追い込まれた彼に、日の花が腕を伸ばした。
「ねえ、あなたこんなにひどい顔だったかしら?」
「どうでもいいだろうが。うぜえ」
「あらあら、私が心配してあげてるのにひどいわ」
その光景を見て数秒、俺の頭の中でなにかが切れる音がした。
ええ、なんで俺ラブコメ見せつけられてるわけ。
そして、気が付けば十霧の頭を通って刀が壁に刺さっていた。うーん、とても奇妙な光景だ。
「まあ、死んだの?」
「これ肉は切らずに骨を断つ刀なんで」
「へえ、そうなのねえ」
二メートルくらい下がって袖で口元を覆う日の花に、簡単に説明させていただく。実際は骨も断たない刀なんですけど、それは言わないでおいた。だって語呂悪いし。
青白い顔の十霧が倒れて、刀だけが壁に取り残される。転がってるお兄さんは無視して、刀を回収。これでしばらくは起き上がってこないはず。
ところが、勢いよく起き上がったお兄さんに凄まれた。
「てめえ何しやがんだ」
「あっれー? なんで気絶しないんだろ」
「ああ? なに言ってやがる」
顔色が悪いのは悪いんだけど、何故か全然ピンピンしてる。変だなあ、他のやつは皆倒れたのに。俺だってこれ使った後は体力ごっそり持ってかれるはずなんだけど。
そこまで考えて気づいた。そういえば俺、今回元気だな。
「まあいい、今回は助かったから許してやるよ」
「助かったって? 十霧さんまさか女の子に耐性ない?」
「違えよ馬鹿。お前と一緒にすんな」
いやいや俺だってそんな女の子の前でテンパるとかしないよ。クスクス、後ろで日の花が笑う気配がした。ほらー、俺が女の子の前でしゃべれないやつとか思われてんじゃん。
振り返って弁解しようとした俺の顔を引っ掴んだのは十霧だった。なんなんだよ。
「振り向くな。日の花は魅了持ちだ、簡単に言やな」
「はいはい魅了持ちと。は、魅了?」
魅了ってあの、ゲームでサキュバスとかがハート飛ばしてくるあれっすか。異性をメロメロにしちゃう効果の?
十霧がメロメロにされたとか考えたら、声が震えた。
「えぇ、お兄さん魅了されてたんですか?」
「妙な言い方すんな。あの女にはこれっぽっちも魅力を感じてねえ」
「ういっす」
本気の否定だった。このお兄さん心の底から日の花が嫌いなんだなあ、じゃあさっきはなんで追い詰められてたんですか。
俺のもの言いたげな視線を察したのか、十霧は舌打ちした。というか、そろそろ顔痛いんではなして欲しいんすけど。
そうしてひそめた声で言われた言葉に、俺は唾を飲み込んだ。
「あの女は負の感情につけ込んでくる。目を見るな、やられる前に刀を使え」
「それって」
「あいつに対してかわいそうだとか悪いだとか思えばそれが火種になる。日の花はそこにガソリンぶっかけて付け火してくる、いわば放火魔だ」
想像して背中が寒くなる。まさかそんなことありえないだろうなんて笑い飛ばすのは、ここまで巻き込まれた俺には無理な話だった。むしろ日永や十霧の不可解な言動を思い返せば不思議としっくりくるものがある。
もし十霧の話が真実なら、彼女はクロだ。
「本当ですか?」
「嘘じゃない。日永かぐやを切れと言ったのは、日の花の力を解くためだ」
「じゃあ、切らなくていいって言ったのは?」
「大元の力を断てば、すべて解けるはずだ。だからやれ」
お前にしかできない。そう告げられて、俺は唇を噛んだ。なんだよ、最初からずっと十霧は俺を利用してばかりじゃないか。
何が正しいのか、もうそんなの話してみないとわからない。日永と向き合ったときのように、俺は数メートル後ろに立つ女性に話しかけた。
「日の花さん、俺たち月の連中のカグヤ姫さがしにずいぶん巻き込まれたんすよ」
「あらそうなの。私のためにごくろうさま」
「俺も日永もけっこうガチでこえー思いして、このお兄さんにもいいように利用されてさー」
「ふうん。十霧は相変わらず最低ねえ」
顔を見ないで耳に届く日の花の声は、さっきよりずっと冷たく聞こえた。
「で、さっきから日永変なんですよね。なにか知ってます?」
俺は薄っぺらい笑みを張り付けて振り向いた。
「ああ、あの女の子? かぐやの話をしたら、私をかわいそうだって言ってくれたわ」
幸せそうに微笑む日の花は、ちっともかわいそうには見えない。思い返せば日の花という女性は、私が私のと、自分のことばかり口にしてる。
今度は、日永を月のかぐやと勘違いして襲ってきた二人の名前を出す。
「じゃあ、邦光と秋晴は?」
「あの二人もそう言ってくれたわ。あなたも、そう思うでしょ?」
日の花の目が鈍く光るのが見えて、俺は刀の柄を強く握った。息を吸い込み、彼女の目をしっかり見据えて返事をする。
「思わない。あんたは最低だ」
「なんで?」
今まで余裕だった日の花の表情が崩れた。宇宙人でも見るような目が突き刺さって、笑えてくる。そんなに、思いどおりに行かないことが信じられないんだ?
「あんた、本気でなにかを好きになったことってあります?」
「なによ。みんな私を好きになってくれるわ」
「ないんだな?」
重ねて尋ねれば、日の花は押し黙った。目を泳がせて、まるで言い訳を探している子どものように見える。
「俺はさ、ずっといい加減に生きてきたよ。その時が楽しめれば、それでいいやって。いろんなことに手つけて、苦しくなったらやめた。その繰り返し」
「だから、なによ」
「ミーハーだからさ、綺麗な人見かけたらラッキーって思うよ。それでも、あんたがどれだけ美人でもな、俺は絶対にあんたを好きにならない」
「絶対なんてありえないわ。だって私は守られる存在なのよ」
返す日の花の声にはもう、最初ほどの勢いがない。俺は首を横に振って、理由を口にする。
「俺が初めて本気で好きになった女の子を追い詰めたあんたを、俺は絶対に選ばないし、許さない。だから」
「なによ、なんなのよ!」
続けようとした言葉は、日の花の叫び声にかき消された。顔を真っ赤にして声を荒げて、小さな子どものように癇癪を起こしてる。それからは俺が口をはさむ間もなく、不満が飛び出してくる。
「私はかわいいのよ美しいのよ! 皆、みんな私をほめてくれる! 私が一番だって言ってくれる私のために動いてくれる。それなのに、どうしてよ」
日の花のちょうど後ろ、開いたままの入り口から人が入ってくるのが俺の位置からは見えた。ショートヘアの女の子の顔を見て、俺は言葉を失った。
「十霧もあんたたちも、どうして私が一番だって言ってくれないのよ? 私はだれよりも大事に」
「お姉さん。落ち着いてください」
お姉さん。そう呼んで日の花の肩をつかんだのは俺の知っているやつだった。