二人
日永が、昨日から学校を休んでいるらしい。
登校するなりなにがあったのかと問いつめてきたのは、彼女の友人の三橋香だった。眉根を寄せる三橋に、俺はなるべく軽い口調で返した。
「いやー、俺が見たときは普通だったけど」
「メールも返してくれないんだけど。本当に普通だった?」
「体調、悪いようには見えなかったけどな。でも俺はあんまり日永のこと知らないからなー」
「そう。もういいわ」
ほんの二、三秒、たいへん冷ややかな目を俺に向けた三橋だったが、すぐに自分の席へ戻っていった。うわー、怖え。複雑な事情があるとはいえ、事実を教えなかった俺は内心汗だくである。心当たりはある、ありすぎて困る。わけもわからずかぐや姫呼ばわりされて追いかけまわされてるんだ、一昨日も泣いてたし、休みたくもなるって。
チャイムが鳴って、担任が入ってきた。始まったホームルームを聞き流す俺の頭には、最後に見た日永の泣き顔ばかりが浮かんでは消えていく。
その日一日、俺のノートは真っ白だった。
次の日もその次の日も、日永は学校に来なかった。空いた席がやけに目についてしまって、授業の中身なんて頭に入ってこない。ついに放課後、俺は三橋に助けを乞うた。
「日永の家の住所、教えてもらえると助かるなー三橋さん」
「あなた、一回も家の前まで送ってないの?」
「いやいや、住宅街までは送ってるんだって」
疑いの眼差しを向けられたのであわてて誤魔化す。毎回、途中までは一緒なんだけどね。そう、毎度毎度邪魔してくるやつらがいるせいで一度も日永を自宅まで送れてないだけで。むしろ俺がぶっ倒れてるというか。両手を顔の前で合わせて、渋い表情のクラスメイトにお願いする。
「頼むよー三橋サマ。四日も登校してないとさすがに俺も心配になってきちゃってさ」
「変な呼び方するな。うん、私行けないから様子見てきてくれると助かる」
「やった、ありがとな! 今度ジュースおごるわ」
無事日永の友人からお見舞いの許可と家の住所をもらった俺は、颯爽と学校を後にしたのだった。友子と会話した通学路、秋晴と会った道を抜け、初めて住宅街に足を踏み入れた。
まだ夕日の降り注ぐコンクリートの道を進んでいると、ランドセルを背負ってかけぬける小学生の一団があった。サッカーボールを抱えて走る男の子たちは皆、楽しそうだ。
俺たちの気色悪い鬼ごっことは大違い。
正直、日永に会っても何を話したらいいのかわかってない。昨日一日考えたけど、結局うまい慰め方なんて思いつかなかったから、とにかく会いに行くことにしたんだ。
日永、と書かれた表札の前に立つ。三橋が日永の部屋だと言っていた二階の左側の窓にはカーテンがかかっている。息を吸って、吐いた。ドクドクとうるさくなりだす心臓の音を否応なく聞きながら、俺はインターホンのボタンを押す。押した、押しちゃったぞ。
一、二、三、四、五秒過ぎた。カメラの向こうからの反応はない。どうしよう、ここまで来たはいいけど日永が出てくれない可能性は考えてなかった。そうだよな、三橋と連絡取れない状態なのに最近話すようになった俺が来て出てくれるとか甘い考えだった。明日出直すかなー。
「……ラインくらい交換しとけば良かったな」
「あのー、うちに何か用事ですか?」
「えっ」
気づけば隣に中学生の女の子が立っていて、不審者でも見るような視線をこっちに向けていた。明るく染めた髪を横にゆるく流して、スカートも膝上の長さ、黒いハイソックスの上からのぞく白い膝小僧がまぶしい。薄くだけど化粧もしてるみたいだし、なんというか日永と正反対の派手な女の子だ。
いいや日永が地味ってことはないんだけどさ、日永は清楚系の。そこまで考えて、はっとした。この子いま、うちとか言わなかったか。たしか日永には中学生の妹がいるって。
そうこうしている間にも、俺への中学生の不信感は上昇し続けていたらしく。
「なんですか? 警察呼びますよ?」
「わー! 待って待って。俺日永かぐやさんの友達です! お見舞いにきたんです!」
「お姉ちゃんのぉ?」
弁明は、何故か心底嫌そうな顔で返された。ええ、なんか俺悪いこと言いましたかね?
学生証まで検分されてようやく俺は、日永の家にあげてもらえたのだった。
小さい子がつくったような、ピンク色のネームプレート。プレートがかけられたドアを控えめに二回ノックした。返事はないので、ドアの前にあぐらをかく。息を、吸い込む。
「こんにちは日永。妹ちゃんに入れてもらっちゃった。この前、急には無理って言ってたのに押しかけてごめんな」
うわ、沈黙が耳に痛い。勝手に押しかけて、さすがにちょっとずうずうしかったかな。
「あのさ、日永が学校来なくて三橋が心配してるよ。クラスのやつらも、日永がいないと華が足りないって嘆いてるよ、あはは」
無理やり押し出した笑いは、音のない場所ではものすごくむなしかった。俺、こんなに場を盛り上げるの下手だったのか。ちょっとびっくりだわ。
「俺もさ、日永の笑顔がないと調子出ないっていうか。だってほら、日永はクラスのアイドル的なところあるから」
ドアの向こうからようやく返ってきた日永の声は、ひどく固かった。
「宮野くんも、そう言うんだ」
「や、ちがくて」
「もういや。帰って!」
明日から行くから、今日は帰って。日永から初めて向けられた非難する声に、これ以上話しかける勇気はなかった。
すごすごと引き返した俺の顔を見た日永妹はなにも言わなかった。
翌日の放課後、俺は三橋香に呼び出しを受けた。場所は屋上、立ち入り禁止のはずのそこに腕組みして立つ三橋は、眉間にしわを寄せている。
「あなた、何しに行ったわけ?」
「返す言葉もないです」
「役に立つどころかあの子を追いつめるってなに? 行かせなきゃよかったわ」
期待して損した。失望を隠しもしない無表情の三橋を前にして、今回ばかりは茶化すこともできずにいる。
だって、気になってる女の子にたぶん、嫌われた。泣いて傷ついてる女の子に追い打ちかけるとか、本当になにしに行ったんだろ俺。
朝に日永とは挨拶したけどそれだけど。今日は目も合わせてくれなかった。頭が真っ白になって、一日何をしたのか覚えてない。
落ち込んでる俺を数秒眺めていた三橋は、淡々と続けた。
「で、どうフォローしてくれんの?」
「フォロー?」
「まさか何もしない気だったの? 放置? 能無しかよ」
能無しって三橋、ちょっとひどすぎやしませんかね。なんていま口にしたら追撃を喰らいそうなのでやめておいた。代わりにお互い顔を引きつらせて、妙な空気になった。
言葉の見つからない俺に、三橋は馬鹿にするような笑みを向けた。
「一回拒否されたら、それで終わり? あなたの気持ちってそんなもんなんだ」
「そんなもんって」
「あなたにとってかぐやは、都合のいい相手だったのよね」
かわいいだけの女の子。投げつけられた言葉は、俺の頭に血をのぼらせるには十分だった。
気が付けば、言葉が喉を滑り出ていた。
「簡単に言うよな。何も知らないくせに」
「あなたの事情なんか知らない、興味ない。私はあの子を傷つけたままにするなって言ってんの」
「そんなこと言ったって俺は失敗したんだぞ。もう一回なんてできるか」
歯ぎしりの音がして、三橋が近づいてくる。それから、強くネクタイを引かれて、前のめりになる。眼鏡の奥の、つり上がった目が見えた。
冷え切った遠慮のカケラもない声が、俺の耳を打つ。
「失敗したからなんだよ。ふざけんなクソ男」
「くそって」
「悪いと思ってんなら謝れ。一回振られたくらいで逃げるな宮野いつき」
コンクリートに足音を響かせて、三橋は屋上から姿を消した。一人取り残された俺は、灰色の地面を見つめる。
俺に怒った三橋香は日永かぐやの友人だ。じゃあ俺にとっての日永かぐやは、三橋の言うようにかわいいだけの都合のいい存在なのか。まさか、そんなはずないだろう。
唾を飲み込んで顔をあげれば、オレンジ色の空が視界いっぱいに広がっていた。まだ日はのぼっている。走ればまだ、暗くなる前に彼女と会えるだろうか。そんなことを考えて、俺は屋上を飛び出した。
「待って」
ちょうど自宅前の柵に手をかけていた日永が、振り向く。汗だくで膝に両手をつく俺を見て、ぽかんと口を開けている。家に入る前に見つけられて良かった。
「日永、げほっ、昨日はごめん」
深々と頭を下げる。日永の息をのむ音が耳に届いた。
「もういいよ。それより」
「よくないよ」
まだ少し乱れてるけど、むせるほどじゃない。真っすぐ彼女の目を見つめる。日永の目が苦しそうにゆがめられるのがわかって、ぐさりと胸を突きさされた気分だった。
それでも今度は、話すのをやめない。
「よくない。謝らせて、聞いてくれよ」
「なにを?」
「ちゃんと向き合わなくてごめん。三橋とかクラスのやつらとか、俺言い訳に使ってた」
重い悩みに触れたくなくて、俺はいい加減な言葉ばかりを使ってきた。その場が盛り上がればそれでいいと思って、彼女の不安に気づかないふりで誤魔化してきた。
あげくに薄っぺらい言い訳並べて相手を怒らせるんだから、俺は馬鹿だ。
「俺は、日永と一緒にいたい」
「宮野くん泣かないで?」
もう視界が涙でいっぱいだ、輪郭しか見えない。それでも日永が戸惑っているのは声からわかった。
「アイドルなんて言ってごめん。あいつらのこと、何も話さないでごめん」
自分のことじゃないからって、どこかゲーム感覚だった。当事者の日永からその話を聞いたら、逃げられなくなりそうだった。本当は一番に、彼女と話をしなくちゃいけなかったのに。
「知ってること全部話すから。もういいなんて言わないでよ。これからも、俺と仲良くしてください」
苦しい思いをしようが、俺はまだこの女の子のそばにいたいんだよ。
クスリと笑う気配がして、目元をハンカチで拭かれた。気づかないうちに近くにきていた日永が、手を伸ばしている。それからティッシュを差し出されたので、恥ずかしながら鼻をかむ。
濡れたハンカチを俺の手のひらに置いて、その上から包むように柔らかい手が置かれた。
「ありがとう、嬉しい」
「はるふじ」
「私も、ごめんなさい。ちゃんと話せば良かったのに何も言わなかったね」
目を伏せて、言いにくそうに話す日永。日永のせいじゃないよ、俺が無視してたから言いだせなかったんじゃないか。
「みんな、かわいいって言ってくれる。でも私、嬉しくなかったの」
「えぇ、なんで? 日永かわいいじゃん」
考えなしに疑問をぶつけた俺に、彼女は唇を尖らせた。
「だってそのせいで妹とは喧嘩しちゃうし、友だちとは変にこじれちゃうし、良いことなしだよもう」
日永にそんな悩みがあったなんて考えもしなかった俺は面食らう。だってかっこいいとかかわいいとかって、皆がうらやましがるもんだからいいことだと思ってたし。
「それでね、私友だちって少ないの。こんな私で良かったら、これからも仲良くしてください」
「そんなのもう、喜んで」
照れ笑いを浮かべる日永に、俺の心臓は爆発するかと思った。




