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感情が字幕で見える俺には、彼女の本音だけが読めない  作者: たら


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第二話 普通のふり

 二日目の教室は、昨日より五センチくらい広くなっていた。


 体感の話だ。昨日は誰もが少し縮こまっていて、机と机のあいだに見えない壁があった。今日はそれが少し溶けている。後ろの席の男子二人がすでに笑い声を上げていて、廊下からも似たような声が聞こえてくる。


 恒一は自分の席に鞄を置いた。窓の外では朝のケヤキが風に揺れていて、葉の裏側が白くなっている。


 朝倉澪の席はまだ空だった。


 別に待っているわけじゃない。そもそも字幕のことを考えていただけだ。昨日一日で朝倉から出た字幕を、電車の中でも、夕食のあとでも、ふとしたときに並べていた。近づくと終わる。名取くんとはだめ。こっち見ないで。でも話したい。順番に並べてみても、あいだをつなぐものが何もない。感情の断片だけあって、理由がない。


 ああいう並び方をする字幕は、今まで見たことがなかった。


 久我が来た。鞄を引っかけながら「おはよ」とだけ言って、スマホを見始めた。字幕には『眠い』とだけ出ている。会話しなくていいやつだ、という判断をして、恒一もプリントを出した。


 八時二十分を少し過ぎたころ、朝倉が入ってきた。


 牧瀬由奈と一緒だった。昨日、女子グループの真ん中にいた子だ。二人で何か話しながら歩いてきて、朝倉は自分の席の前で鞄を下ろした。


 笑っていた。昨日の下駄箱とは別の顔だった。声は小さくて聞こえなかったが、牧瀬が何か言うたびに少し口元が動く。


 字幕は『普通にやろう』と出ていた。


 朝倉が牧瀬と話しているあいだ、字幕はあまり変わらなかった。『大丈夫そう』『このくらいなら』。普通の入学二日目の字幕だ。昨日の乱れ方がうそみたいで、恒一はそのことを少し考えた。


 自分の見間違いだったとは思わない。ただ、昨日の字幕と今日の字幕が、同じ人間から出ているとは思えなかった。


  *


 午前中は三時間授業があって、そのあとホームルーム


 二時間目と三時間目のあいだの休み時間、前の席の女子が「消しゴム貸して」と言ってきた。プラスチック消しゴムを渡しながら、少し後ろを見た。朝倉は牧瀬と話してて、今度は後ろの席の子も加わって、三人でプリントを見比べている。


 ノートの取り方の話らしい。朝倉が自分のノートをひっくり返して見せると、二人が覗き込んだ。朝倉の字幕は『うまくいってる』と出ていた。


 そこまで見て、恒一は前を向いた。


 普通にやろうとしている、ということはわかった。昨日より自然に話せている。朝倉澪はそういう人間で、昨日の下駄箱は単純に初日の疲れか何かだったのかもしれない。


 休み時間が終わる前に、朝倉がノートを二人に返しに行った。


 机の横を通るだけだ。恒一の席の前を通って、自分の席に戻るだけの距離だった。

 字幕が変わった。


 『近い』


 通り過ぎた。それだけだった。恒一は板書の続きを書きながら、その一語を頭の端に置いた。近い、というのは物理的な話だ。机と机のあいだは五十センチもない。でもそれを言うなら、他のクラスメイトが横を通るときも同じ距離だ。


 恒一に対してだけ、近さが別の意味を持っている。


 三時間目の授業は国語で、教科書を音読する場面があった。朝倉の番が来たとき、声が少し低くなった。教室の後ろまで届く大きさで読んでいたが、どこか平坦だった。字幕は『終われ』とだけ出ていた。


 読み終わって、次の人に渡る。朝倉はページを繰りながら視線を落とした。そのとき一瞬だけ、視線の端が恒一の方に動いた。恒一が気づいたとき、朝倉はもうテキストに目を戻していた。


 字幕。

 『顔に出るな』


 恒一にはわからなかった。


 授業が終わって昼休みになった。机を動かす音、椅子が床をこする音、一斉に声の高さが上がる。教室が一段うるさくなる。


 久我が「飯、どこで食う?」と聞いてきた。


  *


 教室の端、窓際で弁当を広げた。


 久我はからあげを箸でつまみながら、クラスの話をした。どいつが面白いとか、あの先生は当たりっぽいとか、部活どうするかとか。恒一は適当に返しながら、米を口に入れた。昨日と同じ弁当だ。卵焼きが少し甘い。


 「朝倉さんってさ」と久我が言った。


 「何?」


 「気になる?」


 「別に」


 「嘘つくのはやいな」


 「観察してるだけだ」


 「それが気にしてるってことだろ」


 久我は特に追及する様子もなく、ペットボトルの蓋を開けた。


 「まあ感じいいよな、普通に。牧瀬とすぐ仲良くなってるし」


 「そうだな」


 「でもなんか、おまえのこと見るとき微妙に顔が違う」


 恒一は箸を止めた。


 「見てるのか」


 「俺じゃなくて朝倉さんがだよ。おまえのこと見るとき、ちょっとだけ動きが止まる。気のせいかもしれないけど」


 久我の字幕には『当たってると思う』と出ていた。大して深く考えていない。観察眼はあるが、それ以上の意味を乗せていない。


 「そうか」


 「うん。まあ、なんとなくな」


 それで話は終わり久我はすぐ別の話に移って、昨日見たという動画の話を始めた。恒一は相槌を打ちながら、弁当の続きを食べた。


 朝倉は牧瀬たちと廊下の方で話していた。こちらに背中を向けた位置だ。字幕は見えない。


  *


 午後の授業が終わってから、ホームルームまで少し時間が空いた。


 教室は半分くらいの人間が残っていて、残りは廊下や他の教室に出ていた。恒一は席でプリントを整理していた。窓から西日が入ってきて、床に黄みがかった四角が落ちている。チョークの粉のにおいが少し残っていた。


 「あの」


 声がした。


 朝倉澪が机の横に立っていた。五十センチくらいの距離だった。


 「昨日の数学のプリント、余分にもらってたんだけど、これ名取くんの?」


 白いプリントを一枚持っている。右端に「名取」と書いてあるのが見えた。


 「あ、そうかも。ありがとう」


 「うん」


 受け取るとき、手の端が少し触れた。朝倉の指先が右端を持っていて、恒一が左から取った。一瞬だけ、紙越しに数センチの距離だった。


 字幕。

 『だめ』

 『普通にして』


 朝倉はプリントから手を離して、一歩下がった。動作に不自然さはなかった。


 「ありがとう」ともう一度言った。


 「いや、持ってきてくれて助かった」


 「たまたま見えたから」


 「そっか」


 会話が終わった。終わって、朝倉が自分の席に戻ろうとする。恒一はプリントを机に置いた。


 そのとき朝倉が、三歩歩いたところで少し足を止めた。向き直るわけじゃない。止まっただけだ。


 字幕が出た。


 『なんでこの人だけ』


 それから歩き出した。席に着いて、隣の牧瀬と何か話し始めた。笑っている。声が届かない距離だったが、口元だけは見えた。


 恒一はプリントを見た。


 自分の名前が、右端に書いてある。朝倉が名前を確認して、席まで持ってきただけだ。

 でも『なんでこの人だけ』という字幕が、朝倉から出ていた。


 字幕はいつも断片だけで、前後がない。

 文脈が来ない。残るのは、短い言葉だけだ。


 ホームルームのチャイムが鳴った。担任が入ってきて、椅子が鳴って、教室の声が下がった。


 恒一はプリントをノートに挟んだ。


 ノートの横を通ったとき。音読のあと、視線が触れたとき。プリントを返してきたとき。短いのばかりだった。けれど全部、距離が縮まった瞬間にだけ出ている。


 担任の声が始まった。連絡事項を読み上げている。恒一は手帳を開いて、書くことがあれば書くつもりで待った。


 朝倉の方は見なかった。

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