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団地の怪  作者: 佐良夏生
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学食にて 2

「あ、はい。まず、先生が呟いていた『田中河内介の最後』という言葉が気になっていて」

「ああ、それか。それは、石田くんの問題には直接関係ないな。僕がね、似てるなと思っただけだから」

「似てる、というのはどういうことですか?」

 小松は視線を右上に投げ、うん、とひとり頷いている。

「石田くん、いつも同じところまで話すと、また最初に戻って話を始めていただろう? それから、語ってはならないと口止めされたとも言っていた。その辺りがね、昔の怪談話にそっくりなんだ。その怪談話の名前が、田中河内介の最後という名前なんだけどね」

「へぇ、そうだったんですね。じゃあ、幸代に口止めした人が、そのお話になぞらえているんですか?」

「どうかな。そもそも、石田くんが話を繰り返していることが、偶然なのか必然なのか分からないから、判断のしようがない。まあ、それは僕の感想だからそう重要なことではないよ」

 授業と違い、小松の一方的な語りを聞いているわけではない。自分の言葉に、小松が返事をくれる。それは非常に嬉しいのだが、内容が内容だけに素直に喜べない。

「先生、あれで終わったと思いますか?」

「それは……ちょっと難しい質問だね」

 ううん、と小松は唸ってカップを傾ける。その反応からすると、どうやら幸代の状態は楽観視できるものではないようだ。チャイムが鳴って昼休みが終わり、生徒や教職員が各々の持ち場へと帰って行く。まりあはといえば、都合よくこの後の授業が休講となっているから、小松と話し合う時間はあるのだ。

「石田くんがこっくりさんをやって、何らかの出来事に巻き込まれているのは間違いないだろう。ただ、巻き込んでいる側の意図はさっぱり分からないからね、終わっているのかどうなのかは判断できない。それから、何かには会ったんだろうけど、その後の石田くんの症状は、どちらかというと過度な心理的負担からくるものだと思う。今後もしかしたら、石田くんには心的外傷を和らげる治療が必要になるかもしれない」

「それは、カウンセリングとか……そういった治療ということですか?」

「そうだね。まあ、経過をみながら必要であれば、ということだけど」

「じゃあ、もしかして……美帆さんが亡くなったという話は本当ってことですか」

「その可能性が高いだろうね」

「そんな……」

 事態は思っているよりよくないようだった。

 小松は、幸代が「何らかの存在」に会った前提で話をしている。それはつまり、幸代の思い込みや認識の齟齬といったことでは片付けられない案件だということだ。テレビや雑誌で、夏になる度に特集されているケバケバしい内容が思い起こされる。お祓い、霊能者、お札、そういった類の単語が、赤い古印体で踊っている表紙が脳内をちらつく。

「僕はそういったものが好きで、怪異現象や民話を蒐集している。君も知っているから、こんな相談を持ちかけてきたんだろうけど、残念ながら僕にはお祓いをしたりするような能力はないし、アテもないんだ」

 小松の言葉に息を飲む。怪異に詳しくないまりあにとって、頼みの綱は小松だけだった。幸代が怪異現象に巻き込まれている可能性は高いが、それを何とかする手立てがない。拙い知識しかないまりあには、それだけでお手上げ状態だった。

「どうしたら、助けられますか……」

 力なく呟いた言葉が、真っ白なカフェテーブルの上で空虚に転がった。ぼんやりと見つめる先のカップの中身は、もうほとんど残っていない。それは、いつ小松が席を立ってもおかしくないということだ。

「少しずつ、情報を集めていこう。こういうことは、ひとつボタンを掛け違えてしまうだけで、何が起こるか分からない。彼女の様子を気にかけつつ、ひとつずつ、今わかっていることを調べていくというのはどうかな」

 俯いていたところへ、柔らかな低音が聞こえてくる。小松は席を立たず、こちらへと解決策を授けてくれた。それだけで救われたような気持ちになる。

 相談をすれば、劇的に解決すると思い込んでいたわけではない。だから小松の提案は、もっともだと思われた。可能性を検証し、ひとつずつ消していく。大学の研究の手順とも同じ、地道な努力こそが大事だということなんだろう。

「先生、私はまず、石田さんにこっくりさんをやった時の状況などを詳しく聞いてみますね」

「うん、そうしてみてくれるかい。僕の方も、少しだけ気になる言葉があったから、それを調べておこう」

「はい!」

「進展があれば、LINEで報告し合うことにしようか。よし、授業があるから、僕はそろそろ行くよ。無理はしないこと。いいね」

 そう言いながら小松は席を立つ。まりあも慌てて席を立ち、感謝を込めて頭を下げた。 

 トレーを持って席を立った後ろ姿を最後まで見送っていると、頰は熱いし、どんどん目が潤んできてしまう。緊張した。入試よりも、バイトの面接よりも、欲しいものを父親におねだりするよりも、何よりも緊張した。

「先生……小松先生」

 ラインで報告し合おう、そう少し笑って言ってくれた小松の声が、まりあの中でずっとこだましている。恋って凄い。自分が一等嫌いなオカルトが大好きな人のことを、こんなにも好きになるなんて。

 しかし、小松が去ってしまうと、気持ちにひたひたと侵食してくるのは幸代のことだ。友人が死んでしまった、というのは本当だろうか。もし本当だとしたら、今、彼女はひどく心細い思いをしているだろう。友人として彼女にしてあげられることはなんだろうか。

 ぐるぐると思考が頭を駆け巡り、トレーに乗せたアイスコーヒーの中身をストローで同じくかき回す。答えの出ない問いがこんなにもしんどいのだということを、まりあは初めて知ったのだった。

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