学食にて 1
「先生、隣、いいですか?」
努めてさり気なく、と秋月まりあは笑顔を浮かべて声を掛けた。ぼんやりとカレーを食べていた小松斎一郎は顔を上げ、こちらを認めて頷きをくれる。
───断られなかった!
たったそれだけの事で、こんなにも心が浮き立つ。
片思いの相手だった講師の小松と、苦手な怪異事件とはいえ接点を持つことができたのだから、それを逃す手はない。もちろん、幸代のことを相談に乗ってもらうことが第一目標ではある。けれど、自分の苦手なことと真っ向からがっぷり四つに組んでやり合うのだから、多少の下心は許して欲しい。誰に気兼ねするわけでもないのに、まりあは自分の心の中で言い訳しながら、不自然にならないよう細心の注意を払って小松の隣の椅子を引いた。
女子大の学食はカフェテリア風の白を基調にしたモダンな内装で統一されている。壁を大きく切り取って設えられた窓から、太陽の光が燦々と降り注いでいた。建て替えられたばかりの店内は、新しい木の匂いがして清々しい。ここは生徒にも大学職員にも人気の学食だ。店内が洒落ているばかりでなく、低価格で美味しいという学食らしい魅力も持ち合わせている。
三十路で、あまり服装にこだわりのないような小松は、どうにもそこでは異質の存在である。ベージュのチノパンに、白い開襟シャツ、羽織っている濃紺のカーディガンは使い込んでいるのか襟や裾がよれよれだ。髪は少し長めの、よく言えばマッシュルームカット。肌はフィールドワークで歩き回っている割りには色白で、痩せ気味で背が高く、彫りの深い端正な顔立ちなのに、何故かあまり印象に残らないという不思議な印象を持った男だった。
そこは恋する乙女、まりあにとっては小松のそんなところも「先生、素敵」と脳内変換されるわけだ。恋愛というものは、つくづく正常な判断を人から奪ってしまう。
「あの、先生。昨日の話なんですけど」
ほんのりと頬を赤らめて話を切り出すと、先に食事を終えた小松はコーヒーカップに手を伸ばしたところだった。
「ああ、そうだったね。友人はあれから大丈夫だったの?」
「はい、特に問題ないみたいです。今朝もLINEがきてて、昨日はごめんねとありました。体調も問題ないと書いてありましたし」
「そう、それはよかった。しかし、あれで終わりとも思えないから、十分注意するように伝えてくれるかい。何か問題があれば、すぐに教えて欲しい。秋山くん、」
「あの、まりあです。秋山って同じクラスにもうひとり居ますから」
「そうだっけ? じゃあ、まりあくん。ふるふるしようか」
───ふるふるしようかって!
先生可愛すぎでしょ、と叫びたい気持ちを押し込め、食い気味に頷く。こちらを見るタレ目が柔くたわんで、その目尻に寄った皺すら愛しく感じる。恋って凄い、とまりあは心の中で改めて感心してしまう。
緊張する指先が小刻みに震えて、端末が上手く操れない。それに比べてカップに口をつけながら、片手で端末を操作する小松が少し憎らしい。きっとまりあのことは、どこにでもいる教え子のひとりとしか思っていないことが、その余裕のある態度でわかるからだ。
「準備いいかい?」
「あ、待って、先生。ちょっと、上手くできなくて」
「貸してごらん」
「……え?」
手の中の端末が突然さらわれる。
まりあの手には大きなそれも、小松が持てば手の中で窮屈そうだ。目の前でフリックとタップを繰り返す男らしい筋張った指に、鼓動が早まっていく。
「はい、できた。ふるふるして」
「はい!」
小松の端末と自分のそれを一緒にふると、画面にアカウントが表示された。アイコンは筆で描いたような気味悪い妖怪の絵だから、小松のアカウントで間違いない。相手の端末には、自分が精一杯盛って自撮りした写真のアイコンが表示されているはずだ。突然の出来事に、頰が熱くて仕方ない。
「はい、これでラインが繋がったね。何かあれば、いつでもこれで連絡してくれるかい」
「はい、分かりました。それから、先生、あの……昨日のことで、石田さんのことで相談したいんです」
まりあはずい、と身を乗り出した。確かに恋も大事だが、一番は友人の幸代の相談だ。メインの目的を達成できなければ、小松とラインで繋がったことが後ろめたくなってしまう。
「ああ、かまわないよ。僕も彼女のことは気になっていたしね。今から一時間ほど、ちょうど空き時間だ。それで、何が気になるの?」
こちらに確認をしてくれるようなゆっくりとした口調に、しおれていた気持ちがまたぐんとひまわりのように伸び上がって小松の方へ向く。口の端をほんの少しだけ上げただけの笑い方が好きだ。もっとも苦手としている怪異現象を相談する勇気が湧いてくる。




