第三十一話 双月への絶叫(ジン:第一章最終話)
葛城陣がこの世界に来てから、すでに一カ月が経過していた。
警備隊本部第一小隊区画は、いつになく浮ついた空気に包まれている。 武具庫の油の匂いと書類の埃っぽさが染みついたこの部屋に、場違いなほど華やいだ拍手が響く。
窓から差し込む昼の光の中、葛城は柄にもなく背筋を伸ばして立っていた。 目の前には、白髭を撫でつけたランドルト・バーグから、差し出された一枚の証書を受け取ると、羊皮紙特有のごわつきと、まだ乾ききらないインクの匂いが指先に伝わってくる。
「おめでとう。 ジン。 警備隊員資格合格だ」
豪放磊落なその声には、いつもの茶化すような響きがなく、代わりにどこか誇らしげな温もりが滲んでいた。
「おめでとうございます! ジン!」
ルカが両手を叩いて飛び跳ねる。 碧い瞳は潤んでいて、今にも泣き出しそうなのを堪えているのが丸わかりだった。
「よかったな! ジン」
太い腕が容赦なく背中を叩く。 ガーウィンの祝福は、いつも通り力加減というものを知らない。
「げほっ……お、おう……ありがとよ」
思わず咳き込む葛城の様子に、周りからどっと笑いが起こる。
壁際で腕を組んでいたオーウェンが、耳の穴に指を突っ込みながら、ぼそりとぼやいた。
「まぁ なんだ 経験積むのはこれからだがよ」
褒め言葉には程遠い口ぶりだったが、その目はまっすぐに葛城を見据えていた。 認めた者にしか向けない、あの不愛想な小隊長なりの流儀だと、この一月でようやく葛城にもわかるようになっていた。
「でも、まぁ いらっしゃい 第一小隊へ」
書類の束を小脇に抱えたセリーナが、柔らかく笑ってそう締めくくる。
イレインは静かに小さく頷き、コリンは早くもこの瞬間を記録帳に書き留めようと忙しくペンを走らせていた。 フィリップが如才ない拍手を送り、隅では見習いのトムが目を輝かせ、リゼットはニヤリと黙って自分の席に座っている。 いつもは取り付く島のない書記のドロシーも、この時ばかりは眼鏡を取って、こちらを見ていた。
ノーラも尻尾を機嫌よく揺らしながら、遠くから茶々を入れてきた。
「かつらぎっちょ! 使い倒してあげるからぁ 覚悟しててぇん」
ランドルトが咳払いを一つ挟み、部屋を見渡してから続けた。
「これで正式に、ジンは第一小隊の一員だ!」
葛城が渡された銅色の協力者バッジをポケットから取り出すと、代わりにランドルトの手から、警備隊員の証たる銀色の徽章が手渡される。ずしりとした重みが、掌に染み込んでくるようだった。
「肩書きが変わったからって、やることは変わらねぇ。事件を追って、街の連中を守る。それだけだ」
「ああ……肝に銘じとくよ」
葛城は銀の徽章を握りしめ、静かに頷いた。
――異世界に転がり込んでから、ひと月あまり。 雨に濡れた路地裏で死体を前に立ち尽くしていたあの日から、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
感慨が込み上げてきて、葛城は思わず目頭が熱くなるのを誤魔化すように、咥えなくなって久しいポケットのパイポの空ケースを指先で弄んだ。
・・・・・
「闇の爪」ルミナス支局を壊滅させたその日、警備隊本部に捕獲した容疑者達と共に戻ると水を差すような一報が走った。 地下牢で投獄していたヘレナ、コルト、そしてヴェロニカの三人が、地下牢から忽然と姿を消していたのだ。 見張りに立っていた隊員二人は昏倒させられていたが、いつ、どうやって気絶させられ、どうやって牢の外へ出たのか、まるで見当がつかない。 外部からの手引きがあったことは疑いようもなかったが、痕跡らしい痕跡は一つも残されていなかった。
その二日後、魔術師ギルドの協力によって、ザハールが所持していたタロットカードがすべて無効化されたという報せが届いた。 どのカードが誰の「死の刻印」に対応していたのかまでは特定できなかったが、悪用される危険を考えれば処理は急務だった。 これでコルト、ヘレナ、ヴェロニカは、少なくとも遠隔から命を握られる恐怖からは解放されたことになる。
その翌日には、ルミナスの街をナルデニアン男爵家失脚のニュースが駆け抜けた。 モントブラン家とアッシュフォード家が手を組み、商会長夫妻殺人教唆の動かぬ証拠を評議会の場に突きつけ、ナルデニアン家をついに罪状の承認へと追い込んだのだという。 街の噂好きな行商人たちは、その顛末を面白おかしく語り合っていた。
さらに数日後――街道沿いに、無人のナルデニアン家の馬車が乗り捨てられているのが発見された。 車内は荒らされていたものの、血痕の類は一切見当たらない。 それを最後に、ナルデニアン一族の姿を見た者は誰一人としていなかった。
そしてまたその数日後。 王都のパルテナ神殿での裁判に向けて護送されていたザハール一味の馬車と、それを守る正規の騎士団が、道半ばで囚人たちを乗せた馬車を見失ったという一報が届く。 戦闘らしい戦闘はまったくなかったらしいという噂だけが不気味に街を漂った。 護送を担っていた騎士たちは、気がつけば見覚えのない道を歩いていて、いつの間にか馬車を見失っていたと語ったという。 まるで白昼夢でも見せられていたかのような、奇怪な証言だった。
闇の爪ルミナス支局は表向き壊滅したというのに、その手綱を引く何かは、依然として街の裏側に息づいている。 葛城はその報せの一つ一つを聞くたび、拭いきれない薄気味悪さを胸の奥に飼うことになった。
それに、ザハールのあの言葉......。
・・・・・
合格祝いも兼ねて、合格通知を受けたその夜、葛城達は繁華街の酒場「黒葡萄亭」の個室を借り切っていた。 集まったのは第一小隊の面々とランドルト、第三小隊から顔を出したトバイアスとサイラス、それに武具庫のグスタフと医療班のミアまで加わった、賑やかな顔ぶれだ。狭い個室に長机を寄せ集め、湯気の立つ肉料理と安酒の匂いが充満している。 ドロシーは相変わらずこういった集まりには顔を出さなかった。
「ほれ、遠慮なく食え! 今日はジンの奢りだからな!」
ガーウィンが景気よくジョッキを打ち鳴らす。
「いや、誰が奢りだと決めたんだよ……」
葛城のぼやきは、乾杯の掛け声にあっさりかき消された。ランドルトが立ち上がり、太い声で音頭を取る。
「よし、貴様ら! 今日は無礼講だ! ジンの正式加入祝いだ!」
「「「乾杯ーーッ!」」」
ジョッキがぶつかり合う音と歓声が個室に反響した。
「証拠品を雑に扱う奴には容赦しねぇが、今日ばかりは別だ。まあ飲め」
グスタフが太い腕で葛城のジョッキになみなみと酒を注ぐ。
「かつらぎっちょ、正式に第一小隊入りとかマジ感慨深いじゃん」
ノーラがからかうように肘で小突いてくる横で、トムが目を輝かせながら身を乗り出した。
「ジンさん、俺、絶対に負けませんから!」
「お、おう。気合は買うけど、まずは足元見て歩けよ」
その隣でトバイアスがにやにやと囃し立てる。
「ルカ、良かったな。同期のよしみで今度自慢話聞かせろよ」
「な、なんで私に振るんですか……」
ルカが慌てて言い返す一方、少し離れた席ではサイラスが如才ない愛想笑いを浮かべながら、それでいてどこか目を伏せがちに酒を舐めていた。 フィリップが場を取り持つように話を振り、コリンは酔いながらも今日の出来事を几帳面に記録帳へ書きつけ、イレインは相変わらず静かに口元だけで笑っている。
リゼットが素の伝法な口調でグスタフに絡み、ミアは負傷者の絶えない毎日に苦笑しつつ、こういう賑やかな夜こそ何よりの薬だと目を細めていた。
「ジンさんも、うちの隊に慣れたらいい男紹介してくださいよぉ」
「無茶言うなよ、ミアさん……」
どっと笑いが起きる。
串焼きの煙が個室いっぱいに漂い、香ばしい匂いに誘われてお代わりの声があちこちから飛ぶ。
「なあなあ、あの護送馬車の件、結局どうなったんだろうなぁ」
トバイアスが軽い調子で口にした話題に、一瞬だけ座が静まる。
「今夜くらいは、辛気臭い話はなしだよ」
ノーラがぴしゃりと言って場をなだめ、リゼットが素の伝法な口調で「今日辛気臭い話をする奴はぶっ飛ばすぞ!」と合いの手を入れると、また笑いが戻ってきた。 イレインがふっと口元を緩め、コリンの手からこぼれた酒を素早く布巾で拭ってやる。
「そういや医療班も大変だったろ、この一月」
グスタフが労うように声をかけると、ミアはくすりと笑って杯を傾けた。
「ええ、本当に。おかげさまで、寝る間も惜しいくらいでしたよ。 でも――こうして皆で笑って飲めるなら、悪くない夜です」
夜が更けるにつれ酒精も回り、談笑と歌声が個室からこぼれ出していく。
* * *
楽しいひと時はあっという間に更け、酔い覚ましを兼ねてルカと二人、酒場のベランダで夜風にあたっていた。 個室の喧噪が扉一枚隔てて遠くぼんやりと霞んで聞こえる。 見上げれば、大小二つの赤と青の月が並んで街並みを青白く照らしていた。 頬に触れる夜風は火照った体に心地よく、ルカも酔い覚ましのつもりか、両手で頬をぱたぱたと扇いでいる。
「ジン。 あたし……いえ、私。 師匠と一緒ならやっと前に進めそうです」
ルカが夜風に髪をなびかせながら、ぽつりと呟いた。
「俺は大したことしてないよ。 前に進めるのはルカの強さの現れさ。 だから俺に気を使う必要なんかない。 どちらかというと助かったのは俺の方だ。 お陰でほら」
葛城は身に着けた警備隊の制服をみせた。
「馬子にも衣装って奴だな。 ちょっとお腹のあたりがきついが」
ルカがクスリと笑う。
「鍛えないとですね」
「お手柔らかに」
二人で笑う。他愛のないやり取りに、この一月の激動が少しだけ和らいでいく気がした。
と、葛城の視界に、繁華街を歩く一人の男の姿がスローモーションのように滑り込んできた。
整った顔立ち、隙のない身のこなし、雑踏の中でもなお崩れない優雅な足取り――。
(――まさか)
全身の血が、一瞬にして沸き立った。 指先が震え、心臓が早鐘を打つ。
血相を変えて駆け出す葛城に、皆が驚いた声をかけるが、それらを無視して酒場を飛び出し、人込みの中へと躍り出る。
夜の繁華街は昼と変わらぬ賑わいで、屋台の湯気と客引きの声、酔客の笑い声が渦を巻いている。 肩がぶつかり、荷物を抱えた行商人に舌打ちされても、葛城はその人影を探す。 息が上がり、制服の胸元が汗で貼りつく。
ベランダからルカが身を乗り出して叫んだ。
「ジン! どうしたんですか?」
「居たんだ! あいつが! 佐伯蓮が! ここに!」
人波をかき分けながら、葛城の脳裏でこれまで繋がらなかったピースが一息に噛み合っていく。
(裏に居たのはアイツだ。このやり方――佐伯のやり方とそっくりじゃないか。 なぜ今まで気づかなかった……! 鮮やかすぎる筋書き、消えた証拠、そして忽然と消えたヘレナたちの一件……そのすべてに、あの男の匂いがする)
どこだ佐伯! 何処にいる!
繁華街の喧噪の中、葛城は肺の底から声を絞り出した。
「佐伯! お前は! お前は俺が捕まえる! 必ずだ!」
葛城は繁華街の人込みの中、双つの赤と青の月に向かって、そう絶叫していた。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。
この話はきりが良いのでここで一旦ストップします。 回収していない伏線は沢山あり、闇の爪の残りの四天王やボス、ランドルトの過去など、書きたい事はありますが、まだ話として線になっていないので、アイデア待ちな状況です。 ネタを繋げていくだけだと、話として盛り上がらないので、起承転結を考えて、面白くなるように工夫したいと思います。 ここまでの内容で、ここっておかしいんじゃない?とか、ここってこう書いた方がカッコいいとか通じるとかありましたら、ぜひぜひコメントで教えてもらえると励みになります。 それでは、また。




