その聞取に、見習い侍女の名前は要りません
翌日。
王宮文書取扱規定補則第八《おうきゅうぶんしょとりあつかいきていほそくだいはち》の施行四日目。
予定表には、朝から茶会の文字があった。
王妃陛下茶会配席調整。
庭園式典雨天案確認。
南門修繕中の来客導線変更。
ノエルが、最初の行を見て、羽根ペンを止めた。
「茶会は、席が一つ動くだけでも大変ですね」
「はい」
私は予定表を開く。
「席次、日除け、給仕動線、侍女配置、医務上の配慮。全部つながります」
「ただ座るだけではない」
「ただ座るだけの席は、王宮にはほとんどありません」
ベネット卿が決裁印の箱を開けた。
「席は、誰かの体調も、身分も、動線も持っている」
午前八時四十分。
王妃陛下秘書官室から封書が届いた。
ノエルが受付簿を開く。
「差出部署、王妃陛下秘書官室。件名、王妃陛下茶会配席調整について。受付印あり。回議番号あり。封緘あり」
ベネット卿が封緘を確認し、開封する。
文面は短かった。
本日午後、王妃陛下茶会を予定。
招待客一名について、日差しおよび香料に関する配慮申出あり。
日程室は、日程、配席、導線上の確認に限り対応すること。
確認事項。
一、配席変更が王妃陛下導線と交差しないこと。
二、医務上の配慮は、宮内医務室管理情報に基づくこと。
三、侍女、給仕、見習い等の職員個人へ、記憶確認、感想照会、直接聞取を行わないこと。
四、聞取が必要な場合、所管部署の記録責任者を通じて行うこと。
私は三つ目で手を止めた。
見習い等の職員個人へ。
もう、対象は私ではない。
「今日の主眼は」
ベネット卿が尋ねる。
「配席調整と、職員個人への直接聞取の防止です」
「茶会係は何を出してくる」
「おそらく、昨日対応した侍女へ確認したい、と」
「だろうな」
ベネット卿は淡々と頷いた。
「記憶は、便利な証拠にされやすい」
午前九時五分。
王宮茶会係から封書が届いた。
ノエルが受け取る。
「差出部署、王宮茶会係。件名、王妃陛下茶会配席変更に関する照会。受付印あり。回議番号あり。封緘あり。宛名は王宮儀典日程室統括官」
ベネット卿が開封する。
私は本文を受け取った。
王宮茶会係より、王宮儀典日程室へ。
本日午後の王妃陛下茶会につき、招待客である北庭侯爵夫人より、昨日、日差しおよび香料に関する配慮を口頭で受けたとの報告あり。
当該口頭申出は、給仕見習いイーリス・ベルが受けたものと聞く。
念のため、同見習い侍女本人に、申出の詳細を直接確認したうえで、配席変更の可否を判断したい。
変更案。
北列三席より、東屋側二席へ移動。
香料付き花器を卓上より撤去。
以上。
悪意はない。
むしろ、丁寧に見える。
けれど、線は越えていた。
「分類しなさい」
ベネット卿が言う。
「王宮茶会係発、王妃陛下茶会配席変更に関する照会です」
「問題は」
「給仕見習いイーリス・ベル本人への直接確認を求めています。口頭申出の詳細を、見習い侍女個人の記憶から取得しようとしています」
「配席は」
「東屋側二席は、王妃陛下の退出導線に近接します。警備確認が必要です」
「医務は」
「日差しおよび香料への配慮は、宮内医務室の配慮区分で扱うべきです。本人や見習い侍女の口頭記憶ではなく、医務室または侍女監督室の記録が必要です」
ノエルが受付簿の余白に、細い仮欄を作った。
聞取記録区分。
所管部署。
記録責任者。
直接聞取可否。
記憶照会可否。
医務情報接続可否。
戻し先。
線は、まっすぐだった。
「返案を起案しなさい」
「はい」
私は羽根ペンを取った。
王宮茶会係宛て。
王妃陛下茶会配席変更に関する照会について。
本件は、王妃陛下茶会における配席、香料撤去、給仕導線、および医務上の配慮に関する案件である。
日程室は、日程、配席、導線上の確認に限り対応する。
ただし、貴係照会本文において、給仕見習いイーリス・ベル個人への直接確認、および口頭申出の詳細に関する記憶照会が含まれている。
職員個人への直接聞取、記憶照会、感想照会は不可。
当該申出について確認を要する場合、侍女監督室の聞取記録、宮内医務室の配慮区分、および王妃陛下秘書官室の導線確認を用いること。
また、配席変更について、以下の記載および確認を要する。
一、変更理由。
二、変更前席次。
三、変更後席次。
四、日差し配慮の要否。
五、香料撤去の範囲。
六、宮内医務室確認。
七、侍女監督室記録責任者。
八、王妃陛下秘書官室導線確認。
九、必要に応じ、王宮警備局導線確認。
十、給仕配置変更の責任者。
東屋側二席への変更については、王妃陛下退出導線との近接可能性があるため、上記確認のないまま使用可否を判断することはできない。
修正のうえ、王宮茶会係名義にて再提出されたし。
以上。
王宮儀典日程室統括官。
ベネット。
起案、実務担当。
王宮儀典日程室。
主任調整官代理。
リディア・クラウゼン。
書き終える。
ベネット卿が文面を読む。
「よい」
「はい」
「見習いの名を消したのではないな」
「はい。照会先から外しました。記録責任者へ戻します」
「よろしい」
欄外に記す。
日程室確認済。
統括官決裁印が押された。
午前九時三十三分。
ノエルが封緘する。
王宮茶会係へ正本。
王妃陛下秘書官室、侍女監督室、宮内医務室、王宮警備局へ写し。
搬送者、ノエル。
ただし、写しは王妃陛下秘書官室の午前茶会小回議へ接続する扱いとし、ノエルは茶会係へ正本を搬入したのち、秘書官室の連絡窓口で配布束への接続を確認する。
「走るな」
「はい。急ぎますが、走りません」
ノエルは早足で出ていった。
午前十時六分。
ノエルが戻ってきた。
「王宮茶会係への正本受領印あり。王妃陛下秘書官室、侍女監督室、宮内医務室、王宮警備局への写しは、午前茶会小回議の配布束へ接続済みです。秘書官室受付簿上で確認しました」
「よろしい」
ベネット卿が頷く。
ノエルは少しだけ口元を引き結んだ。
「茶会係の書記官が、本人に聞くのが一番確かなので、と言いかけました」
「どう返した」
「確かにするのは、本人ではなく記録です、と」
「余計な説明は」
「していません」
「よろしい」
午前十時四十分。
侍女監督室から通知が届いた。
王妃陛下茶会配席変更に関する口頭申出について。
給仕見習いイーリス・ベルへの直接聞取は不可。
昨日の申出については、侍女監督室にて聞取記録あり。
記録責任者、侍女監督補佐。
記録内容。
北庭侯爵夫人より、午後の長時間着席において、直射日光および強い香料を避けたい旨の申出あり。
申出記録は侍女監督室管理。
給仕見習い個人への再照会、感想照会、記憶確認は不要。
私は最後の一行を見た。
不要。
確認印を押す手が、そこで止まらなかった。
午前十一時十分。
宮内医務室からも通知が届いた。
北庭侯爵夫人に関する配慮区分について。
医務室管理情報に基づき、配慮区分は以下の通り。
日差し、配慮要。
強香料、配慮要。
症状名、配席文書への記載不可。
必要措置。
一、直射日光を避ける席。
二、香料付き花器を卓上より撤去。
三、長時間起立を要する導線を避ける。
四、医務情報の詳細は宮内医務室管理とし、茶会係、日程室、給仕個人へ展開しない。
ノエルが、その文面を控える。
「症状名、記載不可」
彼が小さく呟き、聞取記録区分の仮欄へ線を足した。
私は、その線が乾くのを待った。
午前十一時四十分。
王妃陛下秘書官室から、中間承認が届いた。
王宮茶会係の配席変更照会について、日程室返案、侍女監督室通知、宮内医務室通知を踏まえ、王宮茶会係へ修正を求める。
本日午後一時二十分までに修正版を提出すること。
日程室は、修正版の配席および導線確認のみ行うこと。
なお、給仕見習いイーリス・ベル個人への直接聞取、記憶照会、感想照会を行わないことを再確認する。
午後一時二十分。
期限が引かれる。
その線は、茶会の席札よりも先に机の上へ置かれた。
正午。
私は文官携行食を食べた。
無塩の硬餅。
乾燥果実。
水。
ノエルは机上の公文書を避け、自分の席で硬餅を齧っていた。
「見習いの方は、もう呼ばれませんね」
ノエルが硬餅を見つめたまま呟いた。
「はい」
私は水を飲んだ。
「記録責任者が答えます」
それ以上は言わなかった。
食後、水場で指先と口元を洗い、麻布で拭き、机を刷毛で払う。
午後一時十分。
王宮茶会係から、修正版が届いた。
持ってきたのは、王妃陛下秘書官室の持参書記官だった。
直接持ち回り。
午後一時二十分の提出期限に合わせ、日程室の確認印をその場で回収するためだ。
ノエルが受付簿を開く。
「差出部署、王宮茶会係。経由、王妃陛下秘書官室。件名、王妃陛下茶会配席変更修正版。回議番号あり。回議板あり。先行部署、侍女監督室、宮内医務室、王宮警備局確認印あり」
封緘ではない。
回議板の上には、三つの確認印が並んでいた。
ベネット卿が読む。
私も横で確認する。
王宮茶会係。
王妃陛下茶会配席変更修正版。
変更理由、日差しおよび強香料への配慮。
変更前席次、北列三席。
変更後席次、東屋側二席ではなく、南側日除席一。
日差し配慮、要。
香料撤去範囲、当該卓上および隣接卓上の香料付き花器。
宮内医務室確認、済。
侍女監督室記録責任者、侍女監督補佐。
王宮警備局確認、済。
王妃陛下秘書官室導線確認、要最終承認。
給仕配置変更責任者、茶会係副主任。
聞取記録区分。
所管部署、侍女監督室。
記録責任者、侍女監督補佐。
直接聞取可否、不可。
記憶照会可否、不可。
医務情報接続可否、配慮区分のみ可。
戻し先、王妃陛下秘書官室指定窓口。
私は、直接聞取可否の欄を見た。
不可。
そこに、見習い侍女の名前はなかった。
「問題は」
ベネット卿が尋ねる。
「ありません。変更後席次は南側日除席一へ修正。医務室確認、侍女監督室記録責任者、警備局確認、給仕配置責任者あり。直接聞取、記憶照会は不可。手順上、異議なしです」
ベネット卿は確認票へ印を押した。
日程室異議なし。
持参書記官は一礼し、回議板を抱えて廊下へ戻っていった。
午後一時半。
王妃陛下秘書官室の午後定期便により、配席変更承認控えが届いた。
王宮茶会係配席変更、承認。
北庭侯爵夫人席、南側日除席一。
香料付き花器、当該卓上および隣接卓上より撤去。
給仕配置変更、承認。
王妃陛下導線と交差なし。
医務情報詳細、展開不可。
給仕見習いへの直接聞取、不可。
記憶照会、不可。
感想照会、不可。
私は予定表へ記入した。
王妃陛下茶会。
北庭侯爵夫人、南側日除席一。
香料撤去。
給仕見習い直接聞取不可。
午後一時四十分。
茶会係から、配席変更完了の報告が届いた。
席札差替済。
香料付き花器撤去済。
給仕配置変更済。
侍女監督室確認済。
午後二時。
王妃陛下茶会、開会。
午後二時二十分。
王妃陛下秘書官室から、茶会導線中間通知が届いた。
王妃陛下導線、支障なし。
北庭侯爵夫人席、支障なし。
給仕配置、支障なし。
午後三時。
王妃陛下秘書官室から、茶会終了通知が届いた。
王妃陛下茶会、予定通り終了。
配席変更による支障なし。
医務上の配慮、問題なし。
給仕見習いイーリス・ベルへの直接照会なし。
私は最後の行を見た。
直接照会なし。
それは、私の名前ではなかった。
でも、同じ線の上にあった。
午後三時十分。
王妃陛下秘書官室経由で、法務官室から補則第八運用細則追加案の写しが届いた。
追加欄。
聞取記録区分。
所管部署。
記録責任者。
直接聞取可否。
記憶照会可否。
感想照会可否。
医務情報接続可否。
戻し先。
ノエルが、手元の下書きへ静かにペンを走らせた。
「照会先区分の後ろに、聞取記録区分を置きます」
「また広くなりますね」
「はい」
「何のために」
ノエルは少し考えた。
「覚えている人ではなく、記録を持つ場所へ戻すためです」
ベネット卿が横から言った。
「悪くない」
ノエルが真顔で姿勢を正した。
午後三時半。
王妃陛下秘書官室から、補則第八運用細則の追加通知が届いた。
以下の項目を追加する。
聞取記録区分。
所管部署。
記録責任者。
直接聞取可否。
記憶照会可否。
感想照会可否。
医務情報接続可否。
戻し先。
職員個人の記憶、感想、口頭応答を理由として、本人へ直接聞取を行ってはならない。
必要な確認は、所管部署の記録責任者を通じて行う。
私は、その最後の一文を視線でなぞり、確認印を押した。
午後三時四十分。
私は、補則第八施行四日目報告を起案した。
王妃陛下秘書官室宛て。
王宮文書取扱規定補則第八施行四日目報告。
本日、王宮茶会係の配席変更照会において、聞取記録区分欄を試用。
適用件数、一件。
効果。
一、給仕見習い個人への直接聞取を差し戻し。
二、侍女監督室の記録責任者を通じた確認へ修正。
三、宮内医務室の配慮区分を用い、症状名の不要展開を防止。
四、配席変更を日程、導線、医務上の配慮として処理。
課題。
口頭申出、現場応対、見習い職員の記憶等を理由に、職員個人へ直接聞取が向けられやすい。
追加提案。
補則第八運用細則に「聞取記録区分」項目を追加することを提案する。
聞取記録区分欄では、所管部署、記録責任者、直接聞取可否、記憶照会可否、感想照会可否、医務情報接続可否、戻し先を記載する。
以上。
王宮儀典日程室統括官。
ベネット。
起案、実務担当。
王宮儀典日程室。
主任調整官代理。
リディア・クラウゼン。
ベネット卿が読み終える。
「よい」
統括官決裁印が押された。
午後三時五十五分。
ノエルが封緘する。
王妃陛下秘書官室へ正本。
法務官室、王宮茶会係、侍女監督室、宮内医務室へ写し。
搬送簿に記録。
午後四時。
施行四日目報告は、午後連絡便に乗った。
夕刻。
予定表を閉じる前に、私は私的な覚え書きの欄へ書いた。
記憶は、本人から引き出すものではなく、責任ある場所で記録にするものである。
羽根ペンを置く。
窓の外では、夕暮れの光が王宮の壁を淡く染めていた。
昔の私は、覚えている人だった。
あの時、どう言われましたか。
誰が頼みましたか。
何時でしたか。
どう受け取りましたか。
覚えているなら、答えられるでしょう。
そうして、記録のないものまで、私の中から引き出された。
でも今日は、違った。
見習い侍女の名前は、途中で止まった。
彼女の記憶は、廊下へ呼び出されなかった。
侍女監督室の記録が答えた。
医務室の配慮区分が答えた。
茶会係の責任者が答えた。
日程室は、線を引いた。
ノエルが受付簿を棚へ戻す。
ベネット卿が決裁印をしまう。
日程室には、今日も紙の音だけが残った。
私は、予定表の最後を見た。
王妃陛下茶会。
終了。
配席支障なし。
給仕見習い直接照会なし。
その下には、明日の予定。
庭園式典雨天案確認。
南門修繕中の来客導線変更。
外務儀典局との控室割当確認。
いつもの仕事。
私の仕事。
私は予定表を閉じた。
イーリス・ベルへ。
そう書かれた照会は、彼女の机に置かれなかった。
王宮茶会係へ。
侍女監督室へ。
宮内医務室へ。
答えてよい場所へ。
この線は、もう私だけのものではない。




