第六話 飴とムチ
アメリアが心地よい微睡みの中で深い眠りに落ちていくのを見届けながら、ルカは薄暗い寝室で一人、静かに思考を巡らせていた。
……毎日は、アメリアお嬢様の身体がもたないだろう。
規則正しく上下するアメリアから、ルカはそっと視線を外した。昨日と今日の二日間、彼女は『母性』という大義名分の下で、自分の愛撫を受け入れた。しかし、彼女の疲労は限界に達していた。もしこのまま毎日、夜な夜な彼女の寝室を訪れ、過激な快感を与え続けたらどうなるか。
アメリアは底抜けに優しく、世話焼きで、そして鈍感だ。僕が「寂しい」と泣きつけば、自分が倒れるまで耐え忍んでくれるだろう。しかし、それでは彼女の身体が壊れてしまう。それに、あまりに頻度が高すぎれば、いくら鈍感な彼女でも「これは本当にただの甘えなのか?」と、僕の『弟』としての仮面に疑念を抱き、強引に一線を引いてしまうかもしれない。
それは困る。僕が欲しいのは、力ずくで奪った抜け殻じゃない。アメリアお嬢様自身が、僕を求めて手放せなくなることだ。
ルカは、アメリアの柔らかな髪を指先で優しく梳きながら、暗い愉悦に満ちた計画を練り上げた。
――夜の訪問は、週に一、二度に留めよう。
たまに訪れるからこそ、アメリアは「今日は寂しい夢を見たのね」と何の疑いもなく僕を受け入れ、母性を注いでくれる。そして何より、間隔を空けることには、もう一つ重要な意味があった。
一度知ってしまった快感の記憶は、そう簡単には消えないから。
一晩中胸を愛された記憶。腰を執拗に撫で回された熱。それは彼女の身体の中に、見えない『種』として植え付けられた。
僕が訪れない夜、彼女は一人でベッドに横たわりながら、ふとした拍子にその記憶をフラッシュバックさせるだろう。ドレスの擦れ、湯船の温度、あるいは僕が日中に執事として見せるちょっとした気遣い。そのたびに、彼女の身体は勝手にあの夜の熱を思い出すだろう。疼き、僕の『甘え』を、あの強烈な快感を無意識のうちに待ち焦がれるようになるはずだ。
「……んっ……るか……」
アメリアが寝言で小さく僕の名前を呼んだ。ルカは愛おしさに胸を締め付けられ、彼女の額にそっと唇を落とす。
ええ、僕は『完璧な執事』ですから。お嬢様の健康を第一に考えて、ゆっくり、じっくりと、逃げられないように絡め取ってあげます。
ルカが部屋に訪れなくなってから、数日が経った。
「……ふう。これでゆっくり眠れるわね」
アメリアは一人、広くて静かな天蓋付きベッドに潜り込み、ほっと安堵のため息をついた。ルカが「一緒に寝たい」と甘えてきたニ日間は、彼の執拗な愛撫――本人は甘えているつもりなのだろうが――によって朝までほとんど眠ることができなかった。
だから、彼が自分の部屋で一人で眠れるようになったのは、お姉ちゃんとして喜ばしいことのはずだった。
最初の二、三日は、アメリアも泥のように深く眠った。
しかし。睡眠不足が解消され、胸や腰に残っていた『ヒリヒリとした痺れ』がすっかり治まった頃。アメリアの心と身体に、名伏しがたい『違和感』が生まれ始めていた。
「……なんだか、夜が長いのね」
ぽつり、と。誰もいない寝室で、アメリアは呟いた。
静かすぎる。シーツが冷たい。
寝返りを打っても、身体にぴったりとくっついてくる高い体温がない。胸や首筋に規則正しく当たる、温かい寝息もない。一人で眠るベッドは、こんなにも広く、心細いものだっただろうか。
『おかあさん……どこ……』
ふと、ルカが涙声で甘えてきたあの夜の言葉が脳裏をよぎった。
ルカ、今日はちゃんと眠れているかしら。また怖い夢を見て、一人で泣いていないかしら……。
アメリアは胸元にギュッとシーツを引き寄せた。あんなに震えていたのに、無理をして一人で寝ているのではないか。私が「疲れているから」と断ったせいで、迷惑をかけまいと必死に我慢しているのではないだろうか。心配で、胸が締め付けられる。
――しかし。アメリアがシーツの下で無意識に撫でていたのは、ルカに一晩中愛された『胸』だった。
「……ん……っ」
自分の指が触れた瞬間、ビクンと肩が跳ねる。ルカの熱を思い出しただけで、お腹の奥がジンジンと甘く疼き始めた。
だめよ、私……っ!ルカは弟なのに。あの子はただ寂しくて甘えていただけなのに、なんでこんな……っ!
アメリアは顔を真っ赤にして、慌てて胸から手を離した。だが、火照った身体は簡単には鎮まってくれない。今度は、ルカに強く抱きしめられ、執拗に指でなぞられていた『腰のくぼみ』が疼き始める。身体が、細胞が、あの幼い獣の高い体温と極上の愛撫を鮮明に記憶してしまっているのだ。
「はぁっ……ふぅ……っ」
アメリアは息を荒くし、冷たい枕に顔を埋めた。自分がルカの行為に快感をおぼえていたなんて、絶対にお姉ちゃんとして認めたくない。だから彼女は、この狂おしいほどの『渇き』を、無意識のうちに別の感情へとすり替えた。
違うわ。これは、ルカが心配なだけよ。ルカがここにいなくて、私があの子の面倒を見てあげられないから、落ち着かないだけなんだわ……。そう、私はお姉ちゃんだから。あの子に温もりをあげて、安心させてあげるのが私の役目だから。
ザーッ……。
その時、窓の外で不意に雨音が強くなった。アメリアは弾かれたように身を起こした。
雨……。もしかして、雷が鳴るんじゃ……?
ルカは雷が苦手だ。拾われた日の冷たい雨を思い出すからと、昔から雷が鳴るとアメリアのベッドに潜り込んできていた。
今夜、もし雷が鳴ったら。あの子は一人で、真っ暗な部屋で怯えているのではないだろうか。可哀想なルカ。……昔みたいに、来てくれないかしら。私が、ぎゅっと抱きしめて安心させてあげるのに。
いつかのように、控えめなノックが鳴るのを、アメリアは耳を澄ませて待ち続けた。もし今夜彼が来たら、もう「疲れている」なんて言わない。彼が満足するまで、胸でも腰でも、好きなだけ慰めさせてあげるのに。だが、その夜、ルカがアメリアの部屋を訪れることはなかった。
「……ルカ」
結局、アメリアは冷たいシーツを抱きしめ、満たされない身体の疼きと、弟への『心配』という名の執着に苛まれながら、なんとか眠りについたのだった。
ルカが自分の部屋に戻ってから、四日目の夜。
アメリアは一人、静かで広いベッドの上に横たわっていた。
「……今日も、夜が長いわね」
ポツリとこぼしたため息は、暗い部屋に吸い込まれていく。
どうにも、寝付けなかった。頭は冴え、肌は妙に火照っている。あの小さくて温かい毛玉のようなルカと一緒に寝ていたせいで、一人で眠るベッドがひどく冷たく、広く感じられた。
だめね。すっかり、ルカの高い体温に慣れてしまったみたい……。
無意識のうちに、アメリアはシーツを引き寄せ、ルカの匂いを探すように顔を埋めてしまう。しかし、数日経ったシーツからはもうあのお日様のような甘い残り香は消え失せていて、それがアメリアを微かな寂しさへと駆り立てた。
理性を失うような飢えではない。ただ、あの小さな身体に触れられない夜が、ひどく物足りないのだ。
アメリアはシーツを抱きしめながら、必死に思考をすり替えた。
……ルカ、今日はちゃんと眠れているかしら。また雷の夢を見て、一人で泣いていないかしら……。
そうだ。私が落ち着かないのは、あの小さくて可哀想な子が心配だからだ。
そんな風に『姉としての心配』を理由にして、自身の物足りなさを正当化しようとしていた、その時だった。
ガチャリ。
微かな音を立てて、寝室の扉が開いた。
「……っ!」
アメリアが身を起こすと、そこには、自分の身体の半分ほどもある大きな枕を大事そうに抱え、少しうつむき加減で立つ、小さなルカの姿があった。
「……アメリアお嬢様。ごめんなさい、夜分遅くに。どうしても、眠れなくて……」
「ルカ……!」
彼の小さな姿を見た瞬間、アメリアの胸を占めていた寂しさが、ふっと安堵へと変わった。アメリアはベッドから降りると、ルカに歩み寄り、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。獣人特有の高い体温に触れて、ホッと息を吐く。
「よかった。ずっと心配していたのよ。この前雷が鳴ったでしょう?ルカが一人で泣いていないか、怖い夢を見て怯えていないかって……。さあ、こっちへ来て。一緒に寝ましょう?」
姉としての余裕ある微笑みを浮かべ、アメリアはルカの小さな手を引いてベッドへと誘い込む。ベッドに入るなり、ルカはアメリアの胸元にすり寄り、小さな身体を丸めるようにして甘えてきた。
「ルカ、少し身体が冷えているわね」
「うっ……僕、雷怖かった……」
「よしよし、もう大丈夫よ」
「お嬢様……。いいんですか?くっついても」
「ふふっ、遠慮しないで。ルカが安心して眠れるなら、なんだってしてあげるわ」
ルカの美しい銀糸の髪を撫でながら、アメリアは優しくその小さな背中を抱きしめ返した。数日ぶりに触れる彼の体温と、甘い匂い。それだけで、アメリアの身体が心地よい熱を帯びるのを感じたが、彼女はそれを『母性』だと信じて疑わなかった。
「……お嬢様は、本当に優しいですね。僕のこと、心配してくれていたんですか?」
「ええ、もちろんよ。寂しかったでしょう?」
「はい。寂しかったです……」
甘えるような幼い声とともに、ルカの小さな腕が、アメリアの細い腰にぎゅっと回された。
「ひゃっ……!」
「ん……?どうしたのですか、お嬢様。びくっとして」
ルカの小さな手が、薄いネグリジェ越しに腰の曲線を撫でる。子供の無邪気な動きのはずなのに、数日間の『お預け』によって敏感になっていたアメリアの肌には、その微かな刺激が背筋を突き抜けるような心地よさに変わって伝わった。
「あ、ぅ……だって、ルカの手、少し冷たくて、くすぐったいから……っ」
「……くすぐったいですか?お嬢様の身体、こんなに熱くて……僕を待っていたみたいに震えているのに」
ルカの顔がすり寄ってきて、温かい吐息がアメリアの首筋にかかる。柔らかな子供の唇が肌に触れた瞬間、アメリアの口から甘い吐息が漏れた。
「僕、雷の夜も一人で頑張ったんです。だから、少しだけ……ごほうび、もらってもいいですか?なんだってしてくれるって言いましたよね。……僕、アメリアお嬢様の温もりがもっと欲しいです」
上目遣いで、捨てられた仔犬のように甘えてくるルカ。その庇護欲をそそる姿を見せられては、アメリアはもう突き放すことなどできなかった。それどころか、彼女の中の『この子を安心させたい』という思いと、『数日焦らされた身体の火照り』が見事に合致してしまい、アメリアは自らルカを抱きしめ返し、彼が触れやすいように柔らかい胸と身体を預けてしまった。
「……ええ。いいわよ、ルカ。私の温もりで安心できるなら……いっぱい、くっついていいから」
「お嬢様……っ!大好きです、僕の優しいアメリアお嬢様……♡」
ルカはアメリアからは見えない位置で、子供らしからぬ昏く独占欲に満ちた笑みを浮かべた。そして、アメリアのネグリジェの襟元に顔を埋め、その柔らかな胸の谷間にすっぽりと鼻先を押し付ける。空いた小さな両手は、彼女が自ら差し出した腰をきつく抱き寄せ、密着させた。
「あっ……んっ……」
「ああ、すごく温かいです。お嬢様の匂い、甘くて……落ち着きます」
甘やかすつもりだった。姉として、小さな彼を安心させてあげるつもりだった。だが、自ら身体を差し出し、ルカの無邪気を装った愛撫を受け入れた時点で、主導権は完全に小さな獣の手の中にあった。
「あっ……る、か……そこ、くすぐった……っ!」
「気持ちいいってこと、ですよね?良かった、僕も気持ちいい……安心、します」
ルカの小さな、けれど熱い掌が、アメリアの腰を優しく撫でさすり、胸元に押し付けられた顔が彼女の柔らかさを堪能するようにすりすりと動く。
「お嬢様、アメリアお嬢様……っ♡ここ、すごく柔らかくて、いい匂いがします……っ」
ルカの嬉しそうな、甘くねっとりとした声。それに絆され、アメリアはもはや余裕を保つことも忘れ、ルカの小さな背中に腕を回して自らもっと深く彼の熱を感じようと身を擦り寄せた。
「ルカっ……!わたしも……ルカの匂い、好きよ……っ」
姉としての矜持は、幼い彼が与える心地よい甘やかしの前にあっさりと溶け落ちた。狡猾な小さな獣の『焦らし』と『甘え』の罠に完璧にハマり、アメリアは自分から進んで彼の腕の中という甘い沼へと沈み込んでいく。
アメリアが漏らした好き、という言葉。それは決して恋愛の意味ではない。けれど、ルカは彼女に気付かれないように口元を歪めた。
こんなに胸や腰を押し付けて、好きだなんて。今だけは勘違い、してもいいですよね?
「アメリアお嬢様。……もっと、くっついてもいいですか?」
「え……?ぁ、ええ。いいわよ、ルカ。私の温もりで安心できるなら……」
アメリアが躊躇いながらも許可を与えた瞬間、ルカの小さな手がネグリジェの襟元をぐいっと引き下げた。はらり、と薄い布が肩から滑り落ち、アメリアの白く豊かな胸が、夜の空気の中に無防備に露わになる。
「ひゃっ!?る、ルカ……いくらなんでも、服を脱がすのは……っ」
「だって、布越しではお嬢様の温もりがよく分からないんです。……だめ、ですか?」
ルカはアメリアの胸元に顔を乗せたまま、大きな青い瞳で上目遣いに見上げてきた。寂しそうに揺れるその瞳を見せられては、アメリアに拒絶の言葉を紡ぐことなどできるはずがなかった。
「……だ、だめじゃないわ。ルカがそれで安心して眠れるなら、好きにしていいのよ」
「……!ありがとうございます、アメリアお嬢様」
ルカはパッと顔を輝かせると、露わになったアメリアの胸に、今度は直接その小さな両手を這わせた。
「んっ、るかぁ……っ!」
小さな、けれど獣特有の少しざらついた熱い掌が、アメリアの柔らかな膨らみを下から包み込むように持ち上げる。そして、まるで柔らかいパン生地を確かめるように、むにっ、むにっ、と小さな指で捏ね始めた。
「わあ……お嬢様のここ、お洋服の上から触るよりも、ずっと柔らかいです」
「あ、ぅっ……ルカ、だめ……そんな風に、触っちゃ……っ!」
「どうしてですか?僕が触ると、お嬢様、すごく熱くなって……心臓も、ドクドクって早く動いてる。僕に触られて、気持ちいいんですか?」
無邪気を装った残酷な問いかけに、アメリアの顔は羞恥で真っ赤に染まった。子供相手に、胸を触られて快感を感じているなどと言えるはずがない。だが、ルカの指先がふっくらとした胸を撫でるたびに、アメリアの口からは甘い吐息が零れ落ちてしまう。
「ちがっ……気持ちいい、とかじゃなくて……これは、その……っ!」
「お嬢様の心臓の音、もっと近くで聞きたいです」
言い訳を遮るように、ルカはアメリアの胸の谷間に直接唇を落とした。音を立てて柔らかな肌に吸い付き、そのまま鼻先を擦り付けるようにして匂いを深く吸い込む。
「ひぃっ!?あ、あぁっ……ルカっ!」
「んん……お嬢様……すごく甘い匂いがします。美味しそう……」
ルカは目を細め、まるで極上のミルクを欲しがる幼子のように、アメリアの胸へと顔を寄せるのだった。
ルカのこの『週に一、二度の訪問』という計画は、恐ろしいほどに功を奏した。
自分でも気づかないうちに、アメリアは『ルカの訪問』を気にかけてしまっている。そして、数日ぶりにコン、コンと控えめなノックの音が鳴り、枕を抱えたルカが「お嬢様……今日も一緒に、いいですか?」と悲しそうな顔で現れると、アメリアは「ええ、いらっしゃい」と、以前よりもずっと自然に安堵の混じった声で彼をベッドに引き入れてしまうのだった。
ある夜は、子供のように胸に吸い付かれ、甘い痺れに朝まで泣かされる。
またある夜は、ただ腰を強く抱きしめられ、安心感に包まれながら深い眠りに落ちる。
『甘すぎる拷問』と『極上の安らぎ』。それを交互に、不定期に与えられることでアメリアの身体と心は確実に、そして知らず知らずのうちに、ルカという猛毒に侵されていった。
数ヶ月後。
……やっぱり、ルカの体温がないと、少し寂しいわね。
ルカが訪れなかった夜の翌朝、アメリアが無意識にそんなことを考えてしまったことは、もちろん、執事の顔をした幼い狂犬だけが知っている秘密である。
つづく




