第四話 利用される母性
深夜。
ルーベンス伯爵家が静寂に包まれる中、アメリアは天蓋付きの広いベッドの上で、一人悶々としていた。
……眠れないわ。
何度寝返りを打っても、一向に睡魔は訪れない。それどころか、身体が内側から熱を放ち、シーツに触れる肌が妙に敏感になっていた。原因は分かっている。ルカのあの、極上のマッサージだ。肩からうなじにかけて丁寧に押し込まれた獣人の小さな指先の感触が、目を閉じても鮮明に蘇ってくる。そのたびに、お腹の奥のあたりがジンジンと甘く疼き、はふ、はふ、と息が荒くなってしまうのだ。
だめよ私……!ルカはまだあんなに小さい弟なのに、こんな、変な熱を出すなんて……っ!
アメリアが布団を頭から被り、火照った身体を落ち着かせようとしていたその時。
コン、コン。
控えめなノックの音が、静かな寝室に響いた。
「アメリアお嬢様、起きていらっしゃいますか?」
「えっ……る、ルカ? どうしたの、こんな時間に」
アメリアが慌てて身を起こすと、ドアが静かに開き、寝巻き姿のルカが入ってきた。その手には、銀のトレイに乗せられた水の入ったグラスが握られている。
「申し訳ありません。湯浴みの後、お嬢様のお顔がひどく赤かったのが気になって……喉が渇いて眠れないのではないかと、お水をお持ちしました」
「あ……ありがとう。ちょうど、喉が渇いていたの」
完璧な執事としての配慮に、アメリアは少しだけ罪悪感を覚えながらグラスを受け取った。冷たい水を一気に飲み干す。コクリ、コクリと喉が上下するその無防備な様を、ルカの氷のように透き通った青い瞳が、暗い熱を帯びてじっと見つめていた。
「ふぅ……生き返ったわ」
「よかったです。グラス、お預かりしますね」
ルカは空になったグラスを受け取ると、ベッドサイドのテーブルにコトンと音を立てて置いた。そして、そのまま部屋を出ていくかと思いきや、ルカはその場に立ち尽くし、俯いてモジモジと指を絡ませ始めた。
「ルカ……?どうしたの?」
「アメリア、お嬢様……。僕、夜は、雨の日の路地裏を思い出して、怖くて……」
ルカは上目遣いでアメリアを見上げ、三角耳をぺたんと伏せた。
「一緒に、寝てもいいですか……?」
完璧な執事の顔から一転、年相応の怯えた子供の顔。その庇護欲をそそる姿に、アメリアの胸がキュンと鳴った。
そうよね。いつも背伸びして頑張っているけれど、ルカはまだ幼い男の子なんだわ。
「あらあら。いいわよ、怖かったわね。こっちにいらっしゃい」
アメリアは布団をめくり、隣のスペースをぽんぽんと叩いた。
「ありがとうございます」
ルカは小さな声で呟き、ベッドに潜り込む。アメリアは迷うことなく、その小さな身体をぎゅうっと抱きしめた。ルカの顔が、アメリアの豊かな胸の谷間に押し当てられる。鼻腔を埋め尽くす、甘い石鹸と彼女自身の温かい香り。先ほどのマッサージの余韻で、彼女の体温はまだ高い。
ああ……アメリアお嬢様。貴女は本当に、馬鹿で、愛おしい人だ。僕が怖いのは夜なんかじゃない。貴女が未来の旦那様の夢を見てしまうことだ。
ルカはアメリアの腕の中で、口の端をニヤリと吊り上げた。そして、ゆっくりと口を開けると――アメリアの胸元、薄い寝巻き越しの柔らかい膨らみに、かぷっ、と吸い付くようにかぶりついた。
「きゃっ!?」
突然の胸への刺激に、アメリアはビクンと身体を跳ねさせた。
「る、ルカ!?なにを……っ」
「……おかあ、さん……」
引き剥がそうとしたアメリアの手が、ピタリと止まる。ルカは胸に顔を埋めたまま、寝言のように、ひどく切なげな声で呟いたのだ。
「おかあさん、どこ……さみしいよ……」
――お母さん。
その言葉を聞いた瞬間、アメリアの脳内で全てのピースが『善意の形』に組み合わさった。ルカは物心つく前から孤児だった。親の温もりも、母親の愛も知らない。だからこうして、無意識のうちに温かいものを求めて、母を恋い焦がれているのだ。
なんて可哀想な子……!そうよ、この子は寂しくて、ママを求めているだけなんだわ!
先ほどまでの変な動揺は綺麗に消え去り、アメリアの中で『究極の世話焼き気質』と『母性』が暴走した。
「もう、仕方ないわね……」
アメリアは慈愛に満ちたため息を吐くと、ルカの頭を優しく撫でた。そして、信じられないことに――自ら寝巻きの胸元を大きく捲り上げ、その豊満で白い素肌を惜しげもなくルカの目の前に晒したのだ。
「今だけ、特別よ。ルカのママになってあげるわ」
「……っ!」
ルカの瞳孔が、極限まで開く。未来の旦那様のために守るのだと言っていた、純白の聖域。それが今、母性という名の勘違いによって、自ら差し出されている。ルカは微かに震えながら、その柔らかい先端に吸い付いた。
「んっ……よしよし、ルカ、いい子ね……」
敏感な部分を幼い獣の舌で転がされ、アメリアは甘い吐息を漏らしながらも、必死に『母親』としてルカの背中を撫で続ける。温かいミルクなど出るはずもないのに、ルカは夢中で、貪るように吸い続けた。
馬鹿な人。……僕が求めているのは、母親の温もりなんかじゃないのに。
甘い肌の味を堪能しながら、ルカの尻尾が布団の中でゆらゆらと揺れる。『完璧な執事』として理路整然と迫り、『可哀想な孤児』として同情を誘う。アメリアの底なしの優しさと鈍感さを利用すれば、こんなにも簡単に彼女の一番奥の柔らかい部分まで手に入れることができるのだ。
「ルカ……もう、寂しくないわよ……私が、ずっと傍にいるからね……」
頭を撫でてくれるその温かい言葉すら、ルカにとっては最高の極上のスパイスだった。
ええ、アメリアお嬢様。ずっと傍にいてくださいね。貴女が僕を哀れな子供だと思い込んでいる間に……貴女の身体も、心も、ぜんぶ僕のものにしてしまいますから。
『今だけ、ママになってあげるわ』
そう言って自ら胸元を寛げ、幼いルカを抱きしめたアメリア。寂しがる孤児を慰めるための、純粋な母性からの行動だった。……最初は、確かにそうだったのだ。
「んっ……る、ルカ……」
静かな寝室に、水気を帯びた卑猥な音が響く。ルカの口がアメリアの胸に吸い付いてから、もうどれくらいの時間が経っただろうか。幼い獣の口内は異常なほど熱く、アメリアの背筋を甘い痺れが駆け抜けていく。
こ、これは流石に……長すぎるんじゃ、ないかしら……?!
アメリアは真っ赤な顔で天井を見上げ、浅い呼吸を繰り返しながら焦っていた。普通、子供が甘えて吸いつくにしても、数分もすれば満足して眠りにつくはずだ。実際に、彼女の実弟たちはそれで気が済み、眠っていたのだ。しかしルカは、一向に口を離す気配がない。
「ル、ルカ……もう、落ち着いたかしら……?そろそろ、ねんね、しましょ……?」
限界が近づいてきたアメリアは、引き攣った笑顔で声をかけ、ルカの肩をそっと押して引き離そうとした。
しかし。
「……んっ、いや……いかないで……おかあさん……っ!」
ルカは胸に顔を埋めたまま、小さな両手でアメリアの腰にしがみつき、涙声で訴えかけた。獣の耳が悲しそうにペタンと垂れ下がり、小さな身体が微かに震えている。
――もちろん、すべては『完璧な演技』だ。アメリアがこの姿に弱いことを、ルカは熟知している。
「ああっ、ごめんなさい!どこにも行かないわよ!ほら、よしよし……っ」
怯える孤児の姿を見せられたアメリアの心から、無理やり引き離すという選択肢は一瞬にして消え去った。
可哀想に。あの冷たい路地裏で、ずっとこんな温もりを求めて泣いていたのね。それを途中で突き放すなんて、お姉ちゃんとして絶対にやってはいけないことだわ。
アメリアは己の母性を奮い立たせ、再びルカの頭を優しく撫で始めた。
そうよ、私が我慢すればいいだけのこと……。ルカが安心して眠れるまで、いくらでも吸わせてあげるんだから……っ!
謎の決意を固めるアメリア。しかし、その『我慢』は、彼女の想像を絶する甘い拷問だった。
「ル、ルカ……っ、そこ、だめ……!」
「……おいしい……もっと……♡」
幼い執事のマッサージでほぐされ、熱を持っていた身体が、胸への執拗な愛撫によって完全に溶かされていく。シーツを掴むアメリアの指は白くなり、足の指先までピンと伸びて痙攣した。理性が飛んでしまいそうな快感の中で、アメリアは必死に自分に言い聞かせる。
これは母性だ。可哀想な弟への愛情だ。決して、いやらしいことなんかじゃない。
……しかし、そんなアメリアの健気な母性を、ルカは腹の底で嘲笑っていた。
ああ、アメリアお嬢様。貴女は本当に可愛くて……最高に愚かだ。
アメリアの胸を貪りながら、ルカは氷のような青い瞳を細めて暗い愉悦に浸る。『寂しい子供』を演じるだけで、彼女は未来の旦那様のために守るはずだった身体を、こんなにも無防備に開け渡してくれる。甘い声で泣きそうになりながら、それでも「よしよし」と自分を撫で続ける、狂おしいほどの優しさ。そのすべてが、たまらなく愛おしく、そしてルカのドス黒い支配欲を激しく満たしていった。
「るか……お願い、もう、はなして……っ」
「……」
涙目で懇願するアメリアの言葉に。ルカは潤んだ瞳でアメリアを見上げた。そして、ひどく心細そうな、今にも泣き出しそうな声で囁いた。
「……だめ……?ぼくのこと、もう、いらないの……?」
「え……?」
「おかあさん、ぼくのこと、すてないで……。もっと、だっこしてて……朝まで、ずっと……」
それは、孤児の魂からの叫びを装った、最悪で最高に甘い呪縛。母性を刺激され、さらに『捨てる』という言葉に路地裏の記憶を重ねてしまったアメリアに、もはやルカを拒絶することなどできるはずがなかった。
「……っ、捨てるわけないじゃない……!ずっと、朝まで、だっこしてあげるから……っ!」
「……おかあさん、すき……♡」
「あ、だめ、そっちは……っ!」
善意と母性から始まったその行為は、いつしか幼い狂犬による徹底的な快楽の刷り込みへと変わっていく。長い、長い夜。アメリアがルカの『甘え』という名の愛撫から解放され、気を失うように眠りについたのは、窓の外が白み始めた頃だった。
長い、長い夜が、ようやく終わりを告げようとしていた。
「はぁ……っ」
荒い息を繰り返し、何度も身体を震わせていたアメリアは、ついに限界を迎えた。ピクリ、と最後にもう一度小さく身をよじらせると、その身体からすっと力が抜け、シーツの上に崩れ落ちる。完全に意識を手放し、深い眠りへと落ちていったのだ。
静まり返った寝室の、薄暗い朝の光の中。
ルカは身を起こし、ベッドの上で意識を失っているアメリアを、氷のように透き通った青い瞳で静かに見下ろした。ハニーブロンドの髪は乱れ、シーツには彼女が身悶えした痕跡がくっきりと残っていた。そして、上気したままの顔。少しだけ開いた無防備な桜色の口元からは、微かに銀色の涎が垂れていた。
……なんて可愛い顔をして寝ているんだ。
先ほどまで『寂しい孤児』を演じていた幼い子供の面影は、今のルカには欠片もない。そこにあるのは、獲物を自分の色で染め上げ、完全に支配した捕食者の、暗く深い満足感だけだった。彼女は自分に『母性』を向けていたつもりだろうが、その身体が感じていた熱と快感は、紛れもなく本物だ。
ルカはゆら……ゆら……と重々しく尻尾を揺らしながら、アメリアの顔のすぐ傍に身を屈めた。そして、彼女の口元から垂れた一筋の涎に狙いを定め――ちろり、と自分の舌を這わせる。
「……んっ……」
眠りの中で微かに身じろぎをするアメリア。ルカはその反応に目を細めると、今度は彼女の少し開いた桜色の唇に、自身の唇を静かに重ね合わせた。
それは、子供が母親にするような挨拶のキスではない。男が女のすべてを奪うような、熱を帯びた口づけだった。アメリアは「未来の旦那様のためにとってある」と言って、ルカの口を塞いだこともあったが。
――アメリアお嬢様。もうとっくに、貴女の『初めて』の唇は、僕が奪っているのですよ。
ゆっくりと唇を離し、ルカは極上の笑顔を浮かべた。
彼女の心はまだ『弟』として僕を見ているかもしれない。でも、彼女の身体はもう、僕が与える熱を知ってしまった。夜には、僕を求めて身体が疼いてしまうだろう。
「……おやすみなさい、僕のお嬢様」
ルカはアメリアの乱れた寝巻きをそっと直し、布団を首元まで丁寧にかけてやる。そして、彼女の隣に潜り込み、その温かく柔らかい身体を、腕の中にすっぽりと閉じ込めるように抱きしめた。今はまだ、この手は小さい。しかし、数年後。この身体が大きく成長し、彼女を完全に組み敷ける力がついた時。その時こそ、彼女が大事にしている『可愛い弟』という幻想を、根こそぎ喰い破ってやるのだと。忠犬の皮を被った狂犬は、愛しい主人の匂いに包まれながら、静かに目を閉じた。
つづく




