第二十一話 僕の番
※暴力表現があります。
翌朝。
豪華絢爛な『皇妃の部屋』のベッドには、シーツに深く沈み込むようにして眠るアメリアの姿があった。昨晩、自分が『よしよし』するはずが、ルカによる執拗で過剰な『愛撫という名のよしよし』を受け続けた彼女は、完全に体力を奪われ、甘い疲労の中で泥のように眠りこけている。
ルカは身支度を整え終えると、ベッドサイドに片膝をつき、愛しい彼女の無防備な寝顔をうっとりと見つめた。ほんのりと赤みを帯びた頬、乱れたハニーブロンドの髪、そして少しだけ開いた桜色の唇。
――可愛い。僕の、愛しい人。
ルカはそっと顔を近づけ、アメリアの唇に自身の唇を優しく重ね合わせた。チュッ、と微かな音を立てて離れると、アメリアは夢の中で「んぅ……」と心地よさそうに寝返りを打つ。その反応に満足げな微笑みを浮かべると、ルカは静かに立ち上がり、部屋を後にした。
重厚な扉を閉めると、ルカは迷うことなく、外側からガチャリと厳重に鍵をかけた。そして、念には念を入れて、扉の前に自らのマナを込めた不可視の結界を張る。周囲の空間ごと隔絶するような強力な結界。これで、彼女は内側から絶対に部屋を出ることは叶わないし、外から誰も干渉することはできない。
「さて……」
ルカの顔から、甘い『弟』の顔がスッと消え去った。代わりに現れたのは、感情の一切を削ぎ落とした、絶対零度の『王』の貌。
ルカが重たい足取りで向かったのは、前皇帝が亡き後からヴォルフレイム帝国の政務を担ってきた、長老たちが集まる王城の中心――大広間だった。
大広間の中は、息が詰まるような重苦しい空気が立ち込めていた。
巨大な円卓を囲むのは、ヴォルフレイム帝国を各方面で支える、誇り高き部族の長たち。歴戦の猛者であり、政治の実権を握る曲者ぞろいの獣人貴族たちだ。
そして、その上座。一段高くなった玉座に、脚を組んで気怠げに深く腰掛けているのは、第一皇子として十数年ぶりに帰還したばかりのルカ・ヴィンター――いや、ルキウス・ヴォルフレイム皇太子殿下であった。
「……殿下。恐れながら、申し上げます」
張り詰めた静寂を破ったのは、豪狼族の長を務める老貴族、ガルドだった。顔に歴戦の大きな傷跡を残す、熊のように大柄な獣人である彼は、玉座に座る若き皇子を値踏みするように睨みつけ、野太い声を広間に響かせた。
「殿下が無事にご帰還されたことは、帝国にとっての至上の慶事。しかし……殿下が王城の深部に匿っておられる、あの『人間の娘』はいかがなものか」
「……」
「人間の女など、我ら誇り高き獣人にとっては、か弱き家畜も同然。殿下の慰み者にするならまだしも、あのような脆弱な女を王城に置き続けることなど、帝国の誇りに関わります。即刻城から排除するか、さもなくば我ら下々の者に奴隷として下賜なさいませ」
ガルドの言葉に、円卓を囲む何人かの保守派の貴族たちが同調して頷いた。彼らにとって、誇り高き王族の神聖な城に、下等で魔力を持たない人間の女が入り込むなど、言語道断の恥辱だったのだ。
しかし。玉座に座るルカは、表情一つ変えなかった。頬杖をつき、氷のように透き通った青い瞳で、ただ静かに、冷徹に、目の前の老貴族を見下ろしている。
「……慰み者?奴隷として下賜する、だと?」
ルカの端麗な唇から、ふっ、と吐息のような笑い声が漏れた。それは、アメリアに向ける甘い笑顔とは全く違う。聞いた者の背筋を根底から凍りつかせ、本能に直接『死』を予感させるような、底知れぬ氷の笑みだった。
「ええ、そうです。あのような脆弱な……ぐぁっ!?」
ガルドの傲慢な言葉は、最後まで続かなかった。玉座で頬杖をついていたはずのルカの姿が、ふっと陽炎のようにかき消えたかと思うと。次の瞬間、彼は十数歩離れていたガルドの背後に音もなく立ち、その丸太のように太い首を、背後から片手で鷲掴みにしていたのだ。
「で、殿下……っ!?」
「俺の大切な人を。俺の心臓を、お前らのような薄汚い獣の奴隷にしろと?」
ギリッ……!
ルカの腕に込められた常軌を逸した力に、ガルドの太い首の骨がメキメキと悲鳴を上げる。歴戦の猛者であり、巨漢であるはずのガルドが、ルカの片腕の力だけで身動き一つ取れない。それだけではない。ルカの肩口にある『王の印』から、どす黒く禍々しい、圧倒的な覇気と魔力が爆発的に放たれていた。それは物理的な重さを持って広間を制圧し、円卓に座るすべての獣人貴族たちを、本能レベルで床に縛り付けて反撃を封じ込めてしまったのだ。
「ぎ、がぁっ……!」
「彼女は、俺のすべてだ。……あの人を家畜と呼んだその汚い口を、今すぐここで引き裂いてやろうか」
ルカの透き通った青い瞳が、怒りでドス黒い赤へと染まる。獣王としての完全な殺意が解放され、広間の空気は息をすることすら苦しいほどのプレッシャーに満ちた。肺がひしゃげそうな重圧の中、ルカは身悶えするガルドの耳元で、冷酷に囁いた。
「貴様らがどう思おうが関係ない。彼女は俺の番になる。彼女を侮辱することは、俺への反逆と同義だ。……反逆者には、それに相応しい『罰』が必要だな?」
「ひっ……お、お許しを……っ!」
ガシャァァンッ!!!
広間に、凄まじい轟音が響き渡った。ルカは片手でガルドの巨体を軽々と持ち上げると、そのまま円卓の分厚い大理石のテーブルへと、顔面から容赦なく叩きつけたのだ。国宝級の分厚い石のテーブルが粉々に砕け散り、ガルドの頭部から鮮血が派手に噴き出す。
「ぐあぁっ……!」
「どうした?さっきまでの威勢は。獣は力でしか従わないと聞いたが、本当のようだな」
ルカは、血の海に倒れ伏し、痙攣しているガルドを一瞥もせず、懐から純白の絹のハンカチを取り出した。そして、己の指先に僅かに跳ねた老貴族の血を、ひどく不快でつまらなそうに拭い取る。
「……さて」
ルカは、恐怖でガタガタと震え、椅子から転げ落ちて床に這いつくばっている他の貴族たちを、ゆっくりと見回した。極上の、そして身の毛のよだつような冷たい笑みを浮かべて。
「俺は、アメリアを番として、この帝国の皇妃として迎える。……これに、まだ異議がある者は?もしいるというのなら、遠慮なく前に出ろ。俺が直々に、この獣と同じように『説得』してやろう」
大広間は、死に絶えたような、耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。誰も口を開かない。開けるはずがない。彼らはようやく理解したのだ。十数年ぶりに帰還した皇太子は、知性と理性を持ち合わせた指導者などではない。『逆鱗』に触れれば、部族の長だろうが国ごとだろうが、容赦なく喰い殺しかねない、最凶の『狂犬』であると。
「……ははぁっ!!ルキウス殿下と、未来の妃殿下に、絶対の忠誠を……っ!!」
一人の貴族が声を震わせて平伏したのを皮切りに、広間にいた全員が、我を争うように床に額を擦り付けた。圧倒的な暴力と恐怖による、完全なる支配の完了。
「……ご賢察、感謝する」
血塗られたハンカチをゴミのように床へ捨てると、ルカは踵を返し、悠然とした足取りで大広間を後にした。
バタン、と重厚な扉が閉まり、廊下に出た瞬間。ルカの全身に纏っていた冷酷な王の覇気と、凄まじい殺意はスッと跡形もなく消え去った。彼の顔には、大勢の命を恐怖で支配した直後だというのに、少し困ったような、甘えん坊の青年の顔が戻ってきていた。
「……ああ。指先から、少し血の嫌な匂いがするな。アメリアに嫌われないように、よく洗ってから行かないと」
彼の頭の中にあるのは、帝国の政治でも、叩き潰した貴族のことでもない。ただひたすらに、『部屋で待っている愛しいアメリアを、どう抱き潰すか』ということだけだ。
これで、すべての障害は消え去った。僕は名実共に、アメリアの番であり、誰もがひれ伏す帝国の皇太子であり、彼女の『未来の旦那様』の資格を力で手に入れたのだ。
ルカはもう、彼女を『お嬢様』とは呼ばない。彼女はルカの、愛しい番なのだから。ルカはご機嫌に足取りを軽くし、彼だけの愛しい番が待つ、逃げ場のない完璧な鳥籠へと向かうのだった。
つづく




