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とっても楽しかったです。

 すっかり夜が更けたころ。

 筋トレと勉強、サンドバックワークを終えて風呂から上がると、机に放り投げていたスマホが短く震えていた。


 画面を見ると、メッセージアプリの通知。

 送り主は『朝比奈七瀬』となっている。


 前に連絡がきたときは通話だったから、メッセージは初めてになる。


 どうせ今日のお礼でも送ってきたのだろうと、俺は髪をタオルで拭きながら、トーク画面を開いた。


『こんばんは』

 とだけ送られてきている。



 なんだこれは、挨拶を返せばいいのか?

 と思ったが、画面の左下。


『入力中……』という小さな表示が出ている。

 何か続きがあるらしい。


 だが、それが消え、また数秒後に表示され、さらにまた消える。


 なんとなく見ていたが、それがもう五分近く続いている。


「……長えよ」


 普段なら、距離が近ければあのやかましい脳内会議が聞こえてくるから理由もわかる。


 だが、ここは俺の家で、あいつの家がどこかは知らないが当然能力の範囲外だ。


 完全な無音状態で、ただ『入力中……』の文字だけが点滅を繰り返す。


 ……なんだこれ。何をそんなに考えることが……。


 あるか、朝比奈だからな。


 今日のことに対して、何を打ったら五分もかかるんだ。


 長文の反省文でも送ってくるつもりか。

 いやあいつならありえる。

 脳内の様子を文章化したら、それこそ長編小説みたいになりそうだ。


 そして俺は何でそれをじっと待ってるんだ。

 画面を眺めながら訝しんでいると、ポン、と短い通知音と共に、ついにメッセージが投下された。


『夜分遅くに失礼します。今日は休日のところ、お買い物に付き合ってくれて本当にありがとうございました』


『私は、とっても楽しかったです』


「……それだけ?」


 思わず声が出た。


 五分間もかけてひねり出したのが、この二文か。

 だが、あいつのあの完璧主義で臆病な性格を思えば、この『楽しかったです』という一言を添えるのに、どれほどの脳内会議が必要だったかは容易に想像がつく。


 俺はため息をつきつつ、文字を打つのは面倒だったので、あらかじめダウンロードしてある初期設定のウサギが『OK』と親指を立てているスタンプを一つだけ送信した。


 一瞬で『既読』がつく。


 ――そしてまた、左下に『入力中……』が点滅し始めた。


 今度は三分。消えては点滅し、また消える。

 ……まだ何かあるのか? 用件は済んだはずだが。


 つい、『入力中』に見入ってしまう。


 なんか、ホラー映画でも見ているような気分だ。

 とりあえずスマホをそのへんに置いといて、後で見ればいいだけだと分かってはいるのだが、何故か目が離せなかった。


 メッセージアプリから、謎の情念が放たれている気さえする。


 まだか。早くしろよ。


 何分が過ぎたのか確認しようと思ったのと同時に、ようやく追加のメッセージが届いた。

『あと、今日買ったTシャツですが、洗濯の際はネットに入れた方が生地が傷まないそうです。念のため』


「……知ってるわそんなこと」

 俺は即座にフリック入力で返した。 


『わかった』


 送信。即既読。


 そして再び始まる『入力中……』の点滅。

 ……またかよ。


 今度はさらに長い。四分が経過した。


 一体、洗濯ネットの次に何の話題があるというんだ。


 柔軟剤の銘柄指定か? 干す時の角度か?

 無音の部屋で、明滅する文字だけを見つめる時間。


 見えない。

 あいつが今、どんな顔で、どんな体勢で、何を考えているのか。


 なんだこの謎の緊張感は。


 やがて送られてきたのは、少しだけ頬を染めてモジモジしている小動物のスタンプ一つだった。


 ……三分かけて、それかよ。


「……マジで不器用だな、あの人……」


 俺はスマホを机に戻し、再び文庫本を開いた。

 静かな自室。

 聞こえるのは時計の秒針の音だけだ。


 物理的にはほぼ無音だし、あいつの考えなんて1ミリも読めない。


 なのに、なぜかあのバカバカしいピンク色の騒音が、聞こえるような気がして。


 モジモジしている謎の小動物が、彼女本人のように見えて。


 俺は小さく笑った。

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