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パンツ見えちゃう

カウンターでの長い手続きを終え、店を出た。


クラス分のTシャツは無事に発注完了。

 あとは後日、学校に届くのを待つだけだ。


「ふぅ……結構時間かかったわね」


「まあな。在庫確認とかプリント位置の指定とかあったし」


時刻は二時過ぎ。

 俺の片手には、小さな紙袋が一つだけ提げられている。


中身は、クラスの分ではない。

 さっき朝比奈が「似合う」と言った、あのネイビーのTシャツだ。


「……それにしても、佐鳥くん」


朝比奈が、紙袋を熱っぽい視線で見つめながら、もじもじと身をよじっている。


「その……本当に、買ってくれたのね。私の選んだ色……」


(買った! 買ったわ! 目の前でお買い上げよ!)


(クラスTシャツのついで? 違うわ、これは『私の色』に染まってくれたという意思表示!)


(つまり佐鳥くんの休日の上半身は、私の支配下にあるということ……!)


(グフフ……グフフフフ……)


……支配下に置かれた覚えはない。

 単に、夏用の練習着が古くなっていたから買い替えただけだ。


深い意味はない。

 だが、訂正すると脳内会議が「失恋裁判」になりそうなので、黙っておく。


「混んできたな」


駅前の通路は、昼食後の買い物客でカオスと化していた。

 俺たちは並んで歩こうとするが、対向から来る人の波に阻まれ、どうしても距離が開いてしまう。


(ああっ! 佐鳥くんとの距離が50センチ……1メートル……!)


(遠い! 織姫と彦星ばりに遠いわ!)


十五光年も離れられたらそりゃ静かでいいな。


(人波が邪魔です! 誰かモーゼを呼んで海を割って!)


あれ最近の説では干潟を渡ったという話もあるぞ。


ただ実際の話、俺も、はぐれるのは面倒だと思っていた。

 その時だ。


「きゃっ!」


前方から、スマホを見ながら歩いていた学生の集団が、ふざけ合ってこちらに膨らんできた。


朝比奈の進路が塞がれる。

 彼女は避けようとして、履き慣れないヒールでバランスを崩した。


「あっ――」


体が傾く。 転ぶ。


朝比奈の脳内で


(走馬灯!? いや、パンツ見えちゃう!? どっち!?)


という悲鳴が上がった、その刹那。


「……っと」


俺は反射的に紙袋を持ち替え、空いた左手を伸ばした。

 彼女の細い腰に腕を回し、強引に自分の方へ引き寄せる。


ドンッ。


柔らかい衝撃と共に、朝比奈の体が俺の胸に収まった。


「――っ!?」


「……前見て歩けよ。危ないだろ」


俺の顔のすぐ下に、朝比奈の顔がある。推定距離、一〇センチ。

 俺の腕の中。完全な密着状態。


周囲の雑踏が一瞬遠のき、二人だけの世界になったような錯覚――の中で彼女は。


((((((((スリー、ツー、ワン……リフトオフッ!!))))))))


ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!


「ぐっ……!?」


俺は思わず仰け反りそうになった。

 朝比奈の脳内から、サターンVロケットの打ち上げ音が聞こえたからだ。


(打ち上げ成功! NANASE号、宇宙へ!!)


(燃料(幸福)タンク満タン! 推力最大! 重力圏を突破します!)


(管制塔! 佐鳥くんの腕の中という『宇宙ステーション』にドッキングしました!)


(バイタルチェック不要! だって死んでもいいから! ここが私の墓場(エデン)よ!)


……死ぬな。墓場に行くな。


俺は彼女を支えている左腕から伝わる体温と、鼓膜を破壊する「打ち上げ実況」の板挟みになりながら、どうにか体勢を立て直した。


「……立てるか?」


俺が声をかけると、朝比奈は俺のジャケットの裾をギュッと握りしめたまま、潤んだ瞳で見上げてきた。


「……あ、あの……ごめんなさい……」


「いや、いい。怪我はないか」


「はい……佐鳥くんが、守ってくれたから……」


(守られた……抱きしめられた……腰に手が……固い腕が……)


(やばい、腰が抜けた。立てない。地球の重力が強すぎる)


(議長! このまま抱っこで家まで搬送してもらうプランを提案します!)


(却下! それはさすがに介護だ!)


……脳内会議は相変わらずカオスだが、現実の彼女の足が震えているのは事実らしい。


俺は小さく息を吐き、彼女の腰から手を離すと、代わりにその手を――そっと差し出した。


「……捕まってろ。はぐれると面倒だ」


海は無理だが、人波くらいは割ってやる。


「え……?」


朝比奈が目を見開く。

 俺の意図を測りかねているようだが、これは単なる「転倒防止」と「騒音対策(パニック防止)」のための措置だ。他意はない。


「手。……嫌ならいいけど」


「つ、繋ぎますッ!!」


朝比奈は食い気味に叫び、両手で俺の左手を包み込むように握りしめた。


その手は小さく、少し汗ばんでいて、そしてものすごく熱かった。


(手ェェェェェェッ!!)


(繋いだ! 今繋いだ! 恋人繋ぎじゃないけど、これはこれで『エスコート』感があって最高です! ああっ! 佐鳥くんの手、ゴツゴツしてる!)


(宇宙遊泳(スペースウォーク)開始! 私は今、無重力の愛の中にいます!)


ロケットの爆音は、いつしか壮大なスペースオペラのテーマ曲へと変わっていた。

 ちゃーらーらーらーららららーら―、という金管楽器のファンファーレが、雑踏のノイズをかき消していく。


なんか黄色い横文字でこれまでの流れが解説されそうだな。


「……行くぞ」


「はいっ!」


………なんだよ。

 騒音対策でやったことのわりに、何で俺はちょっと手汗をかいてるんだ。


※※


駅前の喧騒から少し離れた、裏路地のカフェ。


レンガ造りの落ち着いた店内に入ると、外の熱気が嘘のように静かな空気が流れていた。

 俺たちは奥のテーブル席に向かい合わせに座った。


「ふぅ……。生き返ったな」


「ええ……。すごい人だったわね」


朝比奈がアイスティーのグラスに口をつけ、ほう、と息をつく。

 その表情は、少し疲れているようだが、どこか夢見心地でとろんとしている。


そして、俺の耳に届く「音」も変わっていた。


(♪~~~~……)


優しい、オルゴールのような音色。


さっきまでの「ロケット発射音」は消え失せ、今はただ、耳に心地よい天上のメロディだけが流れている。


これは、彼女の心が「思考」を超越した「幸福感」だけで満たされている時の音だ。


(……幸せ。……夢みたい)


(佐鳥くんと買い物して、選んだ服を買ってもらって、手を繋いで……)


(もう、これ以上望んだらバチが当たるかも)


脳内会議の議長も、軍師も、幼女も、本能も、今は全員で手を取り合ってフォークダンスでも踊っているのだろう。


言葉にならない感情が、そのまま音楽となって俺の脳を浸している。


普段は「効率的に黙らせる」ことばかり考えている俺だが……正直、この状態の彼女と一緒にいるのは、嫌いじゃない。


むしろ、ホワイトノイズの椛島とはまた違う、精神が浄化されるような感覚すらある。


「……佐鳥くん」


不意に、朝比奈がグラスを置いて俺を見た。

 夕日が差し込む窓辺で、逆光に透ける銀髪がキラキラと輝いている。


「今日は、付き合ってくれてありがとう。……その、私のわがままだったのに」


申し訳なさそうに眉を下げる彼女。

 だが、その言葉の裏には一点の曇りもない。


「……別に。俺も服が買えたし、クラスの用事も片付いた。効率的な休日だったよ」


俺はあえて事務的に答えながら、手元の小さな紙袋――ネイビーのTシャツが入った袋――を指先で弾いた。


「それに……まあ、一人で選ぶよりは、マシだったかもな」


「……ふふっ」


不意に、朝比奈が柔らかく笑った。

 それは「聖女」の仮面とは違う、どこか懐かしむような、慈愛に満ちた表情だった。


「佐鳥くんは……やっぱり、変わらないわね」


「あ?」


「ぶっきらぼうだけど、本当は誰よりも優しくて。……あの時のまま」


――あの時?

 俺が眉をひそめて聞き返そうとした、その瞬間。


((((((((警報ォォォォォォォォッ!!))))))))


朝比奈の脳内で、とんでもない音量のブザーが鳴り響いた。


(失言! 今のは失言です! 『あの時』っていつだよ! 過去を知ってることバレるだろ! 向こうは覚えてねぇんだぞ! その辺気をつけろって!)


(特定されます! 『昔から見てました』なんて言ったら、一途どころか怖ぇよ!)


(誤魔化せ! 全力でログを流せ!)


「あ、あ、あのっ! ち、違うの! あの時っていうのは!」


朝比奈が慌てて両手を振り回す。顔は真っ赤だ。


「そ、そう! 入学式の時! 初めて会った時から、変わらないなって! それだけ!」


「……そうか? 入学式の時って、最近じゃねぇか。そりゃ変わらんだろ」


「うっ……! いやでも男子三日合わざれば刮目してみよ的な……!?」


「……まあ別にいいけど」


(セーフ! ……なのか!? いやギリセーフってことで!)


(危なかった……。泥だらけの背中を思い出して、ついポロリするところだった……)


脳内のミニ朝比奈たちが、冷や汗を拭いながらへたり込んでいるのが見える。


まあいい。もともと、初対面なのになぜか好かれていた意味が分からんかったし、もともと多分前にあったことでもあるんだろうくらいには思ってた。


俺は覚えていないくらいだから、多分大したことじゃなさそうだ。

 この感情の起伏がジェットコースターの人のことだ。些細な事をなんか拡大解釈してるに違いない。


あー、えっと、何の話だっけ。

 ああ、そうだ、Tシャツな。朝比奈が選んでくれて助かったという話だ。


「色とか、サイズとか。……朝比奈の見立てなら、外れはないだろうし」


これは本心だ。

 彼女は「完璧」を演じるために、膨大なリサーチと努力を重ねている。その審美眼は信頼に足る。


……まあ、その動機の9割が俺への不純な動機だったとしても、結果として良い物が買えたのは事実だ。


「っ……!」


その瞬間。

 オルゴールの音色が、一気に壮大なシンフォニーへと変わった。


(認められた……! 私のセンスが、努力が、佐鳥くんに……!)


(嬉しい……うれしい……っ!)


(大好き。本当に、大好き……)


言葉には出さない。

 けれど、脳内に響き渡る旋律が、どんな愛の言葉よりも雄弁に彼女の想いを伝えてくる。


音量が少し大きすぎる気もするが、今日のところは許容範囲だ。


「……ふふっ」


朝比奈が、花が綻ぶように笑った。

 「聖女」の仮面も、「完璧」な演技もない。


ただの恋する少女の、無防備で最高に可愛い笑顔だった。


俺はその笑顔と音楽を、アイスコーヒーと共に飲み下した。


※※


店を出ると、海の方角へ沈む夕日が、空をすっかり茜色に染めていた。


しばらく歩いて駅の改札前。ここが別れの場所だ。


「じゃあ、また月曜にな」


「ええ。……気をつけてね, 佐鳥くん」


名名残惜しそうに手を振る朝比奈に背を向け、俺は改札を抜けた。


ホームへの階段を降りる。

 一歩、また一歩。 距離が離れていく。


一〇メートル。


一五メートル。


二〇メートル。


――フッ。


不意に、脳内のシンフォニーが途切れた。

 境界線を越えたのだ。周囲の雑踏の音だけが戻ってくる。


「…………」


俺は立ち止まり、振り返ることなく胸に手を当てた。


静かだ。これが、俺の求めていた「平穏」だ。


なのに。


なぜか、少しだけ肌寒い。


左手に残る、彼女の体温のせいだろうか。


「……」


俺は小さく苦笑し、手の中の紙袋を握りしめた。


月曜日になれば、またあの騒がしい脳内会議が俺の平穏を脅かすだろう。


だが、今は――


またあの騒音が、懐かしいような気が……いや、しない。


「……慣れてきただけさ」


一人そう口にして、俺は雑踏の中へと足を踏み出した。


その足取りは、来た時よりもずっと軽かった。

久しぶりの投稿ですが、おかげさまで日間総合ランキングも100位圏内が見えるところまで上がってきました! 感謝です!


ここからさらに盛り上げていきたいので、もし少しでも「ニヤニヤした」「この聖女、中身うるさすぎんだろ」と思ってくれたら、下の【☆☆☆☆☆】から応援してもらえると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
このやれやれが崩れる瞬間からしか摂取できない栄養がありますよね
顔の距離10センチ以内って、いいよね。 女の子をドキドキさせるためにしてみたことがある。
ちょっと意識してきたようで、読んでてニヤってしまうw
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