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LESSON 1ー1

一応、これが処女作になります。

 桜の花びらが舞い出す三月の下旬。女性アイドルのオーディションに男が紛れ込んでいるという前代未聞な事態が起こる三時間ほど前のことだ。

 時刻は午前八時くらい。春休み中だから良かったものを、普段なら高校に登校するために家を出る時間。こんな朝に俺を呼び出した野郎は、

「ンモウ! 晶くんは今日も可愛いね!」

 ソファーの上でクネクネと気持ち悪く悶えていた。

「…………」

 穏やかな気候とは裏腹に、もうすぐ高校二年になる俺の心では寒風が吹き荒れる。

 何故ならば、俺の眼前には会話もしたくない超ハイテンションな『フルフェイス怪人』――個体名:星村ほしむらあきらが座っているのだから当然だ。 その服装は眩しい純白のスーツに赤ネクタイ。胸ポケットに棘の抜かれた赤薔薇を一輪挿し、両手にリネン地の白手袋を着けていて、長身で引き締まったスマートな体躯には良く似合っている。……まあ、頭に黒のフルフェイス・ヘルメットを被っているために全て台無しだが。

 一分の隙もなく肌を隠しているのは、皮膚病を患っていて日光に当たったらダメとか、全身にある火傷の痕を見せないためとか……などでは勿論なく、ただの趣味らしい。

 ――こんなシュールすぎる変人が『兄』かと思うと、マジで死にたくなってくる……

 そう、『星村』という姓で分かるように、俺とこいつは兄弟なのだ。最悪なことに。 じっとりした眼を兄貴に向ける。と、兄貴がメット越しのくぐもった声で、

「どうしたのかな、晶くん? もしかしてお兄ちゃんに見惚れてた?」

「そんなわけあるか」

「大丈夫! お兄ちゃんは晶くんだけのモノだからねっ!」

「気持ち悪いわ!」

 こんな風に、この変人とはまともに会話が成立しないから、本気で性質が最悪なのだ。

「晶くんに罵られてしまった。――嬉しいっ♪」

 メットの側面に手を当ててクネクネする様は、殺したいほど気持ち悪かった。

 ……何で俺、こいつと縁を切ってないんだろ?

 縁切りをするかどうかを真剣に悩み始めたところで、不意に相の手が入った。

「――社長。早くしないと時間が無くなりますよ?」

 いつの間にか、兄貴が座る対面のソファーの斜め後ろに、一人の美女が立っていた。

 長い髪をゆるい三つ編みに結った女性は、俺と目が合うと軽く頭を下げて、

「どうも、晶さん。お久しぶりですね」

「あ、はい。吾妻あずまさんこそ、お久しぶりです」

「ええ、こちらこそ。お元気そうでなによりです」

 俺のぎこちない挨拶に、クールビューティーは切れ長の瞳を少し細めて口端を緩める。

 吾妻あずま撫子なでしこ。それが彼女の名前だ。

 白皙の顔立ちは人形のように精緻に整っていて、均整のとれたスレンダーな肢体に灰色のスーツドレスをきっちり着込んでいる。 この人を見てると、美人薄命ってのは本当だなと思う。

 だって、吾妻さんみたいな美人が兄貴の下で働くって、何かの間違いだろ?

「撫子! 俺と晶くんの兄弟水入らずな幸せ空間に入ってくるな!」

 ……兄貴は、こんなイカレたこと言う奴なんだぞ?

 でも、おかしな罵倒を気にした様子も無く、吾妻さんは兄貴に言葉を返す。

「申し訳ありません。ですが、早くあの話を晶さんに相談すべきかと思いましたので」

「――っ! そうだった! 晶くんと会えた嬉しさで完璧に忘れていた!」

「知っています。資料も忘れていましたから、ここに持ってきました」

「いつもすまないね、撫子。助かったよ」

「いえ、いつもの事ですから。――どうぞ」

 吾妻さんが差し出した大きめの茶封筒を、落ち着いた様子の兄貴が肩越しに受け取る。

 その普段通りに見える会話に含まれていた二つの言葉に、俺は不審を抱いた。

 ……あの話? 俺に相談?

 一応だが、俺から兄貴に相談することは良くある。なんだかんだ言っても兄貴は社会人で、十歳も年齢が離れているから人生経験は豊富だ。変人でも一応は唯一の肉親だから話しやすいってのもあるし、何より極度のブラコンである兄貴の方から色々と訊いてくるので、勢いに負けて話してしまうのも当然の結果だろう。

 しかし、兄貴は自分のことを話さない。元から仕事を家庭に持ち込まない奴だから、仕事の話をしないのは当然だけど、他のことであっても滅多に自分を見せようとしないのだ。それは他人に対してだけでなく家族に対しても同じで、常に一線を置いた距離から接している。……残念ながら、ブラコンだけは全く隠そうとしないのだが。

 ――それなのに、兄貴から俺に相談だって?

 少なくとも、俺の生きてきた十六年で兄貴が相談してくることなんか一度も無かった。しかも吾妻さんが知っているということは、十中八九は仕事関係の話だろう。俺なんかに相談されたって、できることなんか無いに決まってる。

 兄貴の肩書きは――株式会社・芸能プロダクション『スターライト』の社長だ。

 タレントとプロデュース・マネジメント契約を結んで、プロフィールを作成した後、分野ごとの育成指導やスケジュールと身辺の管理、営業活動や対外交渉、イベントの企画立案と運営、トラブルの処理などを行う……それが、芸能プロの業務である。とまあ、これは前に吾妻さんが説明してくれたことなんだけど。

 ただ、『スターライト』は数ある芸能プロの中でもかなりの新参者だ。何しろ、たった五年前に兄貴が大手事務所から独立して創った事務所だからで、それでも今は順調に勢いをつけている事務所として知れ渡ってきている。

 その業績の大本は、『スターライト』が初めて世に送り出した“伝説のアイドル”と、彼女を見出し開花させた兄貴の手腕からなっている。兄貴は高校を出てすぐに大手芸能事務所へ入社し、自らの才を遺憾無く発揮して、たった数年で幹部まで駆け上がった――認めたくはないが、天才なのだ。そこで積んだ経験と実績は、今もなお『スターライト』の業務に生かされている。

 ちなみに、俺が居るここはスターライトの企業ビル五階に在る社長室だ。人は第一印象で物事を測る傾向があるので、営業先のお偉いさん方が訪問してきた時に見た目で落胆されないように、十五畳ほどの室内はある程度高価な調度品で飾られている。兄貴はこういうのに全く無頓着なので、この部屋をコーディネートしたのも吾妻さんだ。……本当に出来る大人だよ。

 少し思考に耽っている間に、兄貴は封筒からA4用紙の白束を取り出し、ローテーブルに置いていた。その表情は、遮光性のあるバイザーで隠されているために見えなかったが、明らかに楽しげな声音で言ってくる。

「実はね、こんな朝早くから晶くんをここに呼んだのは相談があったからで――」

 だが、フルフェイス怪人が言い切る前に、俺は自分の意思を告げる。

「断る」

「早っ!? まだ何も言ってないのに!?」

 怪人が驚いているが気にしない。楽しそうに言ってきた時点で、俺に対して何かの災難が降りかかることは十六年の人生で身に染みて理解している。

 ……兄貴という変人の奇行で、どれだけ俺が被害に遭ったか。 経験上、こういう時は早々に安全圏へと退避するに限る。

 という訳で、立ち上がってドアの方に向かおうとしたんだけど、

「お願い! 話だけでも良いから聞いて!」

 気色悪い動きで足元に縋り付いてくる、とても往生際の悪いフルフェイス怪人が一名。視界の端では吾妻さんが、見るに堪えなくなったのか視線を逸らしている。

 しかしこの馬鹿兄貴、外見の細さに似合わない怪力で俺の足を抱えているもんだから、一歩も動くことができない。

「――ああもうっ! 話だけなら聞いてやるから離せ!」

 このままだと足に頬擦りされかねなかったので、俺は苛立ち混じりにそう答えた。

 変態を振り払い、再びソファーに座る。と、機敏な動きで対面に戻った兄貴が、

「相談の内容はこれなんだけど……」

 言って、一枚のチラシを俺の前に差し出してきた。

 もぎ取るように受け取って、内容に目を通す。

 …………は?

 通して、目が点になった。

 書かれていた内容は、オーディションの開催と応募要項だった。

 タイトルは――『新たに輝く星となれ! ガールズ・スターキャラバン!』。

 参加可能者は女性のみ、年齢は満十三歳~十九歳まで。一次選考は書類審査で判定され、二次審査は面接を行い、上位十二名のみ本選にエントリーされる――

「って、何だよこれは!?」

「ん? ウチが主催するオーディションだけど?」「そういうことを聞いてるんじゃないっ!」

 確かに良く見れば主催のところにスターライトの名前があったが、そんなものを気にしてる場合じゃない!

「ぬぁああああんで! 俺にっ! こんなモノを! 相談する――!?」

「おお、すっごい巻き舌」

「ですね」

 俺の質問には全く答えない二人。……これは、あれか? 俺へのいやがらせか?

 近くに置かれてた高価そうな花瓶を掴む。こいつであのメットをかち割れば、ちょっとは気が晴れるだろうか?

「待ってくれるかな晶くん。今すぐに説明をするから、出来ればその凶器から手を離してくれないかい?」

「…………」

 次にふざけたら投げる、と目で訴える。兄貴が居住まいを正したので花瓶から手を離す。

 こほん、と兄貴が咳払いで場を改めようとするが、重い空気は変わらない。

「……あのさ、晶くん。ちょっとお兄ちゃんに辛辣すぎない?」

「兄貴面をするんだったら、まず先にそのメットを外せ」

「これは絶対ダメ! お兄ちゃんシャイだから、これ取ると外に出れなくなるもん!」

 両側からヘルメットを掴んで、いやいやと頭を振る変人。

 ――正直、かなり気持ち悪かった。

「進まないようなので、私から話をさせて頂きます」

 見かねた吾妻さんが進み出て、ローテーブルの横に立った。

「そのオーディションは先ほども社長が申しました通り、我が社が主催を行っています。しかし、本選を開催するに当たって、プライベートな理由から急遽欠員が出てしまいまして……代わりを用意するにも、他の人員は仕事が詰まっていて手が離せない状態なのです」

 ……ふむ。つまり、オーディションを行うためのスタッフに欠員が出てしまったのに、その穴を塞ぐための社員が足りないと?

 俺にそれを話すということは――

「そこで、相談というか頼み事なのですが……晶さんに代役ヘルプをお願いしたいのです」 やっぱり、手伝えってことか。

 けど、そんな手伝いを一介の高校生に任せるっていうのは、どうなんだろ?

「えっと……社員でもない俺が手伝っても平気なんですか?」

「問題ありません。あくまで臨時要員として扱いますから」

「はぁ……」

 だったら、アルバイトを雇ったり、イベント会社に依頼した方が良いんじゃないか?

 すると、俺の表情から内心を読み取ったらしい吾妻さんは、少し顔を伏せて、

「実は、本選の開催日――今日なんです」

 小さく、申し訳なさそうな声音で答えてくれた。

 うわぁ……。それはまた、ご愁傷様ですね、としか言い様が無い。

 見てられなくなって兄貴に視線を逸らすと、奴は何故か晴々とした笑みを浮かべて、

「えへっ♪」

 と、お茶目ぶった声を出した。痛々しかったので無視して、視線を吾妻さんに戻す。

「ですので、人員を揃えるにも時間がありませんし、何も知らない他人よりは晶さんに手伝って頂いた方が良いとも判断しました」

「なるほど」

 確かに、理には適っている……と思う。

 社員以外で、身分が証明でき、ある程度の人となりが分かっていて、緊急でも都合のつきやすい相手という範疇で考えれば……俺は最適な人材だろう。兄貴――『スターライトの社長』という責任者の実弟で、吾妻さんとは知己だし、部活にも塾にも入っていない高校生の身分は比較的予定が空けやすいのだ。

 と、兄貴が鼻息荒く身を乗り出してきた。

「お願い! お兄ちゃんを助けると思って、やってくれないかな?」

「私からもお願いします。今回のオーディションは、スターライトの社運を賭けた一大プロジェクトを始めるために必要な人材を集めるもので、失敗は許されないのです」

「むぅ……」

 兄貴はともかく、尊敬する吾妻さんにまで頭を下げられると断りづらい。

 ……それに、少しだけ『お兄ちゃんを助ける』って言葉に心が揺らされた。 実際、兄貴には色々と借りがあるからだ。

 四年前に母さんが死んでからは、兄貴の稼いでくれた収入だけが頼りだった。中学の給食費と高校の入学費を払ってくれたのも兄貴で、高校の授業料は今も払ってくれている。

 俺が今を生きて、楽しく暮らせているのは……全部、兄貴のおかげなのだ。

 ほんの少しでもその借りを返せるのなら――やってみて良いかもしれない。

 そんなことを考えて、結局、俺は答えてしまった。

「……分かりました。俺に出来ることならお手伝いします」

 と、次の瞬間――

「よっしゃああああっ! 撫子! 今の聞いたか? 聞いたよな!」

「はい、録音もしました」

 飛び上がる兄貴の言葉に頷いた吾妻さんの手には、何故か小型のICレコーダーが。

「ぬわぁ――!? 何で録音してんのさ!?」

 敬愛なんか一瞬で吹き飛んだよ。声なんか録音して、こいつら何をするつもりだ!?

 俺の様子に気付いた吾妻さんが、落ち着けるように表情をゆるめて、

「大丈夫ですよ晶さん。――出来ることしか押しつけませんから」

「それで落ち着けると思ったら大間違いだ!」

 むしろ余計に不安感を煽られたわ! 身震いが止まらなくなりましたよ!?

 全身の汗腺が開く。不安と恐怖に身体が硬直していた。 視界の端、部屋の奥に設えられた重厚な黒檀の社長机では、いつの間にかクソ兄貴が備え付けの内線電話を使って何処かに連絡を取っている。

「――ああ、そうだ。渡部くんをこちらに呼んでくれ」

 最後にそう告げてから、兄貴は軽い動作で受話器を置いた。意気揚々と立ち上がって、バイザーで隠れた顔を俺に向ける。

「ちょっとだけ待っててね晶くん。すぐにメイクの担当者が来るから」

「……メイク?」

 何かが変だと思ったが、兄貴も吾妻さんも飄々としていて、訊いても答えてくれないことは簡単に分かった。




 それから、一分、二分、三分……と静かな時間が過ぎて。 最初は微動だにしなかった兄貴と吾妻さんは、次第に落ち着きが無くなっていた。

「ええい! あのクソアマは何をチンタラしてるんだっ! 晶くんを待たせるとは不届き千万! 来たら殺してくれる!」

 いい大人が地団駄を踏んで殺人予告するなよ。……はぁ、何でこんなのが血の繋がった兄貴なんだろ?

 クソ兄貴の愚行に心を痛めた、その直後――


「たっだいま到着しましたぁ――――!」


 ドパァンッ! と荒々しく扉が開き、何処かの変態を思わせるハイテンションな存在が飛び込んできた。

 小豆色のジャージを着て、分厚いレンズの眼鏡をかけている、見た目は地味な女性だ。ヘアバンドをつけたショートカットの髪はボサボサで、しかも小脇に枕なんかを抱えちゃってて、いかにも寝起きですという格好。枕を持っていない方の手には、体格に合わないほど大きなジュラルミンケースを提げており、入ってきた瞬間から俊敏な動きで室内を見回している。

 ――この会社には変なのばっかりか!

 叫びたい衝動をぐっと堪えていると、何故か俺を見た地味女がレンズを輝かせた。

「この子ッスか? この子ッスよね!? イヤッホ――ッ!!」

 地味なのは外見だけだ。中身は明らかに変人の一味らしい。というか、何で俺を見て興奮する?

 初対面の相手にツッコミをするのは間違いだろうか? などと考えていると、あろうことか変態代表のフルフェイス怪人が、

「おい、地味メガネ! 俺のハニーが戸惑っているだろう! 先に挨拶をしないか!」

 と、至極まっとうなことを言いなさったっ! ……いや、少しおかしな表現も混じってたけど、兄貴にしては珍しく普通な方なのだ。

 俺は驚きに絶句し、それを見ていた吾妻さんが俺の心境を正確に伝えてくれる。

「――社長。晶さんは社長の普通っぷりに戸惑っていらっしゃるようですが」

「嘘っ!? 晶くんの中ではお兄ちゃん普通じゃなかったの!?」

「気付いてなかったのか!?」

 今度こそ吃驚だ。というか、自分を普通だと思ってたのかこの変態は!

「……あのぉ、自己紹介して良いッスか?」

 兄貴に一喝されたことでテンションが下がっていたのか、恐る恐るといった感じで、語尾だけ特徴的な地味女性が声を出した。

「あ、はい」

 適当に返事すると、地味女性は小さく咳払いして、

「では改めて、はじめましてッス。アタシの名前は渡部わたなべ小波こなみ。気軽に『コナミン』って呼んでくれると嬉しいッス」

「はぁ……」

「血液型はB型で、誕生日は八月二日。祝ってくれると最高ッス!」

「……考えときます」

「あと、趣味は美少女鑑賞ッスね!」

「美少女、鑑賞……?」

 何だ、その卑猥かつ犯罪っぽく聞こえる趣味は?

「そうッ! 可愛らしい女の子を近くから遠くから常に眺め、たとえバスルームであっても気付かれないようにその美しき身体の隅々まで記憶や写真に焼き付けて愛でる……これほど崇高な趣味は他に無いッス!」

 ――言い換えると、ストーカー・覗き・盗撮……全て犯罪行為だった。

「警察に突き出さないんですか?」

「あの、一応は有能な人材ですから、聞かなかったことにして頂けると……」

 すまなそうに顔を伏せる吾妻さん。やっぱりこの人も苦労してるらしい。

「にしても――」

 趣味の説明が一段落したのか、渡部さんが再びキラキラした視線を俺に向けて、言う。


「――社長のさんって、ホントに可愛いッスねぇ~」


 時間が……止まった。

 ――いや、俺だけ時間の間隔が狂ったのだ。

 一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった。

 渡部さんの言葉は、俺に向けて言ったモノだろう。それは分かる。

 だが、彼女は俺のことを、何と呼んだ?

 ……社長の、『イモウト』……?

 俺を見て、『弟』ではなく『妹』と言ったのか?

「あの、渡部さん……?」

「やだなぁ。名字で呼ばれるとむず痒くなるんで、出来れば名前かニックネームで呼んで下さいッス」

「じゃあ、小波さん……」

「はいッス?」

「俺のこと、兄貴から聞いてますよね?」

 精一杯の気持ちを込めて、渡部さん――いや、小波さんに訊いた。

 すると、小波さんは満面の笑みで、

「聞いてるッスよ。今日のオーディションに参加するんスよね?」

 ――更なる爆弾を投下してくれた。

「駄目ッスよ、男口調なんてマネたら。それから服も男っぽい物ばっかり着て……年頃なんだからもっと女の子らしい格好とかするッス」

 自分のことは棚に上げて、にまにました笑顔で説教してくる小波さん。その一言一言が、背伸びして頑張ってきた俺の男らしさを全否定していく。

 恐らく、兄貴と吾妻さんが会話中に出してた俺の名前は運悪く聞こえてなかったのだろう。だから俺を『女』だと勘違いしているらしい。そう思わなければやってられない。

 ――ああ、そうさ! 俺の顔は可愛い! 肌は白くスベスベで、睫毛は長くて瞳も大きく、髭なんて出てくる予兆も無い。身長は高校に入ってもあんまり伸びなくて160センチと小さく、筋肉がつきにくい体質も相まって、身体つきは華奢にしか見えない。首の後ろで束ねた髪は、母さんの言いつけで伸ばし続けてるために肩下まで達している。

 それが……その男らしさの欠片も無い存在が、俺なんだよぅ……。

 完全に心が挫けた俺の耳に、フルフェイス怪人の気に障る声が聞こえてくる。

「――動かない。ただの可愛い少女のようだ」 どこかのRPGの台詞をちょっと変えただけの言葉に、俺は反射で花瓶を投げた。

 結構な速度で飛んだ花瓶は軽々と受け止められたが、それは予測の内。奴は花瓶を持っているためにガードができない。だから殴りに行く。花瓶でガードして割ったら吾妻さんが怒るので、怒られたくない兄貴は花瓶を使えない。兄貴は吾妻さんに弱いのだ。それが花瓶を投げた狙い。逃げようとする怪人の横腹にボディブローを打ち込む。

「げぶっ!? ちょ、晶くんやめっ、ぐばぁ!」

 上半身の中でも筋肉が薄い脇を中心に拳や蹴りを見舞っていく。体格が違いすぎる上に、こいつは身体能力が高いので防御力や回復力が尋常じゃないから、こちらも半端な手加減はしない。軽い連打で上半身に意識を向けさせたところで、本命の膝横へ蹴りを――

「ぎゃあああああああああああああ!!」

 折れはしなかったが、いい音がしたのでかなり効いたはずだ。花瓶を死守しながらうつ伏せに倒れた兄貴の背骨に足を乗せる。

 逃げれないようにして、表面上はにこやかな笑顔を繕い、訊きたいことを告げる。

「何で俺が妹になって、しかもオーディションに出ることになってるのかなぁ?」

「待って晶くん! お兄ちゃんは晶くんを妹だなんて考えたことも無いんだよ!? そこの地味メガネが勝手なことを言ってるだけだ!」「うわ、酷いこと言わないで下さいよシャチョー。ちょっとしたお茶目じゃないッスか~」

 兄貴の頭上にしゃがみ込んだ小波さんが、メットをぺちぺちと叩く。それを、兄貴の手が乱暴に払った。

「地味メガネ如きが俺のヘルメットに触れるな!」

「……小波さん、踏みましょうか?」

「お願いするッス」

 頷かれたので、兄貴の背骨を踏み込む。

「ぐほっ! 背骨がっ、人体の中でも特に大事な骨がメリメリとぉおおおおおおっ!?」

 兄貴の悲鳴は無視して、小波さんが再びメットを叩き始める。

「この中ってどうなってるんスかね? 顔はやっぱ弟さんと似てるんスか?」 今度はちゃんと『弟』と呼んでくれた。本当にふざけていただけらしい。

「さあ? 俺も見たこと無いし」

「弟さんも見たこと無いんスか? ――だったら、なーさんは?」

 小波さんが吾妻さんに話を振る。『なーさん』ってのは吾妻さんのことだろう。

「いえ、私も――というか、何故こちらに振るんです?」

「シャチョーと仲良いじゃないッスか。社員の間でもケッコー話題になってるッスよ?」

「あ、ぅ……それは……」

 珍しい! 吾妻さんが赤くなって恥じらっていらっしゃる!

 にしても、兄貴と吾妻さんか……。うん、結構お似合いかも――


「バカバカしい。俺が好きなのは晶くんだけだ! それ以外に興味など微塵も無い!」


「「「………」」」


 清々しいばかりの変態宣言に、俺たちは揃って軽蔑の眼差しを送る。

「え? 何? どうして皆、俺を睨んでるの?」

「……無駄なところで男らしいよな、兄貴って」

「褒められちった♪」

 別に褒めてないので、苛立ち混じりに全力で背骨を踏みにじった。

「ふぉほはあああああああああああああああ!?」

 潰れたカエルのような醜態をさらして、無残な奇声を上げる兄貴。

 それを見てケラケラ笑っていた小波さんが、ふと何かを思い出したように言った。


「――ところで、オーディションの準備はしないんスか?」「おっと、そうだった!」 颯爽と俺の足裏から脱出し、フルフェイス怪人は立ち上がった。

 ビシッ、と奇可解なポーズを決めてから、

「さあっ! 今日は晶くんのオーディション初出場だ! 早く準備を始めよう!」


 ……………………はぃ?


 さっきの会話では冗談だったはずの単語が聞こえ、俺は思考が停止した。

 俺の様子などお構いなしに、兄貴たちはどんどん話を進めていく。

「撫子、服は用意できてるか?」

「もちろんです。――ここに」

「小波、メイクの用意は?」

「はいはい、準備できてるッスよ〜」

 吾妻さんが壁際の収納スペースから服が入っているらしいデイバッグを取り出し、小波さんが持っていたジュラルミンケースを開いて中に詰まったメイク道具を見せる。

 そこで俺はようやく放心から復帰した。兄貴に喰ってかかる。

「ちょっ、兄貴! 俺がオーディションに出るってどういうことだ!?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「言ってない! スタッフの代役って話だったろうがっ!」

 確かスタッフに欠員が出たから、代わりに手伝ってくれという話だったはずだ。少なくとも、オーディションに出ろなど一言も言ってなかった。

 そう反論すると、首を傾げていた兄貴は、

「ん~? スタッフに欠員が出たなんて言ってないよ? 欠員が出たのは――参加者の方」

「な……」

「撫子も言ってなかったでしょ?」

 思い出してみれば、吾妻さんも『欠員が出た』と言ってたけど、どんな役割が足りなくなったかは言っていなかった。

 ……つまり、俺の、勘違い?

 愕然とした俺に、兄貴はとても楽しそうな口調で声をかけてくる。

「ねぇ、晶くん」

「……何だよ?」

「出来ることなら、手伝ってくれるんだよね?」

「――ッ!?」

 兄貴の言葉に絶句する。……まさか、こいつの狙いは最初からこれだったのか?

 

「い、いや、それは……」

 俺が何とか否定しようと口を開く寸前、視界の端で吾妻さんがレコーダーの再生ボタンを押した。


『分かりました。俺に出来ることならお手伝いします』


 ぬぁあああああああっ!? ほんの五分くらい前に言った自分の台詞をここまで後悔したのは初めてだよ!

「あっれ~? 晶くんは自分の言ったことを撤回するの? それって男らしくないんじゃないかな?」

 兄貴はおちょくるように言葉を重ね、最後に俺が一番嫌いな台詞を告げやがった。

 俺にとって『男らしくない』という言葉は、せめて内面だけでも男らしくあろうとする努力への侮辱だ。どんな台詞よりもたやすく俺の神経を逆なでする挑発だ。

 だが、今回ばかりはその挑発に乗る訳にはいかない。ヒートアップしかけな思考を抑え、クールにならないと。

 小さく息を吐き、頭に上りかけた熱を外に出す。

「……あのな、兄貴。俺が女性限定のオーディションに出れるはず無いだろ? そんなの出来ないって」

 おお、我ながら良い答えだ。これなら押し込めるか?

 そんな一筋の光明は、次の瞬間、兄貴によって潰される。


「そんなの『女装』すれば平気だよ」


 ……

 ………

 …………女装?


「――って、そんなの出来る訳ないだろ!?」

 十秒近く固まっていた俺が我に返って反論すると、大人三人は口々に、

「大丈夫。晶くんならきっと似合うから」

「その通りです」

「むしろ超絶な美少女にしてやるッス」

「そういう意味じゃない!」

 仮に女装して出場したとして、もし舞台の上で性別が露呈したらどうなるか――

 社会的な身の破滅がはっきりと予想出来てしまうのが恐ろしい。

 なのに、そんな危機を吹き散らすかのように、

「晶くんなら絶対にバレないって」

「はい。可愛らしいお顔なので問題ないと思われます」

「女モノに着替えるだけでも完璧にバレないッスね」

 …………俺の認識ってそんなんですか?

 男らしさを再び全否定されて気力の枯れ果てた俺には、もはや逃げ場は存在しなかった。


 プロローグには前書きと後書きを付け忘れたので、ここで挨拶をさせて頂きます。

 はじめまして。『良幸』と書いて『リョウコウ』と読む者です。

 自分は文章を書くのが遅いので、投稿は凄まじく遅くなります。

「まあ、コイツだしなぁ~」って感じで更新は気長に待って頂けると幸いです。

初期の1ー1と1ー2の区切りが変だったので、統合して新たにL1ー1としました。長くなってしまったのですが、ご勘弁のほどをよろしくお願いします。

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