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オレンジ色  作者: Aju


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65/79

65 バグ

「何が分かった? いっちゃ……市川先生。」

 稲生はここが防衛省の中だということを思い出して、呼び方を修正した。


「このバグ、いたるところにあるね。イノちゃん。」

 市川は呼び方を修正していない。そういう配慮をきれいさっぱり忘れてしまっているようだ。


「そのくせ、本来の業務には影響しないように、巧妙に潜り込ませてある。」

「そうなんですよ。()()()()。」

 稲生は話し方を修正するように暗に促すが、市川は全く気づかない。稲生は坂本次官の方に苦笑いを見せる。

 その表情を見て、ようやく市川は自分が場所に相応しくない話し方をしていることに気がついた。


 みるみる市川の顔が赤くなって、視線を床に落とす。

「あ……その……」


 坂本も思わず苦笑が漏れてしまう。

 なるほど。出世のできるタイプではない。


 そう思いながらも、坂本は今しがた目の当たりにしたこの人物の突出した能力の片鱗には敬意の念を抱いている。

「市川先生。何か分かったことがあったのでしたら、どうか我々にお教えください。」


 市川がおどおどした目で稲生を見た。稲生は、こくりとうなずく。

「市川先生の目で見て分かったことを話してください。見解だけでもいいので。」

 稲生が促すと、市川は舌で少し唇を舐めて、喉仏をごくりとやってから話し出した。


「このバグは、本来業務に影響が出ないような位置に、本来の業務アルゴリズムはバグをスキップしてつながっていくように、巧妙に潜り込ませてあります。」


「潜り……込ませて、ある?」

 坂本次官が訝しげな顔で聞き返した。


「そうです。1つ1つのバグは何の意味もない記号のように見えますが、それらが集まってつながるべき部分がつながると、意味ある動作、または現象を引き起こすような……。つまり暗号化されたプログラムとして紛れ込ませてあると考えられます。

別の表現をするなら、本来業務の表のアルゴリズムとは別に、裏の暗号化されたアルゴリズムがパラレルワールドのように存在して活動していると言ったら近いでしょうか。」


「それが……つまりそのバグが裏でつながって、あのオレンジ色を発生させていると?」

 稲生が少しかすれ声で言う。


「そう。そう考えるのが妥当だと思うけど……。」

 市川はちょっと考えてから、

「それを立証できるような証拠は、まだつかめていません。そういう分析は、イノ……稲生先生の方が得意だと思います。」

と言って、稲生の顔を見た。


「い……市川先生は今、『潜り込ませた』とおっしゃいましたが、……それは、誰が、もしくはどこの国がやったことだと思われますか?」

 坂本次官が市川の顔に穴を開けそうな視線を向ける。日本の防衛に責任のある坂本にしてみれば、『潜り込ませた』犯人がいるのならば、それを早急に炙り出して対抗策を考えなければならない。


 『国』という言葉が出てきたことに、市川は驚いた表情を見せた。


「い……いや……。人とか国とか、そういう主体ではなくてですね……」

「人ではない……?」

 坂本と稲生が異口同音に、そう言った。


「人がやったのでないとすると、いったい……」

 稲生が眉を寄せて市川の顔を見る。


 市川はちょっと困ったように目を泳がせた。

「まだ……その、想像の域を出ないんですが……。そう考えれば……起こっていることにつじつまの合う説明がつくかと……。」

 市川は、稲生と坂本の顔を交互に見た。


 稲生が小さくうなずいて、市川を促す。

「言ってくれ。いっちゃんの仮説を。どんなに荒唐無稽でも、途中でチャチャを入れたりはしないから——。」

 そんなふうに言った稲生の顔をちらと見てから、坂本も力強くうなずいて見せた。


 市川は少し躊躇(ためら)ってから、細い声で話し出した。


「その……プログラム自身が、自分で書き加えていったのでは……と。つまり……AI なんかは、自分でアルゴリズムの一部を書き換えてゆきますよね? あれと同じようなことを、もっと深部で行っている可能性が……」

 市川は、頭がおかしくなったと思われていないだろうかと心配するような顔で、2人の顔を見比べた。


「プログラムが……自律的に意志を持った……ということですか……?」

 坂本が何か理解できない変なものを見たような顔をする。


 一方、稲生は厳しい表情で中空を睨んだ。

「そんなはずは……。AI も、人間が組んだものだ。人間が作った技術だ。……動きの一部に専門家でも追跡できない動きがあるとしても、その基本プログラムは人間が作ったものだし、人間が作ったようにしか動かない。誤りがあるとすれば、それは作った人間の誤りのはずだ。」


稲生はその方面の専門家である。夢見る人々の中には、AI が進化すればやがて鉄腕アトムやターミネーターが生まれると考えている人もいるようだが、そんなことは起こり得ない。

 AI には『意識』がないからだ。


「プログラムが、勝手に新しいプログラムを作り出すというようなことはあり得ない。どんなAI を作ったって、AI 自身が自律的な意志を持つことはあり得ない。それは……、科学ではなくて、SFでしかないよ。」


 稲生は表情に困りながら、市川の顔を見た。市川は学生時代の時のような、あの、何か新しいものを見つけた時のような顔をしていた。

 事態はこれほど深刻なのに、目の奥に喜びのようなものさえ見える。


 稲生もそう言ってはみたものの、では、世界で同時に、しかも爆発的にこの現象が起きたのはなぜか? と問われれば、それは「人間の誰かがやった」では到底説明のつくものでないことも分かる。

 世界中のサーバーに同時にハッキングなんかできるものではないし、事前に少しずつウイルスを感染させていったとしても、全てのクローズドネットワークにまで感染させきる前に必ずどこかで発見されてしまうだろう。

 このステルスバグは、ほぼ同時期に一斉にあらゆるサーバーの中に現れた——と考えるのが自然だ。


「人間が作ったからです。」

 市川の声は、自信を取り戻し始めていた。


「これはまだ、仮説ですらないんですけど……。データも証拠も少なすぎて、単なる憶測でしかないんですけど……。でも、そう考えると……、この現象は一応、説明がつかなくもないんです……。」


 そう言って市川が語り出したことは、常人の意識にはすぐにはついてゆけないような内容だった。



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