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オレンジ色  作者: Aju


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64 対策本部にて

 政府が動き出した。


 わずかに残った中央官僚たちを再編成して新たに各省庁で緊急対応チームを編成。通常の業務を全て停止し、緊急度の高いものから対応する——という非常事態体制を敷くこととなった。


 法的な問題があるのでは? という懸念はあったが、国会議員がほぼ全滅している現状からすれば、現行法の解釈の中で政府の残った機能でできる限りのことをする他ない。


 最優先とすべきはなにか?

 この点について、普段リーダーシップが弱いというイメージしかなかった菱田総理の指示は、明確だった。


 まず国民の保護。

 非感染者も感染者も含めて。でき得る限り、まずは食料と情報を届ける手段を確保すること。


 そしてもう1つ。

 他国の動向の情報収集。特に、核を保有する独裁国家がどういう状況になっているのか? 万一の事態が起きた時に、どう防衛するのか? その体勢の一刻も早い構築。


 特に2番目の問題については、あの発生爆発以降、連絡のつかない国が増えてしまっているのだ。

 アメリカとは連絡がついている。米軍基地とも。これはとりあえず一安心の材料だ。このところ対立気味だったC国とも連絡はついた。やはり、同時刻に発生爆発が起きていたらしい。問題は、K国やR国の中枢部と連絡がつかなくなってしまったことだ。

 かの国々の独裁者の脳内が、正常であればいいが……。


 もちろん、こうした話に市川が関与するような余地は全くない。対策会議2日目になると、市川の出る幕はほとんどなくなってしまった。


 会議と名がついてはいても、1日中話し合いをしているわけではない。むしろ方針が昨日決まってしまったことで、今日からは政府の各対策チームが行き詰まった時に助言を求めるために専門家が詰めている場所、という色合いが濃くなっている。

 忙しいのは防衛関連の人たちばかりだ。


「僕は、ここにいても仕方ないんじゃあ……?」

 市川は、所在なげに稲生に話しかけた。


「柏原さんにことわって、午後から防衛省の方に行ってみようか? サーバーの復旧に手こずってるらしいから。」

「僕にできることがある?」

「何かまだ話してないことがあるだろ、いっちゃん?」

 稲生が市原の目を覗き込む。

「あのデータを見た時、何か言い淀んでたじゃないか。」


 市原はちょっと口ごもった。


「ん〜……。ちょっと気になることはあったんだけど……。サンプルが少な過ぎて、確信が持てないんだよ。イノちゃん。」

「じゃあ、なおさら現場に一緒に行ってもらった方がいい。ちょっと柏原さんに言って、防衛次官に話を通してもらってくるよ。」

 稲生は立ち上がって、柏原補佐官のところに歩いていった。




 一方、その日の夕方議員宿舎に移ってきた美緒たちは、必要な着替えや日用品をキャリーバッグに詰め込んでまるで旅行に行くみたいな格好で「引っ越し」してきた。


 市川先生のところにいたメンバーはもちろん、香鈴(かりん)の家族も移動できたので沙緒里たちと一緒にやってきた。結局、松村葉子(はっこ)と竹田秋彦の家族も一緒に来ることになった。

 やはり食料が確保されている、というのは大きい。


「なんか……、わたしたちだけズルしてるみたいで、ちょっと気がひけるね。」

 葉子が、きまり悪そうな顔で言う。


「もともと、あんまり使ってなかったんだってよ、ここ。」

 美緒が荷解きしながら答える。以前、ネットのニュースか何かで見た。ほとんど使う議員がいないのに税金の無駄遣いだとかって——。


「その話じゃなくて、食べ物のこと。わたしたちだけ、優遇されるみたいで……。」

「市川先生の家にいた生徒だから——じゃない? 先生が政府の役に立ったからだよね。先生に感謝だよね。」

「そうだとしても、生徒は他にもいるのに。わたしは、たまたま体育館裏で会ったっていうだけなのに……。」


 葉子は、特別扱いで政府の食料備蓄を利用させてもらうことに一抹の後ろめたさを感じているのかもしれない。

 そのあたりは美緒も、ないといえば嘘になる。今この瞬間だって、食料を手に入れられない人だっているだろう。たまたまこの非常事態で市川先生が政府に見出され、たまたま美緒たちが市川先生と行動を共にしていた生徒だった——というだけなのに……。


「運だよ。オレたちがたまたま先生と一緒にいたのも、アネキや峰平の家族がこうなったのも。そんなもん気にするこたぁねえ。この状況から、オレたちは生き延びてくだけだ。」

 大樹がぶっきらぼうな感じで言う。


「そうだ。大樹くんの言うとおりだ。気になるなら、政府がみんなに食料を届ける作業のボランティアでもやればいい。今は、できることをできる人がやるだけだ。」

 亜澄海が続けてそう言った。




 防衛省の対策司令室で、市川は稲生立ち会いのもとでサーバーのデータを見せてもらった。


「くれぐれも。ここで見たことを他で話したりしないように。結構重い罪に問われますからね?」

 そんな次官の念押しに、市川は少し足のすくむ思いがする。


「一般に言う守秘義務ってやつだ。ビビらなくていいよ。だいたい、誰に話すっていうんだ? こんな状況の中で……。」

 稲生が市原の緊張をほぐそうと、軽口のようにして言う。

「気にしないで、ここでは思ったことを言ってくれ。」


 市川は稲生に促されてパソコンのモニターに表示されたコードを読んでゆく。その目がときどき泳ぐようにして稲生の顔に向けられるのを見て、稲生は笑いそうになった。


「坂本さん。」

と次官の名前を呼ぶ。

「あんまりビビらせないでくださいよ。彼の能力が100パーセント欲しいなら。」

「いや……私は……」

 坂本次官が言葉を詰まらせたのを見て、稲生はついに笑いを漏らしてしまった。

「中学の生徒を相手に、コードの話はさすがにしようがないでしょう。」


 市川の目が、だんだんと厳しくなってモニターに集中し始める。そのうちスクロールするスピードがどんどん速くなっていく。

「こんなに速くスクロールして、読めるんですか?」と訊こうとして、坂本次官は声を喉元で止めた。

 目の前にいる中学の教員だという人物の、集中オーラに圧倒されたのだ。


「ああ……うん……はあ……そうか!」

 何やら独り言を言って、自分だけで納得している様子だ。まるで周囲に誰もいないみたいな……。いや、この人物の世界から、周囲のすべての人間が締め出されてしまったような……。


「何か分かったのかい? いっちゃん。」

 市川がスクロールを止めて「ふう……」と息を吐き、遠くを眺めるような目をした時、稲生は声をかけた。防衛省の中にいるというのに、呼び方が学生時代のそれになっている。


 稲生は、学生時代から市川の癖を知っている。このずっと無名で来た天才の頭脳の中で何かの道筋が見えたらしいことを悟った。


 市川は「なぜ……?」と言ったきり、また遠くを見るような目に戻った。

 稲生は黙って待つ。

 まだ自問しているんだ。それに暫定的であっても答えが出ない限り、彼は口を開かない。


 坂本次官が、何か言ってほしそうな顔で稲生を見る。


「待ちましょう。今、彼の頭の中では、今見たデータと彼の知っている科学的知見との間の関係性が高速で照合されているはずです。その上で、彼なりの仮説が組み立てられつつあるところなんです。待ちましょう。」

 稲生は目の前で忘我の境地にある市川を眺めながら、さらに言葉を継いだ。

「途中からスクロールのスピードが速くなりすぎて私はついていけてないんですが……バグ、増えてますよね?」


「や……やはりそうですか?」

 坂本次官は顔を歪めた。

「見つけ出して修正していっても、次から次に見つかるんです。どこかからサイバー攻撃を受けているんでしょうか? 外部とは遮断されているはずなんですが……。」


「外部とつながる可能性のあるどんな端末ともつながっていませんか?」


「つながっていません。この部屋の中にあるクローズドなシステムだけです。一切の外部との接触を物理的に遮断してあります。」


 それから坂本次官は、あっという表情をして顔を上げた。

「まさか! ……まさか、ここのスタッフの中に犯人が……?」


「いや、それはないでしょう。」

 場違いなほどのんびりした声が聞こえて、坂本も稲生も思わずそちらを見た。


「全世界で同じことが起こってるんですから——。」

 まるで授業でもするような声で、市川先生が言った。



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