49 基地局潰し
雨は午後になってようやくあがった。
しかし地面にはまだ水たまりがあり、無数のオレンジ色が走り回っている。
「足元に気をつけて。」
雲間から薄日がさし始めた3時頃になって、市川先生が用意してくれた長靴を履いて亜澄海と美緒と大樹と誠の4人が「基地局潰し」に出かけることになった。
亜澄海が運転、大樹は電波塔のあるところまで登って電源を切る役目、美緒はガウスメーターの見張りと基地局探し、誠はスマホで「圏外」確認と護衛。
それぞれ分担して移動しながら基地局を潰してゆく。
市川先生の自宅のあるエリアを「圏外」にしてしまうのが目的だ。
先生の家にいちばん近い基地局は、先生が位置を知っていた。先生の家の前の道路から見ることができる5階建てのビルの屋上に立っている。
まずはそこへ行ってみる。
ビルは何かの会社の事務所のようで、入り口に『株式会社TIM』という看板が出ていたが何をやっている会社かは分からない。鍵はかかっておらず、中には入ることができた。
中の床は濡れていたが、水は流れていない。4人は慎重に階段をのぼった。感染者に出くわすこともなく、ビルの中は無人のようだった。
「社員の人はどうなったのかな?」
入り口が開いていたということは、出社していた人がいたはずだ。全員感染したのか? 感染者から逃げたのか? 感染した人は、どこに行ったのだろうか?
少なくとも、会社に固着した人はいなかったようだ。
最上階まで行ってみたが、屋上に出るためのドアに鍵がかかっている。
大樹が持ってきたスニーカーに履き替えて、5階の窓から顔を出して手がかりを探す。
「ちょっと待て、金森くん。鍵はこのビルの中にあるはずだから、探してみよう。危険を冒すことはない。」
亜澄海が言って、4人で手分けすることにした。
亜澄海の言ったとおり、2階の事務室にキーBOXがあり、鍵は簡単に見つかった。
ペントハウスの扉を開けて屋上へ出てみる。屋上の防水の上の水たまりにオレンジ色がひしめくようにして弾け回っていた。
大樹がまた長靴に履き替え、ゴム手袋をしてドアの外に足を踏み出す。片手に工具箱。
「気をつけて。」
「おう。」
弾け回るオレンジ色を長靴で踏みつけてアンテナ塔のところまで行くと、大樹は塔の向こう側を覗き込んだ。
「ああ、これなら簡単だ。」
工具箱から金網を切るような大型のニッパーを取り出すと、塔の足元にあった黄色い配管のようなものを挟み込んで、一気にブツンと切った。
美緒の持つガウスメーターの針が、すとんとその指し示す数値を下げる。
屋上の水たまりを埋めていたオレンジ色の粒が、みるみる減っていく。
大樹はこっちを見て親指を立て、笑顔を見せた。
「まだ圏外にはなりません。」
と誠が言う。亜澄海が少し安心したような笑顔を見せて、誠の生真面目な言葉に答えた。
「そりゃそうだろう。基地局はここだけじゃないんだ。かなり遠くのものまで潰しに行かないと、圏外にはならないよ。根気よくいこう。」
大樹が工具箱を下げて戻ってくる頃には、屋上のオレンジ色の数はうんと減ってまばらな感じになっていた。
「オレンジ色の数が多いあたりに基地局があると考えて探せば早いな。」
大樹がそう言うと、誠がスマホを見ながら言った。
「基地局マップというサイトがあるよ。まだ見ることができてるから、これで当たりをつけて行くと早いと思う。」
それから誠は大樹の顔を立てるみたいに言葉を継いだ。
「基地局潰していくとそのうち見れなくなるだろうから、最後の方は金森くんが言った方法で探すことになると思うけど……。」
ビルの外に出たところで、大樹が「あっ」と声を出した。東の空を眺めている。
「虹が出てる。」
みんな一斉に顔を上げた。少し夕方の気配が混じり始めた東の空に、淡く七色の円弧が架かっている。
美緒はこの事件が始まった最初の朝を思い出した。
まだ1週間も経っていないのに、ずいぶん昔のことのように思える。
香澄は今頃、どうしているんだろう? ちゃんと食べてるだろうか?
その日の日暮れまでに潰した基地局だけでは、市川先生の家は圏外にはならなかった。
ただスマホを使って検索や電話をしなければ、周辺にオレンジ色が現れることはなくなった。
「明日もう少し遠くの基地局まで行ってみよう。」
亜澄海がそう言うと、誠が遠慮がちに意見を言った。
「これでもいいんじゃないかな。スマホ使わなきゃ、オレンジ色は出ないんだし——。」
「ああ、それもありかもしれないね。多少でもスマホ使えた方が便利だしな。」
と亜澄海もその意見を入れた。
「それは今夜、皆と相談しよう。」
市川先生の家の前まで来たところで、亜澄海はふと思いついたように車を駐車場に入れずに止めた。
「これからこのまま金森くんのご両親の会社、確かめに行ってみるか? ついでに平田くんのお父さんの会社も。自衛隊騒ぎで確認に行けてないの、その3人だけだもんな。場所は金森くん分かってるんだろ?」
「い……いや……」
と言いかけてから、大樹はえらく素直な声で言い直した。
「場所はアネキの方が詳しいから……、アネキを連れてってそうしてもらえると……。オレと交代するから。」
「ぼくが降ります。ぼくは金森みたいに登っていって電源を切ることができない。お姉さん呼んでくるよ。」
そう言って、誠は車から降りて玄関の方に歩いていった。あたりの水たまりにオレンジ色はいない。
「ありがとう、如月さん……。アネキはたぶん、顔には出してないけど……ギリギリだと思うから。」
大樹が珍しい言葉を言った。「ありがとう」なんて言葉を大樹から聞いたのは、初めてじゃないかしらん。
そのことと、「如月」という名前に反応して美緒は思わず大樹の顔を見る。大樹は亜澄海の方を見ていた。少し弱々しいが、素直な目の色をしている。
「亜澄海さん——でいいぞ。美緒と区別がつかんだろ?」
亜澄海がそう言うと、大樹は「へへ……」とよく分からない笑いを漏らした。
程なく、金森泉深が片方の長靴がまだちゃんと履けていない状態で、ケンケンするみたいにして車のところにやって来た。
助手席のドアを開けて、頭が腰より下がるくらいのお辞儀をする。
「ありがとうございます! 気にかけていてくださって。ほら、大樹もちゃんとありがとうを言いな!」
「もう言った! ガキじゃねぇっての!」
大樹がいつもの声で言い返す。
美緒はそんな大樹の表情を見て、思わず微笑んでしまう。
そうだよねぇ。この2人、ずっとみんなのために活躍してくれてたけど、親と全く連絡ついてないの、この2人だけだもんね——。
そんな美緒の視線に気づいた大樹が、ちょっと顔を赤くした。
「平田クンと交代しようか?」
美緒が言うと、亜澄海もうなずいた。美緒がついて行っても、玲音のお父さんの顔は分からない。
「そうだな。美緒、入れ替わって。」




