41 偶発的?
河原一等陸佐は声を上げた少年の方を見た。
最初反抗的な目で手を拘束されてきた少年だったが、今はひどく子どもっぽい目をしている。純粋に「疑問」をぶつけただけのようだった。
少年は続けた。
「あれの感染者は、管理されてる武器を持ち出して正面からまともな自衛隊員と戦うなんてことができるのか?・・・ですか? あ・・・と、つまり・・・、オレが出くわしたのは、オレが素手で撃退できる程度の運動能力しかなかったんだけど・・・。」
「わたしも・・・傘で防ぐことができた。動きもトロかったし・・・。」
そう言ったのは、母親が感染者になったという少女を抱えるようにして座っている同級生らしい少女だ。
2人の中学生からの批判的ニュアンスを全く含まない質問に、河原一等陸佐はむしろ狼狽えた。
「あ・・・、いや、彼らは組織だった軍隊として攻撃してきた。それは間違いない。そうでなければ、こちらに32人もの犠牲者が出るはずがない。」
「あの・・・。つまりそれは、クーデターを起こしたということですか? 感染者が? この基地を乗っ取ろうと・・・。そういう組織だった動きができるのですか、彼らは?」
今度は亜澄海が質問した。最初の質問のように非難がましい響きはない。
「いや・・・」
一等陸佐は少し状況を思い出すように、遠い目をした。
「そういう戦略的目標を持っているようには見えなかったですな・・・。」
それから、プロらしい分析的評価を口にする。
「戦術単位の戦闘はしっかりしていたが、目標や目的がある感じではなかった。ただ暴力と破壊を行っているだけだったとも言えるだろう。つまり感染すると暴力的になる者が一定数いるということです。それも少人数ではない。この基地だけでも感染者は3千人以上になったが、その中で戦闘行動を起こした感染者は500人近くいた。率にすれば15%を超えるということになる。」
河原一等陸佐は一旦言葉を切った。
「攻撃してくる以上、戦わないわけにはいかない。あなた方には分からんでしょうな。同じ職場の同僚を、昨日まで一緒に飯を食っていた同僚を、撃たねばならんのです。」
一等陸佐の眉間に、再び厳しい縦ジワが現れた。
「感染者は決して安全ではないのです。」
しばらく誰もが無言だった。
美緒がちらと入り口に立つ隊員を見てみると、2人ともやはり同じように眉間にシワをを寄せて厳しい表情をしている。
もし、自分が同じような状況に置かれたとしたら・・・。向こうから銃を撃ってくる香澄を、自分は撃てるだろうか・・・?
さっき、わたしはあの人たちに、すごく酷いことを言った・・・。
「でも・・・、武器を、実弾の入った武器を持ち出して襲ってきたんですよね?」
と亜澄海が重ねて聞く。
その合理的行動だけが、これまで見てきた感染者とはかけ離れた行動に思えたのだ。
「運の悪いことに、実弾射撃の訓練のために弾薬庫の鍵を開けて実弾を運び出している最中にあれが起こったのですよ。弾薬庫の鍵は開いておったのです。」
まさに運が悪い、と言うほかない。鍵がかかっていれば、それを開けるところまでは感染者にはできなかったのではないか?
「あの・・・」
と市川先生が遠慮がちに声を上げた。
「その戦闘は、どちら側から始めたんですか? 感染者側から・・・?」
「それは・・・」
一等陸佐は一瞬、言い淀んだ。
「私が報告を受けた時には戦闘はもう始まっていました。始まりの詳しい状況まではわかりませんが・・・、そもそも攻撃を受けなければ応戦はしません。相手は前日までの同僚なんです! 撃て、と命令されない限り、こちらから撃てるものではありません。感染者側から撃ったに決まっている!」
市川先生は黙った。黙ってパソコンに文字を打ち込み始めた。
「事実を、書きましょう・・・。自衛隊で、秋場駐屯地で感染者との戦闘があったことを。その事実だけをさわりとして私の文章で書きますから、詳細はそちらで書いていただけますか? できれば記名で・・・。」
そう言って、カタカタとキーボードを鳴らし始めた。この普段頼りなげな教員にしては、決断の早い行動であろう。
美緒たちにはまだ信じられなかった。感染者が組織的に暴力行為に及ぶなんて・・・。
それは、自分たちが見てきた景色とあまりにもかけ離れているように思えた。
そんな美緒たちの疑問の中で、キーボードに向かっていた市川先生がふと手を止めて顔を上げた。
「あの・・・、これは一つの可能性なんですが・・・。」
そう言ってから、市川先生は言いにくそうにして一等陸佐の方を見る。
「どうぞ。おっしゃってください。」
河原一等陸佐は促した。最初の頃に比べると棘がなくなってきている。話を素直に聞いてもらえたことで、警戒感を解いてきたのだろう。
彼らは、反自衛隊のガリガリ「平和主義者」ではなさそうだ・・・。
「その・・・。司令官ほどではありませんが、私も100人程度は感染者の情報を得ているのです。・・・その中で、感染させようとする以外に暴力的な行動に出た例は2人か3人ほどしか知りません。それも概ね感染初期段階だけです。多くて3%程度なんです。どうも・・・そこが疑問で・・・。
つまり・・・いくらサンプル数が少ないと言っても、こちらの15%とはかけ離れ過ぎているんです。」
市川先生は一旦言い淀んで、それからまた自分を奮い立たせるような顔つきで続けた。
「私たちが見てきた限りでは、それ以外の患者は例外なく能動性を失って、ただ日常の何かに意識が固着してしまうだけなんです。例えばゲーム。例えば通勤。例えば授業や、学校の規律・・・。」
市川先生は「患者」と言う言葉を使った。一等陸佐が怒り出さないか確認するみたいに少し目を上げる。河原は黙って聞いている。
「感染初期に患者は感染者を増やそうとする行動をとります。私が見た中ではこれだけが暴力的なんです。」
市川先生はまた、一等陸佐をチラ見した。少しだけ言いにくそうに口をもごもごさせていたが、やがて決心したように話し出した。
「じ・・・自衛隊員ですから、体術も優れているんですよね? 感染させられまいとする隊員と感染してしまった隊員が争っているうちに・・・誰かが制止するつもりで銃を向けてしまった、というようなことは・・・?」
市川先生は怯えたような目で河原一等陸佐を見たが、一等陸佐はむしろ唖然としたような表情を見せている。
市川先生は勇をふりしぼって、その先を言った。
「あ・・・あなた方にとって・・・攻撃されたら反撃する、という訓練は・・・『日常』のうちには入りませんか・・・?」
「ああ!」
と、入り口付近で警戒していた自衛隊員の1人が声を上げた。顔がみるみる歪んでゆく。
河原一等陸佐は? と見ると、その顔も同じように歪んだ。
そのまま机の端を両手で、ガッシとつかんで血走った目を見開いていたが、やがて、しゃがれた声を絞り出すようにして呟いた。
「わ・・・私が・・・発砲を、許可したから・・・?」




