20 ネットワーク
亜澄海たちは1時間かからずに戻ってきた。
家には誰もおらず、玲音たちの両親とも連絡はつかないということだった。ベソをかいている玲奈の肩を玲音が抱き寄せるようにして居間に入ってきたのを、香鈴がソファの上で隅にずれて場所を空けた。
玲音がぺこりとお辞儀をして、妹と一緒に座る。誰も言葉を発しないが、気持ちは皆が共有できていた。
「キミたちも行ってみるんでしょ?」
泉深が、ちょっと空気をかき混ぜるように誠と亮太に声をかけた。
「あ、はい。」
と誠が遠慮がちに答える。
「ボディーガード要ります? わたしは必要なもの持ってきちゃったから、車の座席は空いてた方がよくないですか?」
泉深が亜澄海の方を見て聞くと、意外なところから返事がきた。木田誠だ。
「オレも・・・、一応、空手やってるんで・・・。」
「え? お仲間? 何流?」
泉深が、ちょっと場違いなほど明るい声を出した。
「あ・・・一応・・・、極真・・・。」
「げっ! フルコンタクトのやつじゃん。帯の色は?」
「まだ・・・茶帯ですけど・・・。」
「それ、めっちゃ強いやつ。」
「茶帯って強いの?」
と亜澄海が聞く。
「黒のすぐ下が茶です。極真の茶帯っていったら、その辺のケンカ自慢じゃ通用しませんよ。」
なんだか自慢するみたいに泉深が言う。
「いや、ジュニアですから・・・。」
と誠が少し顔を赤くして謙遜した。
美緒は意外だった。普段、どちらかというと目立たない感じのおとなしい男子だったから、そんなことやってるとは思ってもみなかったのだ。
大樹も「へえ・・・!」という顔をしている。男子の中でも知られていないらしい。
そういえば、たしかに運動神経はいい方だったような印象がある。つまり、その程度にクラスの中では目立たない子で放課後は帰宅部だったが、それは道場へ通っていたからなのか——。
空手なんかやってるなら「オレは強いんだぜ」的な態度をとりそうなものだが、誠はどちらかというともの静かで男子同士じゃれあったりもあまりしない。ゲームやアニメの話で盛り上がるグループの隅っこにいて話を聞いている、という感じだった。
「それは頼もしいわ。じゃあ、巫女内クンと2人で見回り行ってこよう。もう少し街の様子も見てきた方がよさそうだし、できれば帰りにもう一度峰平さんの家の様子も見てきたいし・・・。」
亜澄海がそう言うと、香鈴が顔を上げてすがるような目を見せた。
「一緒に行く?」
しかし、香鈴は口の端を少し上げただけで、ふるふると小さく首を横に振った。
「見てきて・・・ください・・・。」
外で亜澄海の軽のエンジン音が聞こえるのと入れ替わるようにして、美緒のスマホが着信音を鳴らせた。
「はい。あ、沙緒里。」
昨日約束した情報交換のための連絡だった。
「そっちはみんな無事? ああ、それならよかった。スピーカーにしていい? 情報みんなと共有したいから。」
美緒が通話をスピーカーにする。沙緒里の声が聞こえた。
「そっち、誰がいるの?」
「基本、昨日のメンバーのままだけど、佑美ちゃんのお母さんが加わった。」
「え? 感染したんじゃ・・・?」
「うん。でも一緒にいる。市川先生の見立てでは、感染すると日常とか1つの感情とかに脳が固定しちゃうみたい。今朝、通学してる子たちも見たよ。みんな目がオレンジ色で、声かけても反応なし。
佑美ちゃんのお母さんは佑美ちゃんのことだけで固定しちゃったみたいで、ずっと佑美ちゃんを抱きかかえて・・・・」
そこまで言って、美緒は少し声を詰まらせた。
「昨日の夜、家の様子見に行ったら、玄関でずっと佑美ちゃんを待って立ってたの。それで一緒に連れてきたんだ。
香鈴ちゃんは今朝一旦家に帰ったんだけど、家族が・・・感染しちゃって・・・。お母さんは今、木田クンと巫女内クンを乗せてそれぞれの家の様子を見に行ってる。そっちは?」
少し沈黙があった後、沙緒里の声がスマホから聞こえた。
「香鈴、大丈夫なの?」
「うん。今は、少し落ち着いてる。とにかく、近くに基地局の電波塔がないか確認して。もしあるようなら、水を使うときには気をつけて。あと、家にWi-Fi環境があるならそれも切って。」
「うん。それは、もうやった。基地局は気にしてなかったので、チェックしてみる。こっちの情報、言うね。
テレビ、今死んでるでしょ。お母さんの同級生にテレビ局に勤めてる人がいて、テレビ局で何が起こったのかを教えてくれた。感染した人がビル内のスプリンクラー作動させたんだって——。そこら中がオレンジ色だらけになって、あっという間の感染爆発だったらしいよ。今のところまだ電波は止まってないんで、残ったスタッフだけでなんとか放送を続けているんだって。
他のテレビ局も、たぶん似たような状態なんじゃないかな・・・。NETの方ではまだ動画のニュースも配信してるけど、それもいつまで続けられるか分かんないって・・・。」
「それ、水の近くでは見ない方がいいよ。動画はデータ通信量多いから・・・。」
そこまで話した時、今度は市川先生のスマホの着信音が鳴った。
「はい。市川です。ああ、稲生さん。おはようございます。何か分かったですか? あ、ちょっと待って。スピーカーにしていいですか? ここにいるみんなにも聞かせたいんで。・・・ええ、そうです。生徒たちとその家族数人と避難合宿中です。はは・・・。家族に連絡つかない子は、バラバラよりは安全かと思いましてね。」
市川先生はスマホをスピーカーモードにして、美緒のスマホのそばに置いた。
「杉村さん、聞こえる?」
「大丈夫。聞こえます。」
美緒のスマホから沙緒里の声が聞こえた。
「お願いします、稲生さん。」
市川先生が言うと、今度は先生のスマホから男性の声が聞こえた。
「おはようございます。筑波大の稲生渉です。市川さんの生徒さんというと、皆さん中学生かな?」
「高校生も小学生もいるけどね。」
と泉深が小さく言ってちょっと笑った。
「昨日夜、美紗都ちゃんと・・・ああ、岐大病院の久留原美紗都教授と連絡ついてね。彼女のとこの研究室で1人感染しちゃったらしいんだが、彼女それを奇貨としてその助手を観察し続けてるそうなんだ。美紗都ちゃんらしいだろ? それでここまでに分かったことをイっちゃんにも伝えておこうと思ってさ。オレ・・・」
そこまで喋ってから、稲生先生はスピーカーでみんなが聞いていることを思い出したのか、急に言葉遣いを改めた。
「わ・・・私の方で分かったことからまず・・・。あれは、あのオレンジ色の粒は、バグを修正したデータの通信では現れず、バグのみを抽出した通信でも現れませんでした。バグの入ったデータを通信した時のみ、現れます。
それと、もう1つ。あのオレンジ色の粒は、それ自体が何らかの情報を発信しているようなのです。あれ自体は、どうやら物理的現象というより、電気的現象のようです。今のところ私の方で確認できたのは、そこまでです。
・・・で、美紗都ちゃ・・・久留原先生の方の診察や観察、実験などで分かったのは、あのオレンジ色の粒は動物の神経細胞に吸収されて何らかの影響を及ぼすようです。特に人間の脳の新皮質に大きな影響を及ぼしているらしい、と彼女は言っていました。彼女は感染した助手の治療法を見つけ出すつもりでいます。まあ、そんなところも美紗都ちゃんらしい。」
佑美と香鈴がピクリと反応した。
稲生先生は続ける。
「私と彼女で議論して、1つの仮説を立ててみました。まだ何も実証されていないあやふやな仮説ですが、それをもとに考えると今起こっている現象には一応、大雑把な説明はつくというものです。
今後、この仮説に基づいて実験や観察を続けてみようと思いますが、とりあえずここまでのことをイっちゃ・・・市川先生にも伝えておこうと思いまして。なにしろ、いつ私たちも感染して連絡がつかなくなるか分かりませんから・・・。」
それから少し間があって、稲生先生はこう言った。
「あれは、人間の神経伝達信号に直接干渉するコードウイルスではないか——と。」
「コード・・・ウイルス?」
市川先生がオウム返しでつぶやいた。
「神経の伝達信号の中に直接入り込むコードの断片のようなものです。」
「もちろん、まだ断言できるようなデータはそろっちゃいません。あくまでも研究の取っ掛かりとなる仮説のアイデアにしかすぎません。
そちらには何か新しい情報はありますか?」
市川先生は、感染するとまずは感染者を増やそうとすること、それ以外はひどく能動性を失って1つの感情や日常行動に意識が固着してしまうことなどを、通学する生徒や佑美ちゃんのお母さんの例を引いて伝えた。
こうなってみると、テレビやNETなど不特定多数を対象にした情報システムよりも、顔の見える人間関係のネットワークの方が頼もしい。
もっとも稲生先生の話によれば、このオレンジ色のコードウイルスとやらも、人間が作った情報ネットワークシステムを使って感染を拡大させている——と言えるわけなのだが・・・。




