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戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


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69:信仰消失

それは崩壊ではなかった。

もっと静かで、もっと決定的なもの――“消失”だった。


教国の朝は、いつも鐘の音で始まる。

高塔に設けられた大鐘が鳴り、祈りの時間を告げる。

人々は起き、膝をつき、言葉を捧げる。


それが日常だった。


だが、その日――鐘は鳴らなかった。


誰も叩かなかった。


叩く者がいなかったのではない。

叩く“意味”を失ったのだ。


エルガード・カウフマンは、教国の中心都市を歩いていた。

白い石造りの街並み。整然と並ぶ建物。清潔な水路。

全ては保たれている。崩れてはいない。


だが――何かが決定的に違う。


「音がないな」


彼の言葉は静かに落ちる。


雑踏はある。人もいる。だが、騒がしくない。

商人は声を張り上げない。

信者は祈らない。

子供ですら、はしゃがない。


「抑えが消えたのに、騒がしくならない」


レオニア・アルディウスが眉をひそめる。


彼女の知る“崩壊”は、もっと荒れる。

奪い合い、叫び、暴れる。


だがここは違う。


静かすぎる。


エルディア・ヴァレンティナが答える。


「暴れる理由がない」


一拍。


「“奪う対象”が存在しないから」


マリナ・ルクレツィアが続ける。


「配給も、役割も、すでに止まっています」


視線を流す。


「だから争う意味がない」


レオニアが鼻を鳴らす。


「それで動かねえってのは、逆に異常だろ」


エルガードは頷く。


「異常だ」


そして、続ける。


「だが、これが“完成形”だ」


三人が彼を見る。


彼は、歩きながら言う。


「依存が極まると、自発が消える」


簡潔な結論。


「奪う必要も、守る必要もない」


「だから――動かない」


それは、平和ではない。

停滞だ。


彼らは広場に出る。


かつては祈りで埋まっていた場所。

今は、ただ人が立っているだけの空間。


誰も跪かない。

誰も声を上げない。


ただ――立っている。


一人の老人が、ゆっくりと口を開く。


「……神は」


だが、その先が続かない。


言葉を失う。


それを見て、マリナが小さく息を吐く。


「言語が死にましたね」


レオニアが顔をしかめる。


「大げさだろ」


だが、エルディアが首を振る。


「正確よ」


一拍。


「概念が崩れた」


エルガードが補足する。


「“神”が何を指すのか、定義できなくなった」


それが意味するのは――


存在の否定ではない。


“機能の喪失”だ。


祈れば救われる。

従えば守られる。


その前提が崩れた瞬間、

神はただの“言葉”になる。


意味を持たない音。


老人はその場に座り込む。


「……わからない」


それが本音だった。


長い年月、信じてきたもの。

それが消えた。


否定されたのではない。

ただ――必要なくなった。


だから、わからない。


レオニアが吐き捨てる。


「自分で考えろよ」


乱暴な言葉。


だが、それは“正論”だった。


老人は顔を上げる。


「考え方を知らない」


答え。


誰も否定できない。


エルディアが目を閉じる。


「教育の問題」


マリナが頷く。


「設計ですね」


そして、エルガードが言う。


「構造だ」


三者の言葉は違う。

だが指しているものは同じ。


個人の問題ではない。


積み重ねられた仕組みの結果。


広場の端で、動きがあった。


一人の少女が、立ち上がる。


周囲を見渡し、そして歩き出す。


誰にも指示されていない。

誰にも止められていない。


ただ、自分で決めて。


「……あれだな」


レオニアが顎で示す。


エルガードは頷く。


「最初の一人」


マリナが微笑む。


「希少個体ですね」


エルディアが言う。


「だが増える」


一拍。


「必ず」


少女は振り返らない。


そのまま、街の外へ向かう。


それを見ていた何人かが、動く。


迷いながら。

だが確実に。


小さな流れ。


だが――


止まらない。


エルガードはそれを見届ける。


「消えたわけじゃない」


静かに言う。


レオニアが問う。


「何が」


「信仰だ」


一拍。


「形が変わるだけだ」


エルディアが頷く。


「依存から、選択へ」


マリナが続ける。


「外部から、内部へ」


レオニアは腕を組む。


「面倒くせえな」


だが、その口元はわずかに上がっている。


理解している。


これは“終わり”ではない。


“始まり”だ。


エルガードは空を見上げる。


雲が流れている。


誰も指示していない。

だが、止まらない。


「……いいな」


ぽつりと呟く。


レオニアが聞き返す。


「何が」


「自然だ」


それだけ。


強制も、支配もない。


だからこそ、不安定。


だが――


進む。


それが本来の形だ。


広場では、さらに人が動き始めていた。


全員ではない。

大半はまだ立ち尽くしている。


だが、確実に増えている。


動く者が。


考える者が。


選ぶ者が。


エルディアが言う。


「時間がかかる」


マリナが頷く。


「ですが、戻りません」


レオニアが笑う。


「戻る理由もねえしな」


エルガードは、最後にもう一度広場を見る。


祈りはない。


だが――


静寂の質が変わっている。


さっきまでの“停止”ではない。


“前兆”だ。


「行くぞ」


短く言う。


三人が動く。


もう、この場所に用はない。


教国は終わった。


だが――


人は終わらない。


信仰は消えた。


だが――


選択は生まれた。


それで十分だ。


四人は歩き出す。


後ろで、誰かが初めて笑った。


それは祈りではない。


命令でもない。


ただの――感情。


それこそが、消えていたものだった。

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