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戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


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64:民流出

帝国は、静かに“空洞”になり始めていた。


崩壊とは、音を立てて訪れるものではない。

むしろ――音もなく、気づいた時には取り返しがつかない形で進んでいる。


帝国西部、穀倉地帯アルノール。

かつて豊穣を誇ったこの土地は、今や異様な静けさに包まれていた。


畑はある。

作物も、まだ枯れてはいない。


だが――人がいない。


「……またか」


老農が、誰もいない隣の畑を見て呟く。

昨日まで耕していた家族が、忽然と消えていた。


逃げたのだ。


いや――


“移動した”。


「どこへ行くんだ……」


答えは分かっている。


皆、同じ方向を目指している。


“流れのある場所”。


帝国には、もうそれがない。


同時刻、街道。


人の列が続いていた。


農民、職人、商人、元兵士。

身分も立場も関係ない。


ただ歩く。


荷物は最小限。

守るべきものだけを持って。


「止まれ!」


検問の兵が叫ぶ。


だが、列は止まらない。


「帝国の民として――」


言葉が届かない。


一人の女が振り返る。


「帝国は、もう私たちのものじゃない」


静かな言葉。


だが、決定的だった。


兵は剣に手をかける。

だが――抜けない。


意味がないと、分かっている。


ここで止めても、何も変わらない。


むしろ、自分が取り残される。


兵は手を下ろす。


列は、流れる。


それは逃亡ではない。


“選択”だった。


帝都グラン・ヴェルク。


市場。


かつては人で溢れていた場所。


今は、空白が目立つ。


「客が減ったな」


商人が呟く。


別の商人が答える。


「客だけじゃない。売る奴もいない」


棚は埋まっている。

だが、売れない。


流れがない。


「……商売にならん」


帳簿を閉じる音が響く。


それは一人ではない。


次々と、閉じられていく。


市場は、静かに死んでいく。


同時刻、貴族街。


豪奢な屋敷。


だが、その中は――空だ。


「当主様が、昨日……」


使用人が震えた声で言う。


「家族ごと、出て行かれました」


残ったのは、形だけの権威。


それを支える者はいない。


「……逃げたのか」


誰も否定しない。


貴族ですら、理解している。


この国は――持たない。


高台。


エルガードは、流れを見ていた。


人の流れ。


情報の流れ。


価値の流れ。


すべてが、一方向へと動いている。


「……始まったな」


レオニアが言う。


その声には、わずかな緊張があった。


戦場とは違う。


これは止められない。


エルディアが頷く。


「流出段階、最終フェーズ」


マリナが微笑む。


「綺麗ですね」


その言葉に、レオニアが眉をひそめる。


「どこがだ」


マリナは肩をすくめる。


「無駄が消えてる」


一拍。


「価値のあるものだけが流れる」


冷徹な視点。


だが、否定できない。


エルガードは静かに言う。


「自然だ」


風が流れる。


それは誘導ではない。


“抵抗がない方向に流れる”だけだ。


「……止める気はないのか」


レオニアが問う。


エルガードは答えない。


代わりに、エルディアが言う。


「止める理由がない」


マリナが続ける。


「むしろ、止めたら歪む」


レオニアは舌打ちする。


「気に入らねえな、その理屈」


エルガードが、初めて視線を向ける。


「でも、正しい」


短い言葉。


だが、重い。


帝都、中央広場。


人が集まっている。


だが、それは賑わいではない。


「どうするんだ……」


誰かが言う。


「食料が来ない」


「仕事もない」


「税だけは取られる」


不満が溜まる。


だが、爆発しない。


理由は一つ。


出口がある。


「……行こう」


一人が言う。


それに、何人も続く。


広場は、徐々に空く。


暴動にはならない。


流れるだけだ。


それが、最も恐ろしい。


統治が、意味を失う。


帝国は、命令を出せる。


だが、従う者がいない。


その頃、軍司令部。


若き前線指揮官が、窓の外を見ていた。


人が減っていく街。


静かな崩壊。


「……戦う前に、終わったな」


軍参謀が答える。


「戦いですらない」


「じゃあ、これは何だ」


一拍。


「……淘汰だ」


その言葉に、誰も反論しない。


帝国は、選ばれていない。


それだけだ。


高台。


風が強くなる。


エルガードは、目を閉じる。


流れは完成している。


人は動くべき場所へ動く。


止める理由はない。


「……これで、終わりか」


レオニアが問う。


エルガードは首を振る。


「違う」


一拍。


「ここから、崩れる」


エルディアが静かに言う。


「空洞化は、崩壊の前段階」


マリナが笑う。


「中身がない建物は、倒れるしかない」


帝国は、空になった。


残っているのは、形だけ。


それを支える力は、もうない。


風が吹く。


その中で、人々は流れる。


止まらない。


戻らない。


それは、逃亡ではない。


“選択”。


そして――


帝国は、その選択に敗れた。


エルガードは、何も言わない。


ただ見ている。


それだけで、世界は変わる。


覇者は、奪わない。


ただ――


流れを整える。


その結果。


すべてが、動く。

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