61:帝国崩壊開始
帝国は、崩れ始めていた。
それは戦場ではなかった。
剣も振るわれず、血も流れない。
だが――
確実に、終わりへと向かっていた。
帝都グラン・ヴェルク。
大理石の柱が並ぶ議場で、怒号が響く。
「なぜだ! なぜ物資が届かん!」
将軍の怒声に、文官が顔を青くして答える。
「輸送路が……維持できません。各地で“遅延”が発生し、補給が……」
「遅延だと!? 敵は攻めてきていないはずだ!」
「はい……しかし……」
言葉が詰まる。
理由が、分からない。
いや。
分かっている者もいる。
だが、それを口にすることができない。
「……流通が、握られている」
小さな声。
それは、軍参謀の席からだった。
全員の視線が集まる。
「誰にだ」
沈黙。
そして、名が出る。
「……エルガード・カウフマン」
空気が、凍る。
その名は、すでに知られている。
戦場を支配する男。
補給を断ち、戦を終わらせる者。
だが。
「……馬鹿な」
将軍が吐き捨てる。
「一人で何ができる」
その問いに、誰も答えない。
答えは――目の前にある。
物流は止まっている。
兵站は崩壊している。
命令は届かない。
それがすべてだ。
同時刻。
帝国北部。
要衝都市ラインベルク。
市場が、止まっていた。
商人たちは動かない。
いや、動けない。
「……売れない」
一人の商人が呟く。
「物はある。だが、売れない」
理由は単純。
買い手がいない。
いや――
買うべき者が、来ない。
流通が断たれている。
「何が起きてる……」
その問いに、答えはある。
ただし、それは“理解”ではなく“現象”としてしか認識できない。
同時刻。
帝都近郊の街道。
兵士たちが、立ち尽くしていた。
荷馬車が止まり、馬が動かない。
「進め!」
命令。
だが、進まない。
地面が重い。
風が逆らう。
水がぬかるむ。
土が絡みつく。
「……なんだ、これ」
兵士が呟く。
それは“魔法”だ。
だが、攻撃ではない。
阻害でもない。
ただ――“成立しない”。
進軍が成立しない。
補給が成立しない。
戦争が成立しない。
その頃。
高台。
四人の姿。
エルガード。
レオニア。
エルディア。
マリナ。
帝国の様子を、静かに見ていた。
「……始まったな」
レオニアが言う。
その声に、緊張はない。
ただの確認。
エルディアが頷く。
「流出段階だ」
マリナが補足する。
「人材、資源、情報。全部、外に流れてる」
実際。
帝国から、人が消えていた。
優秀な文官。
有能な武官。
熟練の商人。
彼らは、動いている。
どこへ?
答えは一つ。
「……こっちに来てる」
レオニアが笑う。
エルガードは、黙っている。
それが当然だからだ。
「選別は終わってる」
エルディアが言う。
「価値のある人材だけが流れる」
マリナが続ける。
「ゴミは残る」
冷たい言葉。
だが、事実だ。
帝国には、残る。
無能な貴族。
腐敗した官僚。
惰性で生きる者たち。
「……これが“崩壊”か」
レオニアが呟く。
エルガードは、短く答える。
「まだだ」
三人が彼を見る。
「これは“流出”だ」
一拍。
「次に来る」
風が、わずかに揺れる。
「機能停止」
その言葉に、空気が変わる。
帝都。
再び議場。
「税が入らん!?」
文官の叫び。
「徴収できません……地方が機能していない」
「なぜだ!」
「人がいないのです……」
沈黙。
理解が追いつく。
「……逃げたのか」
「はい」
誰も、否定しない。
そして。
それだけではない。
「徴兵も、失敗しています」
「……何?」
「応じない者が増えています」
「なぜだ!」
答えは、簡単だ。
戦う理由が、消えた。
勝てないと、分かった。
それだけだ。
「……馬鹿な……」
将軍が崩れ落ちる。
戦う前に、負けている。
それが、現実だった。
高台。
四人。
マリナが、楽しそうに言う。
「綺麗ですね」
エルディアが頷く。
「戦わずに、終わる」
レオニアが腕を組む。
「気持ち悪いな」
エルガードは、静かに言う。
「自然だ」
誰も、反論しない。
これは、力による破壊ではない。
構造による崩壊だ。
支えていたものが消えれば、落ちる。
それだけだ。
「……最後はどうなる」
レオニアが問う。
エルガードは答える。
「孤立」
一拍。
「そして――崩壊」
帝都。
夜。
皇帝は、一人で座っていた。
豪華な玉座。
だが。
その意味は、もうない。
誰も来ない。
誰も報告しない。
誰も命令を待たない。
「……なぜだ」
その問いに、答えはない。
いや。
ある。
だが、それは“外”にある。
彼の外。
帝国の外。
すべてを見ている者がいる。
エルガード。
彼は、何もしていない。
ただ。
流れを整えただけだ。
「……終わりだな」
レオニアが呟く。
エルディアが静かに言う。
「まだ終わらない」
マリナが笑う。
「ここからが“崩壊”です」
エルガードは、最後に一言。
「選ばせる」
帝国は、選ぶ。
しがみつくか。
逃げるか。
壊れるか。
変わるか。
その選択が、すべてを決める。
風が、世界を撫でる。
水が、流れを導く。
土が、支点を失わせる。
光が、真実を照らす。
闇が、余剰を消す。
帝国は――
崩れ始めた。
そして、それは止まらない。
覇者は、奪わない。
ただ、選ばせる。
その結果。
世界が、動く。




