表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/100

15 秩序 vs 人間性



 秩序は、人を守るためにある。

 だが、人が秩序を守れるとは限らない。


 その日の夕刻、難民村に張りつめた空気が走った。


 配給の列はいつも通りに伸び、鍋は規定通りに回っている。火は均等に分散され、器は整えられ、無駄はない。数日で作り上げた流れは、崩れていない。


 だが、その“整い”の中に、一つだけ、異物が紛れ込んでいた。


 列の中ほどで、女が倒れた。


 痩せた体。腕の細さは骨の形を隠しきれず、頬は落ち、目は半ば閉じている。抱えられていた幼い子どもが、声もなく彼女の服を握っていた。


 ざわめきが起きる。


「……動かすな」


 エルディア・ヴァレンティナがすぐに制止した。

 周囲の人間が距離を取る。無用な混乱を避ける動きは、すでに“身についている”。


「原因は栄養不足と脱水。意識低下。今すぐ処置すれば持つ」


 淡々と状況を言語化する。

 だが、その次の言葉が出ない。


 必要なのは、治療だ。

 だが――


 治療を行えば、列は止まる。

 列が止まれば、配給が滞る。

 滞れば、不満が生まれる。

 不満は、崩壊の火種になる。


 秩序は、脆い。


「前へ運べ」


 レオニア・アルディウスが命じる。

 声は鋭く、迷いはない。


「配給は止めない。列は維持する」


 即断だった。


 人は守る。だが、流れは止めない。

 それが彼女の“答え”だ。


「了解」


 エルディアが頷き、二人に合図を出す。

 女は静かに列から外され、火のそばへと運ばれる。


 配給は続く。


 誰も声を上げない。

 だが、視線が揺れている。


 “見ている”。


 その事実が、空気に残る。


「……いい判断ですわ」


 マリナ・ルクレツィアが柔らかく言う。


「流れを止めないのは正しい。ここで崩れれば、全体が死にますもの」


 彼女の言葉は、価値の観点から見た正解だ。


 だが。


 レオニアは答えない。


 視線は、運ばれていく女の背に向いている。


 火のそばに置かれた彼女に、エルガード・カウフマンが膝をついた。


 言葉はない。


 だが、空気が変わる。


 水が集まり、熱が巡る。

 過剰ではない、必要最小限の調整。


 体内に無理なく回るように、わずかな水分を補い、温度を整える。

 治療ではない。だが、崩れを止める。


 女の呼吸が、わずかに戻る。


 それだけだ。


 だが――それだけで、子どもの手が、少し強く彼女の服を握った。


 レオニアはそれを見ていた。


 胸の奥が、わずかに軋む。


「……助かるのか」


 低く、問う。


「分からない」


 エルガードは即答する。


「だが、持つ可能性は上がった」


 それだけの事実。


 レオニアは小さく息を吐く。


 配給の列は、途切れていない。

 人々は並び、受け取り、戻っていく。


 秩序は、守られている。


 だが。


 目の前には、守られなかったかもしれない命がある。


「……私は」


 言葉が、わずかに揺れる。


「正しいことをしたのか」


 初めての問いだった。


 自分の選択への。


 エルディアが静かに答える。


「正しいわよ」


 即答。


「流れを止めなかった。それで全体は守られた」


 事実としての正しさ。


「でも」


 マリナが続ける。


「“全部”は守っていませんわね」


 それもまた、事実。


 レオニアは目を閉じる。


 剣を抜けば、守れると思っていた。

 強くあれば、切れば、前に出れば。


 だが、ここでは違う。


 守るべきは、一人ではない。

 全体だ。


 そのために、目の前を“外す”。


 それは――


 「……見捨てたのか」


 自分の声が、わずかに重い。


「違う」


 エルガードが答える。


「選んだ」


 短い言葉。


 だが、重い。


「全部は守れない。だから、崩れない方を選んだ」


 それが、現実だ。


 レオニアはゆっくりと目を開ける。


 火が揺れている。

 列が動いている。

 人が、回っている。


 そして、火のそばで、小さな命が息を繋いでいる。


 どちらも、現実だ。


「……ならば」


 レオニアは静かに言う。


「私は、その両方を見続ける」


 秩序も。

 人間性も。


 どちらか一方ではなく、両方を。


「選ぶのは、最後でいい」


 エルディアが小さく笑う。


「そういうこと」


 マリナも頷く。


「価値は、最後に決まりますもの」


 エルガードは何も言わない。


 ただ、女の呼吸を確認し、子どもに水を渡す。


 それだけの行為。


 だが、それが意味を持つ。


 配給は続く。


 火は消えない。


 命は、すべては守れない。


 だが、すべてを捨てるわけでもない。


 秩序と人間性。


 その間で、人は選び続ける。


 レオニア・アルディウスは、初めてその“重さ”を知る。


 剣では測れない重さを。


 それでも彼女は、立っている。


 揺れながら。


 だが、崩れずに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ