表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦わずに大陸を落とした男――気づけば公爵令嬢と参謀と商人に囲まれている  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/100

1 難民村/食料不足



風は乾いていた。土はひび割れ、草は根元から枯れている。かつて農地だったはずの平野は、今や灰色の地肌をさらすだけの荒野となっていた。


その中央に、粗末な布と木片で組まれた仮設の集落――難民村があった。


痩せ細った人々が、わずかな水と、さらにわずかな食料を巡って、声を荒げるでもなく、ただ静かに押し合っている。その静けさが、かえって飢えの深さを物語っていた。


村の入り口に、一人の男が立っている。


彼は特別な装いではなかった。剣も豪奢な鎧も持たず、ただ状況を観察しているだけの存在――だが、その目だけが、明らかに異質だった。


すべてを測る目。


すべてを切り分ける目。


だが――彼は動かなかった。


「遅れている」


低く、抑えた声が後ろから響く。


振り返ると、そこに立っていたのは、深いダークグリーンの髪を片側で結んだ女性――エルディア・ヴァレンティナだった。


侯爵家令嬢にして軍参謀、情報統制担当。軽装の軍服は整っているが、胸元のボタンがひとつ外れている。規律と崩しが同居した姿。


「配給が足りていない。三日以内に崩壊する」


彼女は村全体を一瞥し、結論だけを落とす。


「分かっている」


男は短く答えた。


だが、その言葉には、行動が伴っていない。


「分かっていて、何もしない?」


エルディアは顎に指を当て、わずかに首を傾けた。


その時だった。


重い足音が土を打ち鳴らす。


振り向くと、深紅のマントを翻しながら、一人の騎士が歩み寄ってくる。


鋭い蒼の瞳。長く流れる紅の髪。軽量ながらも高級感のある騎士鎧。そして腰には、異様な存在感を放つ魔剣。


レオニア・アルディウス――公爵令嬢にして若き前線指揮官、魔剣適合者。


彼女は村を見渡し、顔を歪めた。


「……これは、放置された結果か」


怒りだった。明確な。


「配給は? 統制は? なぜここまで悪化している」


「物流が途切れている。中継拠点が三つ潰れてる」


エルディアが即答する。


「ならば再建すればいい」


レオニアは迷わなかった。


「騎士団を動かす。護衛を付けて輸送路を――」


「無理だ」


エルディアが遮る。


「時間が足りない。三日で餓死者が出る」


「ならば!」


レオニアが一歩踏み出す。


「優先順位を決める。子供と老人から――」


その言葉に、空気が凍った。


「それは、“切り捨て”だ」


男が初めて口を挟んだ。


レオニアは振り返る。


「当然だ。全員は救えない」


「それでも選ぶのが指揮官だ」


その言葉には、誇りがあった。責任を背負う覚悟があった。


だが。


男は、動かなかった。


「……選ばないのか」


エルディアが問う。


沈黙。


遠くで、子供の泣き声がした。


水を求める声。


誰かが倒れる音。


レオニアの手が、無意識に手袋へと伸びる。


剣を握る前の癖。


だが――彼女は止まった。


「なぜだ」


彼女は低く問う。


「なぜ選ばない」


男は答えなかった。


答えられなかった。


選べば、誰かが死ぬ。


選ばなければ、もっと死ぬ。


だが――その瞬間、彼はまだ、“決める覚悟”を持っていなかった。


その間にも、時間は進む。


一人が倒れた。


誰も騒がない。ただ、視線を逸らすだけだ。


レオニアの瞳が揺れる。


「……遅い」


エルディアが静かに言った。


「これは“判断ミス”じゃない。“未判断”だ」


それは、最も重い罪だった。


選ばないこと。


責任を引き受けないこと。


その時、柔らかな足音が近づいた。


場違いなほど上品な香りと共に、一人の女性が現れる。


金の髪をゆるく巻き、宝石をあしらったドレスを身に纏う。だがその視線は、商人のそれだった。


マリナ・ルクレツィア――商業国家の大商会を束ねる上位貴族、流通・経済・人材支配の中枢。


彼女は村を一瞥し、微笑んだ。


「ひどいですね」


そして、男に視線を向ける。


「で、これ。いくらになるんです?」


レオニアが眉をひそめる。


「何を言っている」


「価値ですよ」


マリナは平然と答える。


「人が何人死ぬかじゃない。どこに流れるか。どこが空くか。どこが儲かるか」


その言葉に、レオニアの怒りが燃え上がる。


「人命を計算するな!」


「してますよ、皆」


マリナは笑った。


「あなたも。そこの参謀も。――この人も」


男は、何も言わない。


言えない。


「違うのは一つだけ」


マリナは一歩近づく。


「この人、“まだ決めてない”」


沈黙。


風が吹く。


乾いた土が舞う。


そして。


もう一人、倒れた。


レオニアが歯を食いしばる。


「……決めろ」


彼女は言った。


「誰を救うか」


エルディアは何も言わない。ただ、見ている。


マリナは微笑んだまま。


男は、ようやく顔を上げた。


その目に、初めて“覚悟”が宿る。


「……やる」


その一言は、遅すぎた。


だが、それでも。


彼は動き出す。


だがその選択は――


すでに、誰かの死の上に立っていた。


風が吹く。


難民村は、まだ崩壊していない。


だが――


確実に、壊れ始めていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ