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17. 2人の妻

裏庭の片隅。


高い塀と大きく育った木々に挟まれたその狭い隙間に、()()()()は植えられている。


元々薄暗く湿った場所であるのに更に遮光の分厚い布をかけられて。

完全に日光を遮断されていれば、弱々しく(ろく)に育ちそうもないものを。

それでもその植物は、背が低いながらも首をしっかりともたげ、そして赤黒い実を実らせていた。


その実を指で突ついて確認すると、また布を上にかぶせて私は屋敷に戻る。


今日はお客様が訪問してくるのだ。

迎える準備をしなければ。


* * *


「はじめまして」


その人は美しい白い馬車から優雅に降りて、私の前に立つと静かに微笑んで挨拶をされた。

背筋がピンと伸び泰然としたその姿は、名乗らずとも高貴な身分をうかがわせる。

そんな美しい方に、私も頭を下げる。


侯爵家ご令息夫人──ブレイドの奥様に。


庭を眺める談話室に通し、その前にお茶とクッキーを並べていく。

私の手元を無表情にじっと見ているお付きの女性の分も並べようとすると「馬車で待っていてちょうだい」と奥様は命じた。

お付きの女性は奥様に一礼し、私をちらりと一瞥してそのまま屋敷から出ていく。


「いただきます」

とお茶を飲まれる奥様の動きは優雅で美しい。

カップを戻す時もわずかな音1つたてない仕草に、これが貴族様か──とぼんやりと見ていた。

指1本動かすその仕草さえ、なんと美しいことだろう。


「使用人を使われていないと聞いています。でもお屋敷をきれいに保っていらっしゃるのね」


私に語りかける口調は嫌味でも過剰な称賛でもない。

淡々と、穏やかに言葉は紡がれていた。



『お会いできませんか』



侯爵家の紋章が透かし模様で入った手紙が警備の騎士から届けられたのは、数日前のこと。


ブレイドは王都に用事があるとのことで2週間前から訪れが途切れていた、そんな時の手紙だった。


「急なお願いを聞いてくださってありがとう。ずっと、お会いしたいと思っておりましたの」


その言葉に、視線を落としたまま首を振る。


おそらく、ブレイドはこの訪問を知らない。

もし知っていたらこのような訪問は絶対に許されなかっただろう。

ブレイドはこのお方の情報を、私には徹底して遮断していたから。


もうこのまま会うことはないかと思っていた。

この方もそうだったろう。

それが、今になってなんの用だろうか。


「今日参りましたのは……ノックスの成人の儀のことです」


ノックス。

弾かれたように顔を上げる。


そこには複雑な表情を浮かべ私を見つめる奥様がいた。


「次の誕生日に、ノックスは18歳になりますでしょう。いずれ侯爵家の跡を継ぐ者の成人ですから、盛大な祝いとなります」


そう。ノックスは来月18歳になり成人する。

私があの子に別れを告げられてから、もう2年以上の年月が経っていた。


その成人の儀がどうしたのだろう。


奥様はしばらく口をつぐんだあと、話を変えた。


「……十数年前。ノックスを侯爵家に迎えると告げられた時、私は大きな戸惑いと反発を覚えました。産んだばかりの娘を否定されたように感じましたし、私自身の侯爵夫人としての資質にも落第を言い渡されたように感じたのです」


「それでも侯爵家に跡継ぎは必要でした。侯爵家を絶やさないために私と旦那様は結婚したのですから、今更また後継者がいないような事態にするわけにはいきませんでした。」


「ノックスは、引き取られた当初ずっと泣いていました……ママ、ママと、あなたを呼んで。旦那様がどんなに抱きしめ、なだめてもだめだった。」


そんな話は初めて聞いた。

手をギュッと握りしめる。


「……最初は、(うるさ)いと思ったのです。赤子だった娘より随分大きく見えましたし、旦那様が傍にいて、周りにも世話をする者が沢山いるのになぜ泣き続けるのかと。

でも、娘には私がいる。

ノックスには母がいませんでした。

だから、少しだけと思って頭を撫でてやったのです。」


「すると、私に抱きついてきました。全身でしがみついてきた。ああ、この子には母親が必要なのだと思った。それがあまりにもいじらしくて、私はこの子の母になろうと思ったのです」


......私の知らない、話。

私の知らない、母と息子の、親子の話。


「ノックスは私に懐いてくれた。子供達と旦那様と、傍目には幸せな家族であったろうと思います。……でも、旦那様の心の中にはいつもあなたがいました」


奥様は眉をひそめて苦しそうに吐き出した。


「私達は領地のため侯爵家のために尽くしました。2人で話し合い、共に歩き、支え合ってきたと思っています。そんな私を、旦那様は尊重し大切にしてくださる。……それなのに、どうしても」


奥様は少しだけ声を震わせて、息を整えようとした。


「どうしても、あなたには敵いませんでした。

2人で視察に行き問題に取り組むその時も、家族で語らうその時も、旦那様の心の片隅には常にあなたがいた。」


「この十数年の間、周りの者……私や側仕えの者だけでなく、父である侯爵様や私の実家など……皆が幾度もあなたと別れるように旦那様に言って来ました。

でも旦那様は決してそれを受け入れなかった。普段は冷静な方が、あなたの話題の時だけ感情的になりました。」


「一度だけ『リリー様はどんな方ですか』と旦那様に問うたことがありました。旦那様は口を濁しておられましたが、何度も尋ねたからでしょう。ひと言だけ『今も変わらず輝く人だ』と。それを聞いた途端に、尋ねたことを後悔しました。抑えがたい嫉妬が私の中に生じたのです」


今も変わらず輝く人…………


「分かっているのです。あなたが悪い訳では無い。それどころか、あなたはただ一人の子を奪われて、妻であったはずなのに知らぬ間に……愛人と呼ばれるように侯爵家に仕組まれた。あなたは悪くない。侯爵家の者として申し訳なく思っています。」


「私自身も元々は旦那様の義理の姉として、旦那様にあなたという妻がいることを知っていました。その上で婚姻を求めた。政略で結ばれた仲であることは端から覚悟の上の婚姻でした。

──でも。夫婦となり子を()し、家族となれば情が……愛情が芽生えます。……そんな私には、あなたはあまりにも羨ましく憎かった……」


私のことを、羨ましい……?


ブレイドの隣にいることを許されて、その子を産み、皆に祝福されているのに?

ノックスを抱きしめ成長を見守ることを許されているのに?

あの子に唯一の母だと大切にされているのに?


私が失ったものを、全て持っているのに?


「その嫉妬に私は長く苦しみました。

旦那様があなたを………妻と呼んだと知って。駆り立てられるようにあなたの姿を覗きに行った。」


「予想もしていなかったあなたの美しさを知ると、嫉妬はより具体的になりもう抑えられなくなった。私は旦那様を幾度も責め立てました。」


「その私の醜い姿をノックスはずっと見ていました。その結果、ノックスはあなたに別離を申し入れたのですね……」


奥様は、私を静かに見た。


「『僕はもうあの方に会うことはありません。母上には僕と妹がいます。もうこれ以上苦しまないでください』と。そうノックスが言った時、あの子の唇は震え、手は固く握りしめられ白くなっていました。」


「なんてことをしてしまったのだろうと、思いました。私の嫉妬が、私達夫婦の愚かさが、一人の女性から再び子供を奪ってしまった。そして決して私の前では言葉にしないけれど、ノックスにも母を捨てる苦しみを選ばせてしまった」


「それからずっと、あなたに謝らなければと思っていました。でもそう思うことと、謝ろうと決意するまでには隔たりがあって……あれから2年以上が経ってしまったのです。」


そして奥様は立ち上がり、深く頭を下げた。


「あなたの立場を蔑ろにし続け、ノックスを奪ってしまい、申し訳ありませんでした。そして……あの子を産んでくださって、ありがとうございます」



私は座ったまま、その謝罪を静かに見ていた。


私はなんと答えれば良いのだろう。


「貴きお方が私などに頭を下げるなどとんでもないことです」と?

「領民のためには必要なことでした。だからどうか謝らないでください」と?


それとも

「私の方こそあなた様を長年苦しめてしまい申し訳ありませんでした」と?

「ノックスをよろしくお願いします」と?


……結局私の口から出たのは「どうか頭をお上げください」というひと言だった。


奥様は涙を拭われると、再び腰をかけられる。


「今日伺ったのは、ノックスの成人の儀の件だと申しました。

リリー様……来月のノックスの成人の儀をご覧になられませんか。


成人にあたり、あの子は侯爵家の騎士団を旦那様と共に率いることになります。

国のため、王家のため、領地領民のために生きることを誓うのです。

もし宜しければそれを………申し訳ありませんが招待客ではなく、場所を見られる一画から覗くという形になってしまうのですけれど……ご覧になりませんか?」


あの子の成人の姿……。

剣を持ち、貴族として民の上に立とうとする、私の知らない姿……。


「あの子がこれから先色々な経験を積んで、いずれ親になった時、15歳の自分の決断を後悔する日が来るかもしれません。再びあなたの元を訪れることを願う日が来るかもしれません。どうかその時のためにも、これからもあの子を見守ってやってくださいませんか」


それは、母が息子を思う心からの願いだった。

なんと慈しみに満ちた願いだろう。

そしてそれを外から見せられる私には、なんと残酷な。


「急な話ですのでお返事はすぐでなくても。騎士に手紙を託していただければ」


そう言うと「私はこれで失礼しますね」と奥様は席を立たれた。

談話室を出るその時、立ち止まり振り返られる。


「リリー様。これからも旦那様をよろしくお願い致します。私では共に戦うことはできても、安らぎを与えて差し上げられません。」


そう言って頭を下げられた。


この高貴な方がこの言葉を口にするようになるまで、どれほどの苦しみと葛藤を抱えてきたのだろう。

そして私は今、どんな表情をしているのだろう。




去っていく馬車を見送ると、私は再び談話室に戻った。

空になった器を片付ける力が湧かず、長椅子に腰掛けて庭を眺める。


光を浴びる庭は大きな窓に縁取られた絵画のようで、暗い室内から眺めると別世界のようだ。




奥様……私はあなたの大切な旦那様に、安らぎなどきっと与えられていません。


真実を聞いたあの日から、いえ、町のアパートを出たあの日から、私は心からの笑いをブレイドに向けたことがありません。

真実を聞いてからは、肌を重ねたこともありません。



『今も変わらず輝く人』……でも奥様、私は既に変わり果てているのです。

それでも私が花の手入れをする姿を見ては『君は変わらないね』と目を細め口にするあの人。


ブレイドが、あなたの旦那様が今の私に求めているのは──侯爵家の問題が持ち上がる前、かつての彼が輝いていた頃の残影です。


何にも縛られず、心のままに自由に生きることができていたあの頃。

もう戻れないことが分かっているからこそ、あの頃の思い出を共にする私を手放せないのです。



ノックスが私に別離を告げた2年前のあの日、騎士から連絡を受けたブレイドは酷く取り乱して私の前に現れました。


そして

『必ず!必ずノックスを説得するから、また会えるようにするから!だからここから出ていかないでくれ!たのむ、リリー!』

と叫び取り(すが)ったのです。


ノックスがどれほどの決意で別離を私に告げたのかを親として考えるよりも、私を引き留めることに必死でした。


それからはほぼ毎日屋敷を訪れるようになっています。

忙しい日でも、屋敷に入ることはなくとも私の顔を見るために。

私が屋敷にいることを自分の目で確認しないと不安なのです。

そしてホッとしたように微笑んで、髪や額にそっと口付けてはまた慌ただしく帰っていく。


弱い、人なのです……。



奥様。

あなたは「共に戦うことはできても」と仰った。


でも私はどんなに険しい道であろうとブレイドと共に戦い隣を歩く、そんな人生でありたかったです。


たとえあの人が変わっていったとしても、私も変わりながら隣を歩いていきたかった。


ただ思い出をなぞるために、優しい世界に留め置かれる人生ではなく。



私達はどこで道を(たが)えてしまったのだろうと考えるのです。


結婚を申し込んだ際にブレイドが身分を隠した時。

ブレイドのお兄様が病気になられたと分かった時。

侯爵家からの要求が激しくなった時。 

アパートから屋敷に避難した時。

奥様との婚姻を命じられた時。

戸籍が修正された時。

奥様との間にもう次の子供を望めないと分かった時。

ノックスを私から引き離した時。


思えば2人の未来を変えるタイミングはいくつもあったはずなのです。


それでも、私達はお互いの思い出だけに(すが)ってここまで来てしまいました。



ブレイドはこれからも私を手元に置きたがるのでしょう。


でも私は彼に髪を撫でられ抱きしめられながら、自分の心を縛るもののことを考えています。


もう輝けない自分。

変化がない毎日のなか、ただ誰かを待つだけの生活。

私を裏切った男を憎みきれないのに、その人に謝罪され続けること。

誰かの……愛した人の唯一の存在になりたかったと、今でも渇望してしまうこと。

この繰り返す日々を寂しいと……、ただただ寂しいと思いながら過ごすこと。


ずっと、考えています……。



奥様──。

ノックスの成人の儀を見ないかと言ってくださりありがとうございます。

もう2度とあの子を目にすることができないと覚悟していたので、そのお言葉が嬉しかったです。


あの子を立派に育ててくださって、ありがとうございます。

そしてブレイドの隣を歩いてくださって、ありがとうございます──。




──窓の外には、十数年かけて育てられた庭が春の盛りを迎えようとしている。


私は静かにその光あふれる光景を眺めていた。


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