千早の結婚
この世で一番大事な友人が、結婚した。
「っあー……これはクるわぁ……」
中学時代からひそかに想ってきた相手。振られて、嫌われるのがイヤでずっと黙っていた。
いつかは気持ちにケリをつけなきゃとは思っていたけれど…。
先延ばしにして、無視し続けてきた代償。それがここまで、心臓をえぐるような痛みを伴うことだと思ってなかった。
親友に見守っていて欲しい。
そう言われて出席した結婚式。花嫁だけが許される純白のドレスは、今まで見てきた中で最も彼女を美しく引き立てた。
あんなに幸せそうな彼女の顔は、見たことなかった。私じゃ、あの子にあんな顔させてあげられない。
悔しいけど、事実だし。相手の男が、羨ましかった。
「たぁーまきぃー、あんた、トイレん中で寝てないでしょうねぇ?早く出てきなさいよぉ」
乱暴な音でドアが叩かれて、沈みかけていた意識が浮上する。
「ちょっとぉ、本当に寝てるのぉ?」
甘ったるい喋り方をする女にしては低いハスキーボイス。
頭痛がする。本気で帰りたくなった。
「ミキ、ここ、女子トイレなんだけど」
「知ってるわよ、あんた女だもん」
別に用を足してたわけじゃないんだが、とりあえず水を流す。
ドアをあけると、憮然とした顔で出迎えられた。すぐに背を向けられ、盛大なため息が聞こえてくる。
「起きてんだったらサッサと出てきなさいよね。っていうかぁ、あんたお酒弱いくせに飲んでんじゃないわよ。やぁよあんた担いで帰るの」
「いや落ちかけてたから助かったけどさ…待ち伏せしないでよ、出にくい。つーかあんた本当に…こんな日まで女装してるわけ?」
手を洗いながら訊ねると、口紅を塗り直しているミキがまた盛大にため息をついた。三沢 美樹は正真正銘、男である。
「だぁってぇ、ちぃがどうしてもって言うんだもの〜。花嫁の友達で男がきちゃマズいでしょぉ?」
そういう彼の姿は、きちんと女子である。普通に騙されるレベルで。
この日のために用意したのであろう、プリーツが可愛い桜色のバルーンワンピース。スカートはきちんと膝を隠しているし、長袖のパフスリーブの黒色ボレロできっちり体型を隠してる。ミルクティーみたいな色のロングのウィッグはいつもより長めで、ゆるく毛先が巻かれて流されている。首元をできるだけ隠すためだろう。
つけまつげでぱっちりしたアイメイクに、なんて言ったらいいのか毎度言葉が見つからない。
グロスまで塗り終えたミキが、私を一瞥する。
「ひっどい顔、あんたソレでちぃのとこ戻る気ぃ?」
言われて、鏡を見ると確かにひどい顔だった。
なんだろう、ものすごくやつれて見える。一気に老けたみたいだ。
「あんた、結婚式から出てたんでしょ?そんな顔して披露宴参加してたわけじゃないわよねぇ?」
「まさか、さすがにここまで酷くなかったよ…たぶん」
もう、とうの昔にお肌の曲がり角を過ぎて大台に近づいている。わかっているから、朝から顔だけは気をつけていた。
作り笑顔だったから疲れたのかな。
「ミキ、悪いけど私、先に帰るわ…飲み過ぎたみたい」
「……しょうがない子ねぇ。とりあえず、ちぃに挨拶だけしてから帰りなさいよ」
「わかってる。ありがと、また連絡するわ」
これ以上はいいだろう。ミキもいるし、悪いようにはならない。たぶんミキのことだから私が帰ってもフォローしてくれるし。
お手洗いのドアに手をかけたら、背中を優しく叩かれた。
「よく頑張った、えらいよタマキ」
え?
「ほらぁ、早くちぃに挨拶してきちゃいなさいよっ」
「え、あ、うん…行ってくる」
早く出ろとばかりに背を押されて、振り返ることができなかった。
秋元から羽多野に姓が変わった千早のもとへ向かう。幸せそうに微笑んでいた顔を私の心配で歪めたことに仄暗い悦びを憶えつつ、先に辞すことを詫びた。
「ごめん、またね。次は新居お邪魔させてね?お幸せに」
「うん、今日はありがと。うふふ、誘うからちゃんと来てよ?気をつけて帰って。ほんとにひとりで大丈夫?」
「大丈夫。ミキは残るらしいから、あとで回収してやって。たぶん高校の同級とかに囲まれるだろうから」
「わかってるよ~」
「ほら、旦那放置しちゃだめじゃん主役、戻りなよ。またね」
「うん、またね。おうち付いたら連絡頂戴ね」
軽く手を振り、別のところにいた新郎に会釈をする。
店を出る間際、ミキがこちらを見ていた。なんだか、見たことない表情だった。