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黒革の装丁が品のあるその本は、明らかに浮いていた。
「こんな高そうな本がウチにあったのか」
抜き出してみると、表紙も金字の装飾に文字と高級感を醸し出している。図書館にあるやけに装飾が煩く誰も使ってなさそうな百科事典よりも美しい。
「もしかして、お宝?」
そんな期待を抱きつつ頁を流してみると、冒頭から見たこともない文字羅列がビッシリと書き記されていた。途中の挿絵ですら理解に困るような頁が本の終わりまで永遠に続いている。
「うっわ、なんじゃこりゃ何語?」
古本独特の埃っぽい臭いに顔を歪めながら、最後まで流し終えた本を今度は少しずつ頁を捲っていった。ところどころ人の手の様な挿絵があることを察すると、宇宙人や異世界人の文書ではなさそうである。かといって人類の中でこれほど根気よく本に文字羅列を打ち込める者がいるのか。いや、その前に宇宙人等に人間に似た手があれば話は戻ってしまう・・・・・・
毅は一頻り考えた後、タイトルと著者を見直した。
「タイトルはたぶん“アネッサ”って書いてあると思うんだけど・・・・・・著者、著者」
表紙、裏表紙、表紙裏、裏表紙裏。どこにも著者らしき名前が無い。ただ裏表紙裏の角に20521というナンバーを発見する。シリアルナンバーだろうか。まさか人名ではないだろうとまた困惑した。読めたのはタイトルの“ANNESSA”という文字だけ。謎の本に対しての興味はそろそろ無くなりそうである。
「じーちゃん、たぶんわかんねぇだろうなぁ」
祖父に聞けば何かわかるかもしれないが、恐らく「しらんなぁ」と言うだろう。容易に想像できる。本を戻し、さてとマンガでも取ろうと店先を回ろうとした毅は、ふいの人影に気づき顔を向けた。
「っ!!」
一瞬心臓が止まった。客なのかどうなのかも怪しい出で立ちの女性が軒下に立っていた。黒い膝丈のドレスにフェルト材のラウンドハット、日傘、グローブ、タイツ、ヒール。すべてまっ黒だ。胸に咲くダリアの様なコサージュが華やかなアクセントになっている。切り揃えられた肩程の黒髪、ペリドットに似た美しい緑の瞳、表情はやや笑みを含みこちらをじっと見ている。
驚くほど綺麗な、恐怖さえ覚えるその女性に毅は言葉を失った。
「・・・・・・あ」
「ごめんくださいな」
毅がなにか言おうとしたタイミングで、優雅な品のある声で黒い麗人は尋ねた。
「あ、はい!」
「失礼してもよろしいですか?」
「あ、どーぞどーぞ、狭い店ですが、好きなように、はい」
腰を低くして何度も何度も会釈をしつつ黒い麗人を店内に招き入れると、そそくさとカウンターに戻った毅はこっそり、しかし大胆に上から下まで舐めまわす視線を送った。麗人はホタルブクロの様なドレスを揺らして店内に入りつつ本棚を眺めて毅に話しかけた。
「こういう所来た事が無くて、一度来てみたかったんです」
「あ、はは、ただ古いだけですよ。個人経営の古本屋なんて今どき珍しいと思いますが、中身はほんとボロいんで人も来ないんです」
そういうと、壁の扇風機が相槌を打つようにガタンと揺れた。
「廊下も素敵ですね」
「廊下?あぁ、床ですか?ここが建った時からずっとなんで年季はありますね」
「すごいなぁ・・・・・・」
麗人がそう言った瞬間、何故か悪寒の様なものを感じた毅はあたりを見渡した。麗人がいること以外、いつもと同じである。見たこともない人にネオフォビアの様なものでも感じたのだろうか。
麗人は下段の本を眺めていた。曲線美がなだらかで腰つきに色気があり、手の仕草に繊細さを感じる。
「女性なのはわかる。宇宙人?異世界人?日本語話せるってことはハーフかも?」
ぶつぶつと小声で独り言をする毅。麗人は何か品定めの様な目配りをした後、例の本の前まで来ると、迷いなくそれを抜き取りカウンターに持って来た。
「なにか私についていますか?」
そこで毅は初めて黒い麗人を凝視していたことに気付き、首を大袈裟に振って応えた。ここでお綺麗ですねなどと言えれば男としての何かが上がったと思うが、そんなこと無理である。
カウンターに置いたのは紛れもなくあの謎の本だった。