5-2
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老いた研究員ゲルシュナーは、また劇場のバルコニー席の様な特等席で部屋を見渡していた。
「対象との収集プログラムに入りました」
モニターの明りをメガネで反射させる研究員が言った。
「いよいよ、か」
いつもの定位置で蓄音器の箱の角を撫でた。その蓄音器は箱庭の中の大歓楽書店にあったものと同じ香りがしている。長年の経過による形容しがたい芳香だ。黄金の世界はただ夢を見せるだけ。
「今回の実験が成功すれば、こいつもお役御免だ」
優しく、子供をあやすような手で箱を叩いた。木質なトントンという音が叩くたびに鳴る。
「それは先生が御持参されたとか」
傍に立っていた付き添いの研究員が口を開く、ゲルシュナーもそれにうむと頷いた。
「これはわしが物心気付いたときから傍にあったものだ。いつの時も、不思議とこいつはそこにいて、わしを音楽で癒してくれたのだ。こいつのベルを見てみろ」
促されるまま付き添いが蓄音器に近付き、モニターの光しかない中、黄金を覗いた。
ぼんやりと映る付き添いの整った顔ともう一つ、何かが通った気がした。何かというか、黒猫だった。暗くて完全に見えたわけではないが、特徴ある背中の運びは猫のものに違いない。そしてその漆黒の身体は暗い黄金の世界でもよく映えていた。
「・・・・・・、これは?」
「こいつに宿らせた精霊だ。名は無い。ただ自由に、黄金の世界で生きる」
「これが、なにか?」
いまいち反応の鈍い付き添いにゲルシュナーは面白くない顔をして説明した。
「これと全く同じものを箱庭に置いた。要は監視か、傍観か。この猫が気分で向こうを見てくるのでな、データ管理している向こうの環境と照らし合わせている」
「あぁ、なるほど」
「まぁ、黒猫がここに戻ってきているということは、向こうのはもう壊れたんだろうがな」
箱を擦り、あんまり寂しそうにゲルシュナーが言うのを付き添いは気遣った。
「よろしいんで?」
「実験の成果は見られそうだ。どうやら今回は今までの実験の中で一番エバーオール体の収集期待値が高い様だからな」
知ってか否か、同じ香りのするその蓄音器が向こうで簡単に壊れた事を痛んでいるのでは、と付き添いは思ったが、ゲルシュナーはそれ以降その蓄音器の話には触れなかった。
「期待値が減少中!」
突然、部屋に十分響く声で研究員の一人が叫んだ。
「原因は?」
「不明です!直ちに被検体に憑依薬を投与します」
研究員がパネルを操作する。躊躇いのない行動に付き添いが苦い顔をした。
「酷い事をする。処理班の者がまた滅入ってしまうな」
「人類の存亡がかかっている。細かい事を言うな」
顔色一つ変えず、言い聞かせた。
「我々神の存亡はどうなっても構わないと?」
「ふざけるな、神は地に降りた。もう人間と変わらんだろう、人のために我々が尽くし、人類を繁栄に導くことは大昔より決まっておる」
執念深く付き添いに厳しい視線を送るゲルシュナーに、付き添いは諦めた様子で短いため息を吐いた。
「ルーフスのとこにいるのが喚くのです。狂った生き物の処理が大変だから憑依薬の投与は控えろと」
「ふん!あのクソ女のとこのクソガキなど、喚くのなら堕としてしまえ」
少し頑張って説得しようとも思ったが、ゲルシュナーの機嫌が急激に悪くなったのを察して、付き添いは口を閉じた。代わりに肩を上下させ今度は本気で諦めた。
「期待値、戻りました」
「限界まで上げよ」
研究員の報告に、二の句も継げぬ早さで命令をした。
「は、・・・・・・しかし、これ以上の投与は本体が持ちません!」
「聞こえなかったか、限界までだ。一本でも二本でも、三ミリでも四ミリでも。余裕が無くなるまで投与させよと言っているんだ」
「規定違反になります!万が一本体が持たなかった場合、箱庭にも影響がでます!」
「構わん、また作れば良かろう」
「そんな、・・・・・・我々の努力をドブに捨てろとおっしゃるのですかっ!」
「もうよい」
ゲルシュナーの指が軽快な音を響かせると、報告をしていた研究員は糸の切れた操り人形の如く、その場に崩れた。
人形になった者は目を明後日の方へ向けながら泡を吹き、血涙を流し、糞尿を垂らしていたが、周りの研究員は少し目の色を変えるだけで己の作業に集中していた。
「そこの、今わしの言った通りに手配しろ」
「は、はい!」
視線を向けた先の女の研究員に同じ指示をすると、その女は急いで作業した。慌てふためく様子で手を震わせ、潤んだ目でモニターを操作した。
「怖い事をなさいます」
冗談でも言い合うかのような軽快ささえ見える口調で付き添いは言った。直ぐにモニターには投与レベルを限界まで高めた表示がされていた。
「しつけの悪い者には仕置きが必要だ」
「なるほど、仕置きが効けば良いですね」
「もう効いた。あいつは身を持って皆に波及させた。褒めてやらんとな」
それこそ冗談で笑うかのように言うゲルシュナーに、やれやれと付き添いは手を上げて首を振った。
「それより、次の適性者ですが」
冗談はさて置きといった風で、付き添いは話を変えた。
「うむ、あのクソ女の弟か、・・・・・・上手く逃げているようだ。捕まえるまでもう少しかかりそうだと捕獲班から報告を受けた。今まではどの被検体も言葉で上手く寄こせたのだが、このクソ女の弟というのがやけに機転がきく、捕獲班を半壊させたとの報告も添えてあったわい」
「それは大変だ。私の班からも援護を出しましょうか?」
付き添いはどこまでも楽しそうだった。できる事ならこの身で一戦交えたいとさえ思っていた。しかし、ゲルシュナーの目には付き添いは映っておらず、その卑しく不気味な笑みは見えなかった。
「いらん申し出だな。もう手を打ってある」
「これはこれは、余計な事を申しました。一体どんな手を?」
興味津津といった体で付き添いは尋ねた。ゲルシュナーはその老いて皺の目立つ目の端を付き添いに向け、一言。
「軍だ」
「軍ですか」
愉快な笑みに作り変えていた付き添いは「上には報告しているんですよね?」と付け加えた。当然そうしているという確信とただの冗談のつもりの確認だったが、ゲルシュナーはその問いに「いや」とだけ返した。
「怒られますよー?」
付き添いは暢気な口調とは裏腹に完全に顔が引きつっていた。もう少し明るい場所なら顔も青ざめていたに違いない。
「わしももう長くは無い。最後の悪足掻きだ」
「またまた御冗談を、上の指示に対してこうも権力を維持できているのは先生が我々の五倍以上も生きているからじゃないですか、死ぬなんてそんな」
「生きるだの死ぬだの!・・・・・・、五百年前のわし等には無かった言葉だ」
慰めに見え、憎らしい態度の付き添いに不機嫌を返した。そんな老いた神の後ろを、付き添いはキリリと冷えた目で見つめる。
「まぁ、時間の問題ですよねぇ。ホント」
これはゲルシュナーには聞こえなかった。なにせ付き添いの内心でそう思っていたからだった。
蓄音器、黄金の世界の猫はゲルシュナーと付き添いを向こうから覗いていた。尻尾をあちらこちらと振り、耳はぱたぱたと色んな方向に向けた。何度かその愛らしい肉球の手で頭を掻くと、音もなく暗闇に消えていった。




