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例えば、それが奇跡の物語として、何が奇跡となるのだろう。
人形と悪魔の愛が実ればそうなのか、人々の未来永劫の安楽を手にするのがそうなのか、はたまた一人の研究員の不毛な実験の成功がそうなのか・・・・・・。
しかしどれもこれも奇跡とは成り得ないのだろう。できるできないの可能性の話で奇跡は語れない。
ここに百と一つのグラスがある。百落として百割れ、百一つ目で割れなければ奇跡。そういうわけだが、百一個めでもし割れてしまえば奇跡は起こらなかったということになる。全ては結果論なのだ。
では奇跡とはなんなのか――――――
「無意味よ」
部屋はちょっとした倉庫と言える程狭く、二つのデスクと資料棚一つでほぼ埋まってしまう程だった。
ルーフスが自分のデスクに頬杖をつきながら、モニターの光をメガネで反射しながら言った。
「無意味、とはどういうことですか?」
狭い小部屋でルーフスと同じく白衣を着た子供の研究員が疑問を返した。子供は資料を整理しているらしく、沢山の資料を右へ左へ動かしていたが、その度に紙が落ちたり、積み上げたファイルが雪崩れたりと収拾のつかない様子だった。
「奇跡なんて、都合の良いように解釈しているだけよ。そんなものは存在しない。表現したいがための言葉よ」
「でも、奇跡の様な出来事ってホントにそう思えるから奇跡なんじゃないですか?」
子供が零れた資料を拾いながら反論する。
「偶然割れなかったと言えば偶然、奇跡的に割れなかったと言えば奇跡、結果としてそうなっただけ。それ以前に例えばグラスが落ちる前に誰かがキャッチしてしまえば奇跡なんて起きてないのと同じだもの。そんな曖昧なもののエネルギーなんて収集できっこないのよ」
「ルーフスさんはシビアですねー」
シビアと言われてルーフスは考えてしまった。出来事をどう受け取ろうかなんて各々の自由だ。決めつけるものではない。良い事を良いものとして、考える方が幸せだ。人はそれを楽天的という。そしてそれをわざわざ疑って、事実を空想して悪い方へ考えてしまうのはシビアと言えばシビアだ。自らを思考の境地に追いやり、容赦無い想像を自分に要求する。これは悲観的という。
しかしルーフスは目の前のモニターに見えている研究内容に対してどうも賛成の手を挙げられないでいる。
「エバーオール体収集実験、・・・・・・」
「まだ引っかかってるんですか?もういいじゃないですか、これが成功して人々が幸せになるのなら」
適当に資料を片付け終えた子供は盆にお茶を注いだ湯呑を置き、ルーフスの下へ持って来た。どうやらこの子供は見た目の割に残忍な感性を持っているらしく、ルーフスの悩みを僅かにも汲み取ってあげようとする気持ちは無いようだった。
「ロッソ、私達は神様としてこの世界を守らなければならないのよ」
盆から湯呑を取りながら言った。ロッソと呼ばれた子供は盆を傍の椅子の上に置いた。盆は木製、湯呑は沢山の魚偏の漢字を並べた渋いもので、部屋の無機質感とまったくマッチしていない。
「だからこうして高機転エネルギーに着目しているんじゃないですか」
「でもだからってこんな、・・・・・・いえ、そうね。全ての人間を幸せにするには、多少の犠牲も必要ってことよね」
一瞬の高揚を鎮め、モニターのウィンドウを操作パネルで閉じる。代わりにまたウィンドウを一つ表示させた。題目には『ニューラルネット・モデルの転用書類』と書かれていた。
「今回の実験にはルーフスの研究も関わっているんです。この小さい部署がこうして最先端技術に携われることは嬉しい事ですよ!」
「そうねー、そうかもねー」
虚ろに操作パネルをポチポチとする。傍でロッソが「もー」と文句の一つでも言いたそうに唸った。
そう、この世界はイカれている。神様でさえ人間一人くらいの犠牲は付き物なのだと考えるようになってしまった。救いを与える神、罰を与える神。はて神とはなんだったろう。こんなズルイ存在だったろうか。いやそうかもしれない。元々ズルイ存在だったものを人があれこれと思想を押しつけ勝手に作りあげてしまったのだ。人はどこまでも罪深い。
ただ、一つ言えるのは今この世にいる神様はもういつか見ていた神の像と明らかに変わってしまったということだった。それこそ、あるべき姿へ、善と悪が気持ち悪くバランスを保って、不幸もあったが幸せもあった世界。
ルーフスは戻したかった。
だから今回の彼らに、せめてもの救いがあるように。
「・・・・・・。アネッサですか?それとも例の被検体ですか?」
心中を察したロッソはため息混じりにルーフスに尋ねた。
「んー?どっちもー!」
考え切って身体を固くしていたルーフスは思いっきりイスにもたれて伸びをした。
アネッサと例の被検体。前被検体である手島 章の改良型である手々島 毅。一方アネッサの方はNo.0からNo.20521、つまりは現在の手々島 毅と交戦しているであろうアネッサまで、ルーフスの研究を元にして構築されている。
この事実は詰まる所、人を守るべき神の秩序の崩壊と自らの研究でそれを成功まで導いてしまっているという皮肉である。
「このモデルは元々人の世を便利にするために開発したものですもんね。こんな形で人々の平和のためになるなんて想像もしませんでしたけど」
天然発言で皮肉を言うロッソ。ルーフスは眉一つ動かさず普通を装った。
「想像は、していたけど。まさか議会で多数の賛同を得るとは思わなかったかな。議決されたものは下手に手を出せないし」
「せめてもの監視役、ですか?」
そう、ルーフスは上層部の神からこの実験の監視を頼まれている。あくまでも監視、手を出すことは許されていない。破ればまた地上に元通りだろう、そうなればもうここには這いあがって来れない。それだけは回避しなければならない。
ルーフスはこの実験を失敗に導き、研究を凍結させたかった。ジンと呼ばれるアネッサも、ゴウと呼ばれる手々島 毅も助け、この馬鹿げた人間ジオラマストーリーを今回で終わらせたかった。
「次の被検体はまだ回収されていないらしいですね」
自分のデスクのモニターで実験記録を読みながら、ロッソはお菓子を口に含んだ。噛み砕く時のボリボリとした音が室内に響く。
「次の被検体、か」
「この赤髪は殆どの検査項目を高レベルで通過した上玉です。きっと実験もいい結果が出ますよ」
モニターには路地裏で何かから逃げているような様子の赤髪の男が画像で表示されていた。その赤のクオリアはルーフスの髪と類似している。
適正検査で通った次の人間は、ルーフスの弟であった。実験として捕まえられないよう、今でも地上で暴れまわっているだろう。
「それはつまり、今回の実験は失敗するっていう暗喩かしら?」
「そうじゃありませんよ。ただ今回また失敗して、被検体の精神汚染の後処理が面倒だなーとは思いますけど。それに関しては是非とも成功して欲しいと思ってます」
菓子を食いながらまた文句を言い始めるロッソの話を右耳から入れて左耳から抜く。
「あんたは、きっと捕まらないでしょうねー」
ボソリと、モニターの画像に向けて自分にだけ聞こえるような声で呟いた。その目には信頼や期待などといった色は見えず、ただ純粋に願いを請うかのような、危なっかしい弟を目で見張る姉の目だった。
話を混ぜすぎな感じが否めないのですが、この『ANNESSA』は喜怒哀楽や憎悪や愛情という、人の感情が神様の視点からではきっと無意味なものなんだろうなと思い書き起こしてみたものです。終わり前の五章目です。全部書き終えられたら全て斧鉞を加えて整えようと思ってます。




