最終話 栞の約束、契約の更改
静まり返った教室で、最初に口を開いたのは聡太だった。
「雪、ずっと一人で抱えてたんだな。気付いてやれなくてごめん」
「私こそごめん。一方的に拒絶して、LIMEもブロックして……聡太を傷つけてごめん」
「いや……でも、本当によかったよ。雪が無事で」
聡太はホッとしたように息を吐き出すと、苦笑いを浮かべた。
「あ~あ、カッコいいとこ見せなきゃいけない場面だったのに。全部浅川さん達に持ってかれたわ」
「そんな事ない!」
思わず大きな声が出る。
「聡太がドアを開けて来てくれた時、嬉しかったし……すごく頼もしかったよ」
本心を伝えると、聡太は照れ隠しのように自分の足を指差した。
「でも見ろよ、俺の膝まだ震えてる。やっぱり一軍女子怖ぇわ」
「ふふっ……」
「なあ、やっぱり雪の言う通りだよ」
「??」
「立派にガワだけ取り繕っても、やっぱり俺の中身は三軍のオタクなんだなって。もう一軍陽キャゴッコは今日でやめるわ」
「えっ、いいの、聡太?」
それは、聡太がせっかくここまで積み上げてきた物。
私のせいでそれを台無しにしてしまったのではないかと不安になる。けれど、彼の表情は驚くほど晴れやかだった。
「千代ケ崎さんにはバレちゃったし、クラスの奴らが知るのも時間の問題だろ。……それに」
聡太はそこで言葉を一度区切り、真っ直ぐに私の目を覗き込んできた。
「それに俺さ、素の姿で雪といる時間の方が楽しかったんだ」
夕暮れの光に照らされた聡太の顔があまりにも真剣で、私はそれ以上、何も言えなくなってしまう。
「ここしばらく、雪に距離を置かれて、気付いたよ」
その時、聡太の目がわずかに泳いだ。
だがすぐに私と目を合わせて、こう言った。
「俺、雪のことが好きだ」
「ふぇっ……!?」
予想だにしない告白に、変な声が出てしまう。
「最初は偽装彼氏としての義務感しかなかったけど……デートしたり、俺の家で一緒にボカロ聴いたり、カラオケでデュエットしたり。雪と色んな思い出重ねる内に……本当に雪の事が好きになった」
彼の言葉の一つ一つで、私の脳内にも思い出が走馬灯のように駆け抜ける。
楽しかった思い出。そのどれを拾っても、隣には常に聡太がいた。
「だから、俺の……本当の彼女になって下さい」
教室に差し込む夕日を浴びながら、彼は真っ直ぐに私を見つめていた。その言葉が、私の張り詰めていた心を優しく解きほぐしていく。
私は微かに震える手でカバンから生徒手帳を取り出し、その中を開いた。
挟んであったのは、押し花で作った手作りの栞。
「この栞、覚えてる?」
「これ……あーっ、中学の時!?」
聡太が驚いたように目を見開く。
「聡太に作ってあげるって言って……でも、それから聡太が話しかけてくれなくて、渡すタイミングがなくて……」
「言ってた、俺に作ってやるって! もちろん覚えてるよ!」
聡太は矢継ぎ早に言葉を続けた。
「雪が栞くれるの待ってたんだけど、なかなか言って来ないから。やっぱりあれは社交辞令かなって思って……女子から何か貰うとか経験無かったから、俺が本当に貰える訳ないか~って諦めたんだよ。うん、覚えてる」
聡太の言葉を聞いて、私は思わず噴き出してしまった。
それにつられるようにして、聡太も笑い始める。
「なんだよ……お互い勘違いして避けてただけじゃん」
「ふふっ……私達って本当、コミュ障だね」
ひとしきり笑った後、私はラミネートされた青い花の栞を見つめた。
「お揃いの花、一生懸命探して作ったんだよ。……遅くなったけど、貰ってくれる?」
「うん。ありがとう、雪」
大切そうに栞を受け取る聡太の姿を見て、胸の奥がいっぱいに満たされていく。
私は一度深呼吸をして、
「それで、さっきの返事だけど――」
もう一度、彼の目を見つめた。
「私の方こそ、よろしくお願いします」
遠くから運動部の掛け声や、吹奏楽部の楽器の音がかすかに聞こえてくる。
そんな中で、私の心臓はうるさいくらいに鳴っていた。
今まで契約という言葉で誤魔化して、ずっと認めないようにしてきた聡太への気持ちが、一気に胸の奥から溢れ出して止まらなくなる。
私は思わず視線を落とす。
聡太がそっと私の手を取った。少し骨ばった、けれど温かい手が、私の指先を優しく包み込む。
再び視線が重なる。夕日のオレンジ色に染まった聡太の瞳には、私の姿だけが映っている。
「……雪」
愛おしそうな声で名前を呼ばれた瞬間、聡太の腕が私の背中に回った。
引き寄せられるまま、私たちは互いの身体を強く抱きしめ合う。
制服から香る好きな人の匂いと体温が、身体中に満ちていく。私の小さな頭を包み込むように、聡太がその手を優しく添えてくれる。
この温もりを手放したくなくて、私も彼の背中にぎゅっと手を回し、その胸に顔を埋めた。
脅迫から始まった、偽りの関係。
たくさん傷つけて、遠回りもしたけれど――
「私のこと、そんなに好きなの?」
「ああ、好きだ」
「本当に?」
「本当に好きだ」
「もう一回言って」
「何度でも言ってやるよ。雪が好きだ」
「好きって十回言って」
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き」
「一個足りない」
「……好き。」
「大好き?」
「大好きだ」
「……えへへ。私も大好きだよ、聡太」
――偽装恋人としての私たちは、今ここで終わりを迎えた。
これから始まるのは、一切の嘘を取り払った私たちの、本当の恋の物語だ。
おわり




