第九十六服 香川へ
「やっぱ碧くんやったぁ。こんなにすぐ再会するなんて嬉しいわぁ」
「ほんとびっくりっす…。
コイツの親がやってる店なんすよここ。
あ、同じクラスの寺崎です」
雀雲は薄紫色の入ったメガネを外して、寺崎の方を見た。
相変わらず、静けさのなかに情熱的な色が代わる代わるその人を包んでいる。
「え、なに碧。この人知り合いなん?」
寺崎は、その人の少し普通とは違う雰囲気に戸惑ったのか小声で碧の肩を指で突いた。
「あ、ほらさっき光瑠に紹介しようか迷ってるって言った書道家の先生…」
寺崎は「あぁ、例の…!」と言って軽く会釈をしたが、その人の雰囲気に未だ慣れない様子だ。
「えぇ、なんや僕のこと噂してはったん?」
「あ、俺の同級生で芸大に興味あるかもしれないヤツがいて、今度一緒にアトリエに行きたいなと思ってて…」
「そうなんやぁ、僕のアトリエここの近くやからいつでも来たってなぁ」
(そういえば名刺にこの近くの住所が書いてあったな)
そうはいっても昨日のフジ先生といい、今日の雀雲さんといい…。
連続してこんな偶然…奇妙な感じだ。
雀雲は再び寺崎の方へ視線を移した。
「初めて来たけど、ええ感じの店やねぇ」
「あ…ありがとうございます。
あ、いや、てかお一人ですか?ご予約は?」
「うん。打ち合わせでね。
もう先に来てはると思うんやけど。
高田さんて」
「あ!ご、ご案内します!!」
「テラ、雀雲さん、目が見えにくいから気をつけてあげて」
「お、おう!…こちらです」
寺崎は立ち上がって奥の座敷に案内し、美代子さんに引き渡した。
戻ってきた寺崎はふぅと一息ついて、碧の隣に座り直すと興奮気味な目を見せた。
「あの高田さんて常連さんな、どこか忘れたけど、どデカイ寺院のえらーい住職さんなんや。
その人と打ち合わせて、何やろなぁ!
寺に飾る書でも書くんかな」
その予想はあながち的外れではないかもしれない。
京都に数多ある寺院の中で有力なところは、著名な書道家に依頼した書を飾ることなど大いにあり得そうだ。
とりあえず、明日早速光瑠にメッセージしてみよう。
そう思いながら、寺崎と香川への計画を練った。
(あれ、そういえば…)
香川へのアクセスや、やりたいことをメモアプリに入力しながら、碧はあることに気づいた。
(楽しみがまた増えたな)
* * *
「うぉーついた〜!香川ぁ〜!」
車内でもずっと興奮しっぱなしだった寺崎は、高松駅のホームに降り立った瞬間、ハイテンションな声と共に、グーにした両手を高々と上げた。
目的地である、香川県内でも歴史ある醤油蔵『かめびし醤油』までは、神戸三宮からバスで淡路島を突っ切って行ったほうが早かったのだが、せっかくなら瀬戸大橋を通ってみたいと二人の意見が一致し、新幹線で岡山経由で行くことにした。
岡山駅で瀬戸大橋線・マリンライナーに乗り換え、程なくすると瀬戸大橋へ差し掛かる。
車窓からは、よく晴れた天気のおかげで、海も空もその青さがひとつながりに見えるような大パノラマが広がっていた。
初めて二人だけで遠出する高校生男子は、見るもの全てに目を輝かせ、夢中でスマートフォンのシャッターボタンをタップし続けていた。
駅の改札を出ると、後ろから頭をわしゃっと掴まれた。
「親父!」
振り返ると大きなカメラを肩から下げ、いつものようにヘラっと笑う親父の姿があった。
高松駅からローカル線で行くこともできたが、少し遠いからと車で迎えに来てくれたのだ。
「よく来たな〜。
あ、君がテラくんね。
碧と仲良くしてくれてありがとね」
「はい!寺崎誠司です!碧と二人の香川旅、めっちゃ楽しみにしてました!」
「あれ、そーいや光瑠くんは?」
湊は軽く周囲を見渡した。
結局、光瑠は香川に一緒に来ることができなかったのだ。
【碧、ごめん涙
夏休み中父さんに強制的に夏期講習入れられちゃってさぁ
香川一緒に行けないわ…】
寺崎と話した日、家に帰ると碧が光瑠に送るより前に、こんなメッセージがきていた。
【うわ、まじかよ】
【あ〜もうぜって〜嫌がらせだよ…】
【そっかぁ。
土産買ってくる。
夏休み中どこか会えんだろ?】
【夏期講習は八月十五日までだから
それ終わったら一旦解放されると思う…】
【じゃ十六日!
ちょうど五山送り火の日だろ
見にいこ】
【がんばる…】
光瑠のアバターが泣きべそかいてるスタンプと共に、メッセージは終了した。
「光瑠の父さん厳しくてさぁ。
夏期講習やれって。
こっち来るの許してもらえなかったんだってさ」
「そりゃ残念だったな。
俺は、高校の最初のうちは、勉強よりやりたいことたくさんやったほうがいいと思うけどなぁ」
実に多比良湊らしいセリフだと思った。
勉強を教えてもらった覚えはないが、それでもこの人から出てくる言葉は知性や感性に溢れていたし、様々な歴史や地政学をよく知っていた。
だから勉強が苦手そうだなとか、嫌いそうだとかそういう印象を持ったことはない。
そんな自分の父親は『写真』という、何よりも夢中になれることをどこかで見つけたのだ。
だから、きっとこのセリフは自分の経験や感覚から自信を持って出たものだろうと感じた。
やりたいことを見つけて仕事にした多比良湊というフォトグラファーのストーリーも聞いてみたい。そんなことを考えながら車に乗り込む。
「湊さん、カメラめっちゃデカくてかっこいいですね!
バズーカみてぇ!強そー!」
「湊でいいよ」と言われた寺崎は早速そう呼ぶことにしたようだ。
助手席に置いてあるカメラを、身を乗り出して覗いている。
「テラ、小学生みたいなこと言うなよなぁ」
寺崎は普段から妙に大人びたことを言うくせに、たまにこうやって厨二発言をする。
「改造したらイケるかもな。
そんなんできたらCIAの狙撃部隊に入れるな」
湊は笑いながらテキトーなことを言ってる。
「それすげぇ!」
何だこの会話…と思いながら、少し前の自分をまたふと思い出す。
自分も、教室の中ではこんな感じでテキトーな笑いのネタを転がしていたが、寺崎のピュアな一面がそれを拾い上げてくれていたんだなと思ったのだ。
そうこうしているうちに、目的地に到着した。
『かめびし醤油 創業一七五三年』
と書かれた真っ赤な暖簾が視界いっぱいに広がり、醤油の独特な甘く濃い香りが辺りを埋めていた。
「こんにちは〜!
きゃー息子くんたちだー!
二人ともイケメン〜!」
三人が到着するなり、暖簾の奥からぞろぞろと十人ほどの人が出迎えてくれた。
「碧、誠司くん。
こちら、かめびし醤油、十八代目当主の岡田さんと、映画監督の松田さん。
あと、カメラとか音声、技術スタッフ…その他大勢!」
途中で紹介が面倒になったのか、大雑把に紹介した湊は省略されたみなさんから総ツッコミを食らっていた。
(というか…)
「醤油蔵の代表の方と、監督って…女の人だったんですね…!!」
監督と当主といって紹介されたのは、どちらも女性だった。
一人は暖簾と同じ真っ赤な法被を着ており、監督と紹介された方はカジュアルなTシャツにジーパン姿だった。
てっきり、撮影している場所は失礼ながらむさくるしい男所帯なのだと思っていた。
かなり偏見ではあるが、碧が映画監督に抱くイメージは厳しそうな目をして、タバコをくわえた初老の男性であった。
それに加えて、醤油蔵なんて渋い家業を継いだ十八代目が女性なんて。
「そうだよ〜!
湊さん、息子くんたちに伝えてなかったんですか?
メンズよりイケてる、つよつよ姉さんたちがいるって!」
どちらもおそらく親父より年上だろうが、生き生きとした顔と強い眼差しは、その自称がよく馴染む。
「はは、サプライズの方がいいかなってねー。
って、あれ?テツさんは?」
湊は女性二人の圧を受け流すように、誰かを探した。
「あー湊はん。すんません、今行きます〜。
『むしろ』がええ感じになっとって、ちょっと見入ってしもて」
奥のほうからパタパタという足音とともに少し怠そうなのんびりとした声が聞こえてきた。
はらりと暖簾が上がって男の人が出てくると、寺崎が一際大きな声を上げた。
「え…なんで!?」
出演協力:
かめびし屋 https://kamebishi.co.jp
一七五三年の創業より、頑ななまでに「むしろ麹」を守り続けて約二六〇年。
十八代目当主岡田佳織 (おかだ かおり)さん
松田 恒代 (まつだ つねよ)監督
香川県東かがわ市の醤油蔵を舞台にした、映画『ワタシ、発酵します!』の監督・脚本
(第8回さぬき映画祭シナリオコンクールで大賞受賞)
https://www.sanukieigasai.com/lineup/2026/film01/




