第一服 春。いつもと変わらない、呼吸のように過ぎる日々
本気で向き合うことをやめた少年が出会った「茶の湯」という微かな光と、それを導いてくれる師や友人、ライバルとの日常が彼の確かな才能を開花させ、茶の湯の頂点を極めようと奮闘する学園青春ストーリー。
文化と歴史、そこにまつわる哲学や美学の表現方法としてラノベにチャレンジしようと決めました。
拙い文章だと思いますが、暖かく見守っていただけたら嬉しいです。
本作の短編読切りを、見よう見まねでネーム化したのもありますので、興味ある方は下記をのぞいてみていただけたらこれまた幸甚です。
https://rookie.shonenjump.com/series/OmkvmYUhb4M
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「碧! 昨日の深夜の試合、見た? サッカーの」
「見た見た。あの土壇場の逆転、やばかったよな」
四月の教室には、まだ桜の匂いが残っていた。
窓の外からは、新入生を迎える吹奏楽のすこし調子ハズレな音が風に乗って流れてくる。
中等部から上がってきた見慣れた顔に高等部から受験で入ってきた新顔がぽつぽつと混じって、なんとなくぎこちない空気がそこかしこにあるように感じられた。
京絹学園。その名を京都の人間で知らない者はいない。
創立は明治の半ば、茶人や数寄者、財界の旦那衆が出資して興したという由緒ある学び舎だ。
中高一貫校で中等部の校舎までを抱えこんだ敷地は、ひとつの学校というよりひとつの小さな町のように広い。
通う生徒もただ者ではない。旧家の跡取り、政財界の御曹司、老舗や伝統工芸の子弟──名簿には、京都の歴史そのものみたいな名字が当たり前の顔をして並んでいる。かといってお高くとまった学校でもない。なにせ生徒数の多いマンモス校だ。
ごく普通の家の子も、由緒ある家の子も同じ六クラスの教室で机を並べ肩をぶつけ合って育つ。育ちも家柄もばらばらな少年少女がこの広い敷地の中で、毎日すれ違ってはそれぞれの物語を生きていた。
とりわけ人を惹きつけるのは、敷地のそこかしこに遺された古い建物だった。
文化財に登録された明治の木造の旧校舎、苔むした日本庭園。少し奥へと進めば、普段は公には使用されていない能楽堂や神楽殿まで備えられ、重要な文化財を保管する資料室などまで擁している。現在は丈夫なコンクリートづくりの新校舎が実質的な学び舎として機能しているが、何百人もの生徒が行き交うこの広大な敷地内には、そういった場所がいくつも息をひそめている。
多比良 碧は、中等部の二年でこの学校へ転入し、そのまま高等部へ上がった。
入学式からまだ2週間と経っていなかったが、それでも碧の周りにはもういつもの人の輪ができあがっていた。
身長176cmと長身ではないが、その体格にしてはサイズの小さな頭部と筋肉質でスラリと伸びた手脚がファッションモデルのような雰囲気に仕立ててくれている。
淡いブルーグレイがかった瞳は少し日本人離れしているようにも感じられ、軽いクセのある柔らかそうな髪は襟元で軽く刈り上げられており、清潔感があった。
そんな容姿もあってか、軽妙なトークのおかげなのか、碧は誰よりも早くこの教室の真ん中にいた。
「碧だったらさ、サッカーマジでやったら日本代表行けんじゃねーの?」
「まあー代表どころかヨーロッパも夢じゃねーけど、ほら、俺、顔がキュートじゃん? チームメイトに迫られても困るし、やめとくわ〜」
「なんやお前それ〜」
「いや碧ならありえない話じゃねーかもな笑」
男子たちがどっと沸いた。誰とでもすぐに打ち解けて場を転がす。ちょうどよく掴みどころのないことを言ってその場の空気をふっと軽くする呼吸のようなものが碧には身についていた。たぶんそれは碧にとっていちばん得意なことだった。
「なぁ碧くん、こないだのいきなりの古文のテストよかったんやろ? ノート見せてぇやぁ」女子に甘い声をかけられても「いいよ。そのかわり苦手な数学の宿題やってもらっちゃおっかな〜」と嫌味なくかわす。
授業で当てられればそつなく答え、先生にも気に入られる。なんでもそこそこできてしまう。
そんな、呼吸のように無意識に過ぎる日々を送るだけだった。
* * *
昼休み。一階のピロティは、新入生を狙う部活の勧誘でちょっとした戦場だった。
「君が多比良くん? いろんな運動部の助っ人でインハイまで行っちゃったっていう」
声をかけてきたのは陸上部の部長だった。
碧は中等部のあいだ、どこの部にも入っていなかった。所属するのは性に合わないからなどと適当な理由をつけて、あらゆる誘いから逃げていた。
体育の成績は三年間ずっと五段階の五。ルックスよくて運動がきる──主人公がいいとこ取りで良いのかと思うが、とにかく球技も陸上も水泳もそれなりにこなしてしまう碧だったので、たまに助っ人で呼ばれて試合に出ては活躍していた。その噂は高等部の連中にまで伝わっているらしかった。
「バスケ部の助っ人で県大会まで行ったって、マジ?」
「なあ、多比良、サッカー部来いよ。お前いれば全国目指せるって!」
「多比良くん、軽音は? ボーカル探しててさ」
「歌は人並みっすよ」
「またまた、合唱コンクールで指揮も伴奏もやったって聞いたぞ」
「あはは、誰すかそのメチャクチャな情報源」
――どこからか湧いてくる勧誘と尾鰭のついた噂を、碧は片っぱしから「あー、どうですかね。考えときます」と愛想よく笑って、やんわり全部かわす。
「碧、モテモテだなあ」
うらやましいだろ? と、碧がにやっと笑い返すと、全っ然!と強がる友人とのやり取り。意味を持たないこの軽いこのやり取りが、なんだかんだ心地よい。と自分に言い聞かせる。
それに反して碧の周りは高校生活を充実させんとするエネルギーで溢れていた。
―― ふと。にぎやかな輪の中で、碧は半歩だけ引いた場所に立っている自分に気づいた。みんなが笑っている。自分も笑っている。なのに胸の奥だけが、一瞬、しんと静かになる。
まぶたの裏を、ひとつの光景がよぎった。いつか父と立った高原。目が痛くなるような一面の緑。父が「碧、見てみろ」
とファインダーを覗かせてくれた、あのとき世界がやけに鮮やかに見えた――
「碧ー! 次、移動教室だってー!」
「お、わりい、今行く!」
呼ばれて、碧はぱっと顔を上げた。
さっきの静けさはもうどこにもない。いつもの調子で輪の中へ戻っていく。
――まあ、こんなものだ。
高校生活もきっと、これまでと同じ。明るくてにぎやかでそれなりに楽しい。それで十分じゃないか。
「あれ、 碧!?」
後ろから呼ぶ声が聞こえた。
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