夜の街で……
「カナエに酒はダメだ」
「目を離したのは一生の不覚だ……」
しっとりとしたバーで、サチは大きく息をつき、ヒロは項垂れていた。
クラブでひとしきり踊った後、カナエとヒロはバーカウンターでサチと合流した。
熱帯魚たちがヒロに絡んでいるうちに、カナエはバーテンから酒を貰っていた。
グラスに残ったカクテルはカナエのドレスと同じ色。夜の街特有の歯の浮くようなセリフが浮かぶが、免疫の無いカナエの事だ……浮き足立ってしまったのかもしれない。
ほてった体に酒はよく染みた事だろう。
気づいた頃にはカウンターに突っ伏して寝息を立てていた。
カナエをヒロがおぶって店に送り届け、男2人で飲み直そうと夜の街に戻ったのだ。
ジャズが低く流れる店内に男2人のため息が染み込んだ。
「……ちょっと毛色の違う女に見えたからなぁ。妙な男に連れてかれなくてよかった」
サチがため息混じりに言った。
細いアイラインとラメが光るまぶた、濡れたように赤い唇。
入江の世界での化粧とは違う、色気を増す化粧が幼さの残る顔立ちを一気に大人びたものにしていた。
カナエがどう思っていたかはわからない。
だが――夜が似合うように化粧したカナエはずいぶんと魅力的だった。
「綺麗だったな……」
ヒロは両手で包むように持ったロックグラスを眺めた。
「惚れてんのか?」
グラスの氷が、カランと音を立てた。
サチは踊る2人を見ていた。
――カナエもなかなかだったが、お前も……。
ヒロは権力者の影だと言っていた。
身のこなしは仕込まれた物だろう。
ガキの表情で、大人の色気が滲むカナエ。
王子様役が癪に障るほど様になってるヒロ。
絵になった。
人混みが割れるほどの。
ヒロの目が愛情を持っている事なんざ、誰から見ても明らかだっただろう。
気づいて無いのはカナエくらいだ。
「そういう事は……よく解らないな」
下がった眉がヒロの成長を感じさせた。
――表情が増えたな……人形みてぇな面してたのに。……だから、解る。
「あれが惚れてないならなんなんだよ、馬鹿野郎。……攫っちまえばいいじゃねぇか」
おせっかいは百も承知だが、言わずにいられねぇ。
「どこか、平和な異世界にでも居着いて、2人で世帯を持てばいいだろ」
「無くしたもの取り返すくらい、お前が幸せにしてやれよ」
グラスの中の氷を揺らしながら、ヒロが黙った。
横目で様子を伺えば、ヒロの目線はどこか遠い……。
「……カナエはいい母親になると思うんだ」
ずいぶん黙って、やっとヒロは呟いた。
「なんだ、急に」
ヒロの目は優しい。
目線の先に、カナエを見てるんだろう。
「はは、まぁ聞いて欲しいんだ。入江の村でも見ただろう?子供が好きだ」
「そうだな」
「一緒に悩んだり、遊んだり……抱きしめて、泣いて……愛情深い母親になるよ」
「まぁ、よく懐かれてたな」
入江の世界で、子供にもみくちゃにされていたカナエを思い出す。
――子供と一緒になって遊んでるのかと思ったら、知らねえ間に先を照らしてた。狙ってやった事じゃねぇんだろうな……。
我が子と一緒に、泣き笑うカナエは容易に想像できて、サチは笑った。
「……俺にはもう、子供を作る能力は無い」
「……は!?お前それ……」
突然落とされたヒロの爆弾に驚いて、グラスから酒が溢れた。
「影が子供を作ったら一大事だ。物心つくかつかないかのうちに、奪われてる」
「そんな……」
すっかり打ち解けて忘れそうになる、ヒロの暗部が顔を出す。
けれど、本人は淡々と話す。
目線はまだカナエの影を追っているのか、柔らかい。
「……カナエを欲しいとは思えないんだ」
「それは、負い目か?」
「そう言う訳でも無いんだ。……なんて言えばいいか……」
ヒロは眉間に皺を寄せて真剣に考えていた。
しばらくすると、酒を煽ってゆっくりと喋り出した。
「カナエの可能性が眩しい」
「ただ、自由に……彼女でいて欲しいんだ」
――それだけで、充分なんだ。
そう結んだヒロはとても幸せそうに笑っていた。
――えらく寂しそうにも見えるのは、俺が寂しく感じちまうからか、それとも……。
「ままならねぇなぁ……」
ため息混じりにこぼして、椅子の背に体重をかけた。
「ままならないのはサチだってそうだろ?」
「あぁ?」
「アヤだ。好きなんだろ?」
「な!」
ニヤッと笑ったヒロは楽しそうにグラスを掲げてくる。
「……ったく!無駄に育ちやがって」
『若い者の成長は早いな……』
いつかのアヤのセリフが思い出された。
照れ隠しに、強めにグラスを合わせた。
キンッと、高い音を鳴らして、酒を飲み干す。
「……今日は付き合えよ」
「当たり前だ」
既に時刻は日付を跨いでいたが、夜はまだ終わらない。
サチも、ヒロも、初めて誰かに心を解けた。
旅の終わりがすぐそこまで来ているとも知らずに……。




