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ストックが尽きるまでは毎日更新です。まったり進行なので、気楽にお読みください。
それでは、よろしくお願いします。
私の母アラベルは、夢幻のような美しい女だった。
青を帯びた銀糸髪は、陽光の下では薄い緑や水の色が混じり合って輝き、けぶる長いまつ毛の下の深い翠色の瞳やすっと通った鼻筋と形の良い唇が作り出す微笑は、透明感のある白い肌も相まって精霊の現身のようだった。
けれど、その美しさは病状の悪化と共に衰えていき、幼い私の目には花瓶に飾られた花が、日に日に萎れていく様に似て映った。
私は、そんな母から髪と瞳だけを受け継ぎ、容姿については両親のどちらにも似なかった。それに、幼少期からの栄養不足がたたってか、目はともかく髪や肌は……。
「エリー様は、先代の奥様似でいらっしゃいますね」
二階へ続く曲がり階段の、踊り場に飾られた祖父母の肖像画を見上げて、女中頭のエルナが告げる。
「お祖母様に?」
「ええ。リューエ様はとても明るく快活な方で、お色が違うだけでそっくりですよ」
私は、祖父に腰を抱かれて微笑む祖母を見つめながら、そうかしら? と内心で呟いた。
絵の中のふたりは、祖父母と呼ぶのが憚られるほど若い。母が物心つく前に祖母は亡くなったと聞いていたから、この絵が描かれたのは子供を産む前だろう。
記憶の中の両親と比べれば、祖母と似ている部分のほうが多いように感じるけれど、明るく快活な性格そのままに屈託なく微笑む祖母と私では、まるで正反対の印象を持たれる気がする。
「私は、こんなに素敵な笑顔をお見せできないわ」
「あらあら。そんなことはありませんよ!」
自信なく弱音をこぼした私に、ジュノー家で長年勤めているエルナは大げさに目を丸くして否定した。
「今はまだご健康を損なっておいでだから、そんなふうに感じるのです。お体を動かし、たくさん召し上がって、たくさんお眠りになられれば大丈夫! ピカピカの淑女になられますよ」
「……本当に?」
「エルナは、嘘は申しません。間もなくお迎えがご到着なさいます。さあさあ御仕度を急ぎましょう」
背を押されて客間に戻る。
これから、旅装束に着替えてまた長い馬車の道程を始めなければならない。行く先は、同じ伯爵家だ。
私は諦めの溜息を漏らして、ずらりと侍女が並ぶ部屋に入った。
私の淑女教育のため、大公殿下自ら吟味に吟味を重ねて選んだお家はバリー伯爵家だった。すでに息子夫婦に代替わりし、前伯爵夫人は別邸で隠居生活をお過ごしで、大公殿下のたっての頼みもあって快く引き受けてくださったとか。
私を出迎えてくれたクレーシア・バリーは、小柄で砂糖菓子のような甘くふんわりとした女性なのに、中身はいたって厳しい教師だった。
鋭い声で問題点を指摘し、解りやすく説明して教え込む。怖いけれど、体罰を与えたり中傷したりすることなく、上手にできた時には抱きしめながら褒めてくれる優しさもあった。
とにかく、徹底的に叩き込まれた。あやふやだった知識が日を追うごとに鮮明になり、ひとつひとつ自分の実になってゆくのが実感できた。たまに飛んでくる叱咤に落ち込みはしても、根気よく諭してくれるクレーシア様のお陰で、その回数も少なくなっていった。
「エリュミナ様の美点は、その忍耐と我慢強さね。残るは、お顔の表情作りかしら」
「表情作り……ですか?」
礼儀作法や言葉使い、貴族儀礼や所作などをどうにか習い修め、一番の難題だったダンスに合格点をいただけて喜んだのも束の間、クレーシア様は困り顔でそう指摘した。
「信頼が置ける身内が相手なら、感情を素直にお顔に出すのは結構なの。でも、公の場ではそうはいかないわ。それは知っているでしょう?」
「……ええ」
「愛想よく近づいてきたとしても、相手のお腹の中まで同じとは限らないし、澄まし顔で遠回しに嫌味な物言いをなさる方もいるわ。女性同士の歓談ですら、聞こえの良い綺麗な比喩を使ってお話しなさる方が多いけれど、よくよく聞いてみると悪口やあまり品の良くない噂話だったりするの。なのに、どなたもこれ見よがしに美しく微笑んでいらっしゃるわ」
クレーシア様は手にした扇子で口元を隠して囁くように話すと、最後にパシンと小気味よい音を立てて扇子を閉じた。
内容とその意気な所作が、まるでその場面を再現しているようで、私は思わず笑ってしまった。
クレーシア様の説明は、とても納得できた。
私は負の感情を抱いてしまうと、どうも無表情になってしまうらしい。無意識のことだけに自覚していなかったけれど、そう言われてしまえば確かにと言わざるおえない。
それもこれも、すべては別邸での暮らしが原因だった。
他者の悪意を浴びながらの生活は、私から哀以外の感情表現を奪っていたらしい。
笑えば媚びを売ると謗られ、怒れば何様だと罵られ、楽しみを見つけても瞬時に奪われた。残された自由は、屋根裏に隠れて涙するだけ。
そうして、私は無表情の仮面をつけて過ごすことを覚えてしまった。
「美しく笑う……」
「そうよ。これから貴女は、王族に次ぐ立場に上がるの。そんな貴女より下の者に、泣き顔を見せたり本心を読まれたりは許されない。それでも、貴女を侮ってかかる者もいるでしょう。その時は、微笑んで見せるの。美しく気高く、何ものにも動じない気迫の篭った微笑みを、ね」
その日から、私に課せられた習慣のひとつに、鏡に向かって表情を作る訓練が加わった。
鏡に映る私は、たくさんの笑みを作り出す。
そして、微笑みは沈黙の中でも、多くを語るのだと知った。




